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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第五章 破戒/再醒―Escalation―
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英雄特別篇Ⅵ 星空―”message”―

#EX6


「実質、”負け”かな、これは……」


 男の唇からこぼれた呟きが、誰に聴き取られる事もなく、空間に吸い込まれていく。


 心なしか相棒のれた珈琲コーヒーの味が酷く苦い。


 宇宙船の外部の様子を映したモニターを眺めながら、宇宙刑事の男は、その眉間の皺を色濃くする。


 ”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”でのヨゼフ達との戦闘から数時間。


 ”畏敬の赤アームド・ブラッド”が煌々と流れる”観念世界”に戻ってはきたが、あの”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”に再突入する手立ての割り出しはおろか、その位置の特定すら、まだ、見通しが付かない状態だった。


 あの空間は特殊過ぎる。


 恐らく、ヨゼフの心象風景……彼の精神と深く結び付いたあの空間は、ヨゼフが文字通り、”心を開かない”限り、発見も追跡も困難だろう。


 それが、宇宙船の人工知能コンピューターと連動した相棒と、彼自身が出した結論だった。


 少女の生命いのち、その安全を最優先事項とし、撤退した判断に誤りはないと信じている。


 だが、”観念世界”に自らの拠点を作り、”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”に身を顰めたヨゼフと接触する術は現状、先程のように、”向こう側から接触を試みた”場合に限られる。


 ”創世石”という”座標”が艦内に戻ったいま、次元跳躍ワープという手段も使えない。


 こうなれば、例え”罠”であっても招かれね限り、敵の懐に飛び込む術はないのだ。


 そして、その”罠”がもし、再び彼女を狙った時――彼女は抗えるのか。


 自分は彼女を護り切り、ヨゼフを斃すすくう事が出来るのか……?


 苦渋が男の拳を覆う、グローブを軋ませる。


「……彼女の様子はどうだ? ミリー」

【……だいぶまいってるな。この宇宙船の医療設備で身体の怪我は治癒しているけれど……”心”がだいぶ弱ってる】


 宇宙船のコンピューターと自身の人工知能を連動させ、観念世界の探索を続けていた、鸚鵡おうむ型のサポートドロイド、ミリーは男の肩にとまり、ドロイドらしからぬ感傷的な音声を響かせる。


【……無理もない。同じ”適正者”であるヨゼフに完敗した上に、ヨゼフから彼女が地上に置いてきた”現実”を、無理矢理、共有させられたみたいだからね。——彼女も”創世石”に選ばれるだけの”業”を持った子だ。地上にどんな過酷な”現実”を残して来ていたとしても不思議じゃない】


 その詳細を彼等はる事が出来ないが、想像する事は出来る。


 そもそも生身で”観念世界”を漂流するという事態に到る状況が、”並み”のものであるはずがない。


 恐らく彼女の世界でも、”世界そのものの在り方を左右するような”事態が発生し、その中心に彼女は立っていたのだろう。


 気丈に微笑んではいても、度重なる事態に張り詰めた精神は、疲弊し、消耗しきっていたはずだ。


【でも、そんな気丈な子だけど、やっぱりまだ若い――普通の女の子だ。傷つくし、心だって折れる。こんな事に、こんな”僕らの世界の不始末”に巻き込まれて、両の足で立っていた事自体、不思議なくらいだったのかもしれない……】

「……そうだな。お前の言う通りだ」


 だが、


「彼女は……此処ここで、一人な訳じゃない。そうだろ?」


 男はそう応えると、自らの”戦場”である”観念世界”から、少女が滞在する医務室メディカル・ルームへとその目線を移し、年季の入った革のブーツを前へと進めていた。


 医務室に閉じ籠り、塞ぎ込んでいる、青い瞳の少女の下へと――。


「行ってやってくれ、”…………”。彼女にはきっと、”英雄キミ”の言葉が必要だ」


※※※


「……ギィ太くん、まだ目が覚めないね……」


 細い指が、友人の眠る医療ポッド、そのガラスをなぞる。


 宇宙船の医務室メディカル・ルームの中、医療ポッドの液体ジェルの中で眠り続ける友人を見つめ、サファイアは物憂げな声を響かせていた。


 当然の如く応える声はなく、規則正しく響く医療機器の電子音だけが、少女の耳朶を撫でる。


 ……孤独だった。


 愛する人も、可愛い弟も、親愛なる仲間も、此処にはいない。


 これまで、彼女は無我夢中で駆けてきた。走り続けた先に、この事態を覆す”解答こたえ”があるはずだと。皆を救う術があるはずだと。脇目も振らずに走り続けてきた。


 自らの青い瞳に映る、その"大切な人達"を護り、助ける為に。


 だけど、あのヨゼフとの”共繋リンク”の中で見た”映像”が、”現実”が彼女を立ち止まらせてしまった。


(ごめん、響……! ごめん、麗句さん……!)


