032話 残響のレクイエム(後)
零の者に連れられ、闇に紛れて辿り着いたのは、王都オーディンス・クラウンの喧騒から切り離された古い修道院だった。
扉を開けると、石造りの静謐な空間に、場違いなほど多様な顔ぶれが揃っていた。
中心に立つのは、清潔な法衣を纏い、穏やかな微笑みを湛えた老婦人、修道女ベアトリクス。その後ろには、煤で汚れた革の前垂れをしたドワーフの兄弟ブラムとグロム、そして派手な刺繍の服を窮屈そうに着た、細い目の商人マルコ。
「ベアトリクス。今夜は訪問日では無いのに済まない」
私は週に2日ほど、ここに通っている。エルゼ姫といわゆる『夜の茶会』をしていたのだった。
「いいえ。今夜は私が招待させていただきました。ここに集まったのは、シルヴィア様に良くしてもらった者たちです。皆、恩返しをしたいそうです」
そう言うベアトリクス自身も、孤児院の大修繕に多額の私財を投じてくれたサニーへの感謝を語った。
また、ドワーフの兄弟は、鉄砲開発や道路建設という「人生のやりがい」を与えてくれた彼女への心酔を隠さない。商人のマルコは、常に揉んでいる手を動かしながら「あのお嬢にどれだけ儲けさせてもらったか計り知れません。どこへでも逃亡先を用意しますよ」と、細い目をさらに細めた。
ベアトリクス以外は初対面のはずだった。けれど、皆の瞳の奥には、いつも私が見ているあの「溌溂とした少女」の影が宿っている。彼らが差し伸べてくれる手の温かさは、そのままサニーがこの世界で積み上げてきた「想い」の結晶だった。一気に安心感が広がり、孤独に張り詰めていた心が解けていくのを感じた。
だが。私はマルコの提案に首を振った。
「逃げる? それは私に最も相応しくない言葉だ」
かつての私なら、喜んでその手を掴んで再起を図ったろう。だが、今の私には一度「死んだ」記憶がある。逃げた先でまた同じ事を繰り返すのは到底ごめんだ。
「それはそうと――キミらはイリアス卿の離反の理由を知っているか?」
彼らはカオを見合わせる。卿がなぜそのような恐れ多い事をするのかと驚いた。
だが唯一、私の問いにレゼロが答えをくれた。
「……流石に、耳が早い。既に察知されていましたか」
私は「なんせ一度体験したからな」という言葉を喉の奥に呑み込んだ。
「だから私を逃がそうとしたのだろう……」
言いかけてはたと止まった。――いや、そう言えばレゼロは「ヴォルカンの反乱」と言っていたな。
報告によれば、ヴォルカンの屋敷で不可解な爆発音が響いた。様子を窺うと、秘密裏に手勢を集めていたという。
「ヴォルカンか。うむ、爆発音……とな。まじないか、怪しげな魔術でも始めたのか?」
「さあ……。ただ、アベイ・ド・フォンヴローに多数の偵察が放たれており、何人かは斬り捨てましたが、残りは取り逃がしました。閣下の動向を探ろうとしていたのは間違いありません。そして――」
レゼロは言葉を濁した。
「イリアス卿の軍勢です。戦術行軍で王都付近に到達しているという報告が入っています」
腑に落ちる勘があった。ヴォルカンは何らかの企てを抱き、その手駒としてイリアスをこの王都へ引き寄せたのだ。ターゲットは、間違いなく私だ。
「やっぱり、いったんディワール辺境領に戻り、態勢を整えるべきじゃあないですか」
というマルコの忠告を、私は力強く遮った。
「いいや。私に考えがある。――すまないマルコとやら。ドワーフ兄弟の新造銃をあるだけ、持って帰りたい」
◆◆
真夜中の王宮宮殿。
本来なら首謀者だろうはずのアレクシス王の元へ、私は真正面から乗り込んだ。突然の来訪を受けたアレクシスは、寝巻に上着を羽織っただけの無様な姿で謁見の間に現れた。
