決着編―リリアの願いを叶えよう15
目を開く。見慣れた天井が見えた。体をゆっくりと起こす。カーテンは開けられていて、昼の日差しが窓から差し込んでいた。
リリアは視線を落とす。床に寝転がる十六夜が見えた。
「鬼神がなんとまあぞんざいな扱いを」
こぼれた声は乾いていた。しかし、確かに十六夜用の部屋は用意されていなかったと思い出す。自然とリリアの部屋に運ばれたのだろう。
ベッドから下りて、眠る十六夜に近づいてみる。腕は治療されていて両腕ともある。暁に噛みつかれていた首にも傷はない。時間が経てば起きだすだろう。それを確認すると、リリアは十六夜から離れる。
「父さま―」
地面に転がった父の首を思い出す。赤い光がまだあの瞳にともっていた。
「父さまはどこだ?」
鬼神だった男の亡骸は放置していてよいものではない。悪用されればたまったものではない。それはきっとルーシアたちもわかっているだろう。そうなれば。
「寝室か」
母と共に眠らせたいと言ったのは自分だ。リリアはどこかふらつく足で部屋を出て暁の寝室へ向かった。
城の中は静まり返っていて、生気がなかった。暁と共に死んでしまったようだった。コツコツとリリアの足音だけがこだまする。廊下を、階段を歩く。暁が十六夜を襲ったときに開いてしまった壁の穴はまだ埋まっていない。
(これは十六夜の代で修理しなくてはならないのだろうな)
梓たちの仕事ではもともとなかったということだろう。そんなことを思いながら、リリアはそっと暁の寝室の扉を開いた。
リリアの部屋と同様、柔らかい冬の日差しが寝台を照らしていた。止まってしまった足を叱咤して動かす。体が小刻みに震えるのが分かった。そこにいるのかいないのか。角度のせいでわからない。だから、歩く。
「―さま」
寝台に並ぶのは、愛してやまない自分の両親だった。もう骨だけになってしまった母と、胴と首が切り離されてしまった父の亡骸が並んで横たわっていた。
「―と、さま―。かあさま」
リリアはずるずると寝台に縋りつくように座り込んだ。シーツをぎゅっと握りむせび泣く。
「ごめんなさい。遅くなって、こんなことしかできなくて」
それは、暁が命を落とした瞬間にこぼしたのと同じ言葉だった。
空気は冷たい。日差しは温かい。死と生が自分たちを厳然と分けているのだと分かる。もう、会うことは、視線を交わらせることは、言葉を介することは、ない。
「おいて、いかないで」
涙は止まらない。
「ひとりに、しないで」
声はない。望んだぬくもりはない。
「私もつれて行って―」
嗚咽が止まらない。声が震えてたまらない。こんなに自分は小さく弱かったのかと痛感する。
(十六夜は、王になった―)
王は頂点に君臨する。何物にも縛られない絶対の王者。
(十六夜に、私は要らない)
もう、要らない。寝台に頭を預け、瞼を閉じる。涙がこぼれてやまない。頬を濡らして止まない。
辛いのか、悲しいのか、怒ればいいのか、叫べばいいのか分からない。ただ、体から力が抜けていくのを感じた。手が、指先が冷えていく感覚。それは死に近づいていくような感覚だった。己の体から、生命力が零れ落ちていくような感覚だった。
「もう、無理だ」
(生きるには、もう、力が足りない)
その気力が自分にはない。このまま朽ちるまでここにいたいとリリアは思った。けれど、それを許さないだろう人びとの顔が浮かぶ。そして同時に、チャンスは今しかないこともわかっていた。
紅い短剣を召喚する。それを両手でもって、刃の切っ先を首に当てる。喉元に突き刺そうと力を込めた時。
「だめ!」
女性の声が聞こえたと同時に手首に痛みが走る。リリアは短剣を取り落とした。リリアの手を離れた剣はそのまま消失する。
リリアはうつろな目で自分の手首をつかんでいる浅葱の顔を見上げた。彼は何かを言おうとしたのか口を開いたが声は出てこなかった。それを見つめていると、温かくて柔らかいものに包まれる。それがルーシアだと気づくのに時間はかからなかった。
「もう!梓がリリアがいないって書庫に呼びに来るから来てみれば!危ないことはしないで頂戴!」
ルーシアの声が震えている。首を巡らせれば泣きそうな顔でたたずんでいるシルビアも見つけた。リリアはルーシアの背に腕を伸ばす。
「ルーシア―」
「リリアは生きなきゃだめよ!幸せにならないといけないの!」
「ルーシア」
「十六夜はどうするのよ!あの子の面倒見るなんて私には無理よ!」
「ルーシア」
「だから、死ぬなんてダメ!」
「ルーシア、でも、私は―」
「でもでも何でももないから!」
「もう、どうしたらいいか」
止まっていたと思っていた涙が再び流れ出す。
「どうしたらいいか、わからないんだ」
体に力が入らない。ルーシアも自分の背に回されている腕の弱々しさには気づいていた。それでも、ここで死んでしまうようなリリアではないと信じている。
「どうすればいいかは、みんなでゆっくり考えましょう?」
