見上げた空に 3
藍と桃は日にちが変わる前に二人で帰って行った。
残された男二人で、秋の月を見上げながら飲みなおす。
彼女達が片付けて行ってくれたおかげで、ベランダに足を投げ出す自分たちの脇の小さなテーブル上は、日本酒とスルメというベタでシンプルな構成になっていた。
秋の夜風が酒に火照った頬を撫で、虫の音が優しく耳をくすぐる。
静かな夜に輝く銀色の月は…まだ遠い。
蒼汰はそれを見つめながら、溜息を琥珀の液体に浮かべて飲み干した。
ゆるりと舞い上がるほろ酔いの吐息は、安堵と決意が混じった不思議な色をしていた。
「どんな映画にするか、決めたのか?」
青の囁くような声。
「あぁ」
答えはすぐに返した。
蒼汰は目を細めると言葉を選びながら、一つ一つの道程を辿っていく。
「あちこち回って、自分の手で、足で、耳で、舌で、そして目で色々感じて来た。そうしてるうちに、どんどんシンプルになっていく自分が見えてきてん。で、実は構想はだいたいあるねんけど……青」
隣にいる、誰よりも信頼する、その男の顔を見つめた。
自分のこの思い描く世界を現実にするのは、彼しかいない。
彼じゃなければ、この作品の意味はないのだ。
「今回は、お前と作りたい。カメラはもちろん、少しレンズの前にも立ってもらいたいねん」
「え……でも」
戸惑う顔に蒼汰は片頬で笑う。
「わかってる。お前の大根ぶりは。まぁ、聞けや」
蒼汰は青を見つめたまま、自分の中に湧いている構想をできる限り細かくわかりやすく、正確に伝えられるように説明した。
主人公は、妹の方に決めていた。
ただただ無邪気に生きてきた人間が、自分を密かに守っていた愛を知り、そして生きていく意味を探していく。それがテーマだ。
それは、自分からの紅気持ちであり、また伝わることはないかもしれない、それでも大切な人を想わずにいられない、本能に近いような想いの行方を捜し彷徨う誰かのための物語だった。
「その死んだ兄役を、お前にしてもらいたいねん。実際動いて演技するのは少しだけやし」
「でも」
戸惑う青。それもわかっていた。
蒼汰は頷く。
「うん、これから皆との話し合いやから、脚本、キャスト、皆で詰めて行かんとアカンから、これはあくまで俺の要望なんやけどな」
話し終えた蒼汰は手酌した酒を、また飲み干すと、熱っぽい息をついた。
「映画は一人じゃ作られへん。知識や技術、才能はもちろんやけど、なによりその作る人間の本質が怖いくらい出てくる」
そう、いい作品を作って、神崎川を越える。それは、今、自分が口にした全てを越えなければならないという事だ。
簡単じゃない。
ましてや、それで紅の心まで引き寄せるなんて、可能性を計算し始めれば限りなく0に等しくなってしまうだろう。
でも、自分にできることは、自分が選べる道はこれしかなかった。
「力を貸してくれよな」
青を見つめる。
その皮肉屋は、はにかんだ。
そして、癖のように眼鏡に手をやると
「当たり前だろ」
と、どんな誰のものより勇気をくれる言葉を口にして、この夜何度目かになる乾杯に月がたゆたうグラスを差し出したのだった。