73 五人対一人
三日後。
王都冒険者ギルド訓練場には、朝早くから大勢の冒険者が集まっていた。
掲示板に貼り出された『教導を受けた新人五人対ベテラン冒険者一人』という模擬戦は、王都中の話題になっていたのである。
若手冒険者。
中堅冒険者。
長年第一線で戦い続けてきたベテラン冒険者。
さらに依頼帰りの冒険者まで足を止め、観覧席は開始前からほぼ埋まっていた。
「始まるぞ。」
「どっちが勝つと思う?」
「決まってるだろ。二十年戦ってきたA級だ。」
「新人が五人いたところで勝てる相手じゃない。」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
やがて訓練場中央へギルドマスター・バルドが姿を現した。
その隣にはマーガレット、アーク、アレクサンドラ、アダムス・キンバリーが並ぶ。
バルドは集まった冒険者たちを見渡した。
「静かに。」
ざわめきが止む。
「本日の模擬戦は、教導の成果を確認するために行う。」
「勝敗だけを競うものではない。」
「互いに礼節を守り、全力で戦ってもらう。」
冒険者たちは静かに頷いた。
バルドは右手を東側へ向ける。
「まず、ベテラン側。」
訓練場の入口から一人の男がゆっくり歩いてきた。
大柄な体格。
鍛え抜かれた肉体。
腕や首には数え切れない傷跡が残っている。
その姿だけで歴戦の冒険者であることが分かった。
「ガイル。」
「A級冒険者。」
「冒険者歴二十年。」
「大型魔物討伐を数多く成功させてきた、王都冒険者ギルド屈指の実力者だ。」
観客席から大きな歓声が上がる。
「ガイル!」
「頼んだぞ!」
「新人なんか蹴散らしてやれ!」
ガイルは歓声に軽く手を挙げると、中央まで歩いて木剣を肩へ担いだ。
「本気で来い。」
「手加減はしない。」
短い一言だったが、それだけで会場の空気が引き締まる。
続いて西側の入口から五人の新人が姿を現した。
アイン。
エリー。
エミリ。
ジム。
マーク。
全員十八歳。
冒険者になって間もない新人たちである。
しかし、この三日間。
彼らはアレクサンドラから徹底した教導を受けていた。
魔力循環。
魔力操作。
身体強化。
筋肉強化。
そして水属性魔法。
特別な必殺技ではない。
冒険者として生き残るための基礎だけを、何度も何度も繰り返し学んできた。
さらに五人は、討伐訓練だけではなく、互いの位置確認、役割分担、テレパシーによる情報共有まで徹底的に教え込まれている。
五人は歩幅を合わせ、ガイルの前まで進むと、一斉に頭を下げた。
「よろしくお願いします。」
ガイルも真っ直ぐ五人を見つめる。
「礼儀は立派だ。」
「だからこそ遠慮はせん。」
「全力で来い。」
「はい!」
五人の返事は揃っていた。
その姿を見たアダムスは、小さく息を吐く。
「三日前の僕なら、あんなに落ち着いて立てませんでした。」
アレクサンドラは静かに微笑んだ。
「落ち着いているように見えるだけよ。」
「でも、五人とも仲間を信じている。」
マーガレットも新人たちを見つめながら頷く。
「一人で勝とうとしていません。」
アークも穏やかな笑みを浮かべた。
「それで十分です。」
「今日、この訓練場で証明するのは、一人の強さではありません。」
「教導によって生まれた連携の力です。」
訓練場は静まり返る。
ガイルは木剣を構えた。
新人五人も、それぞれ静かに間合いを取り始める。
歴戦二十年の経験。
三日間積み重ねた教導。
二つの戦い方が、今まさに正面から激突しようとしていた。
バルドが右手を高く掲げる。
訓練場が静まり返った。
観客席からも物音一つ聞こえない。
全員が、この一戦を見守っていた。
「始め!」
合図と同時にガイルは地面を蹴った。
身体強化。
筋肉強化。
二十年間鍛え続けた肉体が、一瞬で新人たちとの距離を詰める。
「速い!」
若手冒険者が思わず声を上げた。
ガイルは迷わない。
まず一人。
一人倒せば連携は崩れる。
二十年間積み重ねてきた経験が、そう判断していた。
木剣を振り上げ、一番近くにいたアインへ一直線に踏み込む。
しかし。
アインは迎え撃たない。
半歩だけ後退する。
同時にテレパシーが飛ぶ。
『予定どおり。』
『右へ誘導。』
『了解。』
