第55話 最強の剣士が来た勢いで、俺の家がなくなった
その日の、朝は、いつも通りだった。
俺は布団から起きて。
ステラの作った、お味噌汁を飲んでいた。
ステラは、今日も家事をしていた。
俺のワンサイズ小さい、パジャマを着て、エプロンを着こなしている。
……ちょっと、大きいかもしれないな、でも、本人のサイズの服、まだないし。
……まあ、今度ノアに買ってきてもらおう。
ノアは、テーブルの上で、ミニ擬人化して。
お茶を、ふうふう、していた。
平和な朝だった。
でも。
ノアが、ぴくり、と、顔を上げた。
『……マスター』
「うん?」
『来ました』
「うん?」
『……っ、マスター、上!』
その、瞬間。
俺の体が、勝手に動いた。
考えるより、先に。
ステラを左腕で。
ノアを右手で。
ぐいっ、と、抱えて。
窓を突き破り、外に跳んだ。
次の瞬間。
◆ ◆ ◆
ズガアアアアン!!!
下から轟音が響いた。
俺のアパートが。
まるごと、消し飛んだ。
いや、消し飛んだんじゃ、ない。
切られた。
一本の線で。
上から、下まで。
アパート全体が、斜めに断ち切られて。
ずるり、と、ずれて。
そのまま、崩れ落ちた。
轟音。
土煙。
瓦礫の山。
俺の住んでた、二階の部屋が。
跡形も、なくなった。
……あ。
……家、なくなった。
俺は、地面に着地しながら。
ぼんやり、それを、見ていた。
左腕に、ステラ。
右手に、ノア。
二人とも、無事だった。
「……っ、REN殿!」
「あ、ステラ、大丈夫?」
「は、はい。REN殿が、庇って、くださったので」
「あ、そう? よかった」
「……いつ、動いたので、ありますか。私、全然、見えませんでした」
「うん? なんか、勝手に動いてた」
『……マスター。無意識で、わたしたちを、抱えて、跳んでましたよ』
「あー、そうなんだ」
俺は、ステラとノアを、地面に降ろした。
……でも。
……不思議だな。
俺のアパートだけ、消えていた。
隣の家も。
向かいの家も。
無事だった。
瑠花さんの家も。
ちゃんと建っていた。
……うちだけ。
……ピンポイントで。
……すごい、的確な狙いだな。
◆ ◆ ◆
崩れた、アパートの、向こう。
道路の、真ん中に。
人影が、立っていた。
黒いマント。
白い仮面。
……あれ。
……ステラと、同じ格好だ。
でも、雰囲気が、まるで、違った。
ステラが、まじめな、武道家なら。
その人は。
研ぎ澄まされた刃、そのもの、だった。
立っているだけで。
空気が、ぴん、と、張り詰めている。
手に細身の剣を持っていた。
……あれで、家を切ったのか。
ステラが、息を呑んだ。
「……ヴェガ様」
その人が、ゆっくり、口を開いた。
加工された、女の声。
でも、ステラの、加工とは、違って。
もっと、冷たくて。
もっと、鋭かった。
「ステラ」
「……っ」
「久しぶりだな。裏切り者」
「……」
「組織を捨てて、敵の家に、転がり込んだか」
「……ヴェガ様。私は」
「言い訳は、いい」
ヴェガが、剣を、軽く振った。
ひゅん、と、空気が、鳴った。
それだけで。
近くの瓦礫が、すぱり、と、両断された。
……うわ。
……剣、振っただけで。
俺は、ちょっと、感心した。
◆ ◆ ◆
「ところで、ステラ」
「……はい」
「お前、私の服を持ち出したな」
「……っ」
「あれは私の服だ。返してもらおう」
「……あ、それは」
「どこにある」
「えっと、その。荷物に、まとめて。あの、崩れたアパートの中に」
「……ふん。瓦礫の中か」
ヴェガが、剣を構えた。
「面倒だ。掘り出す」
そして、剣を振った。
瓦礫の山に、向かって。
ザンッ!
鋭い、斬撃が、走った。
瓦礫が吹き飛んだ。
その、奥から。
ステラの、荷物が、ぽーん、と、宙に舞った。
そして。
荷物が切り刻まれた。
その中にはヴェガの私服が。
斬撃の余波で。
びりびりびり、と。
粉々に、引き裂かれて。
風に、舞って。
消えた。
……あ。
しん、と、なった。
「…………」
ヴェガが、固まった。
仮面の奥で。
たぶん、自分の斬撃で、吹き飛ばした私服を。
呆然と見ていた。
「……あ」
ヴェガの口から。
小さな声が、漏れた。
……あ、って、言った。
「ヴェガ様」
ステラが、おずおず、と、口を、開いた。
「……今、ヴェガ様が、自分で、私服を、吹き飛ばしましたよね」
「……」
「あの、私、返そうと、思って、いたので、ありますが」
「……」
「ヴェガ様が、斬撃で、粉々に」
「……黙れ」
「は、はい」
「……今のは、なかった」
「で、ありますが、思いっきり」
「なかった!」
ヴェガの、声が、ちょっと、大きくなった。
……あれ。
……この人。
……ちょっと、抜けてる?
