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喫茶店にて  作者: ちゃりー
第1章
2/2

第2章 価値観の器



骨董品。

よく分からない贈答品、記念品。

服、カバン、宝石。


お金がかからない人間だった、と自分で豪語する割には物で溢れかえる実家を思い出して、

またため息をついてしまった。

当時いくらだったのかはわからない。でもそれだけの品々を買うだけの資金は少なくはなかったはずで。

どの部屋も所狭しと積み上げられた「がらくた」達を眺めて頭の痛くなった私は、

とりあえず今日は帰るわと実家を早々に後にして電車に乗った。


岡山駅から徒歩15分。

とはいえ主要出入り口である東口ではなく、

薄暗くて黄色い地下通路の先にある西口側である。

無機質な駐輪場を抜け地上に出ると、東口より小規模で可愛らしい大きさのバスターミナルがあり、面した大通りを北へ歩くとその商店街はある。


数年前のレトロブームか何かで若者の店が増え、少し活気を取り戻したとはいえ、

やっぱりそのアーケードの下は駅前にしては静かだ。

野菜や果物を盛った段ボールを店先いっぱいに並べた八百屋、

ショウウインドウにお雛様の並ぶ人形店、

天井までの棚に本がびっしりと詰まった古本屋。

そして電気すら点けていないせいで真っ暗な、金物屋。


変わらない老舗の佇まいを横目に歩いていると見えてくる。

もう10年以上前、この商店街がもっと息の根をしていなかった頃に突如としてできた、

ニューカマーのコーヒーショップ。

なぜここに?というのが当時の率直な感想だった。まだSNSがそこまで普及していなかった時代、どうやってこんなところで客層をつかまえるのか。

でも、疑問はすぐに解けた。

古すぎず新しすぎず、そこは他にはない唯一無二の喫茶店に違いなかったのだ。


引き戸を開け店内に入るとまずレジカウンターがあり、客はその場で注文をする。

そして1階か2階かの座席を選んで、待つ。

私はいつものようにアイスカフェラテを注文し、真っすぐに2階に上がった。

木製の階段を上った先はワンフロア一帯が客席で、8席ほどがある。


昼過ぎだったこともあって、数席は既に埋まっていた。

窓際には飲み物とケーキの皿を上手く写真におさめようと奮闘する女性2人組、

ソファ席にはどうやらビジネスの間柄らしい男性3人。

薄型のPCを前に話し込む彼らの後ろには、

様々な本がばらばらと収納された棚がある。


私は階段をのぼってすぐのソファ席に腰かけた。

私の後には誰もいなかったし、混雑していないからいいだろう。

ゆったりとした座面に鞄を置いて、中からスマホを取り出す。


―どうだった?

やっぱり入っていた母からのメッセージ。

―どうもこうも、どこから手をつけていいやら。


来月帰岡する母に「下見」を頼まれたのは、昨日の晩だった。

1週間滞在する間に片付けを進めたく、計画を事前に立てたいからどの部屋がどんな様子か見てきて欲しい、と。


詳細を記入していく。


まずおばあちゃんの部屋。クローゼットに服と鞄、ラックにはスカーフが山盛り。

それから庭に面した廊下。机と本棚、おばあちゃんの裁縫道具。糸がびっしり入った箱が何箱も。

そして和室。床の間と違い棚には骨董品。地袋には、絵描きの知り合いに貰った色紙が数十枚。

表玄関までの廊下にはおじいちゃんが集めたお面がずらりかけてあるのと、

棚には大ぶりの皿や壺、置物などの骨董品。

応接間には絵画、おじいちゃんの書斎にはこれまた骨董品と剥製の鷲、訪れた国で貰ったという記念品の数々。

あと鏡台には香水や宝石、付き合いで買ったという化粧品。


運ばれてきたアイスカフェラテを口にしてから、送信ボタンを押す。


―どうする?

