第16話 決着、そして…
#11
「た、隊長――」
畏怖と驚愕に震える声が、ジェイクの、彼を慕う隊員達の喉から漏れ出ていた。
“骸鬼”の鎧醒と同時に、“忌銀の奴隷兵”は弾け飛び、いまはその支柱となっていた水銀が街路を這い回るに留まっている。その隙にガルドは少年とその母親を自らの背後へと回らせ、ジェイクとミリィは顕れた黒い影、“骸鬼”へと駆け寄る。
――“彼”が確かにそう名乗ったように、それはジェイク達の良く知る青年であるはずだった。だが、変貌しきったその姿に、異貌に、戸惑いの息がそれぞれの口内から零れる。
「捨てちまった、んですか?」
部下からの問いに、青年は応えない。しかし、その黄金の眼差しはしっかりとジェイクを見据え、確かな人間の意志を、無言の回答を同志達へと伝える。
「ミリィ」
「は、はい…!」
「この子を頼む」
普段となんら変わらぬ、いやより澄んだ青年の声音が耳朶を撫で、抱きかかえられていた少女の身体がそっとミリィの腕へと移される。
「……すまなかったな。怖い思いをさせて」
「あ……」
その瞬間、少女の瞳の中で、静かに自分の体を降ろし告げる“怪物”の姿に、あの天使の姿が重なる。よく見れば、両肩と胸に在る三頭犬の貌は、村雨の刀身が変化した縛鎖によってその顎を、牙を封じられている。
確かに刺々しく、凶暴な容貌を持つこの“骸鬼”であるが、その凶暴性を制御する明確な意志もその挙動と縛鎖から、確かに感じられる。
少女は、“骸鬼”の凶相の仮面の下に、あの天使の優しい笑みを幻視する――。
ミリィの腕に抱かれながら、少女の瞳はこの異形の鬼に釘付けになりつつあった。そして、
「呬簸ィ彌亜亜亜亜――ッ!」
「――!」
闇を焦がす炎さえも劈くような、銀鴉の咆哮が大気を震わせ、その咆哮に呼応するように街路を這い回っていた水銀が再度、死骸を結合させ、“忌銀の奴隷兵”の異様を構築する。
「包囲して引き裂けッ! 奴隷共ッ!」
銀鴉の号令と同時に“忌銀の奴隷兵”の群れが一斉に“骸鬼”へと襲い掛かる。だが、
「雄オオッ!」
「――!」
放たれたのは、銀鴉と同様の咆哮であった。否、“骸鬼”と三頭犬の喉から放たれたそれは、銃器や刀剣に勝る強烈な“兵装”であったと言っていい。
咆哮が震わせた大気に触れた瞬間、“忌銀の奴隷兵”の体は爆散し、支柱であった水銀は残らず、“骸鬼”の“黒き呪いの皮膚”に吸引され、咀嚼される。
青年の意識を刈り取った戦闘薬と同種であるはずのそれを体内に吸引しながらも、“骸鬼”は、響=ムラサメは平然と立ち、銀鴉へと“黄金鬼眼”の輝きを向ける。
「な、なンダ? 手前のその異能――? そんな異能、超醒獣兵でもない手前にぃ……!」
「――言ったはずだ。俺は人間を護る存在。そして」
全身に漲るその異能を確かめるように、“骸鬼”の、響の両腕が静かに胸の前で構えられる。
溢れ出す力を示すように各関節から蒸気が噴き出し、唸り、しなる筋肉が、鎧装がギリギリと音を立て、黄金の眼の中に朱い戦意が弾ける――!
