第4話 兼通の思惑
天禄三年(九百七十二年)十二月に資子内親王は准三后とされ、年官年爵を与えられ更に封戸千戸も加算された。若干、十八歳である。
准三后とは、太皇太后・皇太后・皇后の三后(三宮)に准じた処遇を与えられた者と言うことである。 正式には准三宮と言う。
又、藤原登子は円融帝の即位から間も無い、安和二年(九百六十九年)九月二十七日従四位上に叙され、同年十月十日、尚侍と成っている。天禄元年(九百七十年)十一月、従三位、天延元年(九百七十三年)一月には従二位に昇叙した。
この二人が若年の円融帝を支えた。特に、登子は帝の母代わりである為、帝の立場を守ることに腐心した。
まず、資子内親王を太皇太后に代わって帝の後ろ楯とする為、兄・兼通に働き掛け、准三后とすることを認めさせた。権威付けである。
兼通も登子の要求を飲まざるを得ない。登子が太皇太后の親筆と認めたればこそ、兼通は権力を手に出来たのだ。真偽は別として、もし登子が兼家と組んで手紙は偽物と主張していたら、兼通は陥れられた筈である。権力を手に出来なかったばかりでなく、高明と同じ運命を辿った可能性すらある。そう言う意味で兼通は登子を粗略には扱えない。登子は兼通との関係を良好に保ち、帝と兼通との関係をも修復した。
そして、為すべきことを為し終えると、まるで安堵したかのように、天延三年(九百七十五年)三月二十九日に薨去する。生年は不詳であるが、兼家の妹である。この年、兼家は四十七歳であった。又、亡夫・重明親王と先妻との子・徽子女王と同年代であったと言われているので、享年は四十代前半であったと思われる。
兼通は兼家の巻き返しを警戒した。その為、兼家の昇進を止め、絶対に大臣にはしないと心に決めた。本当は左遷してしまいたいのだが、左遷する程の咎を見付け出すことが出来ない。
また、兼家が、源満仲を手先として使っていることも気になった。兼家が破れかぶれになって武力に訴えて来るようなことになれば、必ず満仲を使う。藤原千晴が没落した今、満仲は都に於ける最大の兵勢力であり、対抗出来る者は居ないのだ。
満仲から摂津守に任じられることを希望する願いが出ていたのを幸いに、早速、希望を叶えてやった。都から追い払いたかったのだ。
警戒すべきことは他にも有った。と言うよりも、それが一番の現実的な脅威である。兼家が、次女の詮子を入内させようと工作を始めたことを掴んだ。兼通の娘・媓子は既に中宮と成っていたが、円融帝より十二歳も歳上であり、子も無い。媓子より十五歳も年下で、円融帝よりも若い詮子が、入内し、帝の寵愛を受け男子誕生ともなれば、兼通と兼家の立場は、再び逆転してしまう。容易成らざる事態である。
伊尹も兼家も、円融帝を繋ぎと考えており、娘を入内させていなかった。兼通のみが媓子を入内させ、円融帝の信頼を勝ち取っていたのだ。それを今になって兼家に引っくり返されてはたまらない。まずいことに、円融帝も詮子に関心が有りそうなのだ。
兼通は、あらゆる手段を使って、詮子の入内を妨害した。そうしておいて円融帝には、伊尹同様兼家も円融帝を繋ぎと考えており、長女・超子と冷泉上皇との間に生まれた居貞親王が帝と成ることを願っている。その為、詮子の入内を渋っていると吹き込んだ。
円融帝は、兼通の言葉を信じ、兼家を遠ざけるようになった。円融帝の決定を得て、兼通の政権奪取は至極順調に進んだ。その後の昇進も、言わばお手盛りであるから、表立った抵抗も無く決まって行った。
表面上は確かにそうであった。だが、強引な権力奪取にはもちろん批判が有った。済時のように表立って批判する者ばかりではない。大きなことは兼通の意向通り決まるが、逆に小さいことで、兼通の意向通り行かないことが多々有るのだ。
