第11話 父の想い
こうして、千方は信濃望月家の内紛を解決して下野に戻り、佐野に寄って千常に報告した後、田沼の秀郷の舘を訪れた。
「待ち兼ねておった」
泥鰌髭を扱きながら、秀郷が言った。
正面に胡坐を掻いて坐っている秀郷の前に、同じように胡坐をかいて座り、両の拳を床に突いて、千方が頭を下げる。
「佐久から戻ったばかりか?」
と秀郷が尋ねる。
「はい、兄上に報告し直ぐに参りました」
「その様子では吉報と見えるが、手勢はいかほど連れて参った」
満足そうに秀郷が笑みを見せた。
「五十ほど率いて参りました。貞義殿から、父上にくれぐれも宜しくと言付かって参りました。お陰様で何とか収まりました」
「そうか、それは上々。どうやった?」
「はい、朝駆けと称して舘を出、外に伏せて置いた手勢と合流して舘に引き返し、一気に決着を付けました」
そう秀郷に報告する。
「やはり、切羽詰まっておったか?」
「はい。そのようでした。しかし、伯父の兼光を捕らえ、一味を一掃することが出来ました。どちらに着くか迷っていた者も多かったようですが、兼光派の主な者が捕らわれたことにより、皆、貞義殿に服従致しました」
秀郷が頷く。
「そうか。実はな、兼家殿が甲賀郡の郡司と成って近江に移ってより、望月の家は貞義殿の父・兼貞殿が跡を継いだのだが、些細な揉め事が始まって、兼貞殿の死後、それが大きくなって来ておったようだ。貞義殿の代となって、いよいよ抑えきれぬ程になっていたものと見える。もちろん、海野、根津という滋野三家としての後ろ盾は有るが、内輪のことで弱みを晒したくは無かったのであろう。何より、兼家殿に聞こえてはとの想いが有り、困り果てていたのであろう。
尤も、兼家殿は疾の昔に知っておった。あの男近頃、郡司で在りながら細作をも生業としているようじゃ。都や諸国の様子を調べ、それを己の為に使うだけでなく、必要とする者に売り込んでおる。かと言って、郡司たる者がそう簡単に信濃くんだりまで兵を出す訳にも行かず、思案しておったようだ。
貞義殿に危険が差し迫っている様子と報せて来たのは、兼家殿の郎等と成っている祖真紀の弟・大道国影という者だ。元の名は支由威手と申し、国時の配下だった者だ。…… 汝が行った時、驚いておったろう、貞義殿は」
為たり顔で秀郷が千方を見た。
「はい。最初はそのようでした。ただ、直ぐに理解して頂けました」
「千方。大きくなったのう。五郎(千常)も安心して任せたのであろう」
秀郷は笑みを漏らし、感慨深げにそう言った。
「それはどうか分かりませんが、麿の方は必死でした。早々と気付かれ、逆に一気に事を起こされて、貞義殿が殺されたり人質に取られたりするようなことになっては元も子も無くなってしまいますから」
「だが、上手くやれた。今まで、無駄に修羅場を潜っては来なかったということじゃ。教え事には行かぬ。その場の状況を読み取って、いかに速やかに判断を下し、適切な行動を取れるか。慎重さと機敏さ。この一見矛盾するふたつのことをどう使い分けられるか。それが出来なければ失敗しておったろう。見事じゃ」
「恐れ入ります。父上にお褒め頂いたのは、初めてのことに御座ります」
秀郷は少し目を剥いた。
「う? そうであったか? 褒めた事は無かったかのう」
そう言う秀郷の表情が可笑しくて、思わず千方は吹き出しそうになった。
「父上がお望みのように、下野藤原家の力を、坂東一帯、伊豆、信濃にまで伸ばして行きたいと思っております。官位・官職には余り興味が有りません」
千方がそう言った時、満足げに笑っていた秀郷の表情が変わった。
「青い! 麿が従四位下であったればこそ、今の麿が在り汝達が在るのだ。今の世の中、官位・官職が無ければ何も出来ぬ。官位・官職には余り興味が無いなどと軽々しく申すで無い」
つい調子に乗ってしまったかと、千方は己を振り返った。
「ご教授、しかと心に留め置きます」
と神妙に頭を下げる。
「人ひとりの力など知れたものじゃ。時には他人の力を頼み、時には利用することも出来ねば、ひとりの力で出来ることなどたかが知れておると思え。だが、他人を当てにしてはならん。最後は己のみ。そう言う覚悟も忘れぬこと。しかと覚えておくが良い。やれる限りのことをやって駄目な時、それが己の定めと言うものじゃ」
「お教え肝に命じます」
千方はもう一度頭を下げる。
「ところで、五郎がのう、汝を養子にしたいと申して来ておる」