「貴様を斃す存在だ」
そう告げた存在に、銀鴉が抱く感情。
それは紛れもない――”畏怖”。
「やれやれ、全くもってやれやれ、だね。オールキャストにも程がある。これ以上は――トゥーマッチだよ」
常に享楽的な笑みを浮かべているシャピロの口元が表情を喪失し、その掌が、これ以上の解析を拒むように額の“知覚強化端子”へと当てられる。
「失敗作にして、もっとも“神を喰らう獣”に近い存在。赤を蹂躙し、その頂点に立つべく精煉された“黒を付き従える者”――それが、こんな辺境、に」
震えるブルーの唇が、己が動揺を覆い隠すように、一言一句を正確に夜闇に描いてゆく。
その存在はとうの昔に暴走し、自壊している――それが組織の見解だった。人柱とはいえ、人間には過ぎる業と欲望を幼き身体に詰め込まれたその個体は、七罪機関の精煉施設をまさしく魔獣の如き獰猛さで壊滅させ、消息を絶った。
その脱走、消失には七罪機関内の“良識派”が関わっていたとの噂もあるが、程なくして七罪機関自体が他ならぬブルーの手で壊滅させられている以上、消失後の援助や支援は絶たれていたはずだ。
その身が抱えたものが、機関の補助なしで存在を継続させられるような生易しい生命ではない事は、ブルー自身が一番良く知っている。
だが、それは生きていた。こんな辺境で、人間として。
激情に噛み切られた、蒼い唇から赤い雫が溢れ、その肌に蒼い“何か”が蠢く。
「こんな辺境で何をしている――“兄さん”」
「呬ィ射ィィィッ!?」
響の、“骸鬼”の足が大地を蹴り、突進する骸鬼へと唸りを上げる銀鴉の“忌銀の翼槍”が、黒い鎧装と皮膚に覆われた両腕に、容易く捕らえられ、無残に折り砕かれる。
続け様、放たれた“骸鬼”の回し蹴りが銀鴉の腹部を直撃し、銀鴉の異形を遥か後方まで跳ね飛ばす。
空気との摩擦で足先が赤熱化するほどの蹴撃である。少年や母娘から銀鴉を引き離すという目的以上の損傷を銀鴉の体に与えていた。
「グッ――呬亜亜っ!」
“忌銀の砲門”。銀鴉の両肩に在る球状の器官から放射された熱線が、追撃せんと距離を詰める“骸鬼”を襲うが、響が右腕を払うと同時に、“黒き呪いの皮膚”に弾かれた熱線が周囲に拡散され、消失する。
「何ナン蛇!? 何ナんダ、手前ェェ餌ッ!?」
“忌銀の魔爪”の水銀を背部へと集結させ、翼を造り出した銀鴉は、響の追撃から逃れるべく虚空へと舞い上がる。だが、響は、“骸鬼”はただ一度の“跳躍”のみで、その飛翔を帳消しにする。
「あ、あの怪物を圧倒してる。あの、怪物を――蹂躙してる」
それも、気高く清廉な人間の意志を宿したままで。
けれど、あの姿は獰猛なだけの魔獣でも、人間でもない。
刺々しく、禍々しく――ヒトの業罪を形としたかのようなその漆黒の異形は、まるで、まるで神に仇名す悪魔じゃないか。
あの人に、あの優しすぎる人に纏わせる鎧がこれだとしたら、苦悩の果に辿り着いた“報奨”がこれだとしたら、あんまりじゃないか。それではあまりに――。
「あの爺、言ってたよな」
「え……?」
そして、瞳を濡らすミリィに、ジェイクの呟くような声音が届く。
「神様なんていうロクデナシに“救世主なんてもんを下ろせるなら下ろしてみやがれ“って啖呵を切るつもりでこの街に”ナザレス“って名前を付けたってよ」
常世の闇を纏い、引き千切るような躍動を魅せる“骸鬼”。
その異形を見つめ、潤むジェイクの瞳には、悲しみや憐憫ではない、一種の感慨があった。
「まったくよぉ」
逆立てた赤毛を掻き乱しながら、ジェイクは涙が溢れ、ぐちゃぐっちゃになった顔を天へと向ける。
「そこに流れ着いた“救世主”の御姿が“悪魔”だなんて――あの捻くれ者の爺さんらしい気の利いた冗談じゃねえか。本当にあの人らしい……」
それ以上は言葉にならなかった。ジェイクも、ガルドも、溢れ出す感情に、“父”への想いに嗚咽を堪えきれずにいた。長が、父がその手に汗と血を滲ませ、求めたものは、いま、間違いなく此処に在るのだ。
「――そうだな、本当にそうだ」
確かにあの姿は醜く、おぞましい。
だが、それこそが響という人間が長の息子であり、この街を救う“救世主”である何よりの確約であると思える。
「きゅうせい、しゅ……」
ミリィの腕に抱かれた少女は、憧憬を持ってその悪魔としか見えぬ異形を見つめる。
いまは亡きこの街の長が望み、この街に確かに舞い降りた、“無慈悲な神を喰らう獣”をその身に宿した青年――“救世主”の姿を。
