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坂東の風  作者: 青木 航
第五章 風雲篇

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第5話 関白の密命

 伊尹(これまさ)の私邸に兼家が呼ばれている。

 信濃守(しなののかみ)・平維茂(たいらのこれもち)が苦戦していると言う。思うように土豪達が集まらないばかりか、兵も集まらない上に、上野(こうづけ)からの援軍も来ていないと言うのだ。

 対する藤原千常(ふじわらのちつね)は、滋野(しげの)三家を味方に付けて意気盛んだと言う。千常は下野(しもつけ)で兵を募(つの)らせてもいると言うから、数千の兵が信濃(しなの)に雪崩れ込んだら持ち堪(こた)えられなくなる。武蔵(むさし)、甲斐(かい)にしても、国府にあるのは、平時の僅かな戦力だけだ。直ぐに下野(しもつけ)を襲うことは出来ない。そして、何より気に掛かるのは、都を混乱させる為に意図的に流していると思っていた蝦夷(えみし)蜂起の噂が、何やら現実味を帯びて来たことである。下手をすると、将門(まさかど)の乱の時の危機に加えて、蝦夷との三十年戦争の再現と言うことにも成り兼ねない。だが、不確かな情報に依って朝廷が慌てふためく訳には行かない。 

「兼家、急ぎ満仲(みつなか)を信濃(しなの)へ送れ。多くの郎等(ろうとう)を抱えておるのであろう。こんな時には役に立つ男じゃ。朝廷が派遣するのでは無い。そなたが私的に満仲を動かすのじゃ。良いな」

と弟に詰め寄る。兼家は大きく頷く。

「満仲は喜んで飛んで参りますでしょう。密告の褒美として従五位上(じゅごいのじょう)と言う破格の出世に与(あずか)っているのですから。それに、千常(ちつね)の側には、満中に取っての天敵とも言える千方(ちかた)と言う者がおります」  

 兼家はしっかりと兄の目を見詰めて答えた。

「千常め、将門の失敗に学んで素早い動きを見せているのであろうが、それはそれで死角が出来る。蛇(くちわな)は頭を潰してしまえば良いのだ。何千の雑兵(ぞうひょう)を集めようが、頭さえ潰してしまえば、後は烏合(うごう)の衆でしかない。正に将門軍がそうであったようにな。なんとしても千常(ちつね)と千方(ちかた)とやらを殺せ。世相が不安定な折、更なる乱が起こるのではないかと様子見(ようすみ)を決め込む土豪が、信濃(しなの)や上野(こうずけ)で増えているのじゃ。だから兵が集まらん。乱としてはならぬ。飽(あ)くまで騒動として収める必要が有る」 

「畏(かしこま)りました。さっそくに満仲に命じます」

 胸を張って兼家はそう答えた。


 その日の午後。兼家(かねいえ)邸である。

「承知しております。ご命令が無くとも、手前からお願いしようと思っていたところで御座います」 

 満仲(みつなか)はそう答えた。従五位上(じゅごいのじょう)となった満仲は、もはや庭に膝を突いて兼家を見上げる立場では無い。居室の庇(ひさし)(注)に座って、兼家と向かい合っている。とは言え、下級貴族でしか無いので、居室に入ることは許されず、庇(ひさし)に座しているのだ。

「ならば、早々に出立するが良い。これは、私的な命(めい)じゃ。大事になる前に速やかに片付けよ。要は、千常と千方を亡き者としてしまえば良いのだ。蝦夷が蜂起するなどと言う不埒(ふらち)な噂を流しておる者もおる。根も葉も無い噂じゃ。そんな風評を打ち消す必要が有る」

「恐れながら」

と満仲が険(けわ)しい表情を浮かべて言った。

「何か?」

と兼家が聞く。

「強(あなが)ち根も葉も無いこととは言い切れないかと」

と、満仲が言った。

「何!」

と、訝しげに、兼家が満仲を見る。

「千常の弟・千方と言う者とは、手前、少々因縁が御座いまして。それで調べてみましたところ、千方が使っている怪しげな一団が御座いまして。その頭目(とうもく)が、どうやら、安倍(あべ)の縁者らしいのです。そればかりでは無く千方と言う男、幼き頃所在の分からなかった時期が数年御座います。その時期、陸奥(むつ)の安倍舘(あべやかた)に居たのではないかと言う疑いが御座います」