秀郷がふいにそう切り出した。
「その件なれば、兼ね兼ね兄上からも言われておりますが、……」
千常に度々言われてはいるが、余り触れたく無い話題だった。
「草原から連れて来た時より、そのつもりであったのであろう。草原は豊地に継がせれば良いのだから、問題は有るまい。千常は、汝に跡を継いで貰いたいのじゃ。汝に取っても良きことであろう。
庶子の六男の儘では碌な官職にもあり付けぬであろうが、麿の直系の孫で、嫡嗣である藤原太郎と言うことに成れば、将来は五位も望める立場となる」
「父上が爺様ということになってしまうのですか?」
「混ぜっ返すな。系図の上のことじゃ」
「今では、兄上には嫡子・太郎がおるでは御座いませんか」
千常の話に乗れない理由はそこにあった。
「まだ、二歳の童(数え年のため、満では一歳数か月)じゃ。もし今、自分に何か有ればと心配なのであろう。麿もいつまで元気か分からんしのう」
「もし、兄上に何か有った際には、熊丸が成人する迄は麿が後見し、伯父として家督を預かるということで宜しいのでは?」
「望月の例も有る。伯父では乗っ取ったと言われ兼ねぬ。成人したら返すなどと言っても信用されまい。だから、五郎はそなたをきちんと養子にし、後を託そうと思っておるようじゃ」
「ならば、猶子(養子とは異なり相続を目的としないという建前)ということにして頂けませんでしょうか?」
「実際問題としては、養子も猶子も変わらぬわ。汝がそう望むなら、猶子でも良い」
と秀郷も折れた。
「もうひとつお願いが御座います。麿は藤原六郎という名乗りが気に入っておりまして、引き続きそう名乗ることをお許し下さい」
秀郷は少しムッとしたように横を向き、少し間を置いてから、改めて千方を見た。
「こんなへそ曲がりとは思わなんだな。千常の猶子となれば、朝廷への届け出も必要だし、公の場では『太郎』と名乗らなければならんのじゃ。その上で跡継ぎを誰にするかは五郎が決めること」
「申し訳有りません。父上に逆らうつもりなど毛頭御座いません。しかし、実の子に継がせたいと思うのは人として当然。預かることはあっても、麿も、熊丸を差し置いて継ぎたいとは思いません。そういう気持ちを、今はっきりとさせて置きたいのです」
秀郷はまじまじと千方の顔を見た。
「汝には欲が無いのか、それとも、その歳でもう、将来の保身を考えておるのか?」
少々呆れ気味に千方の顔を見る。
「欲は有ります。兄上の片腕と成って、父上のお望みのように下野藤原家の力を、坂東一帯、伊豆、信濃にまで伸ばして行きたいと思っております」
千方はその辺のところをはっきりさせて、将来に禍根を残す事が無いようにしたいと思っている。
「その為に、嫡子とすることが必要と五郎は思っているのだ。麿が従四位下であったればこそ、今の麿が在り、汝達が在るのだ。何度も言うが、今の世の中、官位・官職が無ければ何も出来ぬ。嫡子と庶子では朝廷の扱いが違う。己ひとりの力など知れたものと申した意味がまだ、良く分かっておらぬと見えるな」
秀郷は不思議そうに千方を見、千方も秀郷を見た。
「父上は、朝廷の意に逆らって出世を拒否して来られたお方かと思っておりました。従四位下は将門討伐の恩賞として当然のもので、都に上れば、更に位階も上がり参議にも列する機会が有りながら、坂東の地に留まり、その力を養って来られたのでは無いのですか?」
秀郷が「ふふっ」と笑った。
「そんな風に思っておったか。やはりまだ若いな。世の中と言うものはそんな甘いものでは無い。もし麿が上洛していたとしたら、疾うの昔に下野藤原家は無くなっておったわ」
「どういうことでしょうか?」
意外な事を言われ、千方が尋ねる。
「朝廷が麿に褒美を与えたのは、やむ無く渋々じゃ。折あらば足元をすくってやろうと虎視眈々と狙っておるのよ。下野に根を張っておる限りはそう簡単に潰されることは無い。もし、あの時、麿が太政官の命に従って上洛していたとすれば、まず、太政官の意を汲んだ下野守が任命され、麿が留守にしている下野内の人脈をずたずたにし、麿の勢力を奪うことから始まり、最後は何かの罪を着せて麿を殺すか流罪にするかしたに違いない。もちろん、千晴や千常も流されることになったであろう」
秀郷の表情が厳しいものとなっている。
「そんな! 朝廷とは、そんな悪辣なことを考えるところなのですか?」
と千方が聞く。