俺は、ぼんやり、思った。
『……マスター。今のは、忘れてあげましょう。剣士の矜持が、傷つくので』
「うん」
◆ ◆ ◆
ヴェガが咳払いをした。
仕切り直すように。
そして、俺を見た。
仮面の奥の目が。
すっ、と、細くなった。
「REN」
「うん」
「お前が、REN、だな」
「うん。そうだよ」
「ステラをたぶらかし。組織から引き抜いた男」
「いや、引き抜いて、ないけど」
「勝手に、来たので、あります」
ステラが、横から言った。
「黙れ、ステラ」
「は、はい」
「REN。ここでは、戦いにくいだろう」
「うん?」
ヴェガが、剣を、地面に突き立てた。
「専用の舞台を用意しよう」
その瞬間。
ヴェガの足元から。
黒い線が走った。
地面に。
空に。
四方に。
その、線が。
ぐにゃり、と、空間を歪ませた。
……え。
俺の足元の景色が。
ぐるん、と、回った。
崩れたアパートも。
瑠花さんの家も。
街並みも。
全部、黒い闇に塗り潰されて。
消えた。
気づくと。
俺たちは。
別の場所に立っていた。
◆ ◆ ◆
真っ黒な空間だった。
上も。
下も。
左も右も。
全部、黒。
でも、足元には、なぜか、固い地面の感触があった。
見えないけど、立てる。
光はない。
なのに、ヴェガの姿は、はっきり見えた。
俺の姿も。
ステラも、ノアも。
まるで、自分たちだけが。
黒い世界に、切り抜かれた、ように。
「……ここは」
ステラが、つぶやいた。
「ヴェガ様の固有空間、です。『黒鞘の間(くろさやのま)』」
「固有空間?」
「ヴェガ様だけが、作り出せる異空間であります」
ステラが、緊張した声で、続けた。
「ここでは、外に被害が出ません。その、代わり」
「代わり?」
「逃げ場もありません。ヴェガ様が、空間を解くまで」
「ふうん」
『……マスター。一応、配信を始めました。辛うじて繋がってます。この空間の中から、なんとか、中継してます』
「お、ノア、すごいな」
『……はい。でも、不安定です。途切れるかも』
「うん。わかった」
俺は、黒い空間を見回した。
……すごいな。
……こんなところ、作れるのか。
……ヴェガ、本当に、強いんだな。
俺は、ちょっと、感心した。
◆ ◆ ◆
「REN」
ヴェガが、剣を構えた。
すうっ、と。
低い、構え。
刃が地面と平行に。
……あ。
……構え、すごい、隙がない。
ステラの構えも、綺麗だった。
でも、ヴェガのは。
次元が、違った。
構えているだけで。
もう、斬られている、ような。
そんな、錯覚が、した。
「この、空間でなら。私は、全力を出せる」
「ふうん」
「そして、お前も。遠慮なく、本気を出せる」
「うん」
「全力で、来い。さもなくば」
ヴェガの、声が、低く、響いた。
「死ぬぞ」
「うん。わかった」
「……わかった、だと?」
「うん。とりあえず、やってみる」
俺は、剣を抜いた。
虚空断ち。
いつもの剣。
ステラが、後ろに下がった。
ノアを抱えて。
「REN殿。ご武運を」
「うん。ありがと」
◆ ◆ ◆
ヴェガが消えた。
いや、消えたように見えた。
それくらい、速かった。
次の瞬間。
ヴェガは、俺の目の前にいた。
剣が、横から来る。
首を狙って。
ひゅっ。
俺は、首を傾けて、避けた。
刃が、頬のすぐ、横を通った。
……お。
……速い。
避けた瞬間。
ヴェガの剣が、返ってきた。
逆袈裟。
下から、上へ。
今度は、胴を狙ってきた。
俺は、半歩引いて、避けた。
でも。
ヴェガの剣は止まらなかった。
一閃が、二閃に。
二閃が、三閃に。
連続で。
息もつかせず。
斬撃が降ってくる。
上段。
下段。
突き。
薙ぎ。
左右。
全部、急所を狙っていた。
全部、必殺の軌道だった。
黒い空間に。
ヴェガの、剣の軌跡だけが。
白い線となって。
幾重にも残った。
……これ。
……ステラの時と、全然違う。
……まずいな。
ステラは一撃が重かった。
でも、ヴェガは。
一撃、一撃が、重く、速くて、鋭い。
そして、連続で、途切れない。
まるで。
剣が、何本もあるみたいだった。
俺は避け続けた。
半歩。
半歩。
紙一重で。
でも、避けるだけで、精一杯だった。
……あれ。
……反撃する、隙がない。
俺は、ちょっと、驚いた。
◆ ◆ ◆
ヴェガの剣が、また来る。
今度は、フェイント。
上段に、見せかけて。
下から、斬り上げる。
……っ。
俺は、咄嗟に、虚空断ちで、受けた。
ガキィン!
