上級編―集団行動をしてみよう8
怒号が飛び交う。刃と刃とがぶつかり合う。骨がへし折れる音がして、血があたりに散っていく。鬼の主たちが治癒魔法を唱えていく。その中で、黒い二人は異質だった。
(治癒、かけないな)
それはラドリアもジェドも思っていることだった。シルアも時々ちらとリリアを見る。最年少に見える少女は、ただ悠然と立っているだけだった。
鬼使いが傷を負わぬよう、鬼たちは主を守りながら戦う。しかし、十六夜は時折己の後ろに敵を通す。リリアは結界を張って己に突進してきた鬼を十六夜に跳ね返す。それを十六夜は仕留めるのだ。
そこまでがきれいに一連の流れとなっている。
「嬢ちゃん、やるね」
ラドリアが感心したようにリリアの横に立つ。リリアは笑う。
「―まあ、もう少ししたらあっちから種明かしはしてくれるよ」
「?」
ジェドもシルアも何のことかわからないという顔をしていたが、リリアは涼しい顔だ。
「縛りでもあるのかい?戦いが終わるまで治療はしないとか」
「無粋だろう?十六夜の戦いに横槍を入れるのは」
「そういうものかね」
ラドリアへの答えに、ジェドがつまらなさそうに言った。
「行こう」
この部屋の敵もあらかた片付いて、リリアは仲間にそう声をかけるのだった。
※
ドンと最上階の最奥と思われる部屋の扉を穂村が蹴り飛ばす。
「ご丁寧に、逐一殺してくれたものだな」
そう窓枠によりかかりながら声をかけてきた男の髪は、月明かりに澄んだ緑を見せていた。
「翡翠―」
リリアがこぼしたつぶやきは、きっと鬼にしか拾われなかった。それほど小さな声だった。
(さて、正面から力技で入り込み、殲滅して部屋を進み、翡翠は待っていたようにいたと)
これは罠か、相手の想像を超えてこれたか。一番後ろでリリアはただじっと暗い部屋の中を見つめていた。
「あなたが翡翠?」
「そうだよ」
十六夜の問いに、目の前の男は是と答えた。桃色程度に落ち着いていた瞳が戦闘色に再び染まる。
リリアは十六夜に持たせていた剣を霧散させる。赤い光が散って消えた。
十六夜が床を蹴る。今度こそ、桜花を抜いていた。それに穂村が満足そうに続く。朱熹と白磁も二人に倣った
「―卑怯だぞ?」
そう笑った翡翠は片手を前に突き出した。風の刃が四人を襲った。十六夜以外の3人は足を止め防御の体勢に入る。主たちも結界を張って援護する。
「あれがうわさに聞く鎌鼬か」
ジェドがつぶやく。ちなみに鬼使いたちは風の刃から己の鬼と自分自身を風の刃から守らねばならなかった。
―本来鬼の持つ妖力は肉体の強化に使われる。それが意識無意識にかかわらずだ。膨大な妖力は、鬼の肉体を人間のそれとは大きく違うものへと変える。岩を砕くこぶしを、地割れを起こす脚力を、首を落とさなければ死なない不死を、彼らに与える。
だから、魔術師のように魔力を物理的な攻撃に変えて放つ鬼は少ない。その手立てを持たない者が多いと言ったほうがいい。しかし、稀にいるのだ。翡翠のように、妖力を己の身から放ち攻撃できる鬼が。それが、彼を生死不問の賞金首へと決定づける。
そんなことを知らない十六夜は、桜花で急所を狙う刃だけ切り落としながら翡翠のもとに突っ込んだ。
「早死にするぞ?若造」
「大丈夫、ここで死ぬのはあなただから」
「大口たたくじゃないか!」
翡翠は風を厚く張り、桜花の刃を受け止める。うっすらと桜花の刃が発光する。それに危険を感じ取ったのか、翡翠は跳躍すると軽々と結界を捨て十六夜を飛び越えその後ろに降り立った。