「悪辣な? ふふ、珍妙な言葉を使いおるのう。悪と言ってしまえば、今の世の中全てが悪じゃ。そんな考えでおったら、いずれ誰かに嵌められて短い生涯を終えることになるぞ」
秀郷は厳しくそう言った。
「はい」
と無意味な返事をしながら、千方は昔陸奥に居た時、朝鳥に言われた言葉を思い出した。
『誰から見ても正義、誰から見ても悪などというものは存在しません。力を持った者から見ての正義や悪が世に罷通り、歴史にもそのように残って行くというもので御座いますよ』
朝鳥は、確かそんなことを言っていた。
『父がもし上洛していたとしたら、藤原秀郷は冤罪により処罰され、悪人として歴史に名を残すことになっていたのか』
そう思った。
「生き残る為には、あらゆることに気を配り、考えて手を打って行かねばならん。戦場で太刀が折れたり失ったりした時、落ちていれば、敵の太刀であろうと、拾って戦うであろう。己の力が足りなければ、利用出来る物は何でも利用せねばならん。
麿の目から見れば、千晴も千常も、まだ心許無い。千常は近くにおるゆえ、危ういと思えば注意も出来るが、都におる千晴に付いては、その機会も無い」
「高明様の許に在る限り、都の兄上に災いが降り掛かることも御座いませんでしょう」
と千方が思うところを述べる。
「こたびの働きでは、少しは大人に成ったかと思うたが、六郎、やはり、そのほうは能天気のようじゃな」
秀郷がそう言ってニヤリとした。
「は? どう言うことで御座いますか」
言われた意味が分からず、不思議そうに千方が尋ねる。
「今宵は泊まって行け。離れて暮らしていたゆえ、汝には色々と教えることも出来なかった。そう思って朝鳥を付けたが、まだまだ、世を渡って行く為の知恵が身に付いているとは思えん。今宵は物語などして遣わそう。麿の話から、何か得るものがあるやも知れぬ」
「それは願っても無いことで。麿も、父上のお話を、一度ゆっくりと伺いたいと思うておりました」
千方が嬉しそうにそう言う。
「良い機会じゃ。麿もいつまで生きておるか分からんでのう」
「何をお気の弱いことを。父上は、初めてお目に掛かった頃より変わってはおられません」
そうは言ったが、千方は、父の外見や動作に、やはり老を感じていた。
従って来ていた夜叉丸と秋天丸は郎等長屋に泊めて貰うこととし、秀郷の居室に場を移し、酒など運ばせた上人払いをして、ふたりは向かい合っていた。
浅めの四角い注ぎ口と籐の吊り手の付いた陶器を火に掛けて温めた酒を、千方が秀郷のカワラケに注ぐ。
「暖酒は良い。寒くなって来るとこうして飲むのが何よりじゃ」
「麿も頂きます」
そう言って、千方は、自分のカワラケにも注いだ。
「今、朝廷を動かしている藤原北家の祖は、房前候の三男・真盾の流れ。我が祖・魚名候は同じ房前候の五男じゃ。
そう言う意味では、我等も同じ北家と言えないことも無いが、北家が力を得たのは真盾の三男・内麻呂からじゃ。そして、忠平の父・基経からは、帝を凌ぐ力を持っておる」
「はい。それは存じております」
父の盃に酒を注ぎながら、千方が頷く。
「良う学んでおるのう。では、我が血筋ながら、藤原が今までどれだけの者達を陥れて来たか、分かるか?」
「いえ」
「数え切れぬ。下は下級司人から、上は皇太子、帝までじゃ。同族とて、都合の悪い者は葬る。我が祖・魚名侯もその犠牲となったひとりだ。後に桓武の帝に寄って冤罪であったことが宣され、罪に関わる記録も抹消されて太政大臣を贈られたが、死んだ後ではな……」
「嵌めたのは北家の者達ということですか?」
「誰がやったか実際には分からん。だが、北家以外の誰が出来る? 当時右大臣だった魚名侯を嵌めるなどという真似が…… 麿は心根の上では鳥取の一族と思うておると以前申したことが有ったな」
「はい。初めての対面の折、そう伺いました」
「だが、藤原を名乗り、その血を引いている以上、やはり、祖である魚名候のことは気になり、何人かの学者に依頼し、調べて貰った。候は、桓武帝即位の年に右大臣に上った途端、冤罪の為失脚し、配流地に赴く途中で病に倒れたのだ。願い出て、摂津に有った別荘に留まり治療を行うことを許され、二年後には都に戻ることは出来たが、そのまま亡くなった。さぞ、無念なことであったろうと思う。
亡くなって間も無く、桓武帝は、魚名候に左大臣の官職を贈り、右大臣免官に関する詔勅や官符などを焼却させ、その名誉を回復させた。
つまり、冤罪であり、帝の下した処分が誤りであったことを、事実上認めたことになる。しかし、帝が謝罪することまでは無かった。
