↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
坂東の風  作者: 青木 航
第四章 政争編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/123

第1話、摂関家の蠢き

 康保二年(九百六十五年)九月の或る日、舘に戻る途上千方(ちかた)は千晴(ちはる)から、後で居室に来るよう言われた。戻って着替えた後、対屋(たいのや)から母屋に向かう。庇(ひさし)に座り名乗り、

「入れ」の声を待って入る。

 舘に帰ってからの千晴は、疲れの為いつも陰鬱そうで、近寄り難い。最初は取っ付き難(にく)いと思っていた千方だが、高明(たかあきら)邸に出仕(しゅっし)するようになって千晴の働き振りを目にすると、違和感は消えていた。だが、仕事以外で寛いで長話をするようなことは無かった。 

「六郎、目出度(めでた)い」

 笑顔の千晴からそう言われて、千方は戸惑った。なぜ兄が笑顔なのか、何が目出度いのか分からなかった。 

「何でしょうか?」

 そう聞いた。

「何も言うて無かったな。大納言様に予(かね)てよりお願いしておったのだが、そのほうに付いて、修理識(しゅりしき)の大属(だいさかん)とする旨ご内意が有った。除目(じもく)が済み次第正式なご沙汰が有ろう」

と千晴が説明してくれた。

「兄上……」

 礼を言うより前に、驚いてその言葉が口から出た。兄のこんな屈託の無い笑顔を見たのも初めてだったし、高明にそんな願いをしていてくれたことも全く知らなかったのだ。

「何じゃ、その顔は」

 千晴はそう言って柔らかい笑いを浮かべた。

「は、はぁ。有難う御座いました。突然のことだったので、驚いてしまいまして」

 千方は余りの意外さに、まだ戸惑っている。

「麿のことを、煙たく思っていたのであろう」

 無関心を装っていたが、千晴は千方の心を読んでいた。

「はい。多少」

と気まずそうに千方が答える。

「まあ良い。今宵は呑み明かそうぞ。酒(ささ)を持て」

 千晴がそう言って手を打った。

    

 修理識(しゅりしき)は令外官(りょうげのかん)であり八省から独立した組織で、識(しき)としては中宮識(ちゅうぐうしき)に次いで格が高い。主に内裏(だいり)の修理造営を掌(つかさど)る役所である。

 職員構成は、大夫(だいぶ)(かみ)・(従四位下(じゅしいのげ)相当)一人

亮(すけ)(従五位下(じゅごいのげ)相当)一人

大進(だいじょう)(従六位上(じゅろくいのじょう)相当)一人

少進(しょうじょう)(従六位下(じゅろくいのげ)相当)二人

大属(だいさかん)(正八位下(しょうはちいのげ)相当)一人

少属(しょうさかん)(従八位上(じゅはちいのじょう)相当)二人


であり、木工(もく)、檜皮工(ひわだのたくみ)、その他様々な現場部署を統括し、事務を取り扱う役職である。これらの下部組織に「大工」「小工」などの階級が有ったが、やがて「木工(もく)」のみを指して「大工(だいく)」と言うようになる。


 千方の位階は従七位下(じゅしちいのげ)であるので、少進(しょうじょう)には二段階足りない。大属(だいさかん)は正八位下(しょうはちいのげ)相当であるから、二段階下の職と言うことになる。建前としては、蔭位(おんい)に該当する者は、目(さかん)を経(へ)ず掾(じょう)(修理職(しゅりしき)では”進(じょう)“)から始まる。しかし、官職は不足しているので、空きが出れば役不足などとは言っていられない。兎に角職に就いて位階が上がるのと、上に空きが出るのを待ちながら勤務することになる。


「縹(はなだ)色(=藍色(あいいろ))の位袍(いほう)を着て出仕(しゅっし)することになるのか」と千方は思った。もちろん官職に就けて貰えたことは素直に有り難いと思っているのだが、位袍(いほう)を着た己の姿を想像すると、正直どうもしっくり来ない感じがした。

