第9話 満仲・もう一つの怨念
その後、襲撃どころかつけられることさえも無い日が続いている。高明邸に通うようにった為、手を出すことが難しくなったのかも知れない。千方はそう思っていた。だが、満仲が高明邸に顔を出すことも無かった。
少しして理由が分かった。満仲の父・経基が、受領・但馬守として赴任していた但馬国(国府は現・兵庫県豊岡市)で急死していたのだ。源経基。応和元年十一月十日没。享年六十四歳。武蔵から都に向けて逃亡し、将門らを誣告してから二十二年後のことである。
満仲は遺体引き取りの為但馬へ向かったと言う。帰って葬儀などを済ませても、その後一年間は喪中である。公務は堂々と休めることになるが、いかに満仲兄弟でも喪中に殺生を働こうとは思わないだろうと思えた。『暫くは平穏な日々が続くことになるだろう』と千方は思った。そして、その通りとなった。
高明邸で千方が満仲と顔を合わせたのは、それから一年以上経過した初冬のことである。父・経基の葬儀に際し受けたものに対する礼と無沙汰に付いて詫びる為の訪問だった。生憎、一旦帰宅した高明は用が出来てまた出掛けていた。兄・千晴も供をして出ていて不在である。
十数人の郎等を引き連れて門を入って来た満仲と千方は階脇で顔を合わせた。目が合った瞬間満仲の足が止まった。ほんの僅かな間ではあったが、二人は無言で見詰め合った。千方が先に頭を下げた。満仲もほんの少し頭を下げる。
「千方殿であったのう。武蔵で会うて以来じゃな。都に来ているとは知らなかったぞ」
白々しいことを平気で言う。
「生憎、大納言様はお出掛けで御座います。家司の殿に取り次ぎましょうか?」
と、一応満仲の意向を聞く。
「いや、それには及ばぬ。近くの用足しを先に済ませて来ることに致す」
そう言って満仲は踵を返した。別れ際に満仲が少し微笑んだように見えた。どういうつもりか、千方には臆測すら出来なかった。
満仲が出て行って暫くして、別の訪問客が有った。従四位下・中宮職権大夫・藤原兼通だ。兼通は、一昨年薨去した前右大臣・師輔の次男である。春宮坊亮を兼ねている。中宮権大夫としては、中宮大夫・高明を補佐する立場にある。
中宮とは皇后、すなわち帝の正妻のことであり、春宮とは東宮、すなわち皇太子のことだ。村上天皇の中宮は藤原安子。故・師輔の長女であり兼通の妹に当たる。そして東宮、すなわち皇太子は安子の子・憲平親王(後の冷泉天皇)である。
高明は、天徳二年(九百五十八年)から中宮大夫の職にある。東宮坊や中宮識の長は、普通、近親者が勤めることが殆どだが、師輔の要請が有って大納言でもある高明が兼任していた。
兼通の訪問は家司が把握しており、迎えに出ていた。牛車から直接舘内に渡り、家司の案内で奥へ消えて行った。
その後間も無く高明は帰宅した。牛車から牛が外され、そのまま階に着けられる。そして、軛が階に乗せられ、榻を踏台として渡し、前から高明が降りる。
庭に膝を突き、奥へ消えて行く高明を見送った後、立ち上がった千晴が千方の方へ歩み寄って来た。
「誰ぞお見えか」
と聞かれた。
「藤原兼通様が」
「そうか」
と千晴は頷く。
「あっ、それから、先程、満仲殿が来ました。また来ると思います」
それにも、
「そうか」
とだけ、千晴は答えた。
千晴と千方が暫く立ち話をしているうちに、高明との話が済んだ兼通が姿を現した。牛車に乗り込もうとした兼通が、郎等達を引き連れて入って来た満仲に気付いて、そちらを見た。同時に満仲も兼通に気付いて、その場で慌てて膝を突き頭を下げた。
「何者か?」
兼通が誰何する。
「ご無礼致しました。大納言様の従者・源満仲と申します」
満仲がそう答える。
「満仲? ふん、犬か」
独り言にしては大きな声で、兼通はそう言った。満仲と言う男の良からぬ噂を耳にしており、日頃から不快に思っていたのだ。満仲から視線を外すと、兼通は牛車の中に姿を消した。呟きと言うには余りに大きな声であった。
『今、麿が飛び出して貴様の首を叩き落とすのは容易い。だが麿にはやらねばならぬことが多く有る。だから、貴様はまだ生きている。感謝しろ!』