 脳裏に焼き付いた映像が、思考から離れない。


 今まで両脚に絡み付く度に、遮二無二振り切って来た自身への疑念。 


 それが”確信”となって、少女の胸に根付いてしまっていた。


 ……あれからだいぶ時間が経ってしまっている。


 元居た”現実”に戻る術もなく、ただ無為に時間を過ごすしかない現実いまが、彼女の心をより蝕み、その表情を沈鬱なものへと変えていた。


 もしかしたら、自分が愛する人達はもう――、


「まるで、世界が終わっちまったような顔だな、お嬢さん」

「……!」


 その時だった。


 暗鬱とした思考の迷路に入り込み、”絶望”という袋小路へと辿り着きつつあった少女の耳に、草木が生い茂る雄大な大地を想起させる太い声が響く。


 振り向けばそこに、自分を怪物ヨゼフから救った英雄の、男の顔があった。


「これから俺達は”世界を救う”っていうのに」

「刑事、さん……」


 己を気遣い、励ます男の言葉に、サファイアは曖昧な笑みを返す事しかできなかった。


 それが、精一杯だった。


 心配をかけたくないが、自分自身を取り繕う気力もない。


 握り締めた手はどうしようもなく震え、喉から搾り出した声は自分でも驚く程にかすれていた。


 ——こんなにも、”本当の自分”は弱かったんだ。


 張り詰めた糸が切れ、”創世石”の適正者でなく、ただ十代の少女としてここに在る自分は、あまりにも小さく、みじめだった。


 そして、


「……”時間”の事なら、気にしなくていい」

「え……?」


 少女の憔悴、その苦悩を察してか、男は彼女の肩を叩き、告げる。


 それは、宇宙警察機構と彼が数年を要して、解明した、この”観念世界”に関する”情報”であった。


「君がこの”観念世界”での漂流を開始した時点で、”現実世界”の時間軸とは切り離されている。君が見た、観測した”現実”も、時間を超越する特性を持った”創世石”が切り取った”一場面”に過ぎないんだ。その状況がここの時間の経過で進行する事はないし、その先にある”結末”が確定する事もない。そうだ」


 ”その結末さきは、まだ誰も観測していないし、観測できない”。


 男は断言し、少女の肩に乗せた手へと力を込める。


「信じるんだ。君が愛し、君を慕う人達の力を、その心を。彼等が到る結末が悪いものであるはずがないと」

「…………」


 男の言葉はどこまでも力強く、温かい。


 信頼に足る真摯な響きに満ちていた。


 だけど、


「でも……」


 少女には自分がゆるせない。 


 少女は、自分への疑念を消す事が出来ない。


 脳裏に焼き付いたあの”現実”から――目を逸らす事が出来ない。


「救え、なかった……」

「え……?」


 かすれた声が、絶望を紡ぐ。


「でも、救えなかった……救えなかったんです! ボクが伸ばした手は、響の、麗句さんの手を掴めたのかもしれない……! けど、本当の意味で助ける事は出来なかった。出来てなかったんだ……!」


 ボクの、ボクなんかのせいで二人は……!


 思わず顔を覆い隠した両手は、青い瞳から溢れ出た涙で濡れていた。


 自分の為に、自分が残した想いの為に、その為に二人はその生命いのちを……、


 その”現実”は他者を慈しみ、想いを繋ぐ事で生きてきた少女にとって、あまりに苛酷に過ぎた。


「それは、アイツが……ヨゼフが”人類に絶望した理由”、そのものかもしれないな……」

「え……?」

 

 男の瞳に、過去の闘いの”悲しみ”が過ぎり、その長身が座り込んだ少女の目線まで腰を下ろす。


「確かに人間ヒトの想いは複雑だ。例え、それが善意であっても結果的に相手を引き裂く事がある。しかし、君の想いが繋がった先に、”不幸”があるとは、俺にはどうしても思えない」


 青の瞳サファイアを真っ直ぐに見据え、男は告げる。   


「何故、そう悔やむ。何故、そう諦める。君はまだ、その結末さきを見てはいないのに」

【ギ……ィ……】

「…………!」

 

 微かな”呻き”だった。


 その時、微かな呻きが、生命の息吹が、少女の耳朶を撫でた。


「ギィ太くん……!」


 医療ポッドの内部から”ギィ太”がゲル状の身体を捩りながら、少女に何かを伝えようとするかのように、微かな呻き声を出し続けていた。


 その必死な様が、少女の胸をまた締め付ける。


「……その生物に関し、詳細な検査を行ったが、データで見る限り、とても”人類と共生できるような”生物とは言えなかったよ。でも、”彼”は明らかに君を想い、護ろうとしている。……それは、君を想い、慕う人達が託した想いなんじゃないか……? 俺は、そう感じてる」 