例えば、中級貴族の人事などがその例であるが、左大臣・源兼明の主張が通ってしまうことが多いのだ。兼通とすれば、将来の大納言、大臣候補を、自分の息の掛かった者達で固めたいのだが、上手く行かない。
理由は簡単で、関白は直接詮議に参加出来ないからである。詮議は左大臣・源兼明が取り仕切ることになっている。兼明は、醍醐天皇の第十六皇子で、朱雀天皇、村上天皇、源高明の異母兄弟に当たり、承平二年(九百三十二年)、源姓を賜り臣籍降下している。
兼明は意図して兼通に逆らおうとしている訳では無かった。謹厳実直な男なので、経歴と実績を見て公平な人事を心掛けているだけだ。権力欲は余り無い。
高明は自信過剰気味であった為、根回しして賜姓源氏を纏め上げ、摂関家と対峙しようとはしなかった。村上帝と自分で改革を実行し、賜姓源氏達は結果的にその果実を得てくれれば良いくらいに考えていて、相談も協力依頼も全くしていなかった。だから、兼明は、安和の変に際しては、一時的な昇殿停止と言う措置だけで、難を逃れていた。
兼通に取って最も警戒すべきことは、兼家の巻き返しである。だが、左大臣・兼明の存在も、奥歯に挟まった魚の小骨のように、兼通を苛つかせた。反抗して来る訳ではない。理路整然と、客観的に見れば当然のことを淡々と述べるだけなので、根回しして抱き込むことが難しい。兼通のような策を好む人間に取って、実に扱い難い人種なのである。
「詮議を命が主導してくれれば良いと思うのだがな」
右大臣・藤原頼忠に兼通が愚痴っている。頼忠は実頼の次男で従兄弟に当たる。九条流の中では疎外されていた兼通は、寧ろ小野宮流の頼忠と元々仲が良かった。頼忠は、藤氏長者であったが、天延二年(九百七十四年)に、兼通にその座を譲っている。
「しかし、何と言っても相手は左大臣。右大臣の麿が押さえ込むことは中々難しい」
「かと言って、落ち度も無いのに降ろすことも出来ぬしのう。どうすれば良いか」
「降ろせなければ、上げてしまうと言う方法も御座いますぞ」
頼忠が声を落として言った。
「上げる?」
兼通が不審げに尋ねる。
「兼明様は一世源氏。皇子に戻って頂くと言う手はいかがでしょう。親王は左大臣を兼ねることは出来ません」
「なるほど。一旦、臣籍降下した後皇子に戻るというのは、宇多の帝の先例が有る。実はな、帝は右兵衛督・源昭平を皇籍に戻すことを望んでおられる。そうじゃ。帝のお望みを叶えると言う名分で昭平を皇籍に戻す際、兼明殿も併せて皇籍に戻すことにしよう。その上で名誉職でも与えて置けば良い。それを通す為に、まず、頼忠殿を一上とすることにしよう」
「左大臣を差し置いて、右大臣の麿を一上とすると言うのですか?」
「そうせねば、通せまい。詮議を決するのは一上じゃからな」
「少々強引ですが、仕方無いと言うことですな」
帝の兄弟の中で昭平は、只一人臣籍降下しており、異母兄とは言え、兄に臣下の礼を取らせることを、円融帝は心苦しく思っていたのだ。帝の願いを叶えると言う名目で、それに乗じて、兼明も一緒に棚上げしてしまおうと言うのが、兼通の策である。藤原氏に依る他氏排斥は、安和の変が最後とされるが、これも、形を変えた他氏排斥であった。
元々、得意とすることだから、朝廷での工作は何とか上手く行っている。そのことには満足している兼通だが、兼家が満仲と言う凶器を持っていることへの不安は拭い切れない。満仲に匹敵する私的な武力を何とか手元に置きたいものだと思う。
『そうか、あの男が居る。修理亮・藤原千方だ』
その戦闘能力の高さは、信濃守から聞いている。おまけに、満仲兄弟は千方に取って兄の仇のようなものだ。主・高明を嵌めたのは兼家を含む摂関家の者達だが、自分は一切関わっていない。
『あの男なら、満仲に対抗する勢力として育てられる』
兼通はそう思った。