「愚、我がががっ!?」
骸鬼の鉄拳が銀鴉の肉体を軽々と弾き飛ばし、その異形は、複数の建造物の壁を突き破りながら、無様に宙を転がり回る。
「コ…コノ糞我アアアッ!」
「!?」
響く疳高い咆哮。銀鴉の腕の刃翼が、己が肉を切裂き、噴き出す体液で、猛スピードで接近する骸鬼の眼を塞ぐ。
次の瞬間、踵落としのように放たれた銀鴉の蹴撃が骸鬼を地面へと墜落させ、銀鴉は力を搾り取るように体内の醒石を発光させる。より高度を上げて飛翔する銀鴉の単眼に自治区の全景が映る――。
「ざけやがって…舐めやがって、調子に乗りやがってェェェェッ! もう関係ねえっ! 創世石も、組織も、救世主も全部、関係ねえっ! 最大出力で灼いて溶かしてやる!」
銀鴉の両肩に在る球状の器官に、醒石のエネルギーが集中し、その膨大な熱量と光量が周囲の大気を歪ませる。だが――、
「……できるのか?」
「ッ!?」
銀鴉が背後に、獰猛極まる気配を感じた瞬間、黒の鎧装に覆われた掌が、五指が、銀鴉の翼へと喰い込み、容赦なく引き千切っていた。
瞬時に再度、“忌銀の翼槍”へと容貌を変えた片翼が、骸鬼を襲うが、骸鬼の肘に“生える”刃――“黒獣刺”によって阻まれる。
続け様放たれた骸鬼の肘打ちが、膨大なエネルギーを貯蔵した球状の器官を砕き潰す。
引き金の名に相応しく、突き立てられた刃は銀鴉の体液を、充填されていたエネルギーを闇夜に多量に噴き上がらせる。
「オオオオォォォッ!」
次の刹那、顎を開くように、骸鬼の口部が開き、残っているもう一つの球状の器官へと喰らいつき、噛み砕く。緑色の体液とエネルギーが骸鬼の口部から滴り、獣じみた吐息とともに、それは閉じられる。
――魔獣。まさにもう一つの個体識別名の示す通りに。
「あ…ア…?」
オノレを遥かに凌駕する“異能”と“獣性”に銀鴉が声を失くした瞬間、両拳を組み合わせた強烈な拳撃が、銀鴉を大地へと墜落させる。
全身が麻痺してしまったかのように動かない。
手足が、手足が小刻みに震えている。
いま怯えているのは、恐怖しているのは“醒石”ではない。
いま怯えているのは、紛れもなく――、
「グッ…キイィィィィィィッ!」
その“現実”を拒絶するように奇声を上げながら、銀鴉はその異形の体躯を立ち上がらせる。
続けて銀鴉は、鎧装を形成していた水銀を激しく蠢かせ、それを無数の、槍の穂の如き突起へと変貌させる。
“忌銀の突槍”
触れれば肉を裂き、骨も断つような刃の集合体と化した銀鴉は、残る醒石のエネルギー、全てを燃焼させ、着地した骸鬼へと突進を開始する。
「ハァァ…」
だが、骸鬼は防御姿勢をとるでもなく、ただ、悠然と息を吸い込み、獲物が間合いに飛び込むのを待つ――。
「雄雄オォォォォォォッ!!」
「!!?」
三頭犬の顎と牙を封じていた“村雨”の縛鎖が解かれ、三頭犬の喉から放たれた“邪牙咆哮”が大気を、銀鴉の全身を、その身に埋め込まれた“醒石”を震撼させる。
その瞬間、まるで金縛りにでもあったかのように、銀鴉の突進は止まり、その銀鴉へと大地を蹴った、骸鬼の黒い鉄拳が突き刺さる――。
「激嘔……ッ!?」
銀鴉の全身を覆う刃を難なく砕き、捻り込まれた骸鬼の拳は、銀鴉の腸を抉り、その衝撃で銀鴉の異形を遥か宙へと舞い上がらせる。
「愚……ッ!?」
――それを追撃するは、全筋力を持って放たれる蹴撃。
“邪牙魔穿”
「雄オォ…破ッ!」
腰を落とした態勢から、全身のバネを弾かせ、飛翔した骸鬼の右脚が、落下する銀鴉へと迫る。
「畜生……ッ! 何が、何が違ウッ!? 俺は追加精煉と醒石の力で、人柱実験体を超えた超醒獣兵ッ! 手前如きに――」
「お前の弱さは――その力で自分の怯えを、脆さを偽ったこと。俺の弱さは、人間を捨てられず“魔獣”になりきれぬ事」
骸鬼の右脚が銀鴉の腹に減り込み、多量の体液とともに銀鴉の体はひび割れ、砕け始める――。
「だが、その“弱さ”は皆がくれた、俺を形作る、捨てられない、かけがえのないものだ。そうだな、俺は――お前よりも“人間”だった」
次の瞬間、銀鴉の左半身が緑色の体液を撒き散らしながら弾け飛ぶ。
戦闘の開始から約二時間。
いま、その一つの局面が、確かに終宴を迎えた。
そして、
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