寄り道編―竜神に挨拶しよう2
「この季節山に登るのは危険ですよ」
宿の主人はそう忠告した。食べ物を咀嚼しながら、リリアと十六夜は顔を見合わせた。ごくりと飲み込んでから主人のほうを見る。
「そうなのか」
「ええ、天候も変わりやすいですし」
「確か、年に一度だけ天気が安定し、竜神に感謝を捧げる祭りを開くんだったか」
リリアが記憶をたどる。主人は驚いた顔をした。
「よくご存じですね。そうなんです。今はその時期じゃないんですよ」
「しかしどうしても行きたい。雨は結界で防ぐから問題ないよ」
「しかし―」
「何かあれば俺が守るし!」
「確かにあなたは鬼ですが―」
(会ったばかりのころは私を殺したいと言っていたが、守るか)
十六夜も成長しているらしい。リリアは殺す対象ではなく、守る対象に変わりつつあるようだ。
(この調子じゃ、私が要らなくなるのもすぐだな)
そう考えれば柄にもなく寂しい気がしてきた。
「リリア、お店の人困ってるみたい」
「ん?」
寂しさに浸っていたらしい。十六夜に声を掛けられリリアは現実に帰ってくる。
「困る?」
「いえ、あなたたちに何かあれば」
「そうか…。3日経っても戻ってこなかったら死んだものと持ってくれ」
「そんな!」
店主は驚きに声を上げる。
「私たちは先を急いでいてね。どうしても今、山に行っておきたいんだ」
「―そこまで言うなら」
店主は奥に引っ込むと、何かを手にして戻ってきた。リリアに小石を手渡す。
「竜神様がいる川の石です。もしかしたら守ってくださるかもしれません」
「ありがたく拝借していく」
リリアはぎゅっと小石を握って、笑顔で礼を言った。
※
リリアと十六夜は一泊してから山に入った。幾人かに止められたが、リリアの意思は変わらなかった。ここの村人は人がいいのか、皆それぞれお守りだと言って何やら手渡してくれた。
「確かに地面はぬるぬるしてるけど、そんなに大変じゃないね」
「それは私たちが鬼だからだよ」
土と岩でできた細い道を進んでいく。天気は小雨。辺りには煙るような雨が降っている。視界が悪く見通せない。
「人間は鬼のように視覚も嗅覚も優れているわけではない。こんな天気じゃ前が見えなくてすぐ足を滑らせてしまうのさ」
「ふーん」
十六夜は興味なさそうにそう答えただけだった。
「リリアは平気?」
「ああ、大丈夫だよ」
「ならいいや」
十六夜は黙り辺りを見渡し始めた。こんなに湿気がある土地は初めてだ。地面はぬかるんで足をとられそうになるし、岩は大きくて超えるのに小さなリリアは難儀していそうだと思った。
リリアは岩を登ろうと足をかけた。地面は湿っており、跳躍するには足場が悪いからだ。よいしょとかけた足に力を入れようとした時、体が浮いた。
「うわっ!」
何事かと目を白黒させていると、至近距離に十六夜の顔があってまた声を上げる。十六夜は音に耐えるように両目をぎゅっと閉じた。リリアは慌てて両手で口を塞ぐ。
「びっくりしたー」
「それはこっちのセリフだ」
「でも、服が汚れちゃうと思って」
「この色なら別に汚れても目立たないぞ」
「そうかなー」
十六夜は疑っている目でリリアを見た。
(別に汚れても気にしないのだが…十六夜は気にするのか?)
案外きれい好きなのかもしれないなと思っていると、肩に担ぎあげられる。
「だから突然動くな!」
肩に座らせられたリリアは下にある十六夜の顔のほうを向いて文句を言った。しかし、十六夜は涼しい顔だ。
「そうだリリア」
十六夜はリリアが登ろうとした岩をひょいと超えながら言った。
「結界張ってよ。足場にして跳んでいけば早いかも」
「―そうだな」
ここまで馬鹿正直に登ってきてしまったことに頭を痛めながら、リリアは十六夜の提案を飲んだ。
地面より少し上にいつもの赤い光をいくつも展開させる。それは物理的に存在していて、十六夜はその上に乗ることができた。これなら固く足場も悪くない。
「もっと遠くても平気」
「そうか?」
リリアは結界と結界の距離を離す。十六夜はぐっと膝を折り曲げると、高く跳躍し次の結界へと下り立った。それを繰り返して山を登っていく。
「ここからは地面を歩こう。もうすぐで着くはずだ」
結界から結界への移動を始めて数分経ったところで、リリアはそう言った。十六夜はぬかるんだ道を歩き始める。
「十六夜、おろせ」
「俺が運んだほうが早いよ」
「そんなことはない」
「そうかなー」
「そうだ!」
「どっち?」
「………右だ」
こいつはこんなに強情だったか?とリリアは頭の記憶をひっくり返し始める。もしかしたらそのそぶりはどこかにあったのかもしれない。しかし、そんなリリアの胸中など知らず、十六夜はのんきに口を開く。
「道から外れるんだね」
「ああ、道なりに行けば祭壇がある。しかし竜神がいるのはそこじゃない」
リリアはあきらめて、十六夜の頭に手を置いた。こちらのほうがバランスがとりやすい。なんとなく、十六夜が笑った気がした。
(誰かの肩に乗るなんて、父上以来だ)
もしかしたらちょっとうれしいかもしれない。そんなことを思って、リリアは首を横に振った。
(腑抜けるな!)
左手でペンと頬を叩く。
「リリア、まっすぐでいい?」
「ああ、川に行きつくまでまっすぐでいいよ」
「分かった」
十六夜は木々の枝もリリアにぶつからないよう避けながら進んでくれる。リリアは、十六夜の上でバランスをとっているだけでよかった。
しばらくすると、川のせせらぎが聞こえてきた。
「もう少しっ!」
もう少し?十六夜はリリアにそう尋ねたかったのだが、突如周りの霞が晴れて息を飲む。
「着いたよ」
リリアはひょいと十六夜の肩から下りた。
「さすがに神の前で肩に担がれているのは失礼だからな」
「分かった」
今度は十六夜は素直にうなずいた。リリアはサクサクと芝生を踏みながら姿を現した川へ歩み寄る。
「よく参った」
低い声が響き渡る。高齢の男性の声だ。十六夜が辺りを見回していると、ざばんと川から音がした。
川の中から現れたのは、人間が竜神と呼び崇める妖魔だった。