既読になる前に一言さらに追伸し、メッセージアプリを閉じた。


ひんやりと苦いラテ。

向かいのソファの柄を眺めながら考える。


今や置き場所と化したあの応接間のソファセット。

現役で働いていたこともあると聞けど、

絵に潰れたあの座面がこの喫茶店のように使えるとは到底思えなかった。


違うソファや椅子で、一席一席が形作られている。

それがこの喫茶店の魅力だった。

訪れた客はまずどの席に座るか悩む。

そして思い思いの場所に落ち着き、語らう。


その圧倒的な雰囲気を醸し出しているのが、

このアンティークソファだった。

ところどころ擦れ色が落ち、破れやほつれもある彼らは非常に味わいがあり、

そしてその使用感に濃厚で果てしない、歴史を感じさせる。


空前のレトロブーム。

その前からここに鎮座し、変わりゆく商店街を見下ろす。

彼らの前世がどんな場所だったかは知らないが、

古めかしさを可愛いの基準に入れた若者の先進的で際限のない視野を、きっと面白がっていることだろう。


図らずも若者だけに限らず自分も同じである、と私は私を見つめる。

最新機器に囲まれながらもやっぱり心惹かれるのは昔の音楽だからだ。

録音すれば検索してくれるアプリで、今店内にかかる1960年代の楽曲を知る自分がなんだかちぐはぐで、いつも滑稽に思える。


実家の応接間のソファセットは、それでもこの店にあるそれと同じ風格をしていた。

荷物をすべて片付けてアイスカフェラテをつくりテーブルに運べば、

この空間に近いノスタルジーに浸れるだろう。


―そりゃあ、わやじゃな。

母からの返信に思わずくすりと笑う。

―どねーするんなら。


ひらがなで打つと全く奇妙な岡山弁に違和感を覚えつつ、

私はスマホから視線を上げ店内を眺める。


美味しい、と顔を綻ばせたり、窓から見える道行く人を観察している女性たち。

時折笑いながら、でもPCに何かを打ち込んでいる男性たち。


「うわ、やば。広くね」

「ほんとだ」


たった今階段を上ってきた制服姿の男子学生2人は、

悩んだ末男性客の隣にあるソファ席に腰を下ろした。

本棚に並ぶこれまた一時代前の漫画本に早速興味を示している。


アイスカフェラテはすっかり氷が解けて、木製のコースターに濃い茶色のシミを作っている。

私は残りを飲み干し、鞄を片付けて席を立った。

引き戸を開け、駅までの道を戻る。


どこからか仏壇の線香の香りがした。

喫茶店の少し先に確か仏具屋があったような。


おじいちゃんの好きなウサギがたくさん飾られた実家の仏壇を思い浮かべながら、歩く。





「好きにしてくれりゃあええから」

おばあちゃんは私たちの問いに、決まってそう答えるのだった。

これは必要?これは要らない?

