魔神、両替をする
時間は有限だ。
俺にとっては特に。
招かれた邸宅でいきなり眠り、客室から出ずに二泊。
領爵夫妻もどう思っているだろう。
今日こそは買い物を済ませたい……。
「苦……しい……」
「あ、起きた」
後頭部がやわらかい。
逆さにベルーシカの顔面がある。
その腕で俺を羽交い締めしている。
「なあ、もっと優しく起こしてくれないか? 仮にも聖女だろ?」
「総掛かりで起こそうとしたわよ。首を絞めても布をかぶせても起きないから、今度こそ死んでるかと思ったくらいよ?」
「起こそうとしてるのか、それは」
「あと、くすぐったり、飛び乗ったり……」
ミシァが腹に座っている。
しっぽが鼻をくすぐってくる。
「それでも、ぐうすか寝てるしさ」
傍らにはメナ。反対側にパーシアンナがベッドに腰掛けている。
「ボクは、添い寝を……」
「私も、色々と……ふふ」
「なにをした!」
自分の体を確かめる。
なんで俺は半裸なんだ。
落書きもされている……。
昼前、だった。
もう一日の感覚がわからなくなってくる。
この世界に時計がないのも、そうさせているのかもしれない。
あるにはあるようだ。
街には鐘の音が響いている。
これが、正午の合図らしい。
「週末になったら混むよ。給料をホタテからアサリに替えるからね」
ミシァが通りの一画をしっぽでさした。
この建物が銀行らしい。
大銀貨から、中銅貨か銅貨へ。
街での買い物には、このままでは使えないらしい。
大銀貨を入れた布袋を、かちゃりと鳴らした。
ハチミツ色の石壁が、どこか固い雰囲気に変わる。
行員は四角いトレイを磨いていた。
なんとなく暇そうにしている。
窓口の向こうは薄暗い。
どこか怪しい換金所のようでもある。
「ええと、両替をしたいのですが……」
カウンターの奥行きが長いのは、防犯のためかもしれない。
切り出した木材の台に、化粧板を乗せている。
世間話をするとしたら遠い距離だ。
行員はトレイを滑らせてきた。
よく磨かれている。
白銅だろうか、ぐにゃりと縁は浅く曲がり、ツヤが陽光の線を引く。
なんとなくW.W.の光沢を思い出した。
ことりと大銀貨を置く。
コートベル領爵の切手を添える。
邸宅でいくらか目にした紋章の下に、署名などが書かれているものだ。
大銀貨を見てか切手を見てか、行員は一枚の紙を差し出した。
署名をするのか?
……クリストファー・フォルネウス。
我ながら恥ずかしくなる。
下線をややはみ出して書くくらいの抵抗しかできない。
その右に枠線がある。
印鑑でも押すのだろうか?
空欄に戸惑っていると、パーシアンナが腕に抱きついてきた。
「……そちらは、環記ですので……」
感じたことのないやわらかい小声でささやかれる。
「つまり?」
「そのままお渡しください」
教えてくれたのか。
教え方はともかく、助かった。
トレイを行員のほうへ押して戻す。
耳元でふう、とささやかれる。
「中銅貨でよろしいかと……」
「……すまんが、ふつうに教えてくれ」
トレイを受け取った行員は、切手をしばし眺めてから奥へと立った。
ついたてから姿を現すと、別の大きなトレイを抱えている。
どすりと置いて押し出してきた。
中銅貨の山積みと、銅貨が七枚。
数が半端な理由は、手数料だろう。
「……そろそろ放してくれないか」
「先生、もっともっと愛を語らい合いましょう」
うっとりと甘ったるい声で言う。
パーシアンナの言う愛とはなんなんだ。
「まあ、助かった。署名ひとつにしても、まだ知らないことだらけだから……。あの枠はなんだっただ? なにか書く欄なのか?」
「大抵は、丸です。ですから環記」
パーシアンナは指で丸を作る。
「丸?」
「お名前を書けるなら必要ないでしょう?」
「ああ……そういうことか」
文字が書けない場合、記号が署名の代わりになるか。
「円環は、天使教会のシンボルですから」
パーシアンナが指をさす。
ひとつ頭の抜けた建物だ。
屋根の先の、金属の環がよく見える。
ベルーシカの言っていた、この街の教会支部だろう。
いたずらのように艶っぽい唇が微笑む。
「宣誓の言葉とともに丸を描くことで、信用に足る、とみなされるわけです。ほかの信仰の記号などでもよろしいのですが……。銀行は教会が管理していますから。面倒でしょう?」
「もとの……俺のいた世界では、丸は肯定や了解のサインなんだがな」
「まあ! 覚えておきます!」
パーシアンナは両手で丸をしてみせた。
たまにかわいらしい所作もする。
「いちおう、ほかの信仰もあるんだな。パーシアンナは堕天教か……。その堕天教信仰者が、丸を掲げていいのか?」
今度はふふ、と笑う。
描くだけならどうとでも、捨てるように言った。




