第1話 コメ欄『このゲーム何?』※ゲームじゃない
五年前、世界中に『ゲート』が出現した。
地面が裂けて、空間が歪んで、この世界とは異なる空間への入口がぽっかりと口を開けた。中にはモンスターがいて、宝物があって、人類がまだ知らない物質や法則が眠っていた。
人はそれを『ダンジョン』と呼んだ。
最初はパニックだった。でも人間は慣れる生き物で、五年も経つと、ダンジョンはすっかり社会に組み込まれていた。
国家資格を取った『探索者』がダンジョンに潜り、素材を持ち帰り、経済を回す。ダンジョンにはE級からS級まで六段階のランクがあって、低ランクのE級やD級は観光地化されているくらいだ。修学旅行でスライムを見に行く高校生もいるらしい。
――ただし。
B級以上のダンジョン内部の映像は『国家機密』に指定されている。
危険すぎるモンスター、未知の現象、軍事転用可能な素材。そういうものが映り込む可能性があるから、高ランクダンジョンの映像は一切公開されていない。
つまり、一般人はS級ダンジョンの中がどうなっているか知らない。
だから、俺がS級ダンジョンの中を生配信しても、誰も「本物」だとは思わないのだ。
◆ ◆ ◆
死んだ、と思った。
巨大な爪が頬を掠めた瞬間、頬の皮膚が裂けて熱い血が首筋を伝った。空気が焼ける匂い。足元の石畳が砕けて、破片が頬にぶつかる。
いや。まだ死んでない。
俺は地面を蹴って後方に跳んだ。距離にして十五メートル。着地の衝撃で足首が軋む。
目の前にいるのは、全長二十メートルを超える異形の竜だ。
六つの目がすべてこちらを見ている。口腔の奥で炎が渦を巻いていて、次の火球がいつ来てもおかしくない。
ここはS級ダンジョン最深部。第八十七層のボス、『灼眼の暴竜ヴァルドラ』。
多分もう三十分くらい戦っている。
画面の端にコメントが流れてきた。
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┃ LIVE ┃
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>【草の民】グラえぐすぎて草
>【holodive_master】待ってこれ何のゲーム?ホロダイのMOD?
>【攻略ガチ勢】ホロダイの非公式高画質MODだな。でもこのボス見たことないぞ。カスタムレイドか?
>【ルカたん】¥50,000「RENくん頑張れ〜☆ いつものあげる!顔の血がリアルすぎてちょっと心配になるレベルなんだけどw」
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ホロダイ《Hollow Dive Online》。
ダンジョン探索をリアルに再現したフルダイブ型VRゲームで、今一番流行っている。プレイヤーが仮想のダンジョンに潜って、仮想のモンスターを倒して、仮想の宝物を持ち帰る。
俺の視聴者は全員、俺がそのゲームをやっていると思っている。
無理もないと思う。本物のS級ダンジョンの映像なんて誰も見たことがないのだ。「超リアルなVRゲーム」と「本物のダンジョン映像」を区別する手段が、一般人にはない。
ちなみに俺は、そのホロダイというゲームを遊んだことがない。というか、VRゲームという概念自体をよく理解していない。
画面の右端にスパチャの通知が光った。
「あ、ルカたんさん。いつもありがとうございます」
俺は律儀にお礼を言った。顔の血を袖で拭きながら。
「えっと、顔の血は大丈夫です。たぶん」
ヴァルドラが咆哮する。鼓膜が破れそうな音圧。石柱が三本まとめて崩壊した。
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>【草の民】音響やばいwwwヘッドホン勢死んだwww
>【holodive_master】いやだからこれ何のゲームだよ
>【攻略ガチ勢】環境破壊の物理演算おかしいだろ。ホロダイのエンジンでこれ動くのか?
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コメントを読みたいのは山々だけど、竜がまた突っ込んできた。
六つの目が同時に光る。来る。
「――ノア」
『はいはい。左に三歩、そのあと真上。来ますよ、火球六連』
耳元で、呆れたような声が応える。
ノアは俺がダンジョンで手に入れた古代遺物に宿っているAIだ。配信のOBS設定・コメント読み上げ・スパチャ管理をすべて担当してくれる、俺の唯一のパートナー。
見た目は小さなフクロウみたいな妖精型。今は俺の左肩に止まって、翼の先でコメント欄をスクロールしている。
言われた通りに左へ三歩。直後、さっきまで立っていた場所が火球で消し飛んだ。
跳躍。天井近くまで飛んで、竜の頭上を取る。
「ここで――」
右手に魔力を集中させる。掌が白く光った。体内の魔力回路が軋む。
一撃で終わらせる。
「『蒼極・穿』」
光の槍が竜の頭蓋を貫いた。
ヴァルドラの六つの目が同時に見開かれて――そのまま、光を失った。
二十メートルの巨体がゆっくりと崩れ落ちる。地面が揺れた。粉塵が舞い上がって、数秒間、何も見えなくなった。
着地。
膝に手をついて、息を整える。全身が汗でびしょ濡れだ。左腕の感覚がほとんどない。さっき火球を避けたときに柱の破片で打ったらしい。
やっと倒した。
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>【草の民】は???????