いちいち聞かれるのが鬱陶しいみたいで、

ついにぶっきらぼうにそれだけ言ってそっぽを向いた。

「そんな事言ったって全部おばあちゃんの荷物なんだけど」

つぶやきながら、私とお母さんは手を進める。

まず取り掛かったのは、台所だった。

おばあちゃんの生活の基盤となるところから始めようという母の作戦通り、

台所の棚を片っ端から開けていく。

中には随分と使われた形跡のない鍋やざる、食器が詰まっていて、

とりあえず全部取り出すのに1時間近く時間を要した。


「これも、これも似たようなんばっかり」

当時のブームに乗っかって買い集めたのか、

驚くほどバラエティに富んだキッチン用品が次から次へと発掘されていく。

中にはお母さんすら見たことのない代物が、

すでに暦年の錆を纏って眠っていた。


「使うたん?これ」

「いや、タグついたまんま」


そのどれもこれもが、未使用だった。

購入した時のままであろう袋や箱に入ったものもあり、そのどれもが分厚い、埃を背負っている。

酷かったら私が生まれる前からそこにいたであろうそれらは、

皮肉にも今流行っている昭和レトロのパッケージそのものを冠していた。


本物。

街の雑貨屋に溢れる模造品を思い出して、笑ってしまう。

これもみんなは可愛いと言うのだろうか。

ひょっと家に眠るものを並べたら、

SNSでバズるばかりのアンティークバザーが開催できるのではないか。


「笑ってないで手動かして」

「ごめんごめん」

ほくそ笑む私を母が睨む。

彼女にとっては目の前のこれらはただの負の産物であり、

面白くもなんともないゴミでしかないのだ。


台所からは、夥しい数の食器も出て来た。

皿やどんぶり、小鉢はどれも4セットずつある。

さらには正月用とみられる派手な食器も数枚セットであり、

母と伯父、祖父母のいた当時の食卓がいかに華やかだったかを思わせた。

今はおばあちゃん一人になったこの家にも、

たくさんの客が来たんだと聞いたことがある。

そのために揃えられた食器たちはすでに役目を終え、

締めきられた食器棚の中で律儀に積みあがっていた、というわけだ。


「すごいなあ、これだけ使いよったん」

「覚えてないけどなあ」


おばあちゃんがそれだけの人のために手料理をふるまっていた。

そう考えるとれっきとした史跡にも思えた。

でも、と母は顔をしかめる。


「そう頻繁には使うとらんよ、もったいない」


ばっさりと言い切られる食器たち。

その誇らしげな姿が一気に哀愁を帯びて見えた。


食器は、おばあちゃんが普段使いしているものと使えそうなものをまとめて、

開いた棚に収納した。

どこに何を置いたか分かりやすいようにそれぞれの名前を書いたシールも貼った。

お椀、どんぶり、平皿。

位置が分からなくなると困るというおばあちゃんのいつもの文句への対策だ。

シンク付近の棚も、背の低いおばあちゃんが届かない頭上の棚も、すべてが空っぽになったところでキッチンは終了となった。

溜まっていた茶渋を来て早々お母さんが磨いてくれてピカピカに蘇ったカップで、

お茶を飲む。

「あんたらよう動く」

感心したようにおばあちゃんが零すから、2人で声をそろえて突っ込んだ。


誰の、荷物よ。



次に私たちが取り掛かったのは、冷蔵庫だった。

昼は何にしようと扉を開けたのもつかの間、お母さんが絶句したせいだ。


一人暮らしにしては大きすぎるその冷蔵庫の中は、一言で言ってパラダイスだった。

それも得体の知れない、形容しがたい物体による。

おばあちゃんは、先にもわかる通り片付けに加えて掃除も苦手だ。

だから実家を訪れると必ずと言っていいほど私の鼻炎は悪化し、

母の動きは一段と忙しなくなる。


例のごとく私たちはすべてを外に出し、お母さんは棚を外した。

よくわからないべとべとがこびりついた棚板をお母さんがこすり洗いする間、

私は賞味期限を確認しながら物品を整理していく。

新しいものを次々と買うおばあちゃんの癖が災いして、

以前に買われて興味を失われた品々はあっという間に庫内の奥地というジャングルへと葬り去られる。

ハイライトは、ジャムだった。


「見てこれ」

「は!?2000年!?」


そのあり得ない賞味期限がラベリングされた瓶の中身は、

驚くほど深い黒色をしていた。

一応、青森県産の「リンゴ」を使った、と書いてある。


「捨てて捨ててっ」

面白くてにやにやする私はまたも睨まれた。

しかたなく瓶をつまんで、ゴミのエリアに分別する。


冷蔵庫の中は、それ以外にもたくさんの衝撃で溢れていた。

封が開きっぱなしで黄色くなった固形バター、

2010年のお好み焼き粉、

たぶん梅酒の瓶詰。


野菜室も同様だ。

水分の抜けきって茶色のごぼうの先端みたいになったしわしわの人参、

乾物みたいに干上がったしいたけ(乾物ではない)、

大きな芽が成長したじゃがいも、

腐ってとろけた、玉ねぎ。


言うまでもなく臭い香ばしいそのエリアは、もったいないことにほとんどが処分となった。

買われてから使われる日が来るまで待ち続けた野菜たちの気持ちを思うといたたまれなかったが、食してトイレから出られなくなっては元も子もない。


私たちが動く間、おとなしく新聞を読む背中を振り返る。

不思議だ、と思いながら。


おばあちゃんは、すべてを持っている。

近くのデパートや美術館など好きに出歩ける健康な体、

抜群の記憶力と好奇心を兼ね備えたはっきりした頭、

そして、不自由なく物を買える、それなりの財力。


冷蔵庫に眠る食材だって、そのどれもが私たちは口にしない高級品だった。

デパートのスーパーに並ぶそれらを惜しげもなく購入できるのは、

亡くなる数年前まで働いてきたおじいちゃんが作り上げた財産のおかげだ。

もちろん使う権利はおばあちゃんにある、と言えど、

私はその使い方をいつも不思議に思う。


買うのが好きなおばあちゃんらしく、いつもあれこれ欲しいものを買ってくる。

でも大抵食べきれなくて、傷ませるか捨てるかの2択になるのだ。


物がない戦時中を生きた世代だからこそ、物に溢れた今好きなだけ買える幸せを謳歌したいのは分かる。

でも節々でおばあちゃんの口から語られる「もったいない」精神は、

どうもその行動と矛盾している。


もったいない、まだ食べれる。

そう言ってすっかり萎れたにんじんを削る、のだ。


新鮮なうちに食べれば?

