ep5-021.リーファ奥殿(2)
「フレイル!」
「ラクシスさん」
ツェスとイーリスは驚きと喜びの入り交じった声を上げる。白甲冑の男の名はフレイル・ラクシス。ツェスより四歳年上のこの男は、王国付きの騎士兼精霊使いだ。
精霊使いは精霊と契約を結ぶことによってそうと名乗る事ができる。だがそれは職能であって、職を縛るものではない。精霊使いがみな精霊使いとして生きる訳ではないのだ。
無論、精霊使いは誰にでも成れるものでないし、そう多くいる訳でもない。だから、彼らの殆どは精霊使いとしての職に就く。その職は、王国に召し抱えられたり、精霊使いを目指す若者を弟子にしたりと様々だ。冒険者として生計を立てる者もいるし、中には、剣士としての修行を行う者さえいる。
精霊使いの中には、剣の腕が立つ者が少ないながらも存在する。彼らは貴重な存在として、王国に召し抱えられ、その殆どは騎士団に編入される。彼らは精霊騎士とも呼ばれ、重要な仕事を任せられることも多い。フレイルもその一人だ。
フレイルはラメルのかつての弟子であり、ツェスの剣の師でもあった。若くして闇の精霊と契約を結び、若干十五歳にして精霊使い見習いとして、王国に召し抱えられた。若年であり、多少の剣術の心得もあったフレイルは騎士団に配属され、剣の研鑽を積んだ。ツェスがラメルに拾われた後、フレイルは、ラメルの依頼を受けて、折々にツェスに剣術を教えていた。
「フレイルよ、しばらく姿を見なかったが壮健であったか」
「はい。先月、北部辺境警護の任より戻ってまいりました」
ラメルが顔を綻ばせる。フレイルも久々のラメルとの再会に喜びを隠せないようだ。
「さて、今日、そち達に来て貰ったのは他でもない」
ツェス達とフレイルの再会を見届けたライバーン王はゆっくりと口を開いた。
◇◇◇
「……という訳だ。星墜ちの現場に赴き、調査に当たって貰いたい」
ライバーン王は、ツェスに星墜ちの調査について説明すると、透き通ったブルーの瞳でツェスを見つめた。
王の説明は昨晩、ラメルから聞かされた通りのものだった。星墜ちと軌を一にして、精霊が減少を始めた原因を調査する。それがツェスへの依頼だった。
「陛下。ですが、そのような大役、私共に務まりましょうか?」
ツェスは不安を素直に口にした。自分は只の剣士であって、精霊使いでも何でもない。ラメルの弟子となり精霊魔法について多少の教えを受けた事はあるが、それだけだ。イーリスも精霊使いだとはいえ、去年精霊契約を結んだばかりだ。精霊に関する知識はラメルに遠く及ばない。
そんな自分達が星墜ちの現場に行ったところで、何か分かるのだろうか。
「ツェスよ。そなたの言はもっともである。予も手ぶらでそち達を送り出す積もりはない」
ライバーン王は笑みを浮かべた。続けて説明をしようとした時、鈴の音の如き高く透き通った声が響いた。
「麗しきフォートレートの王ライバーン。そこから先は私が説明いたしましょう」
ツェスが振り返ると、小柄な少女が大勢の精霊を従え、微笑みを浮かべていた。深い栗色の短い髪を後ろに流し、銀のカチューシャをした可憐な少女だ。年の頃は十四、五。広めの額に垂れ気味の丸い目。小振りな鼻と口がその可愛らしさをより引き立てている。
少女は袖口に赤い刺繍の入った白いローブを纏っていた。腰には赤と金の組紐。それを細かい彫り物がついたバックルで留めている。手には黄金の錫杖。それは少女が高貴の存在であることを示していた。
少女は、リーファ神殿を統べる最高司祭にして三王国の守護女神レイムだ。
「レイム殿」
ライバーン王の声を合図にその場に居たものが一斉に立ち上がると片膝をついた。王に礼を取って片膝を付いていたツェスとイーリスも、一端立ち上がって、改めて礼を取り直した。
