第8話 将門の噂 ⅱ
『なぜ護の息子達は将門を襲ったのか?』
秀郷がそんなことを考えている時、置いてある襖(板状の衝立の両面に裂地を張着けたもの)の陰から「お邪魔しても宜しゅう御座いますか?」という女の声がする。
「誰か?」と問うと「久稔の娘・露女と申します」と答えた。
『他人を近付けるなと申して置いたのに』と思うが、久稔の娘とあらば、追い返す訳にも行かない。襖をずらして見ると、女がひとり平伏している。
「何用かな?」
こんな時刻に女がひとりで来るからには、その意味は分かっているが、そんな気にもならないので敢えて尋ねた。差し障りなく帰したかった。
「伽に罷り越しました」
面を伏せたまま、露女は答えた。
「うん。それは忝い。じゃが、情けないことに、寄る年波でのう。少々疲れておる。今宵は早く休ませてもらえぬか? 久稔殿にもそのように伝えてくれ」
そう言ったが、露女は引かない。
「それならば、お背中などお擦り致しましょう。お疲れも取れると思いますが……」
『面倒な女だな』と秀郷は思う。
「うん? 有り難いがそれには及ばぬ。寝れば疲れも取れる」
と再度断りを入れた。
「それでは役目が果たせませぬ。お休みになられるまで、どうか……」
『これ以上断ると角が立つ。確かにこの娘の面子も有ろう。酒も入っていることゆえ、そのうち寝てしまえば良い。例え眠れなくとも、寝た振りをすれば良いか』
秀郷はそう思った。仕方無く、
「分かった。ならば、背など擦って貰おうか」
と告げる。
「有り難き仕合せに御座います」
そう言って面を上げた露女の顔を見て秀郷は驚いた。夕暮れ時の猫のような大きな目で、まっすぐに秀郷を見ている。普通の男なら思わず目を剥いて声を出してしまうところだ。だが、さすが大狸の秀郷、眉ひとつ動かさず物憂げに「頼む」とだけ言って腹這いになった。
「では、失礼致します」
そう言って露女が躙り寄る。露女は秀郷の背に手を掛けた。声は艶の有る良い声である。
『この女何なのだ』と秀郷は思っていた。生まれ持った顔は仕方無いとしても、仮にも伽に出るのに、紅も引かず白粉ひとつ塗っていない。己の欠点を隠そうともしていないのだ。その心根が分からない。
元来、露女は色白なのだが、白粉を塗らない顔は、夜には黒ずんで見える。何を思ったか、そんな素顔で秀郷の前に出た。だから秀郷は『その心根が分からない』と思ったのだ。元々、今、女子を抱きたいと思って居る訳ではないから『まあ良いわ』と思い、考え事をしながら寝てしまおうと思った。しかし、背を揉む力が意外と強い。下手では無いのでそれなりに気持ち良いのだが、いわゆる”痛気持ちいい”というやつで、眠るには差し支える。
「もそっと緩くても良いぞ」
「痛う御座いますか?」
「いや、そういうことでは無い」
「掾の殿、ひとつお聞きしても宜しう御座いますか?」
と突然、露女が言った。
「何じゃ」
と応じる。
「先日、常陸国で平将門とか言う方が、前常陸大掾様のご子息らに待ち伏せを受け、逆に討ち取ってしまったということですが、何故ご子息方は将門殿を討とうとされたので御座いましょう?」
こんな事を聞いて来る女を、秀郷は他に知らない。
「なぜ、そんなことを聞く? 久稔殿に聞いたのか?」
そう聞き返した。
「いえ、父から聞いた訳では御座いません。噂を耳に致しました」
と露女がおっとりと答える。
「女子の身で戦などに興味が有るのか」
秀郷は、何と無くではあるが、この女に興味が湧いて来た。
「戦に興味がある訳では御座いません。聞けば、将門殿の伯父方は皆、前常陸大掾様のご息女を妻としているそうですが、その方々が将門殿に討たれた訳でも無いのに、なぜ御子息方は将門殿を討とうとされたのか、それを不思議と思うただけです」
「う?」と秀郷は思わず声を出した。実は秀郷もそれを不思議に思い、調べさせていたところなのだ。『待ち伏せを受け逆に討ち取ったということは、将門側も武装をしていたということだ。では、なぜ将門は、武装して下総から常陸に向かったのか? 水守(現・つくば市)に住む伯父の良正を攻めようとしていたのか? いや、野本では方向が違うだろう。又、それを防ごうとして待ち伏せたと言うには、扶達、護の子らが三人揃って将門を待ち伏せ、討ち取ってしまおうとする動機としては弱い。それに、将門と伯父達の関係はそこまで悪化していたとは思えない。やはり、平真樹が絡んでいるに違いない』秀郷はそう考えていた。
平真樹は領地を巡って何年にも渡って源護と争っていた。将門の伯父のひとり・良兼は真樹の姉の夫であったが、真樹の姉の死後、護の娘を娶ったことに寄り、護陣営に移っていた。護の力が増し、真樹は劣勢に立たされていた。
そんな折、父の遺領を巡って良兼を始め伯父達と揉めていた将門が、真樹の姉と良兼の間に生まれた娘を、良兼の反対を押し切って奪い、強引に妻にした。