何度もそう言ってきた。

でもおばあちゃんの癖がなおることはなかった。

むしろその矛盾に気付いていないみたいで、

傷んだものを捨てる私たちの方を怪訝そうに見つめるのだった。


美味しい食材を買える財力と、調理できる能力、そして味わえる時間。

そのすべてを手にしたおばあちゃんがそのどれもを、放棄しているように見えた。

「2000円のお肉なんて、とてもじゃないけど買えんわ」

ぴかぴかに磨き上げられた棚板を庫内に戻しながら、お母さんがぼやく。

パーシャルに戻されたそのすきやき用の牛肉は、

赤々と、見たこともない艶と輝きを放っていた。


「楽しみ、今晩」

「手伝ってよ作るの」

「はーい」


結局その財力にあやかって美味しいものに辿り着けるラッキーな自分たちには蓋をして、

私たちは冷蔵庫を隅々まで掃除した。

こびりついたすべてが消えてやっと母の動きが、止まる。


午前中の試合終了。

昼ごはんの時間になり、おばあちゃんの興味は新聞からテレビに移る。

乱雑に畳んだ今日の紙面をマッサージチェアに放って、

慣れた手はチャンネルをニュース番組に合わせた。


ここから2時間、と私は勘づく。

大学時代ここで生活させてもらっていたのもあり、

おばあちゃんのルーティンは絵に描くようにわかる。


ここから2時間、視線はテレビから外れることはない。

ニュース番組からワイドショーに代わり、

そしてお気に入りのトーク番組にチャンネルは移動していく。


「午後はどうする?」

冷蔵庫にあった蒲鉾と卵、乾燥わかめを使ったうどんを啜りながら母に聞く。

リビングを見渡して、その瞳はやがて一点を映した。

「ここ」

それは、机の上だった。

1角に2人、合わせて8人はゆうに座れるこの大きなテーブルは、

かつては家族みんなで囲んだそれこそ思い出の品だった。

おじいちゃんが亡くなりおばあちゃん一人になったこの食卓は、みるみるその面積を失った。

というのも新聞や本、アルバムなど「見たい」とおばあちゃんが集めてきたものが幾重にも山になっていて、

今私たちが昼食を摂っているここはほぼ全体の4分の1ほどだ。


何度本棚に戻しても、整理しても、それらは数日でテーブルへ戻ってきた。

恐ろしいほどの好奇心もそうだが、もう一つ理由がある。

「あんたらに、教えたい」だ。


テレビや新聞で見聞きしたことを、おばあちゃんはいつも私たちに語る。

時には記事まで切り抜いて、渡されるくらいだ。


「知っとる?こんな事があってなあ」


美術館情報だったり、誰かのエッセイだったり、

どこかのお坊さんのありがたい講話だったり、

県内のドクターが解説した健康についての論文記事だったり。


その内容は多岐に渡っていて面白いから、

私はいつもへえ、と関心を持って話を聞く。

でも訪れるたびにその本や記事やらの束が目の前にドサッと置かれ、

「話すことがたまっとんよ」と言われればさすがに怖気づく。

いつ、私はこのリビングを立ち去れるのだろう、と。


そして何より、見た目にも窮屈だ。

おばあちゃんと話をしようと思えばまずそれらを端にどけ、

自分が落ち着いて肘を置けるスペースを確保しなければならない。


よし、と気合を入れた拳が隣でどんぶりを持って立ち上がった。

遅れないように私も残りを口に突っ込む。

「またリスみたいに食べてから」とお母さんが笑いながらキッチンへ向かった。



ということで、おばあちゃんのルーティンは呆気なく崩れた。

テレビを背にお母さんがテーブル周辺を右へ左へ動くもんだから、

あきらめてテレビの電源は切られたのだ。

「適当でいいよ」

物の在処を聞くお母さんに、おばあちゃんが答える。

気の抜けたサイダーみたいな返事。

「そういう訳にいかんでしょ?すぐ無くすんだから」

ぴしゃり、と答える娘。

たじろぐ母親はもはや目を閉じ、無の境地へと自らを導いてしまう。


「あれだってどこ行ったかね?大事だったのに」


私はその書類や本の隙間に、その「あれ」を探していた。

いくら探しても見つからない、「あれ」を。


それは、私たちが作った色紙だった。

おばあちゃんの誕生日のお祝いに、いとこ姉妹と姉と4人で手作りの色紙をプレゼントしたことがあった。

イラストや装飾など、遠距離に住むお互いで綿密にやり取りして丹精込めて作成した色紙だったのに、

