帰る場所を、二人で書こう
王都の中央郵便院に、四つの文字盤を持つ時計が据えられた。
東西南北、それぞれの土地の時刻を示す時計だ。針は同じ速さで進むが、指す時刻は少しずつ違う。以前なら不便だと一つに揃えられただろう。今は、その違いを確かめてから便を出すのが、朝一番の仕事になっていた。
黒返り便を届け直してから、一年。
リネットは新設された地方経路確認室から、中庭を横切る青い郵便鳥を見上げた。鳥の脚には、北の温室で採れた種の目録が結ばれている。受取人は王都の農務院だけではない。種を分ける三つの村の名も、同じ大きさで記されていた。
「オーラン確認官、最終便です」
新人局員から封筒を受け取り、原本と控え、地方の受領印を照合する。最後に押すのは、誰にも譲らず、リネット自身が管理する職務印だ。
「確認しました。これで今年の守護更新は完了です」
歓声は上がらなかった。大勢が手順どおりに確かめ、ごく普通に終わる。それこそ、あの日から皆で作ってきた仕組みの成果だった。
ユアンの公開審理は、冬の初めに結審した。守護便の宛先改竄と同意の偽装は正式に認定され、彼は経路局の職を解かれた。地方を危険から守りたかったという主張も記録されたが、それは他人の意思を奪った免罪符にはならなかった。
審理記録は封じられず、各地の郵便局へ送られた。
春には恒久法が成立した。経路の変更には現地の受取人と二人以上の配達人による確認が必要なこと。婚姻しても職務印は本人に帰属し、退職も譲渡も強制できないこと。迷い便係の聞く声は手がかりであり、証拠は記録と現地調査で揃えること。
リネットの力だけに頼らず、それでも彼女の仕事を軽んじない文面になった。
「確認官、夜便隊長がお待ちです」
窓の外を見ると、正門脇にカイが立っていた。勤務中らしく、声の代わりに掲げた手帳にはこうある。
〈本日、最後の一通を届けたい〉
リネットは笑って、自分の職務印を腰の革袋へしまった。
「では、受け取りに行きます」
二人は夕暮れの王都を歩いた。
南橋では荷馬車が列を作り、北街道の標石は四方を正しく指している。地図から消されていた町の名を冠した菓子店には行列ができ、岬の灯台から届いた貝殻が窓辺で鳴っていた。旅する一団の露店は来週には別の広場へ移るという。
町は、留まるものと移るものの両方でできていた。
カイが向かったのは、一年前に公開更新式が行われた広場だった。中央柱は低く造り直され、周りには四本の道が伸びている。どの道にも門はなく、行き先だけが刻まれていた。
夜の鐘が鳴る。
カイは制服の胸元から夜便の徽章を外した。勤務を終えた合図だった。
「リネット」
静かな声で名を呼ばれる。夜路に拾われる心配のない場所で、彼は大切な言葉だけを自分の声にした。
「この一年、何度も考えた。君の帰る場所になりたい、と言えば、君を一つの場所へ縛ることになるんじゃないかと」
「それで、答えは出ましたか」
「帰る場所は、一つでなくていい。仕事でも、旅先でも、君自身でもいい。その中の一つに、俺を選んでほしい」
彼が差し出したのは、指輪ではなく一枚の配達票だった。宛先の欄だけが空白で、差出人の欄にはカイ・レドナーとある。
「俺と結婚してください。君の仕事も、印も、行きたい道も、そのままで」
命令でも、善意で包んだ決定でもない。断る余白のある問いだった。
リネットは配達票を受け取り、ペンを借りた。宛先欄へ、ゆっくり二人の名を書く。
「私も、あなたの帰る場所の一つになりたい。だからこれは、一人から一人へ届ける便ではありません」
カイが目を細める。
「二人で届ける?」
「ええ。これから先へ」
配達人の証言欄にはカイが署名し、受取人の同意欄にはリネットが署名した。それから役目を入れ替え、もう一度署名する。どちらかだけが差出人でも受取人でもない、二人の約束になった。
カイはようやく、小さな箱を取り出した。中にあるのは中継印も魔法も刻まれていない、細い銀の指輪だった。
「これは、つけても、つけなくてもいい」
「今日はつけます。明日からは仕事の邪魔にならない紐を探しましょう」
リネットが左手を差し出すと、カイの指がかすかに震えた。指輪はただの銀の輪として、彼女が選んだ指に収まった。
四方の道に、夜便の青い灯がともっていく。
「帰りましょうか」
リネットが言うと、カイはうなずいた。
二人が選んだ道は同じ家へ続いている。けれど明日の朝には、それぞれ別の職場へ向かうだろう。その先で幾つ道が分かれても、帰る場所はそのたびに選び直せる。
重ねた署名を風から守りながら、二人は並んで歩き出した。




