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ep3-012.王都の診療所(2)

 

 ――八年前。


「ツェスお兄ちゃん、急ご」


 大きな黒い瞳をくりくりさせて、少女が振り返った。黒に近い紺のショートカットが揺れる。


「慌てるなよ、アクサ、折角買ったパンが落ちるぞ」

「今日は、お兄ちゃんの十三歳の誕生日じゃない。皆も待ってるよ」

「急いでも大して変わらん。それにアクサ、スキップは止めとけ。暑くなるだけだ。ゆっくり行こう」


 ツェスは四つ年下の妹、アクサラインに普通に歩くよう促した。夏の強い日差しが照りつけている。余りの暑さにツェスは半袖を肩まで捲った。さっきまで半袖が隠していた白い肌が露出する。日焼けして麦色になった腕と綺麗なコントラストを成していた。


「えへへ、いいじゃない、年に一回のことなんだから、楽しもうよ」

「お前の誕生日を入れたら年二回だ」

「い~の、い~の、楽しいのは沢山あったほうがいいんだよ~」


 アクサラインは、スキップしながらツェスを先導する。ツェスはやれやれとばかり、ほんの少しだけ歩みを速めた。


 やがて二人は、村を見下ろす丘の上に立った。ここまでくれば、家まで目と鼻の先だ。


 ――!?


 何か様子がおかしい。なだらかな丘陵地帯に点在する家から煙がいくつも立ち上っていた。昼時とはいえ、外で食事を作るのは、秋の収穫祭のときくらいだ。朝、家を出るときには、父さんも母さんもそんな事は言っていなかった。そもそも、こんな真夏にやるわけがない。


「お兄ちゃん……」


 アクサラインも異変を感じ取ったようだ。くるくると人差し指に自分の髪を巻き付ける。不安を感じた時に、よくやる癖だ。


「アクサ、急ごう」


 ツェスはさっきまでゆっくり行こうと言ったことを忘れ、アクサラインを先導して走り始めた。



◇◇◇


 ――ギガァァァア。


 それは、見たこともない怪物だった。家の一軒であれば、その腹に飲み込んでしまえそうなくらい巨大なモンスターだ。蛇のような頭に赤い目が爛々と光っている。頭から後ろ向きに二本角が生え、首から背中を覆っている甲羅には、黒い棘のようなものが幾本も天を刺している。足は六本もあるが、ずんぐりした胴体を支えるには足りない。腹を地面に擦りつけながら、くねらせるようにして歩いている。その動きに合わせ、長い尻尾が地面を削り取っていく。


「な、何なの、これ」


 アクサラインが抱えていた包みを落とした。バサリという音と共に、中の長パンが散らばった。

 

「……ドラゴン? いや違う!」


 噂に聞くドラゴンとは姿形が違っている。大きな羽もなければ手足が六本もある。肌は鱗でなく甲羅だし、背には棘まである。


 ツェスはアクサラインの手を取って、周りを見渡した。そこら中の地面に、金属光沢のある黒い棒が何本も突き刺さっている。棒の長さはツェスの背丈程もある。ツェスは棒の形と色からから、怪物の棘に違いないと思った。


「家だ!」


 ツェスはアクサラインの手を引いて、我が家を目指して駆けだす。ツェスは走りながら、周りの家を確認する。怪物の棘に串刺しになった屋根。其処此処で、火の手が上がり、ブスブスと煙を上げている。


「きゃあああ」


 アクサラインが悲鳴を上げる。そこは我が家が()()()()だった。


 家と思しき小屋は、怪物の下敷きにでもなったのか、跡形もなく潰されていた。柱だった木は折れ、屋根を葺いていた草が強風に飛ばされたかのように散らばっている。ツェスは素早く中を確認したが、誰もいなかった。


 ――ギョアアアアアアェエッェエ!


 怪物の声が背後で響いた。アクサラインの手を引いて全力で走る。


「アクサ、見るな!」


 ツェスが叫ぶ。さっき通り過ぎた家の入り口から、ちらりと人の足らしきものを見たのだ。それは床に横たわった姿勢でぴくりとも動いていなかったからだ。


 父さん、母さんは逃げられたのだろうか。それとも……。


 ツェスの頭に最悪の光景が浮かんだ。慌てて打ち消す。今は兎に角逃げることが先だ。

 

「あっ!」


 アクサラインが躓いて転んだ。妹を振り返ったツェスの背中に熱い痛みが襲った。


「ぐあっ」


 ツェスの後ろに鋭い棒が突き立っていた。魔物の棘だ。幸い直撃ではなかったが、背中を掠めていた。じわりと背中の白い生地が赤く染まっていく。ツェスがもう半歩後ろにいたら、その場で串刺しになっていただろう。


 ツェスはその場に崩れ落ちた。


「お兄ちゃん!」

「構うな! アクサ、何処でもいいから逃げろ!」

「でも……」

「いいから行け! 俺も直ぐに追いつく」

「お兄ちゃん」

「行けぇ、アクサ! 行け!」


 ツェスの渾身の、そして最後の力を振り絞った叫びに、アクサラインはようやく走り出した。まっすぐ村の外に向かっている。


 ツェスは起き上がろうとしたが、力が入らない。そのまま俯せに倒れた。背中の痛みは限界を超えたのか、もはや痛いのかどうかさえ分からない。


 真夏なのに、不思議と暑さは感じない。いや、寒いくらいだ。どうしたんだ。視界も何だかぼんやりとしてきた。必死で顔を起こし、妹を目で追った。アクサラインは村から出ようとしていた。なんとか逃げられそうだ。

 

 「きゃああああ!」


 遠くで微かに悲鳴が聞こえた。アクサラインの声だ。何があったんだ。必死で目を開けたが、ぼやけてよく見えない。


 ――ギョアアアアアア。

 

 すぐ背後に迫っている筈の化け物の声が、なんだか遠くに聞こえる。だんだん考えるのも疲れてしまった。


 ツェスはそのまま瞼を閉じた。

 

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