半年後おばあちゃんから「無くした」と衝撃の事実を告げられた。


実家を訪れるたび、私はあちこちを必死に探した。

外には持って出ていないというおばあちゃんの証言の元家じゅうを捜索したけれど、

今現在に至るまでそれは発見されていない。


「不思議だよねえ」

「片付けしてたら出てきそうなのにね」


従妹がプリザーブドフラワーで装飾を施してくれたボリュームのあるその色紙が、

存在感なくどこかに紛れているなんて考えにくい。

ましてや、こんなに探しているのに。


結局2時間ほど片付けて机の表面が漸く露わになり、

私とお母さんはその日のミッションを終了した。


私たちが来るからとデパートで張り切っておばあちゃんが買ってきてくれた珈琲を淹れ、

仏壇から下げたお饅頭でほっと一息をつく。


「あんたら本当よう動く」

「だから、おばあちゃんの荷物でしょ」

「ここに来て50年じゃからなあ」


呆れる母と私に、笑うおばあちゃん。

「ほんと、他人事なんだから」

「元気なだけで十分と思うて」

「そうじゃけど」


こここの家を建ててから、引っ越しも一度もしていない。

多忙だったおじいちゃんと行動を共にしたおばあちゃん。

「あの人がようけ買うから。私は買うとらん」


買い物好きだったおじいちゃんは、仕事で訪れた場所でいつも沢山のお土産を買ってきてくれた。

時を同じくして、実家にも溢れていった各地の品々。

「確かにおじいちゃんの物もたくさんあるわな」

「だったらいらないんじゃないの」


お母さんの苛立ちが、私にも理解できた。

思い出はない、知らない、私のじゃない。

その三拍子なのに、おばあちゃんは一向に手放そうとしない。


「ちょとずつでいいから、整理していこう?手伝うから」

娘の言葉に、子供のように口を窄める母。

「もう年だから。疲れる」


嫌な空気になりそうで、私は空いたカップを手に立ち上がった。



―「そうなんですよ、勿論お伺いしてるんですけどね」

広げられたお茶とクッキーを前に、おばさんはやっぱり困った顔をした。


翌日、お母さんと私は買い物の帰りにばったりおばさんと会い、

家にお邪魔していた。

近所に住んでいて、病院や家の管理などおばあちゃんの生活を基本的に担ってくれている人だ。


「好きにすればいいって言われるんですけどね。なくなった物があると『捨てられた』って言われるし」

「犯人扱いですね」


何度も、似たようなことがあった。

あれこれが見当たらない、捨てられたかもしれない。

結局大抵のものは近場から出てくるのだが、

決まっておばあちゃんは「動かしたせいだ」と私たちを責める。

それで、捨てる前にはしつこいくらいおばあちゃんに聞き、

おばあちゃんはそれが鬱陶しくて「好きにしろ」と言う。

負のループ。


「堂々巡りですよね」

「いらないって言ってくれたらすぐにでも全部処分しますよ、私」


白黒はっきりとした、勢いのあるおばさんの言葉に思わず慄く。

本気を出せばたぶん家ごとすっぽり、しかねない。


「庭木は減らしました、もう手入れできないし」


―切るって言うんよ。


私はいつしかおばあちゃんが言っていたのを思い出した。

剪定もお金がかかるし、

おばあちゃんは趣味のガーデニングを今はもうしていない。

現実を見てのおばさんの判断は勿論正しいと思った。

でも何となく私は、おばあちゃんの言葉が気にかかった。


―自分が元気なうちは、そのままにしてもらいたいんだよ。





「とにかく、滞在中にできることはします」

「ありがとうございます」


お母さんとおばさんの結束は強く、

その瞳には何とか状況を前進させたいという揺るぎない決意を見た。


今まで一度も、片付けと言う片付けをしてこなかった一軒家。

その膨大な歴史に今、家族として立ち向かっていると感じる。


それはただの断捨離ではない。

おじいちゃんとおばあちゃんの、人生の整理だ。

勿論私たちはその思いで動いている。


でもおばあちゃんとの温度差は、依然としてあった。

「好きにしろ」という言葉の、他人事で投げやりな空気。

私はそこに、片付け嫌いだけでは片付けられないおばあちゃんの本音を見ていた。


今まで暮らしてきた、すべて。

いる?いらない?

