ep5-023.リーファ奥殿(4)
「ツェス、イーリス、下がってよいぞ」
「はい。これにて失礼いたします」
ライバーン王に下がるよう言われたツェスとイーリスは、ラメルに外で待つように指示された。二人はライバーン王に一礼し、リーファ奥殿を後にする。二人が出たのを見届けたラメルは、向き直って深々と王に一礼した後、決意を込めたような眼差しを向けた。
「陛下。お願いしたき儀が御座います」
「導師。どうされた」
「今後の事に御座います。レイム殿、リーメ殿にも関わる事ゆえ」
「申されよ、我が師よ」
「万が一、このまま精霊がこの世から居なくなってしまったら、同じく魔法も無くなってしまいましょう」
ラメルの言葉にライバーン王が頷く。この世界では精霊の力を借りることで魔法を放つことが出来る。精霊魔法以外の魔法は、女神レイムが司る神域魔法だけだ。言うまでもなく、神格を持たない人間に神域魔法を使うことはできない。ゆえに精霊が無くなったら、魔法が使えなくなるであろうことは明らかだ。
「魔法が無くなってしまえば、世界の根本が覆ります。それだけは避けねばなりません」
「何か策があるのだな。導師」
「まだ策にまで届いておりませぬが、一つだけ希望が御座います」
ライバーン王、レイム、リーメの三者は息を飲んで、ラメルの次の言葉を待った。
「精霊を介さない魔法体系を確立するのです」
「……!!」
一同は息を飲んだ。精霊を必要としない魔法、荒唐無稽な絵空事だと一笑に付される発言だ。しかし、この難題に伝説の大魔導師ラメルが長年取り組んで来たことをライバーン王は知っている。
「出来るのか?」
ラメルは静かに首肯する。
「我が弟子イーリスと輪廻の指輪が導いてくれました」
「すると青き珠を放つ者の謎が解けたというのだな?」
ライバーン王は、ラメルがイーリスの『ドゥーム・ドレイナー』のスキルについて研究する事を許し、援助もしてきた。遂にその成果が聞けるというのだ。王の言葉には自然と力が籠もっていた。
「はい。まだ完全ではありませんが、きざはしは見えました。我らは息を吸い、水を飲み、食物を口にしております。しかし、それだけで生きているのではありません。我らを我ら足らしめるモノ、世界を世界として形作る根本のモノがあるのです。生きとし生ける者すべてが持つ熱き鼓動。大気に流れる生命の泉。全ての存在はこれにより成り立っております。私はこれを『オド』と名付けました。青き珠は、この『オド』を集めたものに御座います」
ラメルはそこで一度言葉を切った。自分の言葉が伝わっているか確かめるかのようにライバーン達を見渡した後、説明を続ける。
「世界に満ちるエナジー、これが魔法に成りうることが分かりました。しかし青い珠を使える者はイーリスを除けば、まだこの世界にはおりません……」
ライバーン王の思慮深き瞳に輝きが浮かんだ。彼はその深い洞察力でラメルの次の言葉を正しく読み取っていた。
「導師。つまりは、青き珠を放つ者、『ドゥーム・ドレイナー』を他に作るべきだというのだな」
「仰せの通りです」
「導師の謂わんとすることは理解した。精霊が減っている原因が分かり、元に戻るのならそれでよい。だが、万が一精霊なき世にならないとは、誰にもいえぬ」
ライバーン王はそこまで言って、リーメに視線を送った。
「リーメ殿。予は精霊なき世など見たくはない。精霊女王たるそなたの力で、世界の破滅は食い止められると信じておる」
リーメが小さく、はいと応える。
「だが、王として精霊が減っているという事実から目を背ける訳にもいかぬ。偉大なる我が師よ。青き珠を放つ者をどうやって作り出そうと仰るのか?」
「それについては、私に考えが御座います。しかし、いくつかの実験を行わねばなりません。まずは精宿石と優れた精霊使いを御用意いただきたく……」
「実験とはどのようなものか?」
「精宿石に精霊ではなく、青き珠を放つ者の血を封じます。しかるのちにそれを用い、他の精霊使いの手で青い珠を発動させるのです」
「そんなことが出来るのか。導師よ」
「残念ながら、やってみなければ、確たることは分かりません。加えて、仮に青い珠の発動に成功したとしても、イーリスのようにそれが魔法に成るのかも不明です。ですが、青き珠を放つ者の血が触媒になる事だけは突き止めております。青き珠が生み出せるかどうかがその試金石となりましょう」
ラメルの申し出にしばらく考えていたライバーン王が口を開く。
「精霊が使えれば、誰でもよいのか?」
