第3話 日高見の息吹 ⅱ
支度を整え庭に出ると、慌ただしく兵達が出陣の準備に追われている。
「もたもたするな。遅れればそれだけ味方の犠牲が多くなるのだ。急げ、急げ!」
忠頼は乗馬用の鞭を振り回して兵達を叱咤していた。あと僅かで出陣可能な体勢は出来ていた。
「忠頼殿、同道させて貰う」
古能代が言った。
「古能代殿…… 。いや、それは困る。父にもきつく言われておる」
「そのお舘様よりお許しを頂いた。案ずるな、邪魔はせぬ」
「いや、邪魔などとは思わぬ。古能代殿が一緒ならば心強いが…… 帰られたばかりで、姉上や子らとゆっくりして欲しいと思っていたのに…… いや、この騒ぎでは気付くわな。気付けば後には引かぬ義兄者。父もそれが分っていて許したのであろう。分かり申した」
と言って忠頼は苦笑いをした。
「済まぬが、我等も同道させて貰うことになった」
そう言った千方の方を、忠頼は驚いた様子で見た。
「しかし、それは……」
「お邪魔は致さぬ。我等のことは気にせんで下され」
何としても見たいと千方は思っている。
「そう言われましても……」
忠頼は弱った。万が一にも千方に間違いが有っては困る。そう思っていた。
「我等からもお願い致す」
古能代も千方の同道を忠頼に迫る。
「しかし、万が一のことでも有れば……」
なおも忠頼は躊躇している。
「我等が責任を持つ。迷惑は掛けぬ。…… と言ってもやはり迷惑ではあろうが、そこを曲げてお願い申す」
古能代も引かない。
「万一、麿に何か有ったとしても、それは麿の天命じゃ。我が父や兄が、忠頼殿や都留儀殿の手落ちと責めることは無い。それはお誓い申す」
千方がそう強調した。
「御曹司がそこまで言われるのなら……」
遂に忠頼は折れた。
「忝い。ついでに、その『御曹司』はやめて下され。麿は公家の子では無い。六郎とお呼び下さい」
満足気に頷いた千方が言った。
「分かり申した、六郎様。やはり、前将軍様のお子ですな。肝が坐っておいでじゃ。但し、くれぐれも見るだけにして下されよ。お願い致します」
そう忠頼が念を押す。
「元より、邪魔は致さぬ」
千方もそう約束した。
ほどなく五十名ばかりの郎等達が整列を終え、出陣となった。
一行は忠頼を先頭に二列となって舘の庭から駆け出して行く。山裾を廻り集落に掛かる度に従う者の数が増え、いつの間にか百を超す集団に膨れ上がって行く。
千方も朝鳥もその数に驚いた。これ程短い時間で百名もの郎等を集められることに驚いたのだ。千方は、安倍氏の勢力に驚愕していた。正確にその力を知っている訳ではないが、強力と言われている武蔵の村岡氏をも凌ぐのではないかと思えた。そして、なぜか血が騒いでいた。
山中の路を抜け、一刻(三十分)程も駆けただろうか。郎等の数は更に増えている。行く手に集落が見え、近付いて行くと十人に少し足りない程の人影が見えた。
「どうした?」
手綱を引き絞った忠頼が男達に尋ねた。ひとりの騎馬武者と残りは郷人らしい風体をした男達だ。
「荒らし廻った後、さっさと引き揚げました。今、追っております」
と騎馬武者が答えた。
「少数での深追いは危険だ。急がねば……。案内せよ!」
と忠頼が命じる。
「はっ」
合流した武者の案内で、一行は更に山道に分け入って進む。路は狭く分かれ道も有るが、回りの草が薙ぎ倒され、至る所で小枝が折れているので進む道に悩むことは無い。
やがて峠に出て、見晴らしが開けた。
「止まれ~!」
忠頼の声が響いた。向いの山々から木霊が帰って来る。見渡すと遥か下に縦に伸びた二塊の人馬の群れが見える。先を行く塊はもうじき小さめの山の山裾に掛る処だ。その山頂には舘らしき物が見える。
「よもや、あのまま追うことは有るまいが、高旨先に参れ」
「はっ」
と一言発すると、案内して来た武者は駆け出して行った。
「我等も急ぎ参りましょう」
忠頼が千方に言った。
「我等のことは気にせず、お急ぎ下され」
と千方が答える。
「続け~!」
振り上げた鞭を前に振って馬の腹を蹴り、忠頼が駆け出すと共に、一団は早足となって坂道を下り始めた。
既にその数は百二十を超えている。急な坂に差し掛かると馬を抑えながら曲がりくねった道を一列の長い帯となって下って行く。
下り切り、谷川を渡って、今度は緩やかな上り坂を進む。やがて、五十人ほどの武者達が見えて来た。その一団の中から高旨が戻って来る。
「吾が着いた時には、既に追うことはやめておりました」
戻った高旨は忠頼にそう報告した。
「うん。良かった。これより先は死地となる」
と、忠頼が呟く。
「忠頼殿。死地…… とは?」
千方が尋ねた。
「木々の間に堤が見えましょう。あの手前は深い堀となっております。それが、この山の周りを一周しているのです。入口はひとつ。うっかり踏み込めば、両側から石や丸太を落されます。ですが、それは皆存じていることゆえ、これ以上追うことは無いと思っておりましたが、万一を考えました」