その優しさに、身をゆだねたくなる。ルーシアの言った通りにしたくなる。でも、それではだめなのだとリリアは思った。
「父さまは死んだ」
「そうね」
「この城は、もう十六夜のものだ」
「ええ」
「十六夜に私は必要ない。だから」
「だめよ!」
ルーシアがぎゅっとリリアを抱く腕に力をこめる。痛いとリリアは思った。それが、リリアがまだ生きていることを痛感させる。
「―生きる屍になるくらいなら」
「リリア?」
ここ数カ月で聞きなじんだ声が耳に届いた。
(ああ、来てしまった)
視線を泳がせる。いつもよりよほど穏やかな色をした黒と目が合う。十六夜は柔らかく笑った。
「ここにいた」
本当にうれしそうに笑う。部屋の中に入ると、十六夜は迷わずリリアの元へ足を進める。視線が近づくように、床に膝をついた。
「よかった、リリアがいなくなったらどうしようかと思った」
その声は、表情はどこか弱々しい。リリアは不思議そうに見上げれば、十六夜は悲しそうに笑った。
「俺のこと、嫌いになった?」
「いいや」
リリアは首を横に振った。十六夜には感謝こそすれ恨むことなどありえない。ここまで自分が連れてきた黒い鬼は、どことなく雰囲気を変えていた。
「だったら、俺と一緒にいて?」
「それは―」
「だめ?」
十六夜は困ったように首を傾げた。実際、困ったなーと言って頭をかいていた。
「いったい何が困るんだ」
「つまらないなーと思って」
「へ?」
「だって、もう俺より強い奴いないし」
「まあ、それはそうだな」
いつの間にやら涙は止まっていた。今は十六夜が不思議でならない。
「つまり、闘うことじゃない面白いことがないと、もうつまらないってことでしょう?」
「―そうかもしれないな」
黒い鬼にとっては強者と闘うことがすべてだ。その喜びがなくなった今、十六夜は何を楽しみに生きていくのだろう。
「俺は、リリアがそばにいてくれれば楽しいから」
だから―
「俺とずっと一緒にいて?」
「それは、別に、私じゃなくても」
「俺はリリアがいいの」
「でも、私は―」
「生きるのはつらい?」
リリアは十六夜の言葉に小さくうなずいた。十六夜はどうしようかなと考える。
「本当なら、俺も死んでしまえたら楽なんだけど。そういうわけにもいかないし」
「!」
うつむいていたリリアは顔を上げた。丸く見開かれた目が自分を見つめていることに気づいて、十六夜は苦笑する。
「だって、もう生きててもつまらないもの」
でも
「鬼神がいないと困るでしょう?」
その生きざまは
(生きる屍だ)
鬼神こそまさにその言葉の体現であるのだと、リリアは思い知る。戦う相手のいなくなった黒い鬼は、次の黒い鬼が来るまでただただ待つしかない。その時を、ただただ焦がれるしかない。
十六夜は慌てたように手を振る。
「でも、リリアがいれば楽しいのは本当だよ!」
十六夜は、ちらと寝台に横たわる暁の屍を見た。そして、何やら思い詰めているリリアに視線を落とす。
「俺、暁は幸せだったんだろうなと思って」
「どこが!」
リリアは顔を上げた。瞳にはまた涙がにじんでくる。
「ずっとずっとつまらなくて、でも鬼神をやめるわけにはいかなくて、その時リリアの母さまに会ったんでしょう?」
十六夜は穏やかに笑んだ。
「きっと、嬉しかったんだろうなって」
十六夜は、涙で汚れてしまったリリアの頬に手を伸ばす。大きな温かい手がリリアの顔を包んだ。
「リリアが生まれて、嬉しかっただろうなって。―それこそ、世界が違って見えるくらいに」
「―そう、だろうか」
十六夜はうなずいた。どこまでも優しく笑んで、言葉を紡ぐ。
「俺も、リリアの周りだけキラキラして見えるもん。きっと暁もそうだったと思うよ」
「そうなのか?」
「うん」
リリアは十六夜の手に自分の小さな手を添える。ルーシアが、そっとリリアの体を離す。リリアは体を十六夜に向けた。
「リリアはいっぱい大変だったけど、たくさん悲しかったと思うけど、でも、生きてくれたら俺はうれしい」
「うん」
「ねえ、リリア。俺の生きる意味になって?」
「私で、いいのか?」
「俺は、リリアがいいんだよ」
「私は、生きていていいのか?」
「うん。俺のそばにいて。俺、絶対大切にするから」
「父さまや、母さまより?」
「うん、負けないくらい大切にする」
だから―
「生きて」
十六夜が鬼神になってしまえば、自分など用済みだとリリアは思っていた。しかし、そうではないと彼は言う。
「お前が私を必要としてくれるなら。私はうれしい」
リリアは小さく笑った。世界の秩序を担う王。その責は計り知れない。その座についてもなお、リリアを望んでくれることに胸が熱くなる。
「そうだ、リリアに言わなきゃいけないことがあったんだ」
「なんだ?」
「リリアの願いは叶ったね」
「―そうだな」
それは悲しい願いだったけれど。それでも叶った。十六夜は笑った。
「リリア、おめでとう」
その言葉に再び涙があふれだす。それでもリリアは笑っていた。




