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坂東の風  作者: 青木 航
第二章 幼年編 弐 陸奥へ

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第3話 日高見の息吹 ⅲ

 そんな中で、意外な者達が安倍氏の味方となる。他でもない、それは阿弖流爲《アテルイ》の残党である。


 まだ阿弖流爲《アテルイ》が大和と対峙していた頃のこと。彼の部下の中に倶裳射《くもい》という男が居た。大和の移民の娘と良い仲になり、一旦は阿弖流爲の許《もと》を離れて大和人《やまとびと》の移民集落で暮らすようになったが、蔑《さげす》みの目に耐え切れず妻子を連れて再び蝦夷社会に戻った。

 しかし、阿弖流爲《あてるい》の許しを得て戻ってはみたものの、今度は仲間の蝦夷達から、大和の回し者ではないかと疑いの目で見られるようになる。

 倶裳射《くもい》は己の疑いを晴らす為に、大和側の情報を阿弖流爲《アテルイ》に漏らす。もちろん底辺に生きる者であるから、知っている情報は些細なことに限られる。それでも、蝦夷達が知らなかった情報も有り、後にそれが事実と確認されるに連れ、徐々に信用を得て行った。

 己が認めて貰える道はそれしか無いと感じた倶裳射《くもい》は、より大きな情報を阿弖流爲《アテルイ》に齎《もたら》したいと考えるようになった。そして、単身、大和社会に潜入し、より重要な情報を得ようとした。

 ところが、前線に出張っていた安倍氏の郎等に怪しまれ捕まってしまう。当時の安倍氏の当主は、忠頼の曾祖父の父・安倍陸奥臣《あべのむつのおみ》・大鹿《おおじか》である。大鹿の前に引き出された倶裳射《くもい》は、もうこれまでと観念し、大鹿を睨み付けて、

「殺せ!」

とひと言《こと》叫び、例え拷問に掛けられようと、後は何も喋るまいと心に決めた。

「大和人《やまとびと》の身形《みなり》をしているが、蝦夷だな」

と大鹿が問う。倶裳射《くもい》はそれにも答えず、ただ睨み付けている。  

「ふふ。飽くまで喋らぬつもりと見えるな。良かろう、望み通りにして遣わす。まず、手足の指一本一本の爪を剥がし、目を抉《えぐ》り、体中に無数の浅い傷を付ける。その傷に腐った魚をすり潰したモノを塗り付けてやる。蝿がたかり、やがて蛆《うじ》が沸いて悶《もだ》え苦しみながら死ぬことになる。どうじゃ、それが望みか?」

 倶裳射《くもい》は表情も変えない。

「白状致さば、ひと突きで、苦しむ暇《いとま》も無く殺してやる。どちらでも、好きな方を選べ」

 大鹿は暫く黙って倶裳射《くもい》の返事を待った。だが、いつまで待っても倶裳射は黙したままだ。やがて大鹿が言った。

「皆、下がっておれ」

 郎等達が出て行くと、大鹿はしゃがみ込んで倶裳射《くもい》の縄目を解いた。

 大鹿が何をするつもりか? 倶裳射は目まぐるしく考えたが、逃げるのは今しか無いと思う。しかし、すぐに捕まってしまうだろうとも思った。大鹿に襲い掛かって太刀を奪い、人質にして楯として逃れるしかない。

 振り向きざま太刀を掴もうとした。右手が上手く大鹿の太刀の柄つかに掛ったが、同時に、大鹿にその手首を掴まれていた。構わずそのまま抜こうとした。だが、手首を捻《ひね》られ、肘《ひじ》を上から押さえ付けられて、前に強く引かれた。倶裳射《くもい》は、そのまま前につんのめった。大鹿は倶裳射《くもい》をうつ伏せに組み伏せ、裏返しに横に伸ばした倶裳射《くもい》の腕の肘と手首を上から抑え付け、脇腹と手首に膝を押し付けている。

 倶裳射は全く上半身を動かすことが出来なくなっていた。

「騒ぐで無い。大和の為に働いてはおるが、吾も蝦夷だ」

 そう言うと、大鹿は抑えつけていた手を放し立ち上がった。少し置いて倶裳射《くもい》も腕を擦りながら起き上がり、座ったまま大鹿を見上げた。もはや、もう一度襲い掛かろうという気力は失せていた。

