第10話 政府の人間がRENの配信を毎日8時間見ている
東京・霞が関。
地上からは見えない地下四階に、その組織はある。
特務探索者統括局――通称AEGIS。ダンジョン情報の機密管理、高ランクダンジョンの攻略指揮、ブレイク対応。国家のダンジョン政策を裏から支える、表には出ない組織だ。
その分析班のオフィスには、窓がない。
当たり前だ。地下四階に窓はない。蛍光灯の白い光と、大量のモニターの青白い光だけが部屋を照らしている。
霧島澪は、そのモニターの前に座っていた。
画面には、VStreamの配信アーカイブが映っている。
黒い服の青年が、S級ダンジョンの中層でモンスターを一撃で倒している。肩に小さなフクロウが止まっていて、何か喋っている。コメント欄が高速で流れていく。
配信者名:REN。
澪はこの映像を、今日だけでもう六時間見ていた。
◆ ◆ ◆
三日前。
澪は上司に呼び出された。
AEGIS統括隊長・影山総一郎。三十歳。日本のダンジョン行政を実質的に動かしている男だ。185センチを超える長身で鋭い目つきと、常に眉間に刻まれた皺が特徴。部下からは「隊長」ではなく「影山さん」と呼ばれている。
「霧島。新しい分析対象だ」
「はい」
影山がモニターに映像を表示した。VStreamの配信アーカイブ。黒い服の青年がダンジョンの中を歩いている。
「配信者名REN。VStreamの配信者ランキング日本一位。ジャンルはダンジョン系ゲーム実況。同時接続の最高記録は三十二万。登録者数は二十万を超えている」
「ゲーム実況……ですか。それがAEGISの分析対象になる理由は?」
「見ろ」
影山が映像を再生した。
RENがS級ダンジョンの中層でモンスターを倒している。シャドウ・ウォーカー五体を一秒で斬り伏せる。A級ダンジョンを十八分で踏破する。石のゴーレムを物理攻撃で粉砕する。
そして、E級ダンジョンの暴走事件の映像。C級モンスター三体とB級モンスター一体を、たった一人で殲滅する。
澪は映像を見ながら、分析官としての目で観察した。
戦闘速度。異常。人間の反応速度の理論限界を超えている。
斬撃の精度。異常。装甲型モンスターの関節の隙間を初見で看破している。
環境音。異常。ゲームのサウンドエンジンでは生成できない周波数成分が含まれている。
粒子の挙動。異常。リアルタイム流体シミュレーションのどのモデルとも一致しない。
「……影山さん。この映像は」
「ああ」
「既知のVRゲームエンジンとは一致しません。Hollow Dive Onlineのレンダリングパイプラインとも、Unreal EngineやUnityの最新版とも、粒子シミュレーションのパターンが異なります」
「結論は?」
「……現時点では断定できません。ただし、もしこの映像が現実の映像であるなら」
「であるなら?」
「この配信者は、S級相当の戦闘能力を持つ非公認の探索者ということになります。B級以上のダンジョン映像を全世界に配信している。国家機密の大量漏洩です」
影山が腕を組んだ。
「そうだ。そしてこいつの配信は、誰も止めていない」
「止められていない、のではなく?」
「止める必要がなかった、と言うべきだな。今まではゲーム配信だと思われていたから、誰も問題にしなかった。俺たちAEGISですら見逃していた。この映像がうちに上がってきたのは、E級暴走事件がきっかけだ。ニュース映像と配信映像の背景が一致しているという報告が、分析班に回ってきた」
「あの検証スレッドですね。VStreamのコメント欄で視聴者が自主的に行った照合が、結果的にうちの注意を引いた」
「ああ。素人にバレかけている情報を、プロが見逃していたわけだ。恥ずかしい話だよ」
影山の声に、自嘲が混じった。
「霧島。お前にこの配信者の専任分析を命じる。全アーカイブを視聴しろ。戦闘パターン、行動ルーティン、生活圏、身元。すべてを洗い出せ」
「全アーカイブ……ですか。配信頻度は?」
「ほぼ毎日。一回あたり一時間から三時間。過去半年分だ」
