11・裏事情は密やかに
「さて、そろそろ出発しよう。明日の試験に差し支えがあったら大変だ」
「はい! 侯爵様、ジゼルさん、大変お世話になりまた」
「二人共、道中気をつけて行くんだよ」
「ああ。合否判定の連絡を忘れるなよ」
「うぐ……」
プレッシャーをどっさりと背中に乗せられた感じだ。少しだけ重くなった気がする体を動かして、シュウの後ろに座る。
「それではジーン様、また」
伸ばした人差し指と中指だけをぴたりとつけ軽く振ると、シュウは三輪を動かした。最初はゆっくりと、けれどすぐにスピードに乗った車体は、あっという間に見えなくなった。
「ウィル、私が本邸に戻るまで頼んだぞ」
二人が乗った三輪が見えなくなっても玄関前から動かなかったジーンは、どこに視線を向けることなくそう言った。
「りょーかいした、伯母上殿」
雪に陰が出来たと思えば、頭上からしたそんな声と共に、上空にいたウィルは二人の後を追って行った。
ウィルがようやく見えなくなって、ジーンは小さく息をはき屋敷へと踵を返す。
「エマ。ギフトとカイトを執務室へ連れて来い」
玄関の扉をくぐるなり、物影に一切の気配を出さずに待機していた専属メイドに、ジーンは視線だけを向け短く言う。
「かしこまりました」
姿を現すことも、また物音を立てることもなく、エマは与えられた指示を全うすべく場所を動く。
手入れのされた絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、ジーンはジゼルに問う。
「城で行なわれる夕刻の会議には間に合うか?」
「はい。ソーゴくんをダシに使って時間を稼いだんですから、間に合わなくては大問題です」
「くれぐれも本人の耳に入れるなよ」
「心得ています」
当然だというようにジゼルは頷いた。
「ソーゴくんがいたので言いませんでしたが、先程魔術師組合の錬金科から連絡が来ました。ジーン様が所在を確認してほしいと言っていた、カシュバール領にて登録している錬金術師、ルイス・スペルナードですが、現在所在不明だそうです。出国、出領記録はなし。不明になる前に、自由兵士組合に登録なしの数名の旅人が、その錬金術師を探していたとの目撃が。現在魔術師組合からという名目で、捜索を行なっています」
「ちっ――」
予想はしていたが嬉しくない報告に、不機嫌さを隠すことなくジーンは舌打ちをした。
まさに面倒ごとだ。登城以外に、他領間での合同捜査の手続き。指揮官は魔王だが、現場指揮は間違いなく自分に来る。
ただでさえあそこは、プライドだけはどこよりも高く、貴族位にしがみつくだけで自分から動かない連中ばかりだというのに……っ!!
「他領ということもありますけど、随分と所在確認に時間がかかった気がするんですが。そのルイス・スペルナードという錬金術師が、今回の事件と何か関係が?」
「他言無用の話だ。五百年以上前、まだ私が爵位と領地を与えられる前の話だ。魔国に流通させる新しい貨幣の製作を頼んだ、造幣が出来る技術者集団の代表だ。五十年程前に隠居すると言って、雲隠れしている」
「はいっ!?」
貨幣の製造法は、偽物を造られないために秘匿とされている。故に製造に関わった関係者と技術は、限られた者たちしか知らない。
いったいどこでその情報が漏れた。
「何度か会ってはいたが……あの狸ジジイ、あれほど雲隠れするなら最低限の連絡が取れるようにしておけとっ!」
ジーンは荒っぽく髪を掻きあげると、あの飄々とした老人の姿を思い出し、盛大なため息をつく。
老い先短いのだから好きにさせろといって来たあの老人の、寿命が本当に終わりそうな事態だ。最悪の想像は、『遺体』の回収になりそうなことか……。
「年明け早々面倒な仕事を増やしやがって。さっさと片付けるぞ」
「はい」
「その前に……セバスチャン、部屋に茶を持って来るのを忘れるな」
「承知しております」
音もなく二人の後ろを付いていた執事のセバスチャンに、ジゼルはぎょっとした。
なぜにジーンの元で働いている一部のメイドや執事は、こうも当たり前に気配が感じられないのか。気配を得ることに長けた、エルフの血筋が半分とはいえ入っている自分ですら気付かないのは、心底不思議だ。