「汝なれの覚悟は、しかと見極みきわめた。少し吾の話を聞いてみる気はないか? ……」

 大鹿が倶裳射《くもい》の目を見詰めて言う。倶裳射は大鹿の意図を図り兼ねていた。だが、大鹿の視線に誘い込まれるかのように、そのうち思わず頷いていた。

「蝦夷とは言っても我等は俘囚《ふしゅう》だ。大和の手先となって同胞《はらから》と戦い、多くの者を殺して来た。許せぬであろう。きっと阿弖流爲《あてるい》も許さぬ。……好き好んで蝦夷を殺している訳ではない。…… それしか生きる道が無かった。

 己が生き延びる為に同胞はらからを殺して来たのだ。それが許せぬと申すであろう。…… だが、大和には勝てぬ。勝てぬのじゃ。…… 分るまいのう。もうじき大和は五万の大軍をこの陸奥《むつ》に送り込んで来る。阿弖流爲《アテルイ》の本拠を一挙に壊滅させるつもりだ。すべてが焼き払われるであろう。皆殺しになるかも知れぬ。…… このこと、阿弖流爲《アテルイ》に伝えて貰いたい」

「何故なにゆえ……」

 思わず倶裳射《くもい》が問い返した。

「何度も申すが我等も蝦夷じゃ。汝なれ達は我等を許さぬだろうが、せめてもの贖罪《しょくざい》のつもりだ。出来ることなら投降し、この戦《いくさ》を終わらせて欲しい。これ以上闘っても、いたずらに犠牲を増やすだけだ。しかし、今の阿弖流爲《アテルイ》には分かるまい。飽くまで戦い続けるつもりであろう。…… どう判断するかは阿弖流爲《アテルイ》次第だ。だが、伝えて置きたいのだ」

 大鹿の眼差しは真剣だった。しかし、倶裳射《くもい》は尚も用心していた。

『五万の大軍で阿弖流爲《アテルイ》の本拠を殲滅するつもり』と脅して降伏させようと言うのか? それとも、吾を解き放して、跡を付けさせるつもりか? いずれにしろ、そのまま信じられるものでは無い」

と倶裳射《くもい》は思った。

「汝《なれ》の思惑通りにはならぬ」

と言い切る。

 大鹿がさらりと太刀を抜き放った。そしてしゃがみ込み、左手で倶裳射《くもい》の右手首を掴んだ。倶裳射《くもい》は刺殺されると覚悟した。ところが大鹿は、太刀の柄《つか》を倶裳射《くもい》に握らせて来たのだ。

「何としても阿弖流爲《アテルイ》に伝えて貰いたい。それには汝なれに信じて貰う他に無い。信じられぬとあらば、今、吾を刺し殺せ。多くの同胞はらからを殺して来た身だ。悔いは無い」

 射抜いぬくように見詰める大鹿の目に、倶裳射《くもい》は気圧けおされた。例え郎等達がどこかに潜んでいたとしても、この距離で自分が大鹿を刺したら、間に合う筈が無い。

『この男は本気なのだ』

 そう思った。

「汝《なれ》の言うことなど頭領は信ぜぬわ」

と言ってみる。

「分っておる。阿弖流爲《アテルイ》は我等を信ぜぬだろうし、決して許しもすまい。だからこそ、汝なれに信じて欲しいのだ。そして、吾が申したこととは言わず、汝《なれ》が探り出したこととして阿弖流爲に報せて欲しいのだ」

 圧倒的に優位な立場にある筈の大鹿が、倶裳射《くもい》に懇願するかのように言った。

「そう簡単には信じられぬ」

 倶裳射は用心を解かない。

「いずれ阿弖流爲《アテルイ》の耳にも入ることだ。だが、少しでも早く報せて置きたい。策を錬る時が必要だ」

と大鹿が続ける。

「断ったら? ……」

 倶裳射《くもい》が大鹿を試すかのように言った。

 少し間を置いて大鹿おじかは立ち上がった。そして、倶裳射に握らせた太刀を静かに取り上げ、鞘に収めた。そして、一度大きく溜息を突く。

「誰《たれ》かおるか!」

 郎等が急ぎ足で入って来る。縄を解かれている倶裳射《くもい》を見て怪訝けげんそうな表情を浮かべた。

「疑いは晴れた。この者、取るに足らぬ者だ。怪しい者では無いと分かった。吾も忙しい。早々に追い出せ」

と大鹿が郎等に命じた。

「はっ」

と返事をした郎等が倶裳射《くもい》の傍に駆け寄り、襟首えりくびを掴み引き立て、そのまま路みちまで連れて行って突き転がした

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