 それは兎も角、少し煙たく思っていたこの兄が、自分のことをこれほど思ってくれていたとは思っていなかったのだ。 

「兄上、有難う御座いました」

 両手を突いて、改めて礼の言葉を述べた。

「一族の長(おさ)として当然のことをしたまでじゃ」  

 年の離れた兄弟の間に有った壁は取り払われた。酒の力も有ってか、珍しく千晴も饒舌となり、坂東のこと、父の思い出など、話が弾んだ。

「満仲(みつなか)殿の弟・満季(みつすえ)も任官するそうだ」

 思い出したように千晴が言った。相模(さがみ)の山中での出来事に付いては、千方は千晴にも話していない。 

「満季殿は何の職に?」 

「検非違使(けびいし)の看督長(かどのおさ)だそうだ」

 看督長(かどのおさ)とは、下輩十人を率いて現場での捕縛や取り調べに当たる下級官人(つかさびと)である。何か嫌な予感がした。

「それと、満仲殿もな、鷹飼(たかかい)に任じられるそうだ」  

 鷹飼(たかかい)は鷹狩用の鷹の飼育と調教を担当した官職で、定員は十名だった。

「鷹飼ですか? 満仲殿は、なぜ鷹飼など望んだのでしょうか」

 千方が尋ねる。鷹狩の際は帝(みかど)に近侍(きんじ)する訳だが、それだけで満仲が望む官職とも思えなかった。 

「蔵人所(くろうどどころ)に属するからだ」

と千晴が答えた。

 蔵人所とは、帝(みかど)の身の回りの世話や事務を取り扱う部署である。従って、位は低くても昇殿出来る職がいくつも有るのだ。六位蔵人(ろくいのくろうど)と言う職が有る。この六位蔵人に入れれば、先任者から順に五位に任じられ、やがて受領(ずりょう)となる道が開ける。

「五位を得て国守(くにのかみ)として赴任出来れば、あの男なら多くの財を貯め込むことが出来るだろう。それが狙いだ」

「なるほど。やはり、強(したた)かな男ですね」

 兄には言っていない満仲との経緯に想いをはせて、千方は、改めて満仲の強(したた)かさを感じた。

「だが、そう簡単なことでは無い。六位蔵人は公卿(くぎよまう)の子弟達で占められているからな。四名から六名が定員だが、毎年必ず一人、巡爵(じゅんしゃく)と言って、正月の除目(じもく)で、上﨟者(じょうろうしゃ)(在職年数の長い者)から順に五位に上がって行くから、毎年必ず欠員が出来る。それを埋めるのが非蔵人(ひくろうど)と言って、六位の者の中から選ばれた者だ。つまり、六位蔵人の見習いだ。定員は四名から六名。六位の者の中から選ばれ、昇殿を許されて雑務をこなす者だ。まずはこの非蔵人に入ることを狙っているのだろうが、鷹飼から成れるものかな? 麿には分からぬが、抜け目の無いあの男のことだ。目算が有るのであろう」

 千方との経緯は知らぬ千晴も、満中には警戒感を持っている。

「兄上にも何かご内意の伝達が有ったのですか?」

 そう言われて、千晴は静かに笑った。

「麿は、目先の出世など考えておらん。大納言様が左大臣に成られれば、官職など自(おの)ずと付いて来る。焦る必要など無い。そう遠い先のことでは無いぞ」

「左様で」 

 そう返事をしたが、兄の持つ自信と安心感にふと不安を覚えた。父・秀郷(ひでさと)は、どんなに有利な状況にある時でも、最悪となった場合のことを想定して策を考えていた。母方の祖父・久稔(ひさとし)には疑うことを学んだ。それに加えて満仲、満季兄弟の存在が、千方が将来を楽観視することを拒んでいた。


 権大納言(ごんだいなごん)・藤原師尹(ふじわらのもろただ)と言う男、四十六歳になる。その男の舘に、満仲は通い続けている。ひと口に言って頑固な男である。物事への拘りが強く、他人(ひと)には厳しい。生真面目と言えば生真面目で、性格は長兄の実頼に似ている。視野が広く融通性の有った次兄・師輔(もろすけ)とは対称的である。

 天徳二年(九百五十八年)には娘の芳子(ほうし)を村上天皇の女御(にょうご)とすることに成功したが、その子を東宮(とうぐう)(皇太子)とすることは出来なかった。天暦二年(九百四十八年)に兄・師氏(もろうじ)に先んじて権中納言に任じられ、以降は常に官職ではこの兄の上に在る。優越感と劣等感の間で常に揺れ動き、他人(ひと)に寛大に成れない男なのだ。

