第3話 日高見の息吹 ⅲ
そんな中で、意外な者達が安倍氏の味方となる。他でもない、それは阿弖流爲の残党である。
まだ阿弖流爲が大和と対峙していた頃のこと。彼の部下の中に倶裳射という男が居た。大和の移民の娘と良い仲になり、一旦は阿弖流爲の許を離れて大和人の移民集落で暮らすようになったが、蔑みの目に耐え切れず妻子を連れて再び蝦夷社会に戻った。
しかし、阿弖流爲の許しを得て戻ってはみたものの、今度は仲間の蝦夷達から、大和の回し者ではないかと疑いの目で見られるようになる。
倶裳射は己の疑いを晴らす為に、大和側の情報を阿弖流爲に漏らす。もちろん底辺に生きる者であるから、知っている情報は些細なことに限られる。それでも、蝦夷達が知らなかった情報も有り、後にそれが事実と確認されるに連れ、徐々に信用を得て行った。
己が認めて貰える道はそれしか無いと感じた倶裳射は、より大きな情報を阿弖流爲に齎したいと考えるようになった。そして、単身、大和社会に潜入し、より重要な情報を得ようとした。
ところが、前線に出張っていた安倍氏の郎等に怪しまれ捕まってしまう。当時の安倍氏の当主は、忠頼の曾祖父の父・安倍陸奥臣・大鹿である。大鹿の前に引き出された倶裳射は、もうこれまでと観念し、大鹿を睨み付けて、
「殺せ!」
とひと言叫び、例え拷問に掛けられようと、後は何も喋るまいと心に決めた。
「大和人の身形をしているが、蝦夷だな」
と大鹿が問う。倶裳射はそれにも答えず、ただ睨み付けている。
「ふふ。飽くまで喋らぬつもりと見えるな。良かろう、望み通りにして遣わす。まず、手足の指一本一本の爪を剥がし、目を抉り、体中に無数の浅い傷を付ける。その傷に腐った魚をすり潰したモノを塗り付けてやる。蝿がたかり、やがて蛆が沸いて悶え苦しみながら死ぬことになる。どうじゃ、それが望みか?」
倶裳射は表情も変えない。
「白状致さば、ひと突きで、苦しむ暇も無く殺してやる。どちらでも、好きな方を選べ」
大鹿は暫く黙って倶裳射の返事を待った。だが、いつまで待っても倶裳射は黙したままだ。やがて大鹿が言った。
「皆、下がっておれ」
郎等達が出て行くと、大鹿はしゃがみ込んで倶裳射の縄目を解いた。
大鹿が何をするつもりか? 倶裳射は目まぐるしく考えたが、逃げるのは今しか無いと思う。しかし、すぐに捕まってしまうだろうとも思った。大鹿に襲い掛かって太刀を奪い、人質にして楯として逃れるしかない。
振り向きざま太刀を掴もうとした。右手が上手く大鹿の太刀の柄つかに掛ったが、同時に、大鹿にその手首を掴まれていた。構わずそのまま抜こうとした。だが、手首を捻られ、肘を上から押さえ付けられて、前に強く引かれた。倶裳射は、そのまま前につんのめった。大鹿は倶裳射をうつ伏せに組み伏せ、裏返しに横に伸ばした倶裳射の腕の肘と手首を上から抑え付け、脇腹と手首に膝を押し付けている。
倶裳射は全く上半身を動かすことが出来なくなっていた。
「騒ぐで無い。大和の為に働いてはおるが、吾も蝦夷だ」
そう言うと、大鹿は抑えつけていた手を放し立ち上がった。少し置いて倶裳射も腕を擦りながら起き上がり、座ったまま大鹿を見上げた。もはや、もう一度襲い掛かろうという気力は失せていた。
「汝なれの覚悟は、しかと見極みきわめた。少し吾の話を聞いてみる気はないか? ……」