「確か、はじめは3人で俺を仕留めようとしてたんだったよな」
翡翠は狙いを変えたように、赤い瞳で3人を見た。3対の赤い光が翡翠を狙う。4人が対峙している中で、十六夜は桜花で風の結界を破壊した。そして感心したように笑う。
「桜花すごいね」
その言葉に反応するように、一度弱く桜花は光った。どこかのんきな十六夜に対して、さすが長年一緒に仕事をしてきただけある3人は、間合いを取りながら翡翠を取り囲んでいた。
翡翠はお手並み拝見だとでも言うように、ただ悠然と一人直立している。
三人が同時に出た。穂村は上から剣を振り下ろし、朱熹は心臓を狙ってレイピアを突き出す。白磁は足を狙ってこぶしを振り上げていた。
それに笑って、翡翠は片手を持ち上げ手のひらを上に向ける。膝を曲げたかと思うと、厚い風の守りで穂村の剣を受け止めながら跳躍した。体格に差は見られない二人だが、穂村が力負けする。のけぞらされただけでなく、剣を折られる。
「ラドリア!」
体勢を立て直しながら穂村は叫んだ。ラドリアはすでにぶつぶつと詠唱に入っていた。すぐさま白い光が剣を包み、それは元に戻る。
(珍しいな)
無生物を魔力で修復できる者はそう多くはない。治癒にはその生物の持つ生命力に働きかけてやればいいのだが、無生物の修復はそうはいかない。その構造を隅から隅までわかっていなくてはならない。
(だからあいつは獲物にこだわったのか)
ラドリアなら修復ができるから。治癒をかけるより、鬼にとっては効率がいい。痛みに足を止めなくて済む。
(だが―)
「十六夜には不要だな」
リリアのつぶやきは部屋中に渦巻く風に飲まれて仲間には届かなかった。現に十六夜の傷は4人の中でも一番多い。しかしどれも急所を外し、かすり傷と呼べるものばかりだった。
(あいつは恐れない)
傷つくことなど十六夜にとっては織り込み済みだ。そして、戦いにたぎる血の熱が、彼に痛みなど感じさせないのであろう。
(傷つくことなど当然で、傷を負っても痛まない)
「鬼の鏡だ」
リリアはどこか恍惚と笑んだ。リリア自慢の美しい鬼は、宙を舞っている翡翠めがけて跳んでいた。
(宙にいる間は逃げられないという算段だろうが)
そう簡単に倒せないのが翡翠だろう。くるりと回ると、翡翠は上から十六夜に蹴りを叩き込んだ。床にはまるようにたたきつけられる。
「がはっ!」
久々にまともに衝撃を食らった十六夜は、肺から膨大な息を吐きだす。翡翠はまた、窓のもとへ戻った。
「十六夜!」
白磁が駆け寄る。十六夜は、派手に攻撃を食らったが痛みに苦しむというよりは理解できないというように瞬きを繰り返していた。
「十六夜?」
白磁が天井に向かって桜花を抱えたまま動かない十六夜に首をかしげる。その視線の先で、十六夜はぱあっと笑った。そしてガバリと身を起こすと、すぐに体勢を立て直してまた翡翠に切りかかる。
「きゃっ!」
その勢いに、十六夜の顔を覗き込んでいた白磁が尻もちをつく。
「なんなのよ!」
せっかく心配してあげたのにという声が聞こえないでもない。リリアはすまないと心の内で謝っておいた。
ガキンと桜花と風の壁がぶつかり合う音が響く。十六夜の目は爛々と輝き、唇をぺろりとなめながら翡翠を見つめていた。その視線に、翡翠はゾクリと背が泡立つのを感じた。それは久々の感情で、屈辱でもありながら心地よいものでもあった。
「お前、他の奴らと違うな」
「あなた、強いね」
二人の会話はかみ合わない。しかし、それで十分だというように、一度距離を取り合う。