 兼家の目に鋭いものが走る。

「真(まこと)か。秀郷(ひでさと)が鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)だったとは言え、武蔵守(むさしのかみ)、下野守(しもつけのかみ)との兼任で、陸奥(むつ)に赴任してはおらなかったのであろう。陸奥には二男の千国(ちくに)が行っておった。蝦夷とそのような関係を築く余地は無かった筈だ」

 思い込みの前提が崩れた訳だ。と言う事は、安倍の蜂起など有り得ぬと決め付けていた根拠が失われたと言う事である。

「詳しいことは分かりませんが、意外に親密だと言う可能性は御座います」

 兼家の不安に追い打ちを掛けるように、満仲がそう言った。

「それは、容易ならぬこと」

 兼家が眉根を寄せる。


 満仲の報告は直(ただ)ちに兼家から大納言・伊尹(これまさ)に伝えられ、伊尹から関白・実頼(さねより)に伝えられた。

「どれほど信憑性有る話か」

 実頼は、矢張り強引に抑え込もうとすることは危険ではないかと思った。

「分かりません。ですが満仲と言う男、中々抜け目の無い男。いい加減な話に踊らされて申しておるとは思えません」

 伊尹《これまさ》はそう答える。

「万一、下野藤原(しもつけふじわら)と安倍(あべ)に強い絆が有り、蝦夷が実際に蜂起するとなると、将門の乱以上の危機となる可能性が有る。いかが致す」

 強硬策に出ようとしている伊尹を牽制するように、実頼は質(ただ)した。

「陸奥(むつ)のことは陸奥で始末せよと言うのが、今の朝廷の方針で御座います。今更、征討軍を送るなど費用の点でも不可能です」

と、伊尹が答える。

「陸奥だけで収められると思うか」

 更に実頼が聞く。

「まず、早急に千常(ちつね)を討ち、蝦夷との連衡(れんこう)を絶つことで御座います。既に満仲を出発させました」

 伊尹の考えにぶれは無い。飽くまで強硬策を通すつもりと見えた。


 伊尹(これまさ)が帰った後、実頼(さねより)は考えていた。最初は、撹乱の為千常が意図的に噂を流していると思っていた。陸奥から、蝦夷に不穏な動きが有ると言う報せが入ってからも、たまたまのことであろうと思った。

 下野藤原《しもつけふじわら》と安倍に、それほど強い結び付きが有るとは思えなかった。だが、安倍の動き自体には不安が無くは無かった。結果的に勝ちはしたが、蝦夷との長い戦いがどれほど朝廷を追い詰め、財政破綻寸前にまで追い込んでいたかを、歴史に詳しい実頼は良く知っている。まして、今は御所(ごしょ)の修復もままならないほど財政は逼迫(ひっぱく)している。その上、陸奥のことは陸奥で始末するようにと言う建前は有るが、今の鎮守府は、平和が続いていた為その軍事力は落ち、形骸化してしまっているのだ。安倍が他の蝦夷を抑えているお陰で、陸奥は安定を保っていたようなものだ。その安倍が反乱を起こしたりしたら、鎮守府や国府の力だけで、とても押さえられるものでは無い。蝦夷が都まで攻め上って来ると言うことが、強(あなが)ち絵空事とばかりは言い切れ無いのではないか。そんな不安が、実頼の中で徐々に膨れ上がって来ていた。

 自分が関白の間に都が陥落すると言うことにでもなれば、藤原を滅ぼした男として歴史にその名が刻まれてしまう。せっかく、関白太政大臣にまで登り詰めたのに、そんな終り方は真っ平だ。そう考えていると夜も眠れなくなってしまった。しかし、そんなことを伊尹(これまさ)にでも漏らせば侮(あなど)られてしまう。そうで無くとも近頃の伊尹は、帝(みかど)と皇太弟の叔父すなわち外戚(がいせき)で有ることをちらつかせて、己の意見を通してしまうことが多い。一体、誰が最高権力者なのか。そんな不満が徐々に膨れ上がって来ていたのだ。

『麿こそが関白太政大臣である。いちいち伊尹に相談することは無い』そう思うに至った。


 実頼(さねより)は兼通(かねみち)を呼んだ。藤原兼通(ふじわらのかねみち)。伊尹(これまさ)の弟であり兼家(かねいえ)の兄である。高明(たかあきら)と親しかったこと、長兄・伊尹に可愛がられていた兼家と犬猿の仲だったことが災いし、弟・兼家が中納言に上っているにも関わらず、正四位下(しょうしいのげ)・参議に成ったばかりであった。