真樹は姪の夫となった将門を自陣営に誘う。伯父達から領地を取り戻すことに力を貸す代わりに、護との領地争いに加勢して欲しいと言うことだ。これは、姉の死後、護側に寝返った良兼への報復でもあり、真樹、将門、両者の利害が完全に一致する同盟関係である。そこで将門は戦支度をして真樹の許に向かう。
しかし、この情報は護側に漏れていた。扶ら護の三人の息子達は、真樹と合流する前に将門を討ち取ってしまおうと、野本(現・筑西市)で将門を待ち伏せたのだ。地理的に言っても、護の勢力範囲は筑波山の西麓(現・茨城県笠間市、筑西市、桜川市がその領域として比定される)であり、筑波山の西北に勢力を張る真樹とは領地を接する部分が多いので争いが生じていた訳だ。護の領地の南には将門の伯父のひとり・平良正の本拠地である水守(現・茨城県つくば市水守)が有る。現在、国道百二十五号線が走っている南の辺りだ。将門の当時の本拠地・下総国・相馬郡・豊田(現・茨城県常総市豊田・平安時代には常陸ではなく下総に含まれていた)は更にその西南にある。現在の交通であれば豊田から戦闘場所である野本(現・筑西市)までは、国道二百九十四号を真っ直ぐ北上すれば良いのだが、当時の道程としては、良正の領地・水守の西、そして、護の領地の西を通って衣川沿いに北上し、護の領地の西を過ぎた辺りで東に曲り込んだことになる。そこで扶達が待ち伏せたということは、やはり、平真樹と合流する前に討ってしまおうと言うことだったのではないだろうか。
どれほど悔いても悔い足りない。舘の焼け跡に亡霊のように立ちつくして、護は想っていた。
『これが夢で有ってくれれば。いや、夢であってくれ!』
甦って来るのは、息子達の在りし日の姿だ。
「父上! 猪を獲りましたぞ」
扶の声がする。
狩から戻った息子達が喧しく話しながら庭に入って来る。
「これ、喧しいぞ。考え事をしておったところじゃ、もそっと静かに致せ」
縁に出て行った護が叱る。
「これは父上、申し訳御座いません」
隆、繁の二人が声を揃えて言い、頭を下げた。
「父上、狩は戦の鍛錬に御座います。成果は上々、このまま押し出して、真樹の奴にひと泡吹かせて参りましょうか?」
扶は能天気なことを言っている。
「戯けたことを申すな。戦は人と人との命のやり取り。狩とは違う。軽々に動くと思わぬことになる。気を着けよ」
そう叱り付けた。この長男をもう少し厳しく躾けるべきであったかと、その時、護は思った。幸い兄弟仲が良いのは救いだ。劣性を挽回しようと真樹が慌ただしく動いているという情報は、兼ね兼ね得ていた。あちこちの土豪に声を掛け味方に誘っていると言う。そうした中、将門が真樹の誘いに応じ準備をしているという情報が入って来たのは、前日のことである。
「明日にでも出立しそうとのことで御座います」
郎等の一人がそんな報せを護に齎した。
「将門…… 確か、国香殿達と揉めている甥であったな。国香殿の所へ使い致せ。ご相談したきことが有るゆえお越し頂きたいとな」
と命じる。
「はっ」
郎等は早速出て行った。扶が口を出して来た。
「父上、国香殿と何をご相談されるのですか? 討ってしまいましょう。真樹め、味方を掻き集めているようですが、将門が真樹の所へ入る前に討ってしまえば出鼻を挫けます。揉めているということですから、姉上方もお悦びになるでしょう。それに、我等だけでやってしまえば、国香殿、良兼殿、良正殿に恩を売ることも出来ましょう。正に、一石二鳥どころか一石三鳥の名案とは思われませぬか?」
確かにそうなれば面倒は無くなるとは思った。
「うん。だが、将門という男、どんな男なのか国香殿に確かめてみねばな」
護とすれば、考えの浅い扶の言に簡単に乗る訳には行かないと思う。
「大した者ではありますまい。同じく都に上っていた国香殿のご嫡男・貞盛殿が七位を得て左馬允に成っているのに引き換え、令外官である滝口武者止まりだったと言うではありませんか。長年、都に在りながら、結局官位ひとつ得られなかった無能な男です」
扶は、やはり、そう被せてきた。
「違う。滝口武者に成ったということは、位階は無くとも武勇を認められたということだ。都とは違い、この坂東では武勇がどうであるかの方が大事だろう」
と扶を諌める。
「たまたま、小盗人か何か斬ったようです。検非違使を望んだがそれは叶えられず、滝口武者しか得られなかったとか。同じ無冠でも検非違使なら、名の知れた賊を捕らえれば出世の糸口ともなります。滝口武者ではそんな機会も滅多に有りません。結局出世など出来なかったと言うことです」
「誰から聞いた」
と確認する。
「ふふ。父上は麿のことを、ものを考えずに動く者とお思いのようですが、見損なっておいでです。真樹が将門を誘っていると聞いた時、ちゃんと調べさせました」
「そうか」
護は少し安心した。だが『それが甘い判断だったとは……』
僅か数日前、『軽々に動くと思わぬことになる』と嗜めた護自身が、その怖さを本当には分かっていなかったということになる。