「桜花があなたの首を落としたいと言っている。俺も同じ」
「敬意を払って、生まれてきたことを後悔しながら死なせてやるよ」
二人はまたぶつかるように床を蹴ったが、翡翠はひょいと十六夜をよけてしまうと、凶悪に笑って手を突き出した。
「雑魚はおとなしくしてな」
今までとは比にならない風が十六夜以外を襲う。気づけば7人は風により壁にはりつけにされていた。少しでも動けば、ぐるぐると回る風に体を切り落とされてしまう。体の自由を奪った翡翠は、己の作った光景に満足したように一つ頷いた。
十六夜も翡翠の意図を理解したようで、瞳をより輝かせる。
(一対一を望んだか)
翡翠も鬼だとリリアは内心笑う。これはこれで望んだ展開だ。十六夜が翡翠を独り占めにできる。ちらと視線を動かせば、3人の鬼、3人の人間はこの状況に顔をゆがめていた。
リリアは視線を緑と黒の鬼に戻すと、一度目を閉じた。
赤い文様が広がっていき、暗い部屋の床を、壁を己で埋めてしまう。それに、翡翠が眉根を寄せる。
「建物が崩れてしまっては、戦いに水を差してしまうだろう?」
「見ないうちに、気でも違ったか」
「私は元からこうだったよ」
「―まあいい」
翡翠は十六夜に向き直った。ぱきぱきと指の関節を鳴らす。
「さて、やろうか」
二人な今度こそぶつかった。風と刃がぶつかる。削れた風が部屋中を駆け巡り、リリアたちの髪を乱す。目をまともに開けてはいられなかった。
隣にはりつけにされているラドリアが、あきらめて目を閉じながら尋ねる。
「リリア、あいつと知り合いなのか?」
「昔、ちょっとな」
「昔って」
どう見たって、10を超えたか超えてないかくらいに見えるリリアだ。下手したら10に満たない少女に見えるリリアの昔とはいったい何年前の話だとラドリアは瞬きを繰り返す。
「自分語りは好きじゃないんだ」
「そうですか」
ラドリアはあきらめたようだった。それよりこの風がどうにかならないかと考えを巡らせ始めたようだった。リリアは口角を上げながら言った。
「そのうち十六夜が翡翠の魔力を削る。そうすれば自由になれるさ」
「いったいいつまで待てばいいのやら」
「そう長くはないさ」
「十六夜のほうが劣勢に見えるけど?」
ラドリアの言葉は真実だった。明らかに、首を狙う攻撃以外を防げなくなっている。二人は縦横無尽に跳びまわり、距離をとってから勢いをつけてぶつかる。迷いなく壁を蹴ることができるのも、敵を天井にたたきつけることができるのも、リリアが結界でこの部屋を補強しているからだ。
(結界張れるなら、この縛りもどうにかできるんじゃないかな)
ラドリアはそんなことを思ったが、言ってはいけない気がして黙っていた。
「ラドリア!どうにかしろ!」
「無理です。相手の実力を見誤った俺たちの負けです」
切れないよう気を付けながら、ラドリアは首を横に振った。叫んだ穂村はぐぬぬと唸った。ある程度図星だったのだろう。
翡翠が十六夜に放つ風は時間を追うごとに強く、鋭くなり、十六夜の傷も増えていく。さすがに擦り傷とは言えない切り傷が増えていく。それに対して、翡翠の傷は特段増えているようには見えなかった。
それでもリリアは笑う。
「すぐさ。すぐに十六夜の刃は届くようになる」
その黒い笑みに、ラドリアは背が寒くなった気がした。どうしてこんな恐ろしい娘を引き込んだのかと後悔すると同時に、きっと二人がいなかったから自分たちは死んでたんだろうなという思いもある。
「それにしても」
(この娘には何かあるな)