大陸三王国の中で守護女神レイムを知らぬ者はいない。だが極一部の限られた者を除けば、その姿を目にする機会は滅多にない。レイムが一般の民の前に姿を表すのは、王の戴冠式と葬儀、そして世継ぎが生まれた時くらいだ。ツェスも間近でレイムに会うのは初めてだった。
レイムは、そのままツェス達の前を通り過ぎ、祭壇に登った。引き連れていた大勢の精霊達はツェス達の後ろに控えたが、一人の精霊だけ少女に付き添っている。
祭壇に立ったレイムはツェス達に向き直り、ツェス達を見渡した。
「ここ最近、精霊の数が減りだした件は、精霊界で大問題となっています。放置すれば、世界から魔法が消え去るだけでなく、天地が枯れ、世界が滅びるやもしれません」
レイムは目を伏せ、何事か思案している様子だったが、直ぐに顔を上げた。彼女のグリーンの瞳には、透徹した深い悟性が湛えられていた。
「先日、私は精霊界からの招きを受けました。彼らの意見も私と同じでした。星墜ちが何か関係しているのではないか、と。そこで、精霊界からある方を星墜ちの現地に送り、詳細を調べたいとの申し出を受けました……」
レイムの言葉にライバーン王が深く頷いた。精霊界とはその名のとおり精霊達の住む世界である。その世界が何処にあるのか未だ分かっていないのだが、人間界と重なって存在している世界ではないかと解釈されている。実際、大陸全土に精霊達は存在し、人間達と共存している。
ただ、精霊の姿はまちまちで、これと定義できる姿はないとされている。羽根の生えた小さな妖精の姿をした者もいれば、殆ど人間と変わらない姿の者もいる。上位格の精霊や、ある種の精霊は人間と触れる事が出来るのみならず、人間の言葉も話す事が出来る。
精霊界には精霊達を治める長に相当する存在があり、七つの属性それぞれに最低一体存在する。精霊使いが精霊と契約する時には、これら各属性の精霊の長と契約を結ぶ。それによって、精霊の長が管轄する属性の精霊達を使うことが出来るのだ。イーリスが契約を結んだ、風の精霊テゥーリは風の精霊達を束ねる長の名前だ。
「して、その方とは? レイム殿」
ラメルの言葉にレイムは、二拍程の間を取ってから口を開いた。
「精霊女王です。大導師ラメル」
一同の顔に驚きが走った。いや、ライバーン王だけは事情を知らされていたのか平然としていた。
「精霊女王…、精霊を統べる七属性の長達の上に立つ至高の存在。伝説にはそう記されております。実在していたとは……。レイム殿」
「その通りです、ラメル導師」
ラメルの呟きにも似た言葉にレイムが肯定した。ツェスとイーリスはラメルにも知らないことがあるのかと新鮮な驚きを覚えた。
「……つまり、それ程の事が起きているということですな」
一瞬だけ目を見開いて、驚きを顕わにしたラメルもすぐに元の冷静さを取り戻す。
「はい。星墜ちの調査は精霊女王自ら行います。しかし女王だけで現地に赴くのは危険です。ですから……」
「俺達に精霊女王の護衛をせよと仰せられるのですね」
――護衛任務。
ツェスが答えを待てないとばかり口を挟んだ。未知の調査はともかく、護衛任務であれば自信がある。ついこの間までイーリスの護衛をして、大陸を旅してきたばかりだ。星墜ちしたといわれる、ガラム王国北部国境に行ったことはないが、どこにどんなモンスターが出没するか、都市を行き来するにはどの街道を使えばよいかは大体頭に入っている。これならば俺でも出来ると、ツェスは顔を上げた。
「その通りです。現地には見たこともない魔物も出ると聞いています。護衛についてライバーン王に相談しましたら、貴方達をと推薦されたのです」
レイムがツェスとイーリスの顔を交互に見渡す。彼女の深いグリーンの瞳には憂いと期待とが交錯していた。最後にレイムが送った視線に、ライバーン王が応える。