「……了解しました」
「一日八時間を目安に分析しろ。レポートは毎日提出。この件は機密扱いだ。分析班内でも共有するな」
「はい」
澪は敬礼して、分析室に戻った。
これが、三日前のことだ。
◆ ◆ ◆
そして今日。三日目。
澪はRENの配信を、通算で二十四時間以上視聴していた。
過去半年分のアーカイブを時系列順に見ている。最初期の配信は同時接続が三百人程度で、画質も安定していなかった。RENの声も今より硬くて、コメントへの返し方もぎこちなかった。
それが回を追うごとに変わっていく。
声が柔らかくなる。コメントへの返事が自然になる。笑うようになる。
澪は分析レポートを書いていた。
『対象「REN」分析レポート 第3号
視聴期間:過去アーカイブ第1回〜第47回(累計視聴時間:26時間)
1. 戦闘能力分析
反応速度:推定0.02秒以下(人間の限界値0.1秒の5倍)
打撃精度:装甲型モンスターの関節隙間(推定2cm)を初見で命中
魔力出力:計測不能。既知のS級探索者の上限を超えている可能性あり
2. 映像技術分析
既知のVRエンジンとの一致率:0.3%
環境音の周波数分析:ゲームSEとの一致率0.1%以下
流体シミュレーション比較:どのモデルとも不一致
→ 結論:VRゲームの映像ではない可能性が極めて高い
3. 行動パターン分析
配信頻度:週5〜6回
配信時間帯:午前10時〜午後5時(日中のみ)
使用ダンジョン:S級、A級
生活圏:都内某所のアパート周辺。コンビニへの依存度が高い
対人関係:AIナビ「ノア」以外の接触者なし。極度の社会的孤立
4. 人格分析
対象は穏やかで攻撃性が低い。コメントに対して律儀に返答する。
危機的状況でも冷静だが、それは訓練によるものではなく、
危機的状況を「日常」として処理する習慣によるものと推定される。
迷子の子供を配信中断して助ける行動が確認されている(配信前映像参照)。
対象は「誰かに見てほしい」という動機で配信を開始したと推定される。
孤独の裏返しとしての配信行為。
5. 備考
※ノアとのやり取りにおける対象の表情変化が顕著。
特に「マスター(笑)」と呼ばれた際の苦笑いは
回を追うごとに柔らかくなっている。
※対象がコメント「嬉しいです。ありがとうございます」と
発言した際の声の震えは、演技ではないと判断される。
※個人的所感:対象は善良な人物であると推定される。』
澪はレポートを読み返して、赤くなった。
5番の備考。これは分析レポートに書く内容ではない。「マスター(笑)」に対する苦笑いの変化とか、声の震えとか、「善良な人物」とか。
分析官として、客観的なデータだけを記載すべきだ。
でも、二十六時間もこの人の配信を見ていると、どうしても「データ」以外のものが目に入ってくる。
コンビニの温め方がわからなくて困っている姿。電車の改札で「通れた」と感動している姿。迷子の子供の手を握って、「俺も昔迷子だった」と言う姿。
……これは業務だ。業務として見ている。
澪は備考欄を削除しようとして、やめた。
代わりに、もう一行書き加えた。
『※補足:対象の配信は、分析対象としての価値が高い。
継続的な視聴を推奨する。(業務上の必要性に基づく判断)』
……業務上の必要性。そうだ。これは業務なのだ。
◆ ◆ ◆
レポートを提出しに行くと、影山が執務室にいた。
「霧島。レポートか」
「はい。第3号です」
影山がレポートに目を通す。澪は直立不動で待った。
影山の目が、備考欄で止まった。
「……霧島」
「はい」
「この備考欄。『対象がコメントで嬉しいですと発言した際の声の震え』。これは何の分析だ?」
「声紋分析の一環です。感情表出のパターンを記録することで、対象の心理状態の変化を追跡できます」
「ほう。『マスター(笑)と呼ばれた際の苦笑いが回を追うごとに柔らかくなっている』は?」
「表情筋の動きから対人関係の変化を読み取る手法です。対象がAIナビとの関係性においてどのような変容を……」
「霧島」
「はい」
