第一幕 祈りになりかけたもの
祈るとき、人はたいてい、すこし小さくなる。空を見上げる者もいる。胸の前で手を組む者もいる。目を閉じる者も、ひざをつく者もいる。やり方はそれぞれ違うが、たぶん、どれも自分より大きなものの前で、自分の大きさをまちがえないための作法だった。
だから、ある日、とつぜん神のようなものが現れたなら、僕たちはきっと、地面ばかり見ることになるのだろうと思っていた。
ブラザー・カヂルグミは神ではなかった。でも、やっていることだけを見れば、ほとんど神だった。病をなくし、老いを遠ざけ、死を終わりではないものに変え、飢えを消し、会いたい者に会わせる。地球人が祈りの中で頼んできたことを、彼は、だいたい仕事として処理できた。
それなのに、本人はたいへん控えめだった。僕たちが頭を下げると、彼も同じくらい頭を下げた。礼を言おうとすると、先回りして礼を言ってきた。僕たちが遠慮すると、彼も遠慮した。こちらが疑い、怖がり、つまらない面子を保とうとしていることも分かっていたはずなのに、彼は誰の顔も潰さない言葉を選んだ。
なんなら、普通だった。
普通に話を聞き、普通に礼を言い、普通に相手を尊重する、普通にいい奴だった。
だから僕たちは一瞬だけ、地面を見ることを忘れた。
そもそも彼は、いきなり空から降ってきたわけではない。攻撃の意思はないこと。資源を奪うつもりはないこと。領土を取るつもりも、代表者を連れ去るつもりも、改宗させるつもりもないこと。そういうことを、何度も、いくつもの言語で伝えてきた。そこまでされてようやく、地球側は彼のために、旗と机と名札と水差しと、通訳用の機械を用意したのだ。
何度かの確認のあと、地球側はカヂルグミ本人に話をさせることにした。
彼がもたらす救済は、地球側には史上最大の利権にも見えた。少なくとも、一度はそういう目で見た。けれど、そこには特別席も優先枠もなかった。配給券でも、許認可でも、先行予約でもなかった。整理券を配る係すらいなかった。そこまで分かると、もう地球側にやることはほとんど残っていなかった。
公式発表のために、地球側は会談とは別の場所を用意した。地球中の人間が彼の話を聞けるように、あらゆる中継と翻訳の準備が整えられた。カヂルグミは、地球側の段取りに従って、すこし高いところに立った。それから、マイクに触れた。
たぶんマイクは必要なかった。
それでも彼は、地球側の段取りを無視しなかった。
平和の使者は、まず、控えめに謝意を述べた。
初対面の異星人に場所をあけ、言葉を与え、代表者を立て、話を聞く姿勢を用意してくれたことに対して、ありがとうございます、と言った。
スピーチの前半は、地球人式の挨拶だった。あなたたちの長い営みに敬意を表します。あなたたちが、これまで歩んできた道のりを、私たちは軽んじません。本日、地球人類をわれわれの共同体へ迎え入れられることを、心からうれしく思います。
言葉だけ見れば、たいへん立派だった。
後世に語り継ぐ内容としては、まあまあだった。
儀礼的な挨拶を終えると、カヂルグミは救済の話に入った。
病気はなくなる。
老いはなくなる。
死は終わりではなくなる。
腹いっぱいに食べられる。
会いたい人に会える。
どれも、僕たちが聞きたかった言葉だった。けれど聞いているうちに、だんだんとつらくなった。疑うには、説明が丁寧すぎた。笑うには話が大きすぎた。罠という逃げ道も、悪意という言い訳もなかった。彼らは、あくどいことをする必要さえないほど、途方もなく豊かだった。
救済は、まぎれもなく本物だった。
善意も、本物だった。
幸福が胃もたれして、誰かが吐いた。
受け取るものが多すぎて、すっかり取り乱した者もいた。
どこかで、わざと大きな音を立てて椅子を引き、もう一度座る者もいた。
そこで僕たちは、ようやく自分たちの正確な大きさを知った。
ついさっきまで、食べ物の数や、金の置き場所や、誰が先に助かるべきかで揉めていた。救済を前にしても、ちょっとでも得をしようと目を血走らせていた。そんな僕たちの前に、力を持て余すほど強く、その力を悪用する必要もないほど善良な者が立っていた。平静でいられる者は少なかった。
カヂルグミは、僕たちを見下さなかった。
あわれまなかった。
ひざまずくようにも求めなかった。
そのせいで、自分たちの小ささが、よけいに恥ずかしかった。
もの分かりの悪い連中は、平伏しかけた。
気持ちは分かった。
けれど、それは非礼だった。相手に対してもそうだし、こちらに対してもそうだった。この広い宇宙の中で、僕たちは奴隷ではなく、彼らの隣人として立っていなければならなかった。
説明を終えたカヂルグミは、最後に、すこしだけ頭を下げた。
「ご静聴、ありがとうございました」
地球は静まり返っていた。
「あなたたちを愛しています」
それを結びの挨拶として、ブラザー・カヂルグミは壇上をあとにした。
僕たちはしばらく、誰も動かなかった。
何をすればよいのか、誰にも分からなかった。
やがて、誰かが拍手をした。
正しい動作なのかは、最後まで分からなかった。
それでも拍手は広がった。
祈りになりかけたものを、拍手で済ませたのだと思う。




