黙って守ることも、宛先を奪う
海鳴り岬を発ったのは、空と海の境がまだ灰色に溶けている時刻だった。
北から雨雲が迫っている。カイはいつもより念入りに鞍袋を確かめ、三つの受領印と証拠を別々の防水袋へ収めた。それからリネットへ、青い乗継札を差し出す。
行先は北ではない。二つ先の中継所から王都へ戻る監査便だった。
「これは何ですか」
〈あなたは証拠を持ってエダのもとへ〉
手帳の次の行を、カイの鉛筆が迷いなく埋める。
〈四通目は私が届ける〉
「昨夜、選ぶのは私だと書きましたよね」
返事の代わりに、彼は記録板を裏返した。その動きがあまりに早く、リネットはかえって目を留めた。縁に、消し切れなかった黒い文字が一筋だけ残っている。
――所有者へ通知。
「見せてください」
カイの手袋が記録板を覆う。
「隊長命令ですか」
雨の匂いを含んだ風が、二人の外套を鳴らした。やがてカイは手を退ける。
昨夜の警告は、まだ板に残っていた。外装経路を開いたことが、偽の中継具――あの指輪の所有者へ通知された。追跡用の経路針が生きていれば、ユアン側は三枚の外装が海鳴り岬に集まったことまで知る。
「いつ知ったのですか」
〈昨夜〉
「私に北か王都かを選ばせる前?」
鉛筆の先が止まり、短く、そうだ、と書いた。
胸の奥で、何かが冷えた。
「危険を知ったうえで選ばせたのではなく、知らない私に選ばせるふりをしたんですね」
〈知らせれば、あなたは北を選ぶ〉
「だから黙った?」
〈守りたかった〉
嘘のない字だった。だからこそ、リネットは目をそらさなかった。
「ユアンは、中央へ集めるほうが安全だと信じていました。私が職務を手放さないと知っていたから、指輪に別の同意を隠した」
カイの顔から血の気が引く。
「あなたが彼と同じ人だと言っているのではありません。けれど、私が選ぶと知っていたから選べなくした、その形は同じです」
守るための沈黙も、相手の望む宛先を勝手に消せば、誤配になる。
「私の命は、あなたの荷物ではありません」
カイは長いあいだ動かなかった。やがて乗継札を受け取り、中央から二つに裂いた。
〈すまない〉
〈言い訳はしない〉
その時、岬へ続く道の向こうで、白い灯りが三つ揺れた。
朝の配達隊が使う青ではない。経路局の回収灯だ。
カイが馬の手綱を取り、北の本道と南の監査路を交互に指す。決断を急かしながらも、今度は手帳に何も決めつけて書かなかった。
「分かっている危険を、全部教えてください」
〈本道には二か所、中継塔がある。経路針で外装を追われる〉
〈南へ戻れば証拠は守れる。だが四通目は遅れる〉
「ほかの道は?」
〈地図にはない〉
リネットは道端の石柱へ駆け寄った。新しい標識の下に、古い投函口が半分埋もれている。蓋には雨粒をかたどった廃止印。その口が北西へ傾いていた。
「雨季だけ使われた旧集配路です。便を濡らさないため、高台の局舎をつないでいたはず」
地図から消えた道でも、郵便の痕跡は消えない。
カイは回収灯との距離を測り、旧道の崩落、馬を捨てる可能性、今夜まで局舎へ着けない場合を一つずつ書いた。リネットはすべて読んでから、北西を指す。
「私は、この道を選びます。あなたは?」
〈同行を望む〉
「なら、行きましょう」
二人は馬を旧道へ入れた。ほどなく雨が落ち、背後の灯りも蹄の跡も白く消していった。
夕刻、たどり着いた局舎は、屋根の半分を蔦に覆われていた。扉の上には『雨天第二中継所』の文字がかろうじて残っている。
中へ入っても、二人の間の冷えたものまでは雨に流されなかった。
カイは濡れた記録板と手帳を机へ置き、手のひらを上にしてリネットへ向けた。もう隠さないというように。
リネットはうなずかなかった。謝罪を受け取ることと、信頼をすぐ元へ戻すことは別だった。
「次に進む前に、どちらか一人が黙っても、もう一人が止められる方法を作りましょう」
雷が鳴り、壁際の棚から古い運行簿が落ちた。
開いた頁には、忘れられた規則が印刷されていた。
――危険時の経路変更は、配達人二名の確認印を要する。
空欄が二つ、雨音の中で二人を待っていた。