「みんなの、想い……」


 ”ギィ太”は元々、響の体内に蠢く”壊音”の一部だ。


 そして、サファイアは知らないが、ギィ太の元となった千切れた”壊音”は、千切れる前に、麗句がサファイアを護る為に展開した”畏敬の赤”を捕食している。


 サファイアを護ろうとした麗句の意志が織り込まれた”畏敬の赤”を。


 それが”観念世界”での漂流の中、唯のゲルの塊であった”ギィ太”に微かな意志を、その行動原理のようなものを植え付けたのではないか。  


 男の推察は、事情は知らないまでも、その”核”を捉えていたと言えるのかもしれない。


「生きる限り、後悔はあるかもしれない。でも、”彼”にここまでの想いを抱かせた、君の想いを、愛を、君は悔いるべきじゃない。差し伸べるその手を、躊躇うべきじゃない」


 男は告げ、”ギィ太”を励ますように、医療ポッドのガラスをコンコンと叩く。


 ”男だな、お前も”


 そんな言葉とともに。


「俺もかつてヨゼフをたおす事が出来たが……救う事は出来なかった。事件の後、彼の過去を、軌跡を知り、想いのすれ違いが、人の業が、彼を引き裂き、変えてしまっていた事を知った。斃すべき相手であると同時に、彼が救うべき存在であった事を知ったんだ」


 ”それが……刑事さんの後悔?”


 少女の問いに男は頷き、いま”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”に籠り、粛々と牙を研ぐ怪物ヨゼフへと想いを馳せる。


「人を想うが故に彼は壊れ、その願いが強すぎる余りに、彼は……”救済の化け物”となってしまった。宇宙刑事としては、たおすしかない相手だったが、今度は人間として向き合いたい。そう思ってる」


「刑事さんには……そういうのないのかと思ってました。ボクみたいな弱い人間と違って――」


「俺も人間そうさ。だけど、負けやしないよ。自分の後悔にも、人間の闇にも」


 そう言って、男は力強く自分の胸を叩いて見せる。


「寂しい時、辛い時は瞳を上げるのさ。其処にある星空が”会えない人”とも自分を繋いでくれる。同じように星空を見上げ、必死に生きている人達がいると教えてくれるのさ。挫けるな、弱音を吐くな、ってね」


 穏やかで力強く、包み込むような笑みが少女の胸に、心に響く。


 頬を濡らしていた涙は渇き、熱いものが少女の胸にこみ上げ始めていた。


「そっか……そうですよね。”観念世界ここ”じゃ、残念ながら星は見えないですけど」

 

 心を蝕む悲しみを振り切り、おどけて舌を出して見せた少女に、男は右手の親指を立てて応える。


 再び、両脚でしっかりと立った少女の青い瞳は、雨雲をけた蒼天のように輝いていた。

  

「ありがとうございます……! 刑事さんの気持ち、ちゃんと届きました。この星の無い夜にも、ちゃんと」

「君ならきっと、この暗闇を照らす太陽にもなれる。自分の世界の状況も解決する事が出来るさ。……そうだな、もう一つ、君に贈る言葉があるとすれば――」


 それは――、


 律儀にお辞儀をする少女に、男が言葉を贈ろうとしたその瞬間。


(全く……その名の如く”青い”認識だね、”救世主メシア”)

「……!」


 穏やかな空気が流れ始めた医務室メディカル・ルームに、再び緊張が走る。


「なっ……!?」


 周囲の機器が火花を散らし、”赤い”霧が視界を漂い始める。


 二人の居る医務室に、その”異変”は、怪物ヨゼフからの”招待状”は届いていた。


 ”畏敬の赤”が、少女の足元で渦を巻き、その肢体からだを飲み込まんと、轟然と唸りを上げる。


 それは、怪物ヨゼフが、”創世石”を手にする為の算段を整えた事を意味していた。


 溢れる恐怖、緊張と同時に、少女の胸に一つの想いがひらめく。


「……! お嬢さん……!?」

「……刑事さん。ボク、”行ってきます”」

「なっ……!?」


 男が制止する間もなく、駆けだした少女の意志が、身体が、躊躇ためらうことなく”畏敬の赤”の渦の中へと飛び込んでいた。


 渦は少女を飲み込むと、目的を果たしたかのように、嘲笑うようにその身をたわませ、細める——。


「お嬢さん……! ぐっ……!?」


 男が伸ばした手を、”畏敬の赤”で編まれた鋭利な棘を持ついばらの障壁が阻み、その追跡を拒絶する。


 障壁に宿るのは、怪物ヨゼフの確かな憤怒と嘲り。


 役目を終えた渦と障壁は瞬く間に消滅し、残された男は、茨によってわずかに裂かれた掌を握り締め、少女が消失ロストした先にあるであろう、ヨゼフの居城……”鮮血神殿ブラッド・ゾーン”を見据える。


「……選んだのか、自らヨゼフと対峙する事を」


 船内に宿る”畏敬の赤”の加護と連動した、宇宙船の人工知能コンピューターがすぐ様、”座標”である”創世石”の探索を開始する。


 その座標の先に在るのは、この名も無き英雄譚の最終章。


 いま、ヨゼフとの最終決戦が始まろうとしていた。 


NEXT⇒英雄特別篇Ⅶ 蒼奏—”one step beyond”—

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