それをそんな風に全部尋ねられて、

はい要りませんとすぐに言えるか。


おばあちゃんから見たら、私たちは世代交代という名のもとに仕事をしているだけに見えるのかもしれない。

そう思い、不安になった。


私たちはきちんとおばあちゃん達の過去を扱えているだろうか。

それらはただの荷物ではなく、自分たちが経てきた歴史である、という思いを。


そして私たちの思いは、ちゃんと意味を持っておばあちゃんに伝わっているだろうか。

持っているだけで財産ではないものを、整理するのも大事な仕事であると。


その二つの矛盾は、進めば進むほど私たちとおばあちゃんを乖離させるかもしれない。

その不安を抱えているのはどうやら私だけだったが、

それらはやっぱり溝になっていた。

そこに濁流が流れてしまったのは、その日の午後だった。



「これも?」

「そう」


ミッションは、おばあちゃんの洋服だった。

部屋の壁いっぱいに作りつけられた箪笥、ベットの横に置かれた大きなクローゼット、

そして上下にたっぷりとかけられる大ぶりの衣文かけ。

そのすべてに、洋服は所狭し、いやぎゅうぎゅうに詰まっていた。

その一着ずつをお母さんが取り出しては、おばあちゃんに聞いていく。


「いるいるって、もう着とらんが」

「置いとくんよ」

「それじゃあ整理にならん」


どう見ても一度も見たことのなく、これからも着ないであろうデザインの服が、

おばあちゃんが要ると言ったエリアに重ねられていく。

普段、おばあちゃんが袖を通している服は数枚しかない。

季節問わず重ね着をしたり肌着を変えたりするだけで、

何度も洗濯されたそれらはどれもすっかり色褪せ、ほつれも出ている。


○○に行く時に着た服だとか、デパートに昔入っていた店で買っただとか。

しまい込んでいたくせに出せば出したで思い出があるという口ぶりで、

おばあちゃんは一向に手放そうとしない。


「着ないものは思い切って処分しよう。いつまでも減らないから」

「そうは言っても簡単に決めれんよ」



意地を張り合う母と娘。

その横で私は、

同じ部屋にある開かずの抽斗を、何となく開けていた。


そこには、大きな白い箱が入っていた。

気になって中身を取り出してみる。


「それは高かったんよ」


私の動きを見ていたおばあちゃんが、ふとそう零した。


「え?」

「頑張って買うたんよ、値打ちもんじゃ」


次の2着を掲げていたお母さんの手が止まる。

「使ったことあったっけ?」

嫌な予感を含んだ声が、ゆっくり聞く。

おばあちゃんは、からりと答えた。


「まさか。使うヒマやこう無かったわ」



私とお母さんは、思わず顔を見合わせた。

ここにも、あったか。

言わなくても同じことを思っていたと思う。

それもそのはず、

その言葉を聞くのはこれが最初じゃなかったから。


この家に眠る数々の器たち。

そのどれもが上手に収納スペースに詰められて、

そのまま何十年という時を超えている。


発掘調査をはじめてから、それは大量に出て来た。

台所、和室、廊下、書斎。

あの応接間の絵画たちもそうだ。

壁にかけられたことは、一度もない。



「あんた貴重なんよ、それは。欲しい人は欲しいんじゃから」

「あのさ」

「貰うてもらったらええんじゃが。その方が作者も浮かばれる」

「おばあちゃんあのね」

「誰かおらんかなあ。あんたらは要らんかな」

「おばあちゃん」

「貰うて。捨てんで済むと気が楽だし」

「いい加減にして!」


最後の言葉を言うのと、お母さんが服を投げ捨てるのと、ほぼ同時だった。

「どうして…

どうしてそんなに無責任に言えるん!?」


私も、何も言えなかった。

おばあちゃんのその言い方が、私も好きではなかったから。


「買ったんでしょ?」

「買ったけど、付き合いだったしなあ」

「もっと物を大切にしようよ!」


おばあちゃんの悪い癖。

昨日の冷蔵庫みたいに、買うだけ買う。

そして一番困るのが、

「いらないからあげる」なのだ。


買いすぎたからちょっと食べるの手伝って。

たくさんあるからあげるわ。


外食でいつも一際皿数の多い御膳を頼んでは、

食べきれないからと家族に配る。

小袋もあるのにわざわざ大容量の物を買う。

そして野菜は、触れられもせず傷んでいく。


大学時代一緒に住んでいた時、私は何度もその場面を経験した。

そもそも少食だし新鮮なものを食べた方が健康にも良いと思った私は、

買おうとするその手を幾度止めたことだろう。


極めつけはデパートの定期購入で、大量の茶わん蒸しが冷蔵庫を占拠したときだ。

賞味期限も近いそれをどうやって消費するのか聞いたら、

おばあちゃんは当たり前の顔で言った。

食べきれんから、半分はおばちゃん家にあげると。


「でも捨てるのは気が引ける」

「だからって買取に持っていくのは私たちなんよ、あれもこれもは無理よ!」

「もったいないが。捨てれん」


私はかつてのやり取りを濃厚に思い出していた。

あの、さして美味しくもなかった茶碗蒸し。

あの時ばかりは怒った。

おばさん家が一週間前から献立を決めるほどきっちりした家庭だと知っていたから、

なおさら突発的なものは困るだろうと思ったからだ。

結局おばさんにも相談して、定期購入はそれで解約になった。

けれど、おばあちゃんの癖は変わらなかった。

変わらなかったというより、昔から染み付いてしまっていたものだった。


今漸くこの場でそれを目の当たりにしたお母さんは、呆れかえっていた。

私もおばあちゃんの言葉に手が止まり、片づけを再開する気にはなれなかった。


こんな誰の為か分からないこと、できるか。

こっちがいつしか投げやりな気持ちになっていた。

全部おばあちゃんの荷物じゃん。

なんで私たちが。



「へえ、店も増えたんだね」

おそらく10年ぶりくらいの商店街を、

お母さんが感慨深そうに歩く。


「相変わらず静かじゃけどね」