 

 師尹(もろただ)は、最初満仲を嫌っていた。貢物(みつぎもの)を持って何度訪れても会うことさえしなかった。それでも満仲は訪ねて来る。吝嗇(りんしょく)な男なので、最初は、持って来た物は黙って貰って置いて何も感じなかった。だが、いい加減な男では無く、拘(こだわ)りの強い男なのだ。会いもせずに貰う物だけ貰っていると何か気になって、心地が悪くなって来た。それで、一度会ってやることにした。何を頼んで来るのか警戒したが、満仲は、近付きになりたいだけで、頼み事は無いと言う。師尹(もろただ)は満仲のことを他人(ひと)が言うような胡散臭い男でも無いようだと思った。


 この年、康保二年(九百六十五年)四月二十四日。師輔(もろすけ)の後を受けて右大臣の職に在った時平の二男・藤原顕忠(ふじわらのあきただ)が薨去(こうきょ)した。享年六十八歳。時平の子の中で唯一早死しなかった男だ。質素な生活を貫いた。

 翌五月十一日。顕忠が兼任していた左近衛大将(さこんえのたいしょう)の職を、まず高明(たかあきら)が引き継いだ。そして、翌康保三年(九百六十六年)正月十二日、源高明は正式に右大臣に就任した。


 上に左大臣・実頼が居るが、外戚(がいせき)でも無く実力者でも無い。その上高齢であるから、数年待てば高齢或いは病(やまい)を理由に致仕(ちし)(引退)を申し出て来る可能性は高い。村上天皇と高明の悲願である真の『帝親政(みかどしんせい)』を実現し、摂関制度を完全に廃し、藤原氏の権力基盤を消失させて、源氏が政(まつりごと)を補佐する体制を作る大改革を行う日は目の前に近付いているのだ。


 なんらかの策を用いて実頼(さねより)を失脚させ、改革の実現を早めることも可能と思われた。だが、不必要に師尹(もろただ)や師氏(もろうじ)を刺激し、結束させてしまうのは得策では無いと思った。摂関家の中で不仲や対立が有ることを高明《たかあきら》は把握しており、好都合と思っていたのだ。


 注目すべきは伊尹(これまさ)と言う男だ。五年前の天徳四年(九百六十年)、父・師輔(もろすけ)が右大臣在任中に薨去(こうきょ)した年の除目(じもく)で、参議に列せられた。伊尹、当時三十七歳。高明と比べれば十年遅い出世だった。父・師輔を敬う気持ちは常に有った。だが、才も実力も有りながら前に出ようとしない父の性格に苛立ちを感じていたことも確かだ。凡庸な伯父・実頼に遠慮して先に出ようとはしなかった。村上天皇に遠慮して、曾祖父・基経(もとつね)、祖父・忠平(ただひら)と続いて来た摂関の座を強く要求せず途切らせてしまった。


 そして何より迂闊だったのは、源高明《たかあきら》の勢力拡大を援けて来たことである。左大臣である伯父・実頼を始めとして、師尹、師氏の両伯父とも、右大臣と成った高明と比べ、その才気に於いて遥かに及ばない。


 伊尹(これまさ)は、摂関家が消滅させられるのではないかとの危機感を抱いていた。ただ、やっと参議に成ったばかりの伊尹にどうにか出来るような問題では無い。仮にも左大臣である伯父・実頼が健在なうちに手を打たなければ、手遅れになってしまう。そう思った。正直言って伯父達を余り好きではない。だが今はそんなことを言っている場合では無いのだ。使いを出して実頼に会う段取りを取ってみた。

「良う参った。珍しいのう」

 実頼(さねより)が皮肉混じりに言った。本来なら一族の長者である自分を立てて、もっと頻繁に顔を出すべきと思っているのだが、師輔の子らも、弟ふたりも余り顔を出さず、自分を立てていないことに不満を感じていたのだ。

「今迄ご無沙汰勝ちだったこと、お詫び致します。父を亡くし、顕忠(あきただ)様も亡くなった今、貞信候(ていしんこう)(忠平の別称)の血を引く我等は、もっと強く結び合わねばならぬと、後れ馳(ば)せながら思い至った次第です」

