9 最終話
季節が巡って暖かくなり感染症が鳴りを潜めると、私は再び怪我をした隊員さんを中心にお世話するようになった。日によって医師の外来の手伝いをしたり、病棟で看護にあたったり、随分と仕事には慣れた。
新しい新人看護助手も入ってきて、初めて先輩にもなった。もしかしたら、そろそろ手術のお手伝いにも入れるかもしれないと密かに期待している。そして、変わったことがもう一つ。
「あら、ロン。今日は早いのね。」
「ああ、今日は後の予定が詰まってる。君達はゆっくりするといい。」
ロン達は食堂でさっさと食事を終えるとにこっと笑って席を立った。そして、ちらっとこちらの方を見るともう一度愛しむような目で微笑んだ。その待ち望んだ笑顔に、私の胸はチクンと痛んだ。
リタさんはずっとロンの事を「グリーンさん」と呼んでいた。それがここ最近は「ロン」と呼ぶ。きっと2人の関係が変わってきていることは、私にもわかった。
仕事の休憩時間に、リタさんは給湯室でお湯を沸かして私の分までお茶を煎れてくれた。目の前にリタさんが座り、睫毛を伏せてマグカップのお茶を冷まそうしていた。
相変わらずぱっちりとした二重で睫毛は長くとても綺麗な人だと思う。外見だけで無く中身もとても優しいことを私はよく知っている。
「リタさんはロンバートさんと恋人同士なのですか?」
私の単刀直入な質問にリタさんは驚いたように目を瞠り、そしてふわっと花が咲いたように微笑んだ。返事を聞かなくてもそんな顔されたら嫌でもわかる。急激に胸の内にドロドロとした黒いものが渦巻くのを感じた私はつい意地悪な事を口にしてしまった。
「婚約者の方は?もう忘れたんですか?」
驚愕の表情を浮かべて目を見開いたリタさんを見て、私は自分が口にした言葉がどんなに残酷かということに気付いたが、もう後の祭だった。哀しげに揺れるリタさんの瞳を見ていられず、私は咄嗟に席を立って逃げ出した。
たまたま基地で会ったロンから呼び止められたのはそんなある日のことだった。私からロンを呼び止めることは多くても、ロンから私を呼び止めることはあまりない。ロンは私を呼び止めたのは良いものの、何から話すべきか考えあぐねいているようだった。
「オリヴィエに話しておきたいことがあってな。その、君の指導役をしているリタと再婚しようかと思ってる。」
予想していたこととは言え、ロン本人から聞くその言葉に私は頭をガツンと殴られたかのような衝撃を受けた。それでも、私は震えそうになる手をぐっと握り、何とか気を引き締めてロンを見上げた。
「リタさんを愛してるんですね。」
「ああ。」
ロンは目を細めて微笑んだ。愛情溢れるその笑顔は再会した日から私がずっと待ち焦がれたそれだ。
「今幸せですか?」
「とても幸せだ。」
20歳以上年上なのに、少し照れたようにはにかむロンの表情はかつてナーシャに告白をしてきたあの日を彷彿とさせた。ツーンとしてくる目頭の痛みに耐え、私はもう一つだけ、自分のために彼に質問した。
「一つだけ教え下さい。ナーシャを、母の友人を愛してた?」
「心から愛してた。それは今も変わらない。」
ロンは迷いなくそう言いきった。それが聞けただけで、もう十分だ。私はそっと目を伏せて、泣きそうになる自分を叱咤してとびきりの笑顔を作った。
私にできる事はもうこれだけだ。もう、ロンをナーシャの呪縛から開放してあげよう。そして、私も・・・
「おめでとうございます。」
私から笑顔で祝福の言葉を聞いたロンはホッとしたように笑顔を見せた。待ち焦がれたそのロンの笑顔に私の心は軋んだけど、最後まで笑い続けた。私達は少し立ち話をするとそれぞれの仕事へと戻った。
そして職場でリタさんを見つけた私はリタさんにも祝福の言葉を贈った。リタさんは先日の一件で私が2人の交際に反対していると思っていたようで、逆に「ありがとう」と言って涙ぐんだ。
ロンは笑顔を見せるようになった。
心から幸せだと微笑んだ。
きっとリタさんとロンはお互いの過去をわかった上で、全部それらを引っくるめてお互いを受け入れようとしているのだ。
ねえ、ロン。私、貴男のこと愛してるわ。
だから、絶対に幸せになって欲しい。
貴男の笑った顔が好き。
ナーシャを今でも愛してるって言ってくれたね。それはリタさんへの愛とは違って、すでに死者への敬愛へと変わっているのだろうけど、それでも嬉しかった。
もう十分・・・
私は自分の中にいるナーシャに「もう大丈夫だよ。安心して。」と伝えた。リタさんなら安心してロンを任せられる。
そして、オリヴィエの恋心に永遠の蓋をした。しっかりと鍵をかけて、私は小さな初恋を終わらせる。頬を伝う一筋の涙は誰にも見せなかった。
***
「オリヴィエ。なんか落ち込んでるだろ。」
私の顔を見るなりビリーさんはそう言って頭をくしゃくしゃっと撫でた。看護師帽がずれると頬を膨らませた私にビリーさんは「今日も終業ベル30分後にここに集合。」と言って笑った。
「オリヴィエ。辛いときは泣いた方がすっきりするもんだぞ。なんなら俺が胸を貸してやる。」
何も言っていないのにそんなことを言い出したビリーさんの顔を私はまじまじと見つめた。ビリーさんは私が欲しいときに欲しい言葉をくれることが多い。
「なんでビリーさんはそんなに鋭いの?」
「さぁ?なんでだろうな。」
答えにならない答えを言うと、ビリーさんは青い目を細めて私を見下ろして優しく微笑んだ。
「なあ、オリヴィエ。俺、脚の調子が凄くいいから通院が半年に1回に減るんだ。その、通院じゃなくてもこれからも逢えるかな?病院の外で。」
「病院の外で?」
「ああ。2人で食事に行こう。」
私を見下ろすビリーさんの様子から察すると、どうやらそれは決定事項であり私の断りの返事は想定していないようだ。
でも、ビリーさんといると不思議と気分が楽になることが多いから、私にとってもそれはいいかもしれない。
「いいですよ。行きましょう。」
ビリーさんは私の返事を聞くと男らしい顔をくしゃりと崩して笑った。心地よい初夏の風が頬を撫でる。
ふと目に入った基地の入り口の花壇には、いつの間にかピンクと白の花が咲き乱れていた。
最後までお読み頂きありがとうございます。オリヴィエとロンがくっつくと思っていた方、ごめんなさい<(_ _)>