満仲は、心の中でそう繰り返していた。まるで僧が経文を唱えて心を静めようとするかのように。しかし、表情にはその気配すら見せていない。兼通の牛車が門を出て行くのを無表情に見送って、満仲は立ち上がった。
「千晴殿。無沙汰した。父の葬儀に際しては過分な物を頂き、忝ない」
満仲は、兼通の侮蔑的な言葉に対する心の動きなど全く見せない。
「何の。大変で御座ったのう」
兼通の大声での呟きは、当然千晴の耳にも入っていた。全く気にする素振りも見せない満仲に感心する一方、何か薄気味悪くもあった。
応和二年(九百六十二年)の時点で、中納言以上の公卿八人中、半分の四人が忠平の兄弟、子及び甥で占められている。いわゆる摂関家に連なる人々だ。
天徳四年(九百六十年)五月四日、右大臣・藤原師輔が薨去した。後任は高明の先任大納言であった藤原顕忠六十五歳。忠平の兄、故・左大臣・時平の次男である。そして、中納言・藤原師尹が権大納言に昇進している。
この師尹と中納言・師氏は、いずれも実頼、師輔兄弟の弟である。更に師輔の子らに付いて言えば、長男の伊尹がこの年参議に加わったばかりだ。位階は従四位下。この現状に、高明は危機感も圧迫感も感じていなかった。
まず、左大臣・実頼は六十三歳。太政大臣或いは関白を狙おうと言うぎらぎらしたものは感じられない。官職の上で弟・師輔に追い越されたことは一度も無かったが、人物評価・実力に関しては師輔に後れを取っていた。また、後宮での争いに付いて言えば、実頼は述子を、師輔は安子を村上天皇の女御として入内させ寵を競ったが、述子は皇子を生むこと無く死去し、一方、安子は東宮・憲平親王を初め、為平親王、守平親王を生んでおり、後に、これが双方の家の栄達に決定的な差を生じさせた。
天暦四年(九百五十年)には憲平親王の立太子が決定された。
『九暦』逸文によれば、これは村上天皇、穏子、朱雀法皇、師輔の密談によって決定された。実頼の知らないうちに決定されたのである。
そんな経緯で、実は、実頼は師輔に内心嫉妬しており、仲も良く無かった。しかし、実頼は、実力で師輔に及ばないことを自覚していた。師輔が官位官職で実頼を抜いたことが一度も無かったこともあって、表面上、角突き合わせることは無く、協力して政を行って来ていたのだ。その師輔が死んだ。だが、実頼が外戚となり権力を振るう道は残されていない。師輔の後を受けて右大臣と成った顕忠は実頼より年上の六十五歳。しかも、摂関家としては傍流である。
権大納言・師尹四十三才、中納言・師氏五十歳と、実頼、師輔の同母弟ふたりは、まだ野心を持っても良い年頃だ。
師尹は娘・芳子を入内させ、芳子は昌平親王と永平親王の二人の子を生んだ。しかし、早世したり病弱だったりして、いずれも東宮とすることは出来なかった。従って、外戚として権力を振るう道は既に閉ざされている。
中納言・師氏は師尹の兄である。しかし、既に弟・師尹に抜かれており、その後、甥の伊尹にも抜かれることになる。
こう言う状況で、高明が摂関家に驚異を感じる要素は何も無かった。因に、この時の高明の周辺事情であるが、大きな後ろ楯であった太皇太后・藤原穏子は八年前の天歴八年(九百五十四年)一月四日に崩御している。
もうひとりの後ろ楯・師輔も薨去した。しかし、師輔の娘である妻の愛宮の姉は中宮・安子である。安子は皇太子・憲平親王(冷泉天皇)の母だ。ただ、憲平親王は精神に病が有り、即位前から次代に付いて話題になっていた。
その最有力候補が同じ安子の生んだ為平親王である。高明は、安子を通じて為平親王への接近を図っていた。安子も、父を失い兄弟達はまだ要職に就いていない現状で、為平親王の将来を高明に託そうと考えていたのだ。為平親王は、三年後の康保二年(九百六十五年)高明の加冠により元服し、翌年には高明の娘を娶った。
村上天皇は為平を愛し、その婚礼には自分が安子と婚礼した際の例に倣って宮中の昭陽舎で実施させるなど、将来の皇位継承候補としての待遇を与えている。