忠頼は千方にそう説明した。
「失礼ながら、忠頼様はお若いのに中々の方とお見受け致しました。お舘様が安心して任せておられるのも、成る程と思われます」
そう言ったのは朝鳥だ。
「いや、そのように言われると面映ゆい。ただ、少し心配症なだけです」
忠頼がそう謙遜する。
「朝鳥は麿に言い聞かせているのですよ。皆知っている筈だからそのまま追って行くことなど有り得ないと決め付けてしまってはならない。最悪の事態となった時どうするかまで、常に考えて置かなければ将は務まらないと言いたかったのでしょう」
朝鳥がニヤリとする。
「その通りで御座います。少しは分っておいでになったようですな。堀を渡る前に追いつけると思い込んで勢いに乗って踏み込んでしまうとか、ここで手柄を立てなければという想いが強くなり、周りが見えなくなってしまうとか…… 戦場では思いも寄らぬことがしばしば起こりまする。それを後から、『まさかそんなことが』と悔やんでみても仕方がありません。気付かなかった己が悪いのですから」
朝鳥がしたり顔でお説明しようとするのを千方が遮る。
「分った、分った。朝鳥。もう、それくらいに致せ。忠頼殿の前、しかもこのような場所で……」
長広舌になりそうだったので、朝鳥の口を封じようとしたのだ。
「ははは。いや、六郎様は良き一の郎等
をお持ちじゃ。今、この場をどうすることも出来ぬ。我等も朝鳥殿の話を一緒に伺うと致しましょうか」
千方の意に反し、忠頼は朝鳥に更に喋らせようとした。
「いえ、滅相も無い。飛んだ出過ぎたことを申しまして…… いやはや……何と申し上げて良いやら……」
朝鳥は何とも跋が悪そうに、口をもぐもぐさせながら周りを見回した。夜叉丸と秋天丸は、吹き出しそうなのを堪えて千方の顔を見た。古能代はと言うと、いつものように、しらっとした視線でちょっと見ただけで、辺りを見回しながら何か考えている。
「どうする? 忠頼殿」
古能代が言った。
「逃げ込まれては、百五十を越える兵を以てしてもどうにもなりませんでしょう。秋を待って山ごと焼くしか方法は無いか。それまでは、見張りを厳重にして出て来ぬようにせねば。取り敢えず百ほど残して見張らせましょう。食糧と必要な物は後で運ばせます」
忠頼がそう提案し、古能代が黙って頷く。
「あの山を攻めることは、それほど難しいのですか?」
帰路、ゆっくりと歩ませながら、千方が忠頼に馬を寄せて尋ねた。
「あの山は、山ごとそっくり砦なのです。山頂に狐支紀の舘が有り、部下の者達もその周りに住まいおります。斜面や台地に畑も作っているので、食糧も或る程度は確保出来ます」
忠頼が千方に説明した。
「山頂に舘が有るようですが、坂東では見たことも聞いたこともありませぬ」
と千方。
「左様で御座いますか。奥六郡では珍しいことでは御座いません。攻めるのに手間が掛かります。しかし、騒ぎを起こす者達を見過ごす訳には参りませんので、日々その鎮圧に追われております」
「何故騒ぎを起こすのですか?」
と千方が聞く。
忠頼は、ちょっと笑った。
「一言で言えば蝦夷だからです。もちろん我等も蝦夷に変わりは御座いませんが、大和は敵だと未だに強く思い込んでいる者もおります。それ程で無い者達の中にも、心の中のどこかに恨みを秘めている者達は大勢おるのです。何か不満が有れば、それが爆発致します」
「不満とは?」
と千方が尋ね、忠頼が千方の方に顔を向けて答える。
「例えば祖米。不作の年などは納め切れぬ村が多く出ますが、比較的余裕の有る村にはそれを補う為の負担をして貰わねばなりません。ところが、全体のことを考えず、何故他の村に課されている分まで負担しなければならないのかと思う者も多いのです。大和の郷と違って『他所の事は知らん』と言う訳には行かんのです。差配を任されている以上、我等は、俘囚全体として収める分を調達しなければなりません。助け合わねば大和の介入を招く事になってしまいます。遠い古より多くの部族に分れていた為、他所の事は知らんと言う考えが抜け切らんのです。『日高見国はひとつ』との想いを植え付けて行くにはまだまだ時を要すると思います。面倒なのは、そう言う想いを分からず、我等を大和の手先と思うておる者達がまだまだ居ると言う事なのです」
「成る程……」
千方は大きく頷いた。
舘に戻り都留儀に挨拶を済ますと、そのまま軍議となる模様だったので、古能代を除く千方主従は遠慮し退席した。
「逃げ足の速い奴よのう」
顎に手を掛け捻りながら都留儀が言った。
「捕り逃がし、申し訳も御座いません」
忠頼が頭を下げる。
「いや、やむを得ぬ仕儀じゃ。う~ん、秋まで待たねばならぬか……」
都留儀が腕組みをする。