五人は声を出さない。
視線もほとんど動かさない。
それでも全員が同じ情報を共有していた。
「逃げるのか!」
ガイルはさらに踏み込む。
その瞬間。
エリーがウォーターバインドを放つ。
水の帯がガイルの足元へ伸びる。
「甘い!」
ガイルは身体を捻り、木剣で水を払う。
拘束は失敗。
観客席から笑い声が起きた。
「やっぱりA級だ!」
「そんな魔法が通じるか!」
しかし、新人たちは誰一人焦らない。
『次。』
テレパシーが飛ぶ。
今度はジムがウォーターバインドを放つ。
ガイルは再び回避した。
「同じ手は通じん!」
その言葉にも、新人たちは反応しない。
エミリが右へ回る。
マークが左へ回る。
アインはさらに後退し、ガイルを自然と中央へ誘導する。
「囲まれてる?」
観客席の一人が呟いた。
「違う。」
別の冒険者が首を振る。
「囲んでるんじゃない。」
「動かされてる。」
その言葉に周囲も息を呑む。
ガイルは新人を追っているつもりだった。
だが実際には、五人が作った位置取りの中を動かされていたのである。
マーガレットは静かに頷いた。
「教導どおりですね。」
アレクサンドラも新人たちから目を離さない。
「誰も無理に攻めません。」
「役割だけを果たしています。」
アダムスは驚きを隠せなかった。
「戦っているというより……。」
「訓練そのままです。」
アークは穏やかに微笑む。
「そのとおりです。」
「実戦になっても、普段どおり動ける。」
「それが教導の目的です。」
その頃、ガイルは三度目の突撃を仕掛けていた。
「今度こそ!」
木剣を振り下ろす。
しかしアインは紙一重でかわす。
『交代。』
その一言だけでアインは下がり、代わってマークが前へ出る。
ガイルは一瞬だけ目を見開いた。
「……交代しただと?」
五人は一人も疲れを見せない。
一人が前へ出れば、一人が休み、また別の者が前へ出る。
攻撃も。
防御も。
移動も。
全てが無駄なく入れ替わっていた。
観客席のベテラン冒険者たちは、いつの間にか笑うことを忘れていた。
新人たちは、まだ一度も勝負を急いでいない。
それでも、戦いの流れは少しずつ五人のものになり始めていた。
戦いが始まって数分。
訓練場には木剣のぶつかる音と、水魔法が放たれる音だけが響いていた。
ガイルは眉をひそめる。
「捕まらん……。」
二十年の経験から分かる。
目の前の五人は強くない。
一人ずつなら、自分が数合で倒せる相手だ。
しかし。
五人が揃うと違った。
一人を追えば、別の者が横へ回る。
木剣を振れば、その隙に距離を取られる。
足を止めれば、ウォーターバインドが飛んでくる。
一度も自分の間合いで戦わせてもらえない。
『右へ誘導。』
『了解。』
『距離維持。』
『焦らない。』
テレパシーで短い指示だけが飛び交う。
無駄な会話はない。
新人たちは教導で繰り返したとおり、役割だけを忠実に果たしていた。
ガイルは一気に踏み込む。
今度はジムを狙った。
「そこだ!」
鋭い踏み込み。
しかしジムは身体強化で後退する。
その瞬間、マークが横からウォーターバインドを放った。
ガイルは木剣で水を払う。
その一瞬だけ視線が逸れる。
『今。』
アインが反対側へ回り込む。
さらにエリーが退路へ移動した。
観客席から驚きの声が漏れる。
「また位置が変わった。」
「誰もぶつからない。」
「全員がお互いの場所を分かってる。」
アダムスは思わず拳を握る。
「テレパシーだ。」
「全員が同じ情報を共有している。」
マーガレットも静かに頷いた。
「だから迷いがありません。」
アレクサンドラは五人の足運びだけを見つめていた。
「いい動きです。」
「教えたとおり、決して一人で戦おうとしていません。」
ガイルは再び突撃する。
今度はエミリを狙う。
「逃がさん!」
その瞬間。
『交代。』
エミリが下がる。
代わってマークが前へ出る。
木剣が交差する。
乾いた音が響いた。
ガイルは押し込もうとする。
しかしマークは力比べをしない。
すぐに半歩下がる。
『交代。』
今度はアイン。
さらにジム。
五人は一人ずつ前へ出ては下がる。
決して一人に負担を集中させない。
ガイルは少しずつ呼吸が荒くなっていく。
一方、新人たちは交代しながら戦うため、体力の消耗が少ない。