うすうすメンバーは気づき始めている。それはリリアがほのめかしたものでもあるし、彼女がこの幼さで鬼使いをしているという事実からもうかがえる。
(もっと疑えばよかったなー)
子ども一人で、己と鬼を養えるだけの金を稼ぐのだ。何か裏がある。
ズドン
「ひっ!」
考えに耽っていたラドリアの横に、何かが飛んできた。
「っの!」
その低い声は十六夜のものとは違い、ということは―
「翡翠!?」
「黙れ!」
吠える翡翠とラドリアの間に、刀が突き刺さる。それは淡く発光し、ただの刀ではないのだと訴えかけている。
「あなたは俺と遊ぶの」
「調子に乗るな!」
狙いを定めるように細めた目は、それでもはっきりと赤く光っている。壁から抜いた刀を横殴りに振ろうとする十六夜の腹に、翡翠の足が入る。刃が翡翠に届く前に、十六夜は向いの壁に飛ばされていった。
翡翠は迷わず十六夜を追う。走りながら両手に風を起こし投げる。十六夜は痛みに悶えることもなく、体勢を立て直し、首を狙うそれだけを桜花でしのぎながら歓喜するように光る瞳で翡翠を見ていた。
「楽しい」
ぺろりと十六夜は唇をなめた。圧倒的な敵を前に、心臓が騒ぐ。血が熱くなる。その血が体中を駆け巡る。ここまでの快感は、リリアと会い初めてあの妖魔と対峙した時以来だった。
これを求めていたのだ。
このために自分は生きている。それを痛いほど感じる。
「くらくらする」
「じゃあ死ねよ!」
「嫌だよ」
そう笑いながら振った桜花は、やっと翡翠に傷をつける。それはわずかばかりの切り傷。肩を掠った程度のもの。それでも、翡翠にはもう以前の傷の記憶は思い出せないほど古いもので、それだけ翡翠にとっては屈辱的だった。
「餓鬼が!」
(余裕がなくなってきたな)
リリアはほくそ笑む。翡翠が十六夜のペースに巻き込まれてきている。翡翠にとって生者とは、己に命乞いをするものでしかなかったのだろう。それを弄び、傷つけ、時には殺す。その所業は決して許されるものではなく、現に彼の生死は問われてはいない。そんな彼にとって、戦いの中でいつまでも恐怖を抱かない十六夜はどこまでも異端で理解できないものだった。
(死ぬのは嫌なくせに)
死は恐れえていないように見える。
(なんだこいつは)
翡翠は恐怖に無意識に十六夜から距離をとる。その視界の片隅で、壁にはりつけにされている黒をまとう小娘が、確かに笑っていた。
(何がおかしい)
有利なのは俺のはずだ、優勢なのは俺のはずだ。なのに、どうしてこの二人は笑っている。その時だった、慣れ親しんだ女の声が聞こえたのは。
「何慌ててるんだい。みっともないねぇ」
「ミラルダ!」
翡翠は、いつの間にか部屋に入っていた女に向かってそう叫んだ。年の功は30前後だろうか。毛皮のコートを羽織って、部屋の隅にあるソファに座ってタバコをくゆらせている。その細い手首に光るのは、金属質の、翡翠色をしたブレスレットだった。
(間に合わなかった)
それは、リリアと十六夜を除いた6人の思いだった。翡翠は翡翠単体で強い。それに加え彼をここまでの鬼たらしめるのは、この女主人だった。
(負けた)
6人がそう思ったとき、ぶわりと赤い闘気が膨れ上がった。それに心臓が早鐘を打つ。気づけば、こつんと軽い音がする。そちらにどうにか視線を向ければ、いつの間にかリリアが床に降り立っていた。
「この時を待っていたよ、ミラルダ」
「お久しぶりね、半人半鬼のお嬢さん」
彼女が隠していたのはこのことだったのか。そう思ったときには、戦いの局面は次のフェーズに移っていた。