「お舘様。毎夜火矢を射掛けてみてはいかがでしょうか?」
そう言ったのは古能代だ。
「しかし、大した効果は期待出来ませぬでしょう」
と忠頼。
「もちろん。秋の枯草のようには行きません。多くの矢は岩に当たったり、土に突き刺さったりするのみでしょう。しかし、叢に刺さった矢でも、そのままにして置けば、露を含んだ青草でさえ、やがては燃え上がらぬとは限りません。たまたま木の幹にでも刺されば尚更です。見張りの者達も放っては置けますまい。火を消す為に走り回ることとなります。
雨の日以外、それを毎夜繰り返すのです。兵達が疲れ果てるばかりで無く、上からも火は見えますから、狐支紀らも、おちおち寝ては居られなくなります」
古能代が都留儀にそう訴える。
「ふ~ん。やってみる価値は有りそうだな」
と都留儀が頷く。
「さすが、義兄上。やってみましょう」
忠頼も乗り気となった。
狐支紀を包囲して五日が経っていた。
忠頼と古能代が二百の兵を率いて包囲している。三日目、四日目と連続して夕方から激しい雨となったが、いずれも二刻(一時間)ほどで上がった。草も木もたっぷりと水分を含んで燃え難くなっている。それでも五十本ほどの火矢を堤の内側目掛けて射込んだ。狐支紀が討って出て来てはくれぬかと、忠頼も古能代も思ったが、動きは無かった。
一方、千方、朝鳥、夜叉丸、秋天丸は郎等の案内で近くを見て回ったり、都留儀の話を聞いたりして過ごしていた。
安倍の舘は胆沢近くの山裾に有る。その周りには二百ほどの竪穴住居が点在しているが、山蔭にはまた別の集落があり、森を越えるとまた別の集落が姿を見せる。それぞれは、直ぐに連絡が取れるほどの距離に配されており、俯瞰すれば、まるで現代のネットワーク図のようでさえある。
このネットワークのような集落の配置に次々と情報を伝達して行く手順が確立されているのであろう。出陣が触れられると同時に伝令が周りの集落に飛び、そこから又その周りの集落に飛ぶという風に伝播して行き、舘から出陣した一隊を追うように合流して行く。舘に全ての兵を集結させてから出陣するより遥かに短時間で多くの兵を集めることが出来るのだ。
この頃の陸奥の蝦夷は『村』という単位を作っていた。『村』は現代の村とは違い、多くの集落、郷の集合体であり、ごく小規模ながら村落国家ともいうべき纏まりを見せていた。
この村の長の中には都留儀のように、大和風に『お舘』と呼ばれるようになっている者も居たが、大和の役人達は、その全てを侮蔑の意味を込めて、古くからの呼び方である『酋長』と敢えて呼んでいた。
阿弖流爲の投降後、暫くして、事実上、蝦夷の自治を認めざるを得なくなった時、大和朝廷は、蝦夷の長の中から人望のある者を選んで支配させることとしたが、その多くが実質的な蝦夷集団の支配者である『酋長』であった為、その呼び方が定着していたのだ。
だが、安倍氏はそうでは無かった。早くから大和に降り、その先兵として対蝦夷戦を戦って来て、位階をも授かっていた。外従八位上。それが与えられていた位階である。
外位とは何か? 分り易く言えばノンキャリアである。上は五位までしか無く、それ以上の出世は望めない。そして、同じ位階であっても就ける職は、より低いものとなる。そして、例外を除いて外位の者が内位に進むことは無い。位階は本人限りのもので相続出来るものでは無い。
しかし、比較して内位と言われる本来の位階では、五位以上の者の子には蔭位と言うものが有る、二十一歳に成ると父の位階に応じた位階が与えられるのだ。
因みに、従四位下・藤原秀郷の庶子である千方には、二十一歳に成ると従七位下が授けられることになる。限られた家柄の者以外の者が高位に進むことを防ぐ仕組みが出来上がっていたのだ。
当時の日本は、家柄により官位が与えられ、その官位に因って高い職を得ることの出来る一部の人達に寄って支配される社会であった。
律令制は唐の制度を取り入れたものだが、科挙という、試験に寄って在野の秀才を官僚に登用する制度を取り入れることは無かった。ごく一部の大手柄を立てて大出世をした者を除いて、高級官僚は世襲に寄って独占されていたのである。
因みに、太政大臣藤原忠平の長男・実頼は、二十一歳どころか、十六歳の時に元服し、その翌日に従五位下に叙されている。
投降後、大和側の思惑に寄って、再び蝦夷社会に送り込まれた安倍氏に対して、当初蝦夷側の反発は強く、裏切り者と看做され、大和人以上に嫌われ憎まれることとなった。
四面楚歌、いつ寝首を掻かれるかも知れないような毎日。それが、忠頼の曾祖父がこの地に入った頃の状況だった。さすがに正面から戦いを挑んで来る者は居なかったが、面従腹背、陰で足を引っ張ろうとする者ばかり、誰もが安倍氏の失脚を願っていたと言っても良いかも知れない。