ジーンが手荒く執務室の扉を開くと、そこには既に先客がいた。背の低い藍色の髪の女と、赤銅色の髪を持つ男。
――忠実なる、ジーンの剣。ハルツフェルトの諜報部。その諜報部トップの二人が揃っていた。
ジーンは椅子に腰掛けるなり、引出しから取り出した書類を数枚机の上に叩きつけ、鋭い目付きで二人を見る。
「新年早々駆けずり回って、やっと一息ついた所すまないが緊急案件だ。ギフト、カイト。今からカシュバール領に行き、ルイス・スペルナードの弟子達全員の所在を確認してこい。リストは既にあげてある。印のある者が現在の生存者だ。赤いマーカーが引かれている者を探る時は、決して周囲に勘付かれないように」
渡された書類に一度視線を走らせただけで、二人は目を離した。
それだけで充分だと、書類をジゼルに手渡す。まったくもって恐ろしい記憶力だ。
「承知した」
「了解」
二人は恭しく礼をとるなり、足早に執務室を出て行った。後ろを振り返る様子は微塵もない。
執務室の扉が閉まるなり、ギシリと椅子を軋ませてジーンは背もたれに体を預ける。まだ一日が始まったばかりで、当然日も高くにある。風に乗ったのだろう、使用人たちが出す音が聞こえてきた。
だらりと両手を下ろして、見慣れすぎた天井を見つめる。総悟の近況を垣間見て、厄介な事件を侯爵として対処する。ジーンの、繰り返されるいつもと変わらぬ日常。
「頭が痛いな……」
ため息に乗せて吐いた息は、思いのほか、重たかった。
■□■□■
「あ、ぼたん雪だ」
後ろからシュウにしがみ付きながら、総悟が言う。見上げればチラチラと降る雪の塊が、出発前より大きくなっていた。
「ぼたん雪?」
「あ、えっと、降っている雪の塊が大きいものをそう言ってたんです。ただ母さんが言っていただけなんで、正しいかは分かりませんが」
「そうか、これがぼたん雪か」
「この世界だと、降る雪に名前とかついてないんですか?」
帽子からはみ出た髪に張り付いた雪を落としながら聞く。一ヶ所だけパリパリと音がした。体温か吐いた息で溶けた雪が、凍りついたらしい。総悟は手袋ごしにその部分を何度も擦ったが、溶ける様子はなかった。
「粉雪とか、ドカ雪とかはあるけどなぁ。ぼたんとか言うのはないかな」
「その二種類は僕の世界でも言いました。確か粉雪とかは歌のテーマになったりもしていましたよ」
「歌、か……」
どこか寂しさが含まれるシュウの声音は、風によって総悟の耳に届くことはなかった。
「どうする総悟。カリナンに寄るかい?」
「二輪を回収したいので、できれば寄りたいです」
「ああ、それならジーン様の屋敷に連絡があって、随分前に配達員の一人が回収したって」
「ええ!?」
つまり自分が三輪の練習をしている間に、誰かが南地区の配達に来たということだ。寝耳に水とはこのことか。今の今まで全く知らされていなかった。
知っている人が回収することになったのだろうか。暫らく肩身が狭い思いをしそうだ。配達局に行ったら、その人に謝ろう。
因みに回収に来たのがレダだったりする。もっともこれはイブからのお願いという名の強制だったが、知る人は中央区配達局の、グレイスとオリーヴのみだ。
「という事で、そのまま自宅に直行でいいかな?」
「……その前に中央区の配達局寄りたいです。ジーン様の手紙、消印押してもらわないと」
「分かった」
村へ向かう曲がり道を、スピードを落とすことなく通過した。
視界から素早く動くいくつもの白い雪。元の世界で住んでいた場所ではあまりお目にかかることができなかった、自然現象。
世界が変わっても、同じ現象は起こる。
どこかで重なっている、けれど全く違う場所。
「明日の試験、受かるといいな」
「一発合格しなかったら、侯爵様とイブさんが怖いです」
「ははっ。そりゃ仕方がないな」
「シュウさーん」
今にも泣きそうな総悟の声が、辺りに響いた。
白い世界に閉ざされるハルツフェルト領の冬は、魔国で最も長い。
やがて雪は溶け水となり、大地を潤す季節が巡る。
訪れる暖かで鮮やかな色が迎える短い春まで、あと少し。
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