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ep4-018.ラメル(4)

 

 ツェス達は顔を上げた。その人影は背丈の五倍程の高さに浮かんでいた。ツェスは一瞬、神かモンスターの類かと疑ったが、目に映る影は、まごうことなき人の形だ。


 ――人が宙に浮く。


 こんな魔法は見たことがない。


 ツェスはラメルであれば何か分かるのではないかと、縋るような視線を向ける。だが、ラメルは宙を凝視したまま動かない。いつものラメルならば、すぐさま事態に対応する筈なのに。もしも、今の状況がラメルにも未知の事なのだとしたら徒事ではない。


 ――奴は何者なんだ。


 ツェスは必死に目を凝らした。だが、薄雲に遮られた月明かりは、謎の人影の正体を暴くにはあまりにも弱々しかった。


 それでもツェスは、優雅な曲線を描くシルエットと、背後にさらさらと流れる長い頭髪のようなものから、相手は女ではないかと推測した。


 影は、まるでリーファ大神殿の女神像のような立ち姿で空に浮かんでいる。


 ふわりと風が流れた。


 人影から髪のようなものがシルクの柔らかさで大きく靡いた。


 風が雲を押し流し、蓮月に元の光を還してやると、薄暗いシルエットは、段々とその詳細を明らかにしていく。


 やはり女だ。


 上半身は襟のついた白い長袖。下も同じく白のズボンだ。長袖はチュニックのようにも見えるが、丈はもっと短い。


 両肩から腰に掛けて、薄っすらと光を帯びた丸い銀色の金属のようなものが四つ等間隔に真っ直ぐ下に並んでいる。腰には紐ではなく、もっと幅広の革を巻き付け、それに沿って、左の腰には剣の様な物を挿し、右の腰には別の何かをぶら下げている。


 見たことのない服装だ。


 光を取り戻した蓮月が七色の光で、女の顔を映し出した。


 少女だ。


 歳の頃は十五、六。大きな丸い目。小振りの鼻におちょぼ口。


 ツェスは驚きの余り、息を飲んだ。


 謎の少女が空に浮かんでいる異様さにではなく、彼女の容貌にだ。


 ツェスには、少女の顔に見覚えがあった。


 ――まさか。


 ――そんな筈は。

 

 ――有り得ない。 


 少女の姿は、八年前に生き別れとなった妹、アクサラインそっくりだった。


 ――アクサ!?


 多少大人びた顔立ちになってはいるが、髪が長くなったことを除けばアクサラインとしか言いようがない。他人の空似という次元ではない。


「アクサ、アクサラインなのか? 俺だ。ツェスだ!」


 ツェスは我を忘れて叫んでいた。両手を広げて一歩進み出る。


 少女は風に靡く髪に手をやり、くるくると人差し指に巻き付ける。


 そして、黒の瞳でツェス達を見下ろすと、開いたもう一方の手の平を上に向けた。次の瞬間少女の手から黄色に光り輝く板のようなものが現れた。

 

 少女は何かを確認するかのように、光の板に視線を配った後、ゆっくりと口を開いた。


「この世界にも居たのか。彷徨い人(ヴィルターバ)の失跡を追った甲斐があったというものだ……」

「アクサライン! 俺が分からないのか?」


 少女は、野蛮人でも見るような蔑んだ眼差しをツェスに向ける。


「我はそのような者は知らない」


 尚も喋ろうとするツェスをラメルが手を伸ばして制した。ゆっくりとした口調で少女に問いかける。ラメルの深い洞察力と叡智に満ちた瞳の輝きは失われていなかった。


「少女の姿をした者よ。そなたは何者か?」


 少女は初めて話し相手に出会えたかのような笑みを口元に浮かべて答えた。


「我は今、(ゆえ)あってこの世界に現出している」

「改めて問う。そなたは神か精霊か? それとも淫祠邪教の使いか?」


 ラメルの問い掛けは至極真っ当なものであった。人は空を飛べない。たとえ、風の精霊の力を借りて魔法を使ったとしてもだ。瞬間的に浮かせることは出来ても、持続的に浮かせ続けることなど不可能だ。