「ど、どういう事だ、ノヴァン卿! 何か起こったのか?!」
私の背後には、アベイの全兵力に加え、ブラムたちがフォレスト軍に納品するはずだった「最新鋭の鉄砲」を装備した近衛隊が控えている。
「ヴォルカンが謀反です。討伐の許可を」
「ヴォルカンはそなたの部下ではないか、内輪もめに巻き込むな!」
「では、同胞のイリアスにヴォルカンを討たせましょう。――しかし、アヤツが私の命令を聞くかどうか。もし『妙な事』が起きでもしたら、この聖なる王宮は戦場となりましょう」
アレクシスは引き攣った顔で後ずさりした。
「よ、余が命じたのではない! あの小童が勝手に暴走しておるのだ!」
「なぜ陛下は、イリアスの謀反をご存じなのです?」
「え――? あ? ――いや、その」
「『妙な事』……その意味を、なぜご存じなのです?」
私の追及に王は唇を震わせ、ついに逆上した。
「うう、もう黙れ、とっとと下がれ!」
「いいえ。陛下にはぜひお力添えを。それが為されるまでは、動きたくても動けません」
私は、イリアス卿に対する撤収命令の布告を要求した。敵の戦力は自軍の三倍。抗っても勝算はない。この王の宣旨で時間を稼ぎ、各地に散ったオルドーの方面軍を呼び戻す――。天運を待つしかない。アレクシスの憎々しげな睨みを私は溜息と共に受け流した。
その時だった。
「ノヴァン様ッ!」
叫んだレゼロが、私の前に飛び込んできた。
直後、凄まじい衝撃音が響き、彼が肉の塊となって吹き飛ぶ。即死だった。
「敵だ、撃てッ!!」
戦闘長の指揮のもと、背後の闇に向かって一斉掃射が始まった。最新鋭の鉄砲が火を噴き、白煙が立ち込める。だが、その反撃は何かに吸い込まれるように掻き消され、逆に目に見えない暴力が味方の兵たちをバタバタと薙ぎ倒していった。
「な……?!」
絶句する私の前に、一人の女がゆらりと現れた。
「ノヴァン様、こんばんは。夜分にお騒がせして御免なさいね」
――ヴォルカン・マッツ。その手には、不気味な光を放つ金属の塊が抱えられていた。
「き、貴様……! その手に持つものは何だ?」
「あぁこれ? これは魔装飾器よ? 【魔装飾器ヒラグモ】。なかなかの逸品よ?」
「そんな事を訊いているんじゃない! どういった人殺し道具だ、そう訊いている!」
「ま、失礼な。これはね、私が自分の世界に帰るための、大事な大事な宝物。あなたたち三人と同じ世界に帰るための、ね」
思考が停止した。ヴォルカンも、現世の人間……?
「私ね、この宝物を起動させるのにずいぶん時間がかかっちゃったの。気がつけばすっかりいいオバサン……うふ、いえオジサンかしら。まぁいいわ。とにかく私はね、どうあっても元の世界に帰りたいの」
ヴォルカンの目が、歓喜に細まる。
「あなたたちがどうなろうと、この異世界がどうなろうと、壊れてしまおうと、どうだっていい。私さえ帰れたら、それでいいのよ?」
背筋に、氷を流し込まれたような寒気が走った。
アレクシスのような権力欲ではない。もっと根源的で、利己的な狂気。
「ハッキリ言って、あなた、目立ちすぎ。可愛げも無いしウザイし、もう死んでほしい。……だから、サヨナラね」
ヴォルカンが『ヒラグモ』とやらに手をかけた。視界が、真っ白な光に塗り潰される。
意識が遠のく。
冷たい床に倒れる音が、妙に他人事っぽく、遠くの出来事に思えた。
騒いでいた味方の兵たちが、静かになっていく。
済まない……みんな……。
最後に浮かんできたのは、怒ったように眉を寄せ、それでも優しく笑う一人の少女の姿だった。
済まない……サニー……!
私は、深い暗闇の中へと沈んでいくのをぼんやりと感じた。