観客席のベテラン冒険者たちも、その違いに気付き始めていた。
「体力を使わせてる。」
「一人を五人で削ってるんだ。」
「力じゃない。」
「戦い方が違う。」
ガイルも、その事実を理解していた。
「これが……。」
「教導か。」
二十年間積み上げてきた自分の戦い方。
それを真正面から否定されたわけではない。
しかし、その上を行く戦い方が、目の前で形になっていた。
それでもガイルは笑った。
「面白い。」
「ならば俺も、本気で行くぞ!」
身体強化をさらに高め、一気に地面を蹴る。
訓練場の空気が変わる。
観客席の誰もが息を呑んだ。
歴戦二十年のA級冒険者が、ついに全力を解放しようとしていた。
「ならば俺も、本気で行くぞ!」
ガイルは身体強化へさらに魔力を流し込んだ。
一気に地面を蹴る。
先ほどまでとは比べものにならない速度だった。
「速い!」
観客席から驚きの声が上がる。
ガイルは一直線にアインとの距離を詰めた。
木剣を大きく振り下ろす。
しかし、その瞬間。
『下がる。』
アインは迷わず後退した。
代わってジムが前へ出る。
ガイルは木剣の軌道を変え、ジムへ斬りかかる。
『右。』
ジムもすぐに離脱する。
空いた場所へエリー。
さらにエミリ。
マーク。
五人は決して一人で受け止めない。
誰か一人へ狙いが集中すれば、別の仲間が前へ出る。
ガイルは何度も木剣を振るう。
しかし、一撃も決定打にならない。
「ちっ!」
思わず舌打ちする。
新人たちは攻撃してこない。
ただ距離を保ち、包囲を維持していた。
『まだです。』
『焦らない。』
『予定どおり。』
テレパシーだけが静かに飛び交う。
観客席の冒険者たちは息を呑んでいた。
「ガイルが振り回されてる……。」
「いや。」
「五人がガイルを動かしてるんだ。」
バルドも腕を組んだまま頷く。
「見事だ。」
「誰一人、自分の役割を忘れていない。」
その時だった。
『今です。』
アインのテレパシーが飛ぶ。
五人が一斉に動いた。
正面のアインがウォーターバインド。
ガイルは木剣で払う。
その瞬間、右からエリー。
左からジム。
さらにエミリが足元へウォーターバインドを放つ。
四方向から続けて放たれる拘束魔法。
ガイルは次々と振り払う。
しかし、それが狙いだった。
最後まで動かなかったマークが静かに魔法を発動する。
「アイスマスク。」
水が一瞬で口と鼻を覆い、そのまま凍り付く。
「――っ!」
呼吸が止まる。
ガイルは反射的に木剣を振るう。
だが、その頃には五人全員が間合いへ入っていた。
首。
胸。
腹。
背中。
喉元。
五本の木剣が急所へ突き付けられる。
完全に包囲されていた。
「そこまで!」
バルドの声が訓練場へ響く。
五人は同時に木剣を引き、アイスマスクも解除した。
ガイルは大きく息を吸い込み、しばらく空を見上げる。
やがて木剣を下ろし、静かに笑った。
「俺の負けだ。」
訓練場は静まり返った。
誰も声を出せない。
ガイルは新人たちを見回す。
「お前たちは強い。」
「いや。」
首を横へ振る。
「違うな。」
「五人だから強い。」
新人たちは深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
ガイルは観客席へ向き直る。
「聞け。」
ベテラン冒険者たちも静かに視線を向ける。
「俺は二十年間、一人で戦ってきた。」
「その経験に誇りはある。」
「だが今日分かった。」
「仲間は足手まといじゃない。」
「仲間は、自分を強くしてくれる。」
その言葉に観客席は静まり返る。
やがて一人のベテラン冒険者が立ち上がった。
「……俺も教導を受ける。」
続いてもう一人。
「俺もだ。」
さらに別の冒険者も手を挙げる。
「新人に負けたくはない。」
「もっと強くなりたい。」
その声は次第に広がっていった。
バルドはその光景を見つめ、静かに微笑む。
「今日で、冒険者の常識が変わったな。」
アークも穏やかに頷いた。
「人は、強い者の言葉では変わりません。」
「自分の目で見て、納得した時に初めて変わります。」
王都冒険者ギルドでは、その日を境に教導を希望する冒険者が相次ぎ、新しい時代への第一歩が静かに踏み出されたのだった。