「そなたを見込んで頼みが有る」

 実頼は、兼通の目を見て静かに言った。兼通(かねみち)も何かを感じ取った。

「これは、関白様御自(おんみずか)らの命(めい)とは光栄に御座います。なんなりとお命じ下さい」

 帝(みかど)の伯父ではあるが、出世が遅れている兼通は大袈裟に振る舞う。出世の好機になるかも知れないと思ったのだ。

「秀郷《ひてさと》の子・藤原千常(ふじわらのちつね)が信濃(しなの)で争乱を起こし、また、陸奥の蝦夷が不穏な動きを見せていることは存じておろう」

「はい」

「千常(ちつね)を討てば良いと判断し、伊尹(これまさ)が兼家に命じ、源満仲(みなもとのみつなか)を信濃(しなの)に向かわせた。だが、麿はこの策に疑問を感じておる。下野(しもつけ)では多くの兵を集めており、下野藤原と蝦夷の意外な繋がりも判明した。ひとつ間違えば飛んでもないことになりかねん。関白としては、万が一にも都を危険に晒(さら)す訳には行かん。そこで、千常を諭(さと)して、穏便な解決を図るのが得策と考えた。伊尹(これまさ)には相談しておらん。弱腰などと言うに違いないからな。若い者は強気なばかりで深読みが出来ぬ」

 兼通(かねみち)は実頼が伊尹(これまさ)の出過ぎを不快に思っている事を感じ取った。そして、兄を兄とも思わぬ不快な弟・兼家に一矢報(いっしむく)いるまたとない機会と意気込んだ。

「なぜ、太政大臣様が他の者の意向をお気に掛ける必要が御座いましょうか」

 ここで実頼に取り入って置くことが己の今後の為に必須と兼通は判断した。

「何なりとご命じ下さい」

と続ける。

「参議たる者には苦労なことじゃが、そのほう自(みずか)ら信濃(しなの)に下り、麿の名代(みょうだい)として千常(ちつね)を諭(さと)し、騒ぎを終息させよ」

「これはまた、身に余る大役。慎んでお受け致します」

 兼通《かねみち》は手を付き大仰に身を伏せる。

「どのような交渉に成るか分からぬ。いちいち都に使いを立て、麿の意向を聞いているようでは交渉にならぬ。押さえるべきところを伝えるので、後はそのほうの裁量に任す。押さえるべきところは、既に朝廷の断が下ったことについては一歩も譲れぬ。つまり、千晴(ちはる)、その他の者の赦免はせぬと言うことだ。その代わり、千常(ちつね)、千方(ちかた)の罪は問わぬと言う条件は飲んでも良い。また、安倍(あべ)を押さえる為に必要なら、千常を次期・鎮守府将軍とすることくらいまでは譲っても良い。千方に付いてもそれなりの待遇を与える」

「罪を不問に付した上に鎮守府将軍にまで任じると言うことで御座いますか」

 それは、伊尹(これまさ)で無くとも反対するだろうと兼通(かねみち)は思ったし、自分が伊尹の立場でも反対するだろうと思った。だが、今の自分の立場としては、それ程の裁量権を与えて貰えば有り難いし、鬼に金棒である。

『やり遂げて、兄、弟の鼻を明かしてやる』そう思った。

「但し、このことは出来る限り内々で処理せよ。騒ぎが有ったことまでは隠し切れぬであろうが、交渉に付いては、信濃(しなの)の国府(こくふ)の記録は元より、上野(こうづけ)、下野(しもつけ)の国府の記録にも残してはならぬ。それに付いては、麿の方から別途国司達に命(めい)を伝える。良いな。やり遂げたとしても、そのほうの手柄と公(おおやけ)には出来ぬ。だが、悪いようにはせぬゆえ励め」

「畏(かしこま)って候(そうろう)」

 必ずやり遂げて、弟・兼家を追い越し兄・伊尹(これまさ)に迫ってみせる。兼通(かねみち)は強く心に誓った。


(注)ここで言う『庇』とは、現代の感覚で言う軒《のき》先ではありません。

・寝殿造りで母屋の周りに設けられた床のスペースを「庇」(ひさし)と呼び、方角によって「南庇」や「東庇」と呼びます。


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