>【草の民】ソロで倒したんだがwwwww
>【攻略ガチ勢】……マジで言ってる?こいつ8人レイド想定のボスだぞ。ソロ撃破はTAS以外で見たことない
>【holodive_master】とりあえずもうこのゲームの名前だけ教えてくれ
>【ルカたん】¥100,000「倒したあああ!!最高!!!結婚して!!!」
>【ノア推し】「左に三歩」の的確さよ。ノアちゃんが本体説
>【草の民】物理演算ガチでヤバいんだけどこのゲーム
>【陰謀論者】いや待て、これマジでVRか?揺れの伝わり方がリアルすぎないか
>【攻略ガチ勢】↑ここにもリアル厨いて草。S級ダンジョンの中身なんて国家機密だぞ。仮にガチだったとしてこんな堂々と配信できるわけないだろ
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確かに、今のコメントは核心を突いている。
S級ダンジョンの映像は国家機密。本物なら政府が即座に止めるはずだ。
なのに俺の配信は止められていない。理由は単純で、政府もこれをVRゲームの配信だと思っているからだ。たぶん。少なくとも今のところ、誰にも怒られたことはない。
……いや、そもそも俺は探索者の資格を持っていないので、怒られる以前の問題なのかもしれないけど。
「えっと……ありがとうございます。ルカたんさん、結婚はちょっと……ありがとうございます」
『スパチャ合計、今日だけで四十二万円を超えましたよ、マスター(笑)。それよりその左腕、折れてませんか?』
「折れてる……かも」
ノアが溜め息をついた。小さなフクロウの姿で器用に溜め息をつく。
『配信中に骨折報告しないでください。またコメント欄が荒れます。「演出がリアルすぎて心配になる」って前もバズってたでしょう』
「演出じゃないんだけどな……」
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>【草の民】骨折とか演出凝りすぎだろwww
>【攻略ガチ勢】REN、モーションキャプチャーで配信してるのか?腕の動きが不自然に見えるのはキャプチャーの精度が高すぎるからだな
>【ルカたん】骨折大丈夫!?病院いって!?
>【ノア推し】マスター(笑)って呼ぶノアちゃん最高すぎる
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倒したボスの体が光の粒子になって消えていく。
跡に残ったのは、拳大の赤い結晶体。ボスドロップだ。売ればたぶん数千万にはなる。
俺はそれを拾って、ポケットに突っ込んだ。
「じゃあ、今日はこのへんで。お疲れさまでした」
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>【草の民】おつ〜
>【攻略ガチ勢】おつ。次の配信いつ?
>【ルカたん】おつかれ!次も絶対見る!
>【陰謀論者】いやだから誰かこのゲーム特定してくれよ……
>【攻略ガチ勢】↑陰謀論乙。
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『おつかれさまです。視聴者数、同時接続で十二万超えてましたよ。先月の三倍です』
「そんなに見てくれてるんだ……」
俺は少し嬉しくなった。
ダンジョンの出口に向かって歩き出す。暗い通路を一人で歩く。ノアの小さな光が足元を照らしてくれる。
配信を始めたのは、半年前のことだ。
五年前。中学二年のとき、俺はたまたま近所に出現したダンジョンに迷い込んだ。
まだゲートが出現して間もない頃で、警備も何もなかった。好奇心で入った洞窟が、まさかあんな場所に繋がっているとは思わなかった。
そこから三年間、出られなかった。
食べられるモンスターを見分けて食べた。水は地下水脈を探した。何百回も死にかけた。サバイバルしていくうちにいつの間にか、強くなっていた。
十七歳で地上に帰ってきたとき、世界は変わっていた。ダンジョンは『国家管理対象』になっていて、探索者という国家資格ができていた。低ランクのダンジョンは観光地になっていた。ホロダイというVRゲームが大流行していた。俺の同級生はみんな高校を卒業していた。
そして、俺の居場所は、どこにもなかった。
三年間、人と話さなかった。ノアと出会うまで、声を出す理由すらなかった。
地上に戻ってからも社会にうまく馴染めなくて、結局ダンジョンに潜り続けている。他にやることがないから、というのもあるけど。
一番の理由は、寂しかったから、だと思う。
だから配信を始めた。
「誰かが見てくれている」という事実があるだけで、少し救われる気がしたから。
コメントを読むのが好きだ。何を言っているのかよくわからないことも多いけど、「人がいる」と感じられるだけで嬉しい。
みんなが俺のことをゲーム配信者だと思っていることには正直、気づいていない。
