第29話 お風呂は緊張する
すごく暇だ。
今日はここ最近だと珍しいくらいお客さんが少ない。
オーダーは入ってないし、明日の分の仕込みもできる所までは終わった。暇な時にやる掃除も終わって、どーしようかと考える。
「暇だねぇ」
「そうだね、こんなにお客さんが少ないの、わたしが入ってきてから初めてかも」
同じくキッチンのサチと喋る。
ホールを見るとお客さんは数名しかおらず、あんりちゃんと環奈ちゃんも暇そうに小声で喋ってる。
事務作業をしている店長に相談しに行こうか迷うけれど、「あ、そう言えばさ」とサチに小声で話しかけられて意識がそちらに向いた。
「なに?」
「今度さ、旅行にいかない?」
「旅行?」
旅行なんて、いつから行ってないだろう。
友達もほとんどいなかったから、旅行にいくなんて発想にもなったことなかったな。
「そう、旅行。二人でさ、知らない街歩いてデートしてみたい」
正直、サチと一緒だったらどこにいても私は幸せなんだけど、いつもと違う知らない街っていうのも新鮮で、楽しそうだ。
「いいかも。でもどこに行くの?」
「場所は、まだ何も決めてないんだけど、ゆっくりと温泉に浸かって、美味しいご飯食べて、のんびりとした街を歩くの」
サチがキラキラとした顔で楽しそうに話す。
私はギクリとする。
「え、温泉?」
「そう、温泉旅館に行きたいな。旅館でのんびりと過ごしたいなって」
温泉か……。
私は銭湯とか温泉とか、それだけじゃなくて脱衣所とかいうものにも慣れていない。
中学生くらいの頃から、体育とか、プールとかの時間に脱衣所で着替える時に、誰かに裸を見られるかもと思ってすっごく恥ずかしくて、それ以来ずっと苦手だ。
修学旅行では大浴場には入らずに、部屋のお風呂で済ませた。
なんと言うか、目のやり場にも困る。
「温泉かー。ちょっと私は難しい、かも」
そういうと、サチはニヤリと笑った。
「色々調べたらね、貸し切りの露天風呂とかがある旅館も結構あるんだって。それなら大丈夫でしょ?」
う……。でも、サチに裸を見られるのも結構恥ずかしいんですが……。
「そ、そうなんだね。まぁでも、お金も結構かかりそうだしね、また今度ね」
「えー、ケチ。あ、お客さん来た。またあとで話そうね」
そう言うと、いらっしゃいませーと元気よく声を出して仕事に取り掛かった。
「二人ともお疲れ様ー」
先に着替え終わっていたあんりちゃんと環奈ちゃんが帰って、事務所兼休憩室は私とサチだけになった。
店長はまだキッチンで作業をしていて、サチは今着替え中でカーテンの仕切りの向こうだ。
「二人とも帰ったの?」
サチがカーテン越しに話しかけてくる。
「うん、帰ったよ」
「そっか」
そう言って着替え終わったサチがカーテンから出てきた。
交代で、今度は私が着替えを持ってカーテンの向こう側へ行く。
「ねぇ綾香、考えてくれた?」
「なにを?」
「温泉旅行ー。楽しそうじゃない?」
「でも……私が見られるのも恥ずかしいけど、サチの裸が誰かに見られるのはもっと嫌、だし」
「そんなの私もだよ。だから貸し切りできる所を探して行かない?って話」
そ、そうだった……貸し切り風呂があるんだった。まぁでも二人でならまだなんとかなりそうかも?