「思案の末の事だ。本来であれば、王国が騎士団を編成し、正式な調査を行うところだ。だが派手に動けぬ事情があるのだ」
「藩王国ですな。陛下」
ラメルが王の次の言葉を代弁する。
「左様。十日ほど前、ガラムのバステス王から連絡があった。藩王国が領土拡大を画策しているとな」
――藩王国。
大陸北部に点在する氏族達を束ねた連合王国だ。建前上、王は五年に一度行われる各氏族の代表による話し合いで決められることになっているが、実態はもっとも力を持っているメオ氏族の世襲だ。
「藩王国は、ガラム王国が統治していたのでは?」
ツェスはもっともな疑問を口にした。
藩王国は、先帝レーベが大陸統一の際に服属した過去がある。レーベが没し、その息子達による三王国が成立して以後は、地域的にもっとも近い東のガラム王国に形式上服属している。
「表向きはそうだ。だが、彼らは統治圏の拡大を主張し出している。その彼らが領有権を主張している土地が星墜ちの現場一帯なのだ。この地は元々父祖伝来の土地であるから、我らに統治の権利があるというのが彼らの言い分だ」
「そんな勝手な主張が通る筈ないじゃない。レーベ王の時に服属を決めたんでしょ?」
驚きからなのか、怒りからなのか、イーリスが王の前であることも忘れたかのような口調で叫んでいた。しかし、ライバーン王はそれを咎めることなく、静かに説明する。
「彼らに言わせれば、藩王国が服従したのはレーベ王にであって、その息子にではない、とな。物は言いようだ」
ライバーン王はふっと息を吐き、眉間に皺を寄せた。それが藩王国の身勝手さに向けられたのか、先帝レーベの息子である自分を含めた三兄弟の徳の無さに向けられたものなのかは分からなかった。
「ツェス、イーリス、お前達に教えて置こう。領土というものは国境線を引けばそれで済むものではない。領土とは、実際に支配できる範囲の事なのだ。ゆえにその大きさは、いち早く軍を派遣できる範囲に限られる。山脈や河が国の境となるのは、それを越えて軍を出すのに時間が掛かるからだ」
ひと呼吸おいて王は続ける。
「だが、星墜ちによって、その境目がなくなってしまった。星墜ちは地に大きな穴を穿ち、ガラム王国と藩王国とを隔てる山を削った。ゆえに国境が曖昧になっておるのだ」
ライバーン王の説明にレイムとラメルが頷いた。フレイルは直立不動のまま、王の傍に付き従っていた。
「陛下、それで精霊女王様は何処に?」
ツェスが問うた。
ツェスは精霊女王という存在がいるとは知らなかった。このリーファ奥殿は初めてだが、王都中心部にあるリーファ大神殿には何度も足を運んだことがあるし、新年の朝に行われる福音の儀も欠かしたことはない。だが、いずれの時でも精霊女王の話は聞いた記憶がない。
また、ツェスにとっては全知とも思えるラメルからも、そんな話を聞いたことがなかった。
精霊女王。一体、どのような存在なのだろう。護衛というからには目に見え、触れることの出来る存在であるとは思うが、妖精のように背に羽でも生えていたら、目立つだけではなく、護衛も簡単ではなくなるだろう。まずはどのような姿形をしているのか。ツェスの懸念は其処に注がれていた。
ライバーン王はツェスの問いに答えることなく、レイムに顔を向ける。
「それはレイム殿に聞くがよかろう。いや、問うまでもなかろうな」
「ツェスさん、イーリスさん、王ライバーンの仰る通りです。精霊女王は此処にいます」
レイムがにこりと微笑む。それを合図に、レイムの後ろに控えていた精霊が一歩進み出た。小さな少女だ。
「私が精霊女王です。リーメ・パムと申します。よろしくお願いいたします」
リーメと名乗った少女はぺこりと頭を下げた。