「いや、昔はもっと何もなかった」


回想がいつの頃なのかはわからなかったが、

確かに少なくとも私の学生時代までひっそりはしていた。


垂れ幕だって、人通りのないアーケードにいつも力なくぶら下がっていた。

今やJ1リーグで活躍しているサッカーチームのJ2時代のそれは、

いつ見ても、「負け」だった。

元気のいい字体になって、「アウェーで勝利!」と思わぬ結果を生んだ先日の試合を高々と祝う姿に変貌を遂げたそれを、眩しく、眺める。


奇跡も、起きるもんなんだなあ。




あの後いたたまれなくなった私たちは、

思い切って岡山駅まで出て来ていた。

気分転換に、お茶でもしようと。


私が足しげく通う例の喫茶店へ、商店街を進む。

「このお店、若いころからあったような」

そう言って何軒もの老舗を通り過ぎて、

漂ってきた珈琲の香りにお母さんが反応した。


「ほんとにあった」

「幻みたいに言わんでよ」


引き戸を開け、1階で注文を済ませて2階へ向かう。

平日の午後の店内は、学生が何組かと女性グループで賑わっていた。


「どこがいい?」

「じゃあ、ここにする」


奥のソファ席を選び、座る。

沈み込む座面にお母さんが声をあげて、思わず笑ってしまう。


「落ち着くでしょ」

「なんかレトロな空間だね」

「懐かしい感じよね」

「このソファなんて、応接間のみたい」


同じことを思うんだとまた笑いそうになりつつ、

私はソファにどさっと身を預けた。

昨日今日の筋肉痛が、ぴりりと痛む。


「現役だよ、これ」

「こんな古くても使えるんだね。可哀そうだね、うちの子」


話題は自然に、さっきの空間へと運ばれる。


「それにしても、どう思う?あの発言」

「捨てたくないから誰かにあげてって。あんまりだよね」

「そう、少しは自分で使えっつーの」


お母さんがふん、と鼻を鳴らす。

子供っぽい言い方。

とあるドラマに夢中らしく、

文句の語尾はその主役になぞらえて大抵「っつーの」になる。

最近の彼女の流行みたいだ。


「高いものとか、大事なものって言うのは分かるし、そうなら丁重に取り扱ってあげたいとは思うけど」

「けど」

「本人が使ってないんじゃあ、ね」

「その通り」


もったいないって言うけれど、おばあちゃんだって一度も使っていない。

だから大事なものと言われても、説得力がない。


「折角良いものに囲まれてるのに」

「本当。贅沢と言うか、言わないのか」


チーズケーキとガトーショコラ、ホットコーヒーが2つ運ばれてくる。

周りの景色を入れた写真を撮ろうと、お母さんが奮闘しはじめる。


「でもどうしたらいいと思う?」

「そうね」

「どうしたらやる気になってくれるんかしら。おばあちゃんが協力してくれないと、片付けしたくても進まないんじゃけど」


結局、余計なことを言ったとおばあちゃんが泣き出してしまい、

それ以上対話は続けられなかった。

「年寄りだから、感情がコントロールできん」

そう言って顔を覆ってしまったおばあちゃんに、

私とお母さんはそれ以上何も言えなかったのだ。


最近、おばあちゃんはよくヒステリックになる。

私たちの言葉が大抵責めになってしまうせいだ。


「出来ることはするつもりでおるけどね」

ただ、とケーキを口に運びながら考える。

「ただ、おばあちゃんたちの時間や物だから、おばあちゃんの希望や話を聞きながら、本来やるべきなんじゃけど」


カップを持つと、まだ熱かった。

「やるべきなんじゃけど、もったいない、が無いんよなあ」


もったいない。

私はおばあちゃんにちゃんと、そう思ってほしいと考えていた。

使われるはずだったものたち。

手に取り、運ばれ、実家にやってきたものたち。


そのどれもが分厚い埃を被り使われる日を待っていることを、

おばあちゃんは何とも思っていない。


使うべきだった。

もったいないことをした。

そんな言葉が、今のおばあちゃんから紡がれる気配は、ない。


「もう、13年だよ」


私はその年月を口にして、自分で悲しくなった。

「もう13年経つのに、一度も書斎に行かないし」


大好きだったおじいちゃんが亡くなったとき、私は大学生だった。

法要で親戚一同が集まるため、家族で実家を整頓する必要があった。

その時初めて、おじいちゃんの書斎を片付けた。

定年前の仕事の書類や昔趣味でやっていたというゴルフやカメラ、

その見たことのない山の向こうに、大きなガラス戸の棚があった。


そこに並んでいたのは、アルバムだった。

仕事関係のイベント、海外旅行なんかの写真が、律儀に収納されていた。

幼いお母さんたちが写る家族写真もあった。

几帳面なおじいちゃんらしく、それらにはすべて日付と場所、人の名前が記してあり、

種類も年代も勿論、順番通り整理されていた。


多忙で、ほとんど家にいることがなかったおじいちゃん。

私の目にも、くつろぐ姿よりスーツを着てどこかへ出かけていく姿の方が印象深く残っている。


後でゆっくり見ようと思っておじいちゃんが写真を整理していたにしても、

それは遺された私たちにとっては貴重な資料に違いなかった。

私たちの知り得ないおじいちゃんやおばあちゃん、そしてその先祖を写した色褪せた一枚一枚。


私は心底嬉しかった。

おじいちゃんが遺してくれたこのアルバムを、ぜひゆっくりとおばあちゃんにも見て欲しいと考えた。

写真で歴史を辿ることで、晩年病で口をきけなかったおじいちゃんと改めて向き合えるのではないかと。

そして、おばあちゃんが忘れているかもしれない当時の素敵な話の数々を、また聞けるのではないかと。

おばあちゃんは奇跡的に元気で、頭も体もしっかりしている。

その夢は、決して難しくないと思った。

葬式が終わり、私はすぐアルバム棚周辺の足場を広くし、書斎に椅子を運んだ。

気が向いたときにでも少し、1ページでもいいからおばあちゃんがアルバムを見られるように。


「13年も経つのね。はやいなあ」


