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婚約指輪を返した迷い便係は、無口な夜便隊長と王国を巡る黒返り便を届けなおす  作者: 銀細工ナギ


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19/20

王国が返事を受け取る日

 宛名のない黒い矢印が、王都の空を貫いていた。


 広場の敷石が中央柱へ向かって波打つ。逃げようとした人々は、北へ走ったはずなのに同じ柱の前へ戻され、恐怖の声を上げた。


「王国に受け取らせるって、誰に渡すんだ」


 式官の問いに、誰も答えられない。王も、経路局も、王国そのものではない。


 リネットは中央柱ではなく、四本の白柱を見た。その根元には、見物席へ向けて小さな受け皿がある。飾りだと思われ、花で塞がれていたものだ。


「エダさん。更新式の手順書に、受領者の規定は?」


 エダはすぐに鞄から古い綴りを取り出した。改訂を重ねた紙をめくり、最初の羊皮紙で指を止める。


「『四方からの返書は、式に立ち会う民が受け、配達人がこれを証す』。近年の抄本では、この一文が省かれている」


「王国には口がなくても、ここには返事を聞ける人がいる」


 リネットは証言台へ上がった。


「皆さん、逃げ道をすぐ直すとは約束できません。でも、四つの土地から届いた返事を、自分の意思で受け取るかどうかは選べます。嫌なら声を上げなくていい。命令にはしません」


 中央柱が唸り、黒い風が礼装の裾を引いた。


 ユアンが制御盤を押さえたまま叫ぶ。


「不特定多数の同意など、制度にならない!」


「全員を同じ返事にさせるより、ずっと確かよ」


 エダが一冊目の受領記録を掲げた。消された町の名簿に添えられた文を読み上げる。


「『私たちはここにいる。名を呼び合える道を、王国へ返します』」


 しんとした広場で、杖をついた老女が最初に手を挙げた。


「受け取るよ。息子があの町へ薬を運んでいる」


「私も受け取ります」


 市場の商人、門番、郵便院の新人。声は一つずつ重なった。全員ではない。黙っている者もいる。その違いを残したまま、白柱の受け皿に青い灯がともった。


 二冊目は、塩の荒野を巡る一団からだった。


「『留まらない暮らしも、この国の一部です。次に会う場所まで道を預けます』」


 三冊目は岬の灯台から。


「『帰る船のため、今夜も灯を守ります』」


 四冊目は北の温室から。


「『冬を越えた種を分けます。春は中央からだけ来るものではありません』」


 返事のたび、別々の声が応じた。カイは夜便員を四人ずつ受け皿へ送り、原本、控え、運送記録を照合させる。最後に自分の手帳へ大きく記した。


〈四通、自由意思による受領を確認。配達人として証言する〉


「迷い便係リネット・オーランも証言します。四通は、四つの宛先から王国の人々へ届きました」


 能力は使っていない。封蝋の声も聞いていない。見た署名と、聞いた同意と、ここまで運んだ人々の記録を、ただ正しくつないだ。


 四本の白柱から青い光が広がった。


 それは中央へ集まらず、広場にいる一人一人の足元を巡り、門の外へ走った。空の黒い矢印に四方から亀裂が入り、砕けた光は雨のように王都へ降る。


「南橋、対岸が見えます!」


「北街道の標石も戻った!」


 伝令の声に歓声が湧いた。道標は一斉に回り、それぞれ違う方角を指す。違うままで、王国の道だった。


 中央柱の白い封蝋が割れた。


 ユアンは膝をつき、砕けた制御盤を見つめていた。


「一つにしておけば、守れると思った」


「そう思ったことも含めて、記録に残すわ」


 リネットは彼を責める言葉にも、慰める言葉にも替えなかった。


 エダが経路局の銀印を封印袋へ収める。


「ユアン・ベルク実務官。守護便の宛先改竄、および受領同意の偽装について、公開審理への出頭を命じます。判断は証拠と証言に基づいて行われます」


 その日のうちに、郵便院と式官会は暫定規則へ署名した。守護経路の変更には地方の受領者と複数の配達人による確認を要すること。婚姻を理由に職務印の譲渡や退職を求めてはならないこと。恒久法は、四地方から代表を招いて審議すること。


 誰か一人の善意に、もう全員の宛先を預けないための最初の一枚だった。


 夕暮れ、リネットは返書の封蝋にそっと触れた。


 かすかな声が、久しぶりに指先から耳へ届く。


 ――この国を歩く、すべての人へ。


 聞こえたのは本文ではない。ただ、本当に望まれた宛先の断片だけだ。


 顔を上げると、隣のカイが手帳を差し出していた。


〈返事を受け取るのは、少し怖いな〉


「ええ。でも、勝手に決めるよりずっといい」


 リネットが笑うと、カイも小さく笑った。


 四方へ戻った道の上を、今度は青い明かりが行き来していた。

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