「構いませぬ。ですが、青き珠を放つ者となっても、その力を我欲の為に用いぬ者でなければなりますまい。青き珠を放つ者が、その力の使い方を誤れば、どのような結果を生むか分かりませんゆえ」
「導師の申し出は王国、いや世界の未来に関わる重大事だ。心して当たらねばならぬ。だが、導師の条件を聞くに王国の精霊使いでは力不足かも知れぬ。レイム殿、神官で相応しい者はおらぬか?」
神官はその職務柄、多くの人々の秘密を知る立場にある。畢竟、彼らには守秘義務が課せられ、それを守れる者のみが神職に就いていた。秘密を守る上でも、我欲に振り回されないという意味でも、神官はもっとも相応しい者達であるといえた。
「精霊使いは神官にも数多おります。何人かを選ぶことに問題ありませんが、いかほど必要でしょうか?」
レイムはわずかに眉根を寄せた。ラメルは彼女の僅かな表情の変化を見逃さなかったが、努めて平静に答えた。
「十人程選んでいただければ事足りましょう。」
「実験は何処でなさるのですか?」
「秘密裏で行える場所がよいでしょう。正否がはっきりするまでは公表は控えるべきかと」
「導師の言葉はもっともである。王都では目立ち過ぎるし、最後まで秘密にするのも難しいだろう。別の場所がよい」
ライバーン王は頭を上げて、聖堂の天井を見つめ、しばし瞑目した。
「ラメル導師、レイム殿。やはり、フォーの神殿しかなかろう」
「陛下。フォーの神殿はまだ建設途中に御座います」
「その通りである。だが、すでに工事は半ばを過ぎている。実験を行う場所くらいはあろう。それにフォーの神殿であれば、神官がいくら出入りしようが疑念を招くことはあるまい。レイム殿、許可をいただけまいか?」
――フォーの神殿。
フォートレート王国と西のワーレン王国との国境であるララム山脈の一峰、バスティーユ山の麓に建設中のリーファ神殿だ。先帝レーベの晩年から建設が始まり、はや十七年にも及ぶ。完成にはあと十年は必要だといわれている。
「はい。大導師のよきように」
「陛下、レイム殿、申し出をお受けくださり、有り難く存じます」
ラメルは決意を込めた瞳で静かに答礼した。
◇◇◇
――深夜。リーファ奥殿。
中央ホールの奥の祭壇に捧げられた十個の琥珀が黄金色の輝きを放っている。
その祭壇前で二つの人影が向かい合っていた。一つは白の神官服。もう一つはフードのない臙脂色のローブ。レイムとリーメだ。
「ありがとうございました、リーメ様。無事、風の精霊封入を終えることができました」
「はいです」
レイムの礼にリーメがにこりと答える。
「でも……良かったのですか? リーメ様の守護精霊を召還封入させて頂いて……」
「はい。私を守る風の精霊は少なくなりましたけど、他の属性の精霊もいますし、天空神エルフィルとの盟約もあります。大丈夫です」
「よかった」
レイムはその言葉と裏腹に沈痛な表情を浮かべた。
「リーメ様。星墜ちなど、数万年遡っても私の記憶にありません。リーメ様の御記憶にありますか?」
「いいえ。私の記憶にもありません」
「つまり、過去数万年、いえ数十万年でも起こらなかった事が起こっているのですね。精霊達が居なくなれば、この世界は今の姿では無くなってしまいます……」
レイムの言葉に憂いの色が浮かぶ。その鈴の音色のような声はわずかに震えていた。
「リーメ様は星墜ちをお調べになりたいと仰いました。けれど、私の本心を言えば反対なのです。精霊が減った原因が星墜ちにあるのなら、そこに精霊が近づくことは、やはり危険なのではないでしょうか。そんなところに精霊女王たるリーメ様が赴いて、何か起こってしまったら、取り返しがつきません。それがとても心配です。でも、私はこの世界を引き継いだ守護神。世界の異変を放置する訳にはいきません……」
レイムの大きな瞳が潤み始めた。
「リーメ様。もしも貴方を失うようなことがあれば、どうすればよいのでしょう。私にはこの世界を導いていける自信がありません……」
レイムは膝を折り、透き通る程白い両手で自分の顔を覆った。
「レイムさん」
リーメはしゃがみ込むとその小さな胸にレイムの頭を抱きよせた。
「……レイファ」
リーメはレイムを本当の名で呼んだ。
「心配いりません。貴方はリーファの跡を継いだ女神ではないですか。リーファは貴方にこの世界を託したのです。私はリーファの影。この世界のことは、もう貴方が判断するのですよ」
「リーメ様……」
雲間から蓮月が顔を覗かせる。七色の光が天窓をくぐりぬけ、二人を柔らかく包み込んでいた。