「お前、それ、ファンの感想文だろ」
「…………」
澪の顔が赤くなった。
「ち、違います。これは分析です。客観的なデータに基づく」
「『個人的所感:善良な人物であると推定される』のどこが客観的だ」
「……すみません」
「まあいい。分析の精度自体は高い。映像技術分析の結論は俺も同意見だ。VRゲームの映像ではない可能性が極めて高い」
影山がレポートをデスクに置いた。
「問題は、その先だ。もしこいつが本物の探索者なら、国家機密の大量漏洩が半年間放置されていたことになる。しかも登録者二十万人、同時接続三十万人の配信者だ。今さら止めたら世論が燃える」
「止める、というのは」
「配信の停止命令。もしくは対象の身柄確保。どちらも選択肢としてはある。だが――」
影山が苦い顔をした。
「『人気ゲーム配信者を政府が逮捕』なんてニュースが流れたら、炎上するだろうな。しかも世間はまだこいつをゲーム配信者だと思っている。ゲーム配信者を逮捕する理由を説明するには、ダンジョンの機密情報を公開する必要がある。本末転倒だ」
「つまり……」
「手が出せない。少なくとも今は。だからお前には分析を続けてもらう。こいつが何者で、どこに住んでいて、なぜ探索者資格を持たずにS級ダンジョンに入れるのか。全部洗え」
「了解しました」
「あと、霧島」
「はい」
「E級暴走事件の現場に、うちの監視要員を一人配置していた。事件後に対象と思われる人物がコンビニに立ち寄っているのを確認している。生活圏の特定は近い」
澪は少し胸が痛んだ。
この人の居場所を特定する。この人の日常を丸裸にする。それが自分の仕事だ。
でも、二十六時間分の配信を見た後だと、「この人」には顔がある。声がある。コンビニで温め方がわからなくて困る顔がある。迷子の子供に「俺も迷子だった」と言う声がある。
……業務だ。これは業務。
「影山さん」
「なんだ」
「一つ確認させてください。分析の結果、対象が本物の探索者であると確定した場合、AEGISはどう対応するんですか」
影山が少し黙った。
「状況による。脅威であれば排除する。協力者になり得るなら取り込む。どちらでもなければ管理下に置く。いずれにしても、放置はしない予定でいる」
「……了解しました」
澪は敬礼して、分析室に戻った。
モニターにはRENの配信アーカイブが一時停止のまま残っていた。
画面の中で、黒い服の青年が笑っている。コメント欄に「嬉しいです」と言った直後の、少し恥ずかしそうな笑顔。
澪はそれを数秒間見つめてから、再生ボタンを押した。
分析の続きをしなければならない。
……業務として。
澪は内心ニヤけながら業務に取り掛かった。
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┃ アーカイブコメント欄 ┃
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>【攻略ガチ勢】REN、ここ数日配信ペース落ちてないか? E級暴走事件の後から少し間隔が空いてる気がする
>【草の民】たまには休むだろ。人間だもの
>【攻略ガチ勢】人間、ね。……まあ、そうだな
>【ルカたん】RENくん、ゆっくり休んでね。無理しないで
>【陰謀論者】休んでるんじゃなくて、動けないんじゃないのか。あの事件の後、誰かに見られてるとしたら
>【草の民】↑陰謀論者が一番怖いこと言うのやめろ
>【ノア推し】てかノアちゃんの擬人化形態のファンアートがpixivで500件超えたんだけど!!人気すごい!!
>【草の民】お前のメンタルが一番強い(二回目)
>【ルカたん】……ノア推しさんのポジティブさ、見習いたい
>【攻略ガチ勢】ルカたん、最近おとなしいな。スパチャの額も減ってる。どうした?
>【ルカたん】……大丈夫。ちょっと考えてることがあるだけ
>【陰謀論者】ルカたんも気づき始めてるんだろ。……全部に
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