少し冷めてようやく口にした珈琲の苦味が、

そのまま私の中で苦い気持ちとなって広がる。


色んな癖を、性格を知っているから分かってはいたけれど。

私は今も書斎で律儀に並ぶアルバムを、一人で時々見に行く。

いっそおばあちゃんがいるリビングへ全部運んでしまおうかとも思った。

でもこれはおばあちゃんがいつか自分で見に行くと私は信じていたから、

それはしなかった。

持ち前の記憶力と好奇心で、きっとおじいちゃんの分もアルバムを楽しんでくれると、


でもその日はとうとう、おばあちゃんが90を超えるまで来なかった。

忙しくて自分の時間が取れなかったおばあちゃんは、

おじいちゃんの死後目一杯自分の時間を過ごしてきた。


旅行に買い物、そして家でくつろぐ時間。

おばあちゃん自身の幸福であるから、

それはおおいに私たちにとっても幸せな時間ではあったけれど、

変わらないその時間は、ただ流れ去ってゆくだけだった。


「せっかく見られるのにね、アルバム」

「良い思い出だっていっぱいあるはず。それを聞きたかった」


私はいつしかお母さんに、愚痴を零していた。

してあげたことに対する報いがないから怒っているんじゃない。

おじいちゃんの折角の努力と愛情が開けばいつでもそこにあるのに、

見もしないなんて寂しいし、悔しかった。


「使う時間だって、片付ける時間だって、本当に忙しくてなかったのかもしれない。でももったいないなって、思いを向けることすらしないのは違うと思う」


私の言葉にお母さんが頷いた。


「確かに捨てる捨てるって言いすぎるのも何だか荷物みたいで良くはないけど、物をもう少し大事に思わないといけないよね」


物に気持ちなんてない。だから使わないものは放っておけばいい。

そう思うと気が楽だし、残酷な感覚はなくなる。


おばあちゃんにとって大切なもの、おじいちゃんにとって大切なもの。

そして私たちが受け継ぎ、残していかなければならないもの。


「ただの断捨離じゃなくて、人生の整理だって伝えよう。だって…」


野菜だって骨董品だって、アルバムだって。


「手にしている限り、過ぎた時間に対する責任はどれも同じだから。見なきゃいけないと思う」

「そうね。一緒に向き合っていかなくちゃ」


違うソファ席に、また別の客が座る。

大学生らしき2人組の女性の会話。

就活やインターンという言葉に交じって、「価値は使ってもらって判断してほしいよね」と一人がぼやいた。

「だって1年浪人したらもう新卒じゃないんだよ?怖くない?」

「新品だけに価値がある訳じゃないんだっつーの」

「なんならビンテージものじゃん」

「お、すごい良いものに聞こえる。焦らなくなってきたかも」


聞き耳を立てているのはたぶん、私だけじゃない。

ケーキを口に運ぶ手元を目で追うと、お母さんと目が合った。

笑いそうになって、あわてて珈琲を口に運んだ。



帰路についた私たちは行きの沈んだ気持ちはすっかり晴らして、

電車でも最寄り駅からの帰り道でも次の作戦について話し合った。

その中で私がした提案に、お母さんは快く賛成してくれた。

だから帰って早速、

私は必要なものを揃えておばあちゃんの隣に腰かけた。


「いつじゃったかなあ」

最初はおばあちゃんも思い出せないと言うばかりだったけれど、

次第にその記憶力を発揮してくれた。

「これは土産で買ってきてくれた」

「これは親戚の○○さんに貰うたんよ」

それは、おばあちゃんの鏡台に眠っていた宝石たちだった。

収納されていたそれらを集めたら、それはもう眩い輝きだった。

ここにも多額の資産が、と思うとくらくらするほど。


そのひとつひとつを、私は写真に納めた。

そしてスマホのメモ機能を使い、おばあちゃんが引き出してくれた思い出を記載していった。


「こんなのもあったんじゃなあ」

すっかり記憶から消えてしまっている類の中に、それはあった。


「これは?」

「さあ、忘れた」


年季の入った、それでもきちんとした装飾のその箱を開ける。

「これは…」

おばあちゃんの目の色が、瞬間変わった。

「これは、おじいちゃんが買うてくれたんよ」

中にあったのは、ダイヤが輝きを放つ、1つの指輪だった。

「おじいちゃんが?」

「そう、退職金でね」


知らないエピソードだったようで、

キッチンで夕食の支度をしていたお母さんが飛んでくる。


「退職金!?そんなプレゼントあったんじゃ」

「大したもんじゃないよ」

でもダイヤでしょ!?と値段を気にする私たちに、

おばあちゃんはいつものさらりとした口調で超のつく高額を口にした。


「なにもあげとらんかったからって。珍しゅうなあ」

指輪を手に取り、皺くちゃの指に嵌めてみせる。

「こんなところにあったんかな」

そのあまりにダイヤと不釣り合いな気の抜ける発言に、

私とお母さんはたまらず吹き出したのだった。


「たまには思い出さんとなあ」

出窓に飾られたおじいちゃんの写真に、おばあちゃんが声をかける。

「アルバム、見る?」

「あんなぎょうさん、しんどいわ」

言いながらも指輪に触れるおばあちゃんの手が本当に愛おしそうで、

私はすっかり安心した。


「これからも一緒に色々見て行こう。手伝うから」

「そうそう、当人にしっかり判断してもらわんとね」

ふん、と鼻をならす娘に、やっぱり鬱陶しそうな母。

「少しずつな」

「あんまり時間かけてる大変なことになるよ。ジャムみたいに」

「ジャムやこうあったかな」

「あった、『ビンテージ』のジャム」


まだまだ溢れかえっている物たち。

途方もないけれど、私はそれらにしっかりと向き合うことにした。

おばあちゃんと、そしておじいちゃんとの歴史を自分に刻むために。

そして誰よりもそばでおばあちゃんとその癖を受け止めよう、と決意した。

自分にも眠るであろうそれを、愛するために。


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