 しかしこの少女は違う。まるで、散歩の帰り道にふと立ち止まっただけであるかの如く平然と宙に浮いている。


 ラメルが神か精霊かと問うたのも当然だ。


「……どれでもない。我は観測者であり探索者だ」

「?」

「未開世界の住人よ。お前達の幼い頭では分かるまい。我らのレベルに辿りつくには、数千、数万の文明と億年の歳月が必要だ」


 少女は、何かの教科書でも読んでいるかのように冷静に、淡々と、当たり前の()()を告げるかのように答えた。


「何を言っている!」


 ツェスが痺れを切らした。イーリスがツェスの側に寄り添い、強ばった表情で彼の手を握った。今の状況を理解できなくて不安なのだ。


 だが、理解できないのはツェスとて同じだ。ツェスは左腕の震えがまだ収まらないのに気づいて顔を上げた。


「お前は異形の魔物の仲間か!」


 ツェスの左腕は異形の魔物が近づいたとき反応して震える。そして、異形の魔物が出現すると、彼の左腕は『半腕』へと変化するのだ。


「異形の魔物? あれのことか?」


 少女が左手の林に視線を向ける。


 彼女の視線の先の空間が、突然歪みだした。


 ――ぎゅるり。 


 景色を三つの渦に歪めた中心から、角を生やした蛇の頭が這いずり出した。


 蛇の頭に甲羅で守られた首。ずんぐりとした胴体に三対の脚と長い尻尾。


 物理攻撃が殆ど効かない怪物。


 ――異形の魔物。


 白銀の怪物が三体、ツェス達の前に現れた。



◇◇◇



「まずい! イーリス下がれ、風の防御を!」


 ツェスが剣を抜きざま、イーリスに指示を出す。イーリスは腰に手をやったが、精晶石の入った革袋が無いことに気づくと、慌ててラメルの家に戻った。


「一度に三体なんて、何の冗談だ!」


 ツェスが剣を左上段に構える。左の籠手が外れ、半透明の腕が外気に晒される。『半腕』以外の肌が褐色に変わる。天を指したツェスの剣が青白く輝いた。


養父(おやじ)!」


 ツェスがラメルに叫ぶ。一度に三体の異形の魔物を相手にしたことなどない。だが、ツェス以外に異形の魔物を斃すことができる唯一の人物、ラメルがいることは不幸中の幸いだ。


「リーとセレスの名に於いて命ずる。レンガスよ、その力を今、此処に示せ!」


 ラメルが両人差し指に填めている二つの指輪が白く輝いた。ラメルが若かりし頃に出会った、天の御使い、リーとセレスから授かったという神秘の指輪『レンガス』。


 精霊なしで魔法を使うことが出来る世界でただ一つのアイテム。


 精霊に頼らず魔法発動する点ではイーリスのスキル「青い珠(ドゥーム)」と良く似ている。その力の全貌はラメルにすら分かっていない。だが、ラメルはこのレンガスの力で先帝レーベを何度も助けたのだ。


固化(マテリアル・フリーズ)!」


 ラメルの指輪から白い光が迸り、異形の魔物の一体を包み込んだ。光を受けた異形の魔物は動きを鈍らせ、青白かった巨体は灰色にくすみ始める。


「イーリス。今なら風の刃が通る。灰色の異形を狙え!」


 精晶石の革袋を手にして戻ってきたイーリスにラメルが命じる。イーリスは革袋から琥珀の宝石を五つ取り出し、開封の詠唱を始めた。


「風の精霊テゥーリ、我が名はイーリス。偉大な風を生み、忌まわしき魔物を切り裂いて!」


 透き通ったオレンジの石から風の精霊達が飛び出す。風の精霊達は背の翼をひとしきり震わせると、刃と化し、真っ直ぐに異形の魔物に向かった。


 ――ザシュ。


 躯をすっかり灰色に染めた異形の魔物は、風の精霊の突撃に脚を斬られた。とはいえ、脚を切断した訳ではない。手傷を負わせた程度だ。何せドラゴンにも匹敵する硬い表皮だ。そう易々と斃せる相手ではない。


 イーリスが風の精霊に攻撃を続けるよう命じる。ここは少しずつダメージを重ねていくしかない。


 それはツェスも同じだった。


 『半腕』を発動させたツェスは、灰色になっていない方の一体を攻撃していた。ツェスが剣を振る度に異形の巨躯が刻まれていく。


 ツェス達が異形の魔物と戦う姿を、宙に浮いた少女は静かに見つめていた。


「物質波変調が使えるのか。だが、まだ同期が不十分だ」


 謎の少女がぽつりと呟いた。

 


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