「ホロダイ」というゲームも、「MOD」というものも、よくわからない。コメントで時々「このゲーム何?」と聞かれるけど、何のことかわからないからスルーしてしまっている。
ノアは気づいているのかもしれないけど、何も言わない。
『マスター。出口です』
「ん」
ダンジョンの出口は、東京都のはずれにある雑木林の中だ。
入口を偽装する結界が張ってある。これはノアが設定してくれたやつだ。一般人には見えない。
外に出ると、夜だった。空気が冷たい。四月の夜風が、汗だくの体に気持ちいい。
左腕がずきずき痛む。たぶん本当に折れている。
「……コンビニ寄っていい?」
『回復薬じゃなくてコンビニですか。あなたの優先順位、毎回バグってますよ』
「いや、腹減ったから」
最寄りのコンビニまで歩いて十分。服はボロボロで、顔にはまだ血がこびりついている。左腕はだらんと垂れたままだ。
客観的に見ると、完全に不審者だと思う。
自動ドアが開いた。蛍光灯が眩しい。
おにぎりの棚の前で立ち止まる。
「……ノア。これ、どうやって温めるんだ?」
『はい?』
「いや、前にコメントで『コンビニで温めてもらえる』って見たんだけど、誰に頼めばいいのかわかんなくて」
『……レジの店員さんに「温めてください」と言えばいいだけです。五年間ダンジョンにいた人間の質問とは思えませんね。S級のモンスターは倒せるのにコンビニの使い方がわからないんですか』
「うるさいな……」
おにぎりを三つ持ってレジに向かう。
「あの、温め――」
「――あっ」
声が重なった。
レジの隣に、女の人が立っていた。
長い黒髪に、明らかに高そうなワンピース。こんな時間にコンビニにいるのが不思議なくらい場違いな雰囲気の人だ。手にはポテトチップスの大袋を五つ抱えている。
……五つも? こんなに食べれるのか?
目が合った。
彼女は俺の顔を見て――というか、俺の血まみれの顔と、だらんと垂れた左腕と、ボロボロの服を見て、明らかに引いた顔をした。
「…………」
「…………」
沈黙。
「あ、どうぞ、お先に」
「い、いえ、お先にどうぞ……」
互いに譲り合って、結局俺が先にレジに進んだ。
「すみません、温めてもらえますか」
「……かしこまりました」
店員さんも俺の顔を見て固まっていたけど、プロの接客精神で乗り切ってくれた。
温まったおにぎりを受け取って、店を出る。
背後で、あのお嬢様風の女の人がポテチ五袋をレジに置く気配がした。
まあ、いいか。
夜道を歩きながら、温かいおにぎりを頬張る。鮭。うまい。
左腕は折れてる。顔は血だらけ。でも、おにぎりはうまい。
「ノア、今日の配信どうだった?」
『数字だけ見れば最高記録です。ただ、相変わらず全員「ゲーム配信」だと思ってますけどね』
「ゲーム配信……? 俺、ゲームしてないけど」
『ええ。してませんね。でも皆さんそう思ってますよ。あなたの配信、VStreamのカテゴリでは「Hollow Dive Online」に分類されてます。私が適当に登録したので』
「ノアが?」
『他にカテゴリがなかったんですよ。「リアルS級ダンジョン単独攻略」なんてカテゴリ、配信サイトにはありませんから』
「まあ……楽しんでくれてるならいいよ」
俺は笑った。
アパートに着いた。築四十年のボロアパート。向かいに建っている白い豪邸が、月明かりに照らされてやたらと綺麗だ。あの豪邸のせいで俺の部屋は日当たりが最悪なんだよな。
ちなみに、さっきコンビニにいたお嬢様風の女性が、あの豪邸の門をくぐっていくのが見えた気がしたけど、たぶん気のせいだろう。
部屋に入って、おにぎりの残りを食べて、回復薬を飲んで、寝た。
明日もダンジョンに行こう。
配信して、見てくれる人がいるなら。
もう少しだけ、頑張れる気がする。
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┃ アーカイブコメント欄 ┃
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>【攻略ガチ勢】今日のアーカイブ見返してるんだけど、ボス撃破後の粉塵の舞い方、物理演算のレベルが既存のどのエンジンとも一致しない。あと環境音がゲームのSEじゃない。これ現地録音か?
>【陰謀論者】だから言ってんだろ。これVRじゃないって
>【草の民】↑またリアル厨で草
>【攻略ガチ勢】いや俺もリアル厨扱いされるのは心外だが、技術的に説明がつかないのは事実。ただしRENがガチの探索者なら国家機密の漏洩になる。配信止められてない時点で本物じゃない。Q.E.D.
>【ルカたん】てかRENくんの最後のコンビニ映像、左腕完全に脱力してたけど大丈夫かな……ゲームでもあんな自然な怪我モーションある?
>【攻略ガチ勢】ない。だからMODだって言ってるだろ
>【陰謀論者】おまえらいつか後悔するぞ
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