父・村上天皇は安子の実家である九条流(藤原師輔の一門)と賜姓皇族の筆頭である高明を為平の後見とすることで将来の安泰を図ったのだ。
村上天皇の第一皇子は藤原元方の娘の更衣・藤原祐姫が生んだ広平親王だったが、同年、師輔の娘・中宮・安子が第二皇子・憲平親王を生むと、赤子の憲平親王が立太子された。師輔は、ここで強引さを見せたのだろうか。
長ずるに連れて憲平親王の行動の異常さが目立つようになったが、村上天皇は、憲平親王を廃太子とはしなかった。だが、病弱と言うことも有り、皇太子・憲平が帝位に就いたとしても、在位期間はきわめて短いものになるだろうと、誰もが思っていた。そして、その後を継ぐのが為平親王と言うことになれば、村上天皇が先に崩御した場合、外戚であり烏帽子親でもある高明の世が来ることは間違いない。世間はそう思ったし、高明自身も、最高の権力が目の前に近付いていることを感じていた。これからは、誰かに護られるのでは無く、自分が周りの者を護って行かなければならない。そんな気持ちが強くなって来ていた。
だが、前年の応和四年四月二十九日、中宮・安子が崩御し、高明の周りの壁がまた一枚剥がれてしまったと言うことを、高明は重大なことと捉えていなかった。穏子、師輔、安子と次々失っても、既に自分にはそれを補うだけの力が備わっており、摂関家の者達とも上手くやって行けると自負していた。また、今の摂関家には、自分の行く手に立ち塞がって邪魔するような者は居ないと思っていた。
兼通の訪問目的は、高明に三の姫が生まれた祝いであった。そして兼通は、生まれたばかりの三の姫を将来、己の六男・正光の妻にと申し入れて来たのだ。正光は五歳になる。家と家の縁を結びたいとの申し入れである。婚姻は飽くまで手段だ。年齢の釣り合いさえ取れれば、今何歳だろうと関係無い。師輔亡き今、九条流と縁を結んで置くことは、悪いことでは無い。そう思って、高明は承知した。
舘に戻った満仲。身内の前では不機嫌さをもろに表している。誰も近付かぬよう命じて、居室でひとり腕組みをして虚空を睨んでいる。
師輔が荒事の嫌いな性格であった為、満仲は生前の師輔に近付くことが出来なかった。死後、息子達の中で誰に近付けば良いか、模索していた処だった。しかし、今日の一件で簡単に結論が出た。兄弟の中で、兼通と兼家の仲が特に悪いと言う情報を得ていた。しかし、兼家は、未だ従四位下・少納言・右兵衛佐に過ぎない。摂関家の中では出世に見放されていた。にも関わらず、兼通に対する怨念から、満仲は兼家に近づくことにした。利に敏く計算づくで、決して情に流されることの無い満仲にしては、異例とも言える決心である。
「大そうな物を持って参ったそうじゃな」
階の上から兼家が声を掛ける。
「いえ、ほんのご挨拶代わりに御座います」
満仲は階下の土の上に膝を突いたまま答える。
「その方は、大納言様の従者であろう。麿などに無駄な物を使わず、大納言様にご奉仕した方が良いのではないのか」
満仲の本音を探ろうと、兼家が尋ねた。
「大納言様は大納言様。故・右大臣様のご子息様とも、是非お近付きになりたいと思いまして」
満仲の腹の内は分からない。迂闊に信用する訳には行かないと思った。
「ならば、兄上の所へでも行くのだな」
と突き放した。
「右兵衛佐様こそ、九条流をお継ぎになる方と思うております」
「滅多なこと申すな。我が家のこと、そのほうごときが斟酌することでは無い」
元々、鬱積したものを抱えている男だ。口では叱責したが、お世辞を言われて不快そうな表情はしていない。
「で、麿に何か頼み事でも有るのか」
貢物に見合う程度の願いであれば聞いてやっても良いと思った。
「御座いません。申しました通り。ご挨拶に伺っただけに御座います」
言われているほど悪い男でも無いなと兼家は思った。
「そうか。また、参るが良い」
何もせず、物だけ貰った訳だから、悪い気はしない。
「有り難き仕合わせに御座います」
丁寧に挨拶をして、満仲は兼家邸を辞した。
兼家との繋がりを付けることは出来た。
だが、九条流のもうひとりの人物とも、満仲は既に近付いていたのだ。