当時、即位したばかりの帝の立場はまだ不安定で、何よりもまず、権威を確立せねばならぬお立場にあったからであろう。従って濡れ衣を着せられた経緯も、誰が魚名候を嵌めたかも一切明らかにされなかったし、調べた限り、それについての文書も残っておらん。
当時、北家の氏長者・永手は魚名候が嵌られた三月前に死んでおる。そして、真楯の三男・内麻呂は、まだ従五位下に過ぎず、とても、右大臣を葬れる立場には無かった。
怪しいのは、永手の嫡男・藤原家依という男だ。称徳朝から光仁朝に掛けて急速に出世し、参議になっていたという。桓武帝が即位した年には、従三位・兵部卿に叙任されている。
ところが、魚名候の冤罪が晴れた後、後任の参議であった大伴家持、藤原小黒麻呂、藤原種継らが次々と中納言に任ぜられる傍らで、家依は参議から昇進出来ないまま、四年後に四十三歳の若さで死んだそうだ。
発覚後,直ぐに下手人を罰することは、讒言に惑わされて魚名候を失脚させた帝ご自身の過ちを広く世間に晒すことになる。当時まだお立場が危うかった帝にすれば、とても出来ぬことであったのであろう。
家依には、魚名候を陥れる策を弄しても出世したい理由が有ったと思われる。父の永手は、光仁帝の擁立に際しては、式家の良継、百川兄弟と共に功績が有ったが、光仁天皇の皇太子に付いては、山部親王(後の桓武天皇)を推した良継、百川らの反対を押し切って、井上内親王を通じて天武系の血を引く他戸親王を立てようとしたと言われている。その永手は桓武帝即位前に死んでいる。
しかし、永手の所業に恨みを持った桓武帝が家依の出世を止めたということでは無く、即位半年後の十月には、正四位上だった家依を従三位に引き上げておる。
魚名候が流罪となったのは六月だから、家依が十月に昇進したのは、或いは、魚名候が氷上川継の乱に加担していると訴えたことに対する褒美の意味だったかも知れぬ。
後に、冤罪であったことを知った帝は、魚名候の名誉回復だけを行ったと考えることが出来る。そして、家依は飼い殺しにし、ほとぼりの覚めた四年後に、密かに抹殺したのではなかろうかと思うのだ。
家依の出世が急に止まり、若死にしたというだけでは無い。つまり、家依の昇進がぴたりと止まったのは、その父・永手に対する桓武帝の怒りからでは無く、家依自身に原因があったと考えるのが自然だろう。
桓武帝の治世では出世出来ないだろうと勝手に思い込んでいた家依が、出世を焦って魚名候を誣告し、その結果昇進したが、二年後に魚名候が亡くなった丁度その頃、何かの切掛けで、冤罪であることが発覚した。麿はそう考えるに至った。証は何一つ無いがな」
千方は疑問を口にした。
「その家依とやらが罪を犯しても、北家が伸し上ることに障りは無かったということでしょうか?」
一度頷いた秀郷が続ける。
「永手の流れがその後、日の目を見ることは無かった。代わって、永手の弟・真楯の三男・内麻呂が伸し上ったのだ。妻を桓武帝に差し出してな」
「はあ?」
秀郷が最後に言った言葉に千方は呆気に取られた。
「内麻呂の最初の妻は、百済永継と言って渡来系の女子でな、後宮で女嬬を務めていたが、帝に見初められ、内麻呂は妻を差し出したのだ。そして、その後急速に出世した」
「出世の為なら、他人を陥れることも、妻を差し出すことも何でもやる。そんな者達なのですか?」
暗い顔になり、千方が嘆息した。
「朝廷と藤原の歴史は、裏切りと粛清、讒言と保身に満ちておる。それが下々にまで広がったのが今の世じゃ。
国司を通じて国中から富を吸い上げ、贅沢三昧の暮らしをしている公卿達。奴らがやがてはこの国を亡ぼす。そう言う麿も国司として、奴らの収奪の片棒を担いでおった。麿も含め、この世は悪だらけよ」
そう言って秀郷は自嘲気味に笑った。
「そんな」
父が己自身を悪と言うとは、千方は思ってもいなかった。
「だがな。こんな麿でも、この世を変えてやろうと本気で思っていた時期が有った。分かるか?」
自重気味の言葉の後、父の目が輝いた。
「承平の乱の頃のことで御座いますか?」
と千方が確認する。
「聞きたいか? 当時のことを」
と秀郷が聞いて来た。
「はい。至極興味が御座います」
千方も目を輝かせる。
「うん」
と頷くと秀郷は、
「誰ぞ在る!」
と郎等を呼び、ひとりが現れると、
「薄暗くなって参った。灯りを持て。それと、酒の代わりもな」
と命じた。