と腰を低くして、伊尹(これまさ)が無沙汰を詫びる。

「もともと麿は拒んではおらぬぞ。そなたらが近付かなかっただけではないか。何か下心でも有ってのことか」

 弟達や甥達が、普段自分を立てていない事に実頼、日頃強い不満を持っている。

「伺いました理由は、己ひとりのことでは御座いません。一族の先行きを案じてのことです」

 大声では無いが、十分に力の籠もった声で、伊尹が訴える。

「ふ~ん。一族の先行きを考えてとな」

 実頼は、真剣には聞いていない。

「率直に申します。伯父上は、関白、或いは太政大臣と成るお気持ちは御座いませんのか?」

 伊尹がずばりと切り込んだ。

「滅多なこと申すな。帝(みかど)が望んでおられぬことじゃぞ」

 実頼はたじろいだ。

「存じております」

「ならば申すな。帝(みかど)の御心(みこころ)に従いながら、そのほうの亡き父と図りながら政(まつりごと)を進めて来た。栄達を考えての事では無い」

「はい。それは存じております。父が薨(こう)じた後、顕忠(あきただ)様がそれに代わられましたが、その顕忠様も亡くなられ、高明《たかあきら》様が大納言から右大臣に転じられました。高明様相手に、今まで通り伯父上のご意向通りの政(まつりごと)が出来ましょうか?」

と突く。実頼の表情が変わった。

「伊尹(これまさ)、僭越であるぞ。伯父、甥の間柄とは言え、新参の参議ふぜいが政(まつりごと)に付いて、左大臣に対し、そのような口出しするとは何事じゃ。不快じゃ、帰れ」

 実頼は、そう怒鳴った。それを見て伊尹は、

「ご無礼致しました」 

と頭を下げて、実頼邸を辞した。しくじったとは思っていない。実頼自身が感じていることを、若い伊尹にずばり指摘されて取り乱したのだ。落ち着けば考え直すに違いない。そう思っていた。


 翌日伊尹《これまさ》は、兼家(かねいえ)を屋敷に呼んだ。直ぐ下の弟である兼通(かねみち)よりも兼家を可愛がっていた。兼通は我が強く、己の利を優先させる傾向が強い。それに、近頃、高明《たかあきら》に近付いているのも気に入らなかった。比べて兼家は兄に柔順であり、高明に対する警戒心を持っている。そして、兼通とは犬猿の仲である。同母弟二人が仲が悪いのは好ましいことでは無いが、そこはやむを得ないと思っている。

「今が、いかに危ういかと言うことを伯父上に分かって頂こうと思い敢(あ)えて怒らせたが、もし、麿の無礼にいつまで拘(こだわ)っておられるようなら、その時はそなたに骨をおって貰うことになる」

と伊尹(これまさ)が兼家に告げる。

「畏(かしこ)まって候(そうろう)。して、他の伯父上方に付いては、如何致します?」

「うん。まずは師尹(もろただ)様だが、癖の有る難しいお方だ。ただ行っても、話は聞いて貰えぬであろうな」

 兼家の問にそう懸念を示す。

「はい。確かに難しいお方です。ですが、上手く取り入っている者がおります。まずは、その者を通して話を聞いて貰える機会を作りましょう」

と兼家は策を献じた。

「誰じゃ、それは」

「源満仲と言う者です」

「高明(たかあきら)様の手の者ではないか」 

 何を馬鹿なとでも言いたげに伊尹が言った。

「一応、そう言うことになっておりますが、あの男、高明様に恩など感じておりません。損得勘定でどちらにでも転ぶ男で御座いますよ」

と自信有りげに兼家が答える。

「大丈夫か?」 

と訝る伊尹に、兼家は

「お任せあれ」

と胸を叩いた。


 兼家は満仲を呼び付けた。 

「伯父上の所へ使いを頼みたい」 

と満仲に告げる。

「伯父上様とは権大納言(ごんだいなごん)様のことですか?」

と満仲が確認した。

「そうだ」

「ご用件は?」 

「麿が一度お会いしたいと申しておると伝えてくれれば良い」

 満仲は困った表情を見せる。

「用件をお伝えしなければ難しいと思われます。あのお方は」  

 兼家が口を少し曲げて考えている様子を見せた。

「一族のことに付いてご相談したいと申せ」

「はい。承りました」

 土に膝と拳(こぶし)を突いた満仲が、頭を下げる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。