大鹿が倶裳射の目を見詰めて言う。倶裳射は大鹿の意図を図り兼ねていた。だが、大鹿の視線に誘い込まれるかのように、そのうち思わず頷いていた。
「蝦夷とは言っても我等は俘囚だ。大和の手先となって同胞と戦い、多くの者を殺して来た。許せぬであろう。きっと阿弖流爲も許さぬ。……好き好んで蝦夷を殺している訳ではない。…… それしか生きる道が無かった。
己が生き延びる為に同胞はらからを殺して来たのだ。それが許せぬと申すであろう。…… だが、大和には勝てぬ。勝てぬのじゃ。…… 分るまいのう。もうじき大和は五万の大軍をこの陸奥に送り込んで来る。阿弖流爲の本拠を一挙に壊滅させるつもりだ。すべてが焼き払われるであろう。皆殺しになるかも知れぬ。…… このこと、阿弖流爲に伝えて貰いたい」
「何故なにゆえ……」
思わず倶裳射が問い返した。
「何度も申すが我等も蝦夷じゃ。汝なれ達は我等を許さぬだろうが、せめてもの贖罪のつもりだ。出来ることなら投降し、この戦を終わらせて欲しい。これ以上闘っても、いたずらに犠牲を増やすだけだ。しかし、今の阿弖流爲には分かるまい。飽くまで戦い続けるつもりであろう。…… どう判断するかは阿弖流爲次第だ。だが、伝えて置きたいのだ」
大鹿の眼差しは真剣だった。しかし、倶裳射は尚も用心していた。
『五万の大軍で阿弖流爲の本拠を殲滅するつもり』と脅して降伏させようと言うのか? それとも、吾を解き放して、跡を付けさせるつもりか? いずれにしろ、そのまま信じられるものでは無い」
と倶裳射は思った。
「汝の思惑通りにはならぬ」
と言い切る。
大鹿がさらりと太刀を抜き放った。そしてしゃがみ込み、左手で倶裳射の右手首を掴んだ。倶裳射は刺殺されると覚悟した。ところが大鹿は、太刀の柄を倶裳射に握らせて来たのだ。
「何としても阿弖流爲に伝えて貰いたい。それには汝なれに信じて貰う他に無い。信じられぬとあらば、今、吾を刺し殺せ。多くの同胞はらからを殺して来た身だ。悔いは無い」
射抜いぬくように見詰める大鹿の目に、倶裳射は気圧けおされた。例え郎等達がどこかに潜んでいたとしても、この距離で自分が大鹿を刺したら、間に合う筈が無い。
『この男は本気なのだ』
そう思った。
「汝の言うことなど頭領は信ぜぬわ」
と言ってみる。
「分っておる。阿弖流爲は我等を信ぜぬだろうし、決して許しもすまい。だからこそ、汝なれに信じて欲しいのだ。そして、吾が申したこととは言わず、汝が探り出したこととして阿弖流爲に報せて欲しいのだ」
圧倒的に優位な立場にある筈の大鹿が、倶裳射に懇願するかのように言った。
「そう簡単には信じられぬ」
倶裳射は用心を解かない。
「いずれ阿弖流爲の耳にも入ることだ。だが、少しでも早く報せて置きたい。策を錬る時が必要だ」
と大鹿が続ける。
「断ったら? ……」
倶裳射が大鹿を試すかのように言った。
少し間を置いて大鹿おじかは立ち上がった。そして、倶裳射に握らせた太刀を静かに取り上げ、鞘に収めた。そして、一度大きく溜息を突く。
「誰かおるか!」
郎等が急ぎ足で入って来る。縄を解かれている倶裳射を見て怪訝けげんそうな表情を浮かべた。
「疑いは晴れた。この者、取るに足らぬ者だ。怪しい者では無いと分かった。吾も忙しい。早々に追い出せ」
と大鹿が郎等に命じた。
「はっ」
と返事をした郎等が倶裳射の傍に駆け寄り、襟首えりくびを掴み引き立て、そのまま路みちまで連れて行って突き転がした