カーテンを開けて更衣室から出ると、サチはまだ納得していない顔をしていた。
「いいじゃん、わたし達付き合って一ヶ月以上経ってるんだしさ」
「いやでもまだ恥ずかしいって言うか…」
いきなり温泉はちょっと、照れるっていうかなんというか。
「じゃ、まずは家のお風呂から慣れていかないとね。今晩一緒に入る?」
「え、うん……頑張ってみる……」
やばい、緊張してきた。
今晩、裸見られるんだ。
まぁでも私達、恋人同士だもんね。そんなに慌てる事なんてないよ、うん。
「綾香、もう顔赤くなってきてるよ?」
「うそ!なにそれ恥ずかしい」
その後も帰る準備をしながらダラダラと喋っていると、ガチャリとドアが開いた。
振り返ると店長がいて、なんだか不思議そうな顔をしている。
「お疲れ様ー。あんりちゃん入ってこなかった?」
私とサチが顔を見合わせる。
二人でずっと会話していたし、入ってきたらさすがに気付くはずだからここには来ていない。
「いえ、入ってきませんでしたけど」
「そっか、まぁ見てないならいいんだけど。あ、そう言えばこの前紹介してくれた南條さん、ウチで働く事になったよ」
パラパラと雪の降る道を二人で歩いて帰る。
厚着をしていても体は寒いけれど、繋いだ手をサチのコートのポケットに入れてくれているから、気持ちは温かい。
しかもこれから、サチのお家に帰ったら一緒にお風呂に入るんだよね……。
考えるとやっぱり緊張してきて、手をギュッと握る。
「どうしたの?」
二人の足音に、優しい声が乗っかる。
「な、なんでも……いや、ホントはちょっと緊張してる」
「どうして?そんなにわたしに裸を見られのが嫌?」
ふふっと笑って、分かってる事を聞いてくる。
「嫌なわけじゃけど……。だって、大好きな人と一緒にお風呂なんて、初めだし」
そう言って、しまったと思った。
考えたくない事が頭をよぎる。
サチは、わたしが初めてじゃないんだよね……。
今更、過去に嫉妬したって意味ないなんて事は理解しているんだけど、ちょっぴり胸が痛い。
「わたしは楽しみだよ、ずっと綾香と一緒にお風呂入りたいなって思ってたから」
「そ、そっか。私も一緒に入りたい気持ちはあるんだよ?嫌じゃないんだからね?」
「うん、ありがとう」
交差点を二人で曲がる。
少し歩いて路地に入ると、家に着いた。
いつものように、サチが先に入ってクルッとこちらに向き直す。
「おかえり、綾香」
「ただいま、サチ」
私はこのやり取りがとても好きだ。
いつも誰もいない家に帰っていたから、おかえりって言ってもらえると心が温まる。
荷物を置いて、コートを脱ぐ。
サチがキッチンへ行って電気ケトルに水を入れて電源をオンにする。
「サチ、お風呂洗っておこうか?」
「え、いいの?ソファでゆっくりしてても良いんだよ?」
「いやー、いつもやってもらってるから、これくらいはしたいなって」
スポンジと洗剤を手に取って、お風呂の中を綺麗に洗う。
最近、かなりの頻度でサチの家にお泊まりさせてもらっているから、できる事はちゃんとしないとね。
掃除を終えてリビングへ戻ると、サチが紅茶を淹れてくれていた。
二人でテーブルの椅子に座り、冷えた体を紅茶で暖める。
そう言えば岬、いつから出勤なんだろ?
スマホを取り出して岬へメッセージを送る。
すると程なくして、スマホが光った。
「岬、来週の月曜日から出勤なんだって」
「そうなんだ。ホールとキッチン、どっちなんだろ」
「聞いてみるね」
返信と、質問を兼ねる。
するとすぐに既読がついて返事が来た。
「ホールらしい。あと、大原さんに会うの緊張するーって書いてある」
「私も少し、緊張するかも」
「えー、なんで?私とか岬がサチに緊張するのは分かるけど、サチは私達に緊張しないでしょー」
「なにそれ、わたしだって緊張するよー。だって綾香の親友……だし」
そう言って、サチが目を伏せた。
親友、か。まだ親交を再開したばかりだけど。
そう言ってしまうと、岬に失礼かもしれないけれど、でも今では岬には岬の交友関係や生活があるし、私にだって私の生活がある。
だから。
「あのね、サチは私の一番大切な恋人だよ。でも、私の一番の親友もサチだと思ってるから。私の一番を全部独占してるのはサチなんだからね」
サチの手を握ると、私の目を見てニッコリと笑ってくれた。
「ありがとう、綾香。私もだよ。大好きだし、愛してるよ」
そう言って私の隣に来て、優しくキスをしてくれた。
紅茶を飲み終わると、丁度お風呂が沸いた。
「ど、どうしよっか」
「せっかくだし、同時に入っちゃお。体洗いっこしようよ」
サチがそそくさと服を脱ぎ始める。
か、体洗いっこ……?
難易度、高過ぎないですかねぇ……。
そんな事を考えている間にサチは下着だけになった。
目が離せない。
綺麗な体。スタイルもいいなんてズルい。
じーっと見ていると、サチが私の視線に気が付いた。
「どうしたの?そんなに見てないで、ほら。綾香も脱いでよ」
顔が熱くて、逃げ出したい。
……と、とりあえず脱ごうか。
服を脱いで下着になるとサチは下着を取って、「入ってるね」と言って、浴室に入っていった。
初めて、サチの裸を見た。
ドキドキと心臓の音が耳で鳴っているのが分かる。
どうしよう。
私、やっぱり変なのかな。
急に不安になる。
そういう意味で意識しているのは自分だけなのかも知れないと思うと、落ち込む。
サチは、なんとも思わないんだろうか。
私が服を脱いだところを見ても、特に何も感じないんだろうか。
私は今、心臓がうるさいくらい高鳴っているのに。
確かめたい。
とにかく、中に入ろう。
私は下着を取って、浴室をノックした。