火花が、散った。
剣と剣が、ぶつかる音が。
黒い空間に響いた。
火花だけが。
闇の中で、ぱっ、と、光って。
すぐ消えた。
……重い。
……ステラとは、違う、重さ。
受けた虚空断ちが、ぎりぎり、と、軋んだ。
ヴェガの力が。
まっすぐ、伝わってくる。
……すごいな、この人。
俺は、剣を押し返した。
ヴェガが、ふわり、と、後ろに跳んだ。
距離を、取って。
また、構えた。
「……ほう」
ヴェガが、ぽつり、と、言った。
「私の連撃を、すべて避けたか」
「うん。まあ」
「しかも、まだ、本気では、ないな」
「うん。たぶん」
「……面白い」
ヴェガが、剣を構え直した。
今度は、両手で。
刃に。
淡い光が宿った。
黒い空間の中で。
その、光だけが。
ゆらり、と、揺れた。
……あ。
……なんか、光った。
「REN。次は、避けられるか」
ヴェガが、地面を蹴った。
今までで。
一番速かった。
目で追うのが、やっと。
いや。
追えない。
……っ。
俺は、初めて。
ほんの、少しだけ。
集中した。
時間が。
ゆっくりに感じた。
ヴェガの剣が。
俺の左肩を狙って。
まっすぐ、来るのが。
見えた。
……これ。
……いつもの感じで避けたら。
……たぶん。
……ぎりぎり、間に合わない。
俺は。
久しぶりに。
ちょっとだけ。
本気を出そうとした。
その、瞬間。
◆ ◆ ◆
ヴェガの、剣が。
ぶれた。
一本が。
三本に見えた。
残像。
いや。
残像じゃない。
三方向から同時に。
斬撃が来る。
左肩。
右脇。
首。
……三つ。
……同時。
俺は。
一つ目を避けて。
二つ目を虚空断ちで、受けて。
三つ目を。
……間に合うか?
時間が、止まったように感じた。
……あ。
……これ、ちょっと。
……本気で、やらないと。
……だめかも。
久しぶりの感覚だった。
ずっと、忘れていた。
誰と、戦っても。
なんとなく、勝ててきたから。
でも、今。
俺の中で。
何かが、ゆっくり。
目を覚まそうとしていた。
ヴェガの、三つ目の刃が。
俺の首に。
迫る。
……っ。
その、時。
俺は。
初めて。
ヴェガを。
まっすぐ、見た。
ぼんやり、じゃ、なくて。
ちゃんと。
戦う目で。
ヴェガの、仮面の奥の目が。
わずかに、見開いた。
「……っ、その、目」
俺の虚空断ちが。
動いた。
今までと、違う速さで。
◆ ◆ ◆
>【攻略ガチ勢】お、おい、これ、なんかいきなり配信始まったぞ!?
>【攻略ガチ勢】ノアちゃんが中継してる! なんか、真っ黒な空間だ!
>【陰謀論者】出た……Null最強、ヴェガ。欧州の都市を、八分で、壊滅させた、あいつだ
>【陰謀論者】しかも、固有空間に引きずり込んだ。これ、相当ヤバい
>【ノア推し】ノアちゃん、無事!? あれ、ステラちゃんもいる?
>【holodive_master】RENが、避けるだけで、精一杯になってる。こんなの初めて見た
>【草の民】いつもの、RENじゃない。なんか、ちょっと、目つきが違うな
>【ルカたん】蓮くん……! いえ、RENさん……! 大丈夫、ですか……っ
>【攻略ガチ勢】↑ルカたん、今、「蓮くん」って、言った?
>【ルカたん】!? いえ、なんでも、ないです! 言い間違いです!
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その頃。
AEGIS本部。
対策室。
影山司令官と霧島澪が、モニターを食い入るように見ていた。
モニターには、真っ黒な空間の映像が映っていた。
時々、ノイズが、走る。
「……司令官」
「ああ」
「RENさんが。攻撃できず、避けるだけになってます」
「ああ」
「こんなの。初めて、です」
「……ヴェガ。やはり、規格外、か」
影山が、腕を組んだ。
「しかも、固有空間にいる。我々は手を出せん」
「……はい」
「だが、霧島。見ろ」
「はい」
「RENの、目だ」
「……っ」
「あいつ。ようやく。本気を出す気だ」
澪は、モニターの中の蓮を見た。
いつもの、ぼんやりした目じゃ、なかった。
まっすぐで。
静かで。
……でも。
……どこか、底の見えない目。
澪の心臓が。
どきり、と、した。
……蓮さん。
……無事で。
……お願い。
澪は、祈るように。
モニターを、見つめていた。




