第7話 伝説の始まり
「今度ばかりは戦わざるを得ぬな」
さも『仕方無く』と言う言い方だが、千方の表情には言葉とは裏腹に笑みが浮かんでいる。
「やむを得ぬことで御座いますな」
古能代も表情には出さないが、目が輝いている。
「どうせやるなら、精々派手にやりたいものです」
小山武規(夜叉丸)は嬉しさを隠そうともしない。
「夜叉丸、いや、今の名は何であったかな」
そう言ったのは、安倍忠頼である。
「忠頼様。昔通り夜叉丸で結構で御座いますよ」
「麿のことも秋天丸と呼んで頂いて構いません。殿、それで宜しゅう御座いましょう?」
広表智通が千方に了承を得ようとした。
「構わぬ。ついでに、麿の考えも聞いてくれ。この有り様で“殿“などと呼ばれるのはこそばゆい。祖真紀も古能代に戻ったことだし、麿のことも昔通り六郎と呼んでくれぬか」
「呼び名も皆昔に戻し、昔のように何も気にせずに暴れますか、六郎様」
秋天丸は高揚している。千方も満足気に笑った。
「良い時に参った。麿も長いこと戦っておりませんので、血が沸き立って参りましたぞ」
忠頼も楽しげに笑う。まるで祭の準備でもするかのように、皆高揚し、ああしてはどうか、こうしてはどうかと戦略を出し合っている。
「こうした山中で役に立つ、蝦夷の戦術が色々有りますぞ」
忠頼が言った。
「阿弖流為の奇策か?」
千方が尋ねる。
「我等が実際に使った戦法も、色々御座います」
甲賀三郎から、検非違使達の動きが刻々と報されて来る。甲賀を抜ける道を避け、やはり伊勢方面から攻め込んで来るようだ。
堀坂山の南、白猪山の北辺りから山中に入り、総勢五十人ほどの検非違使、近江の健児、鏑木ら満季の郎等達から成る混成部隊は、千方らが開墾している盆地を目指し、高尾に至る。髯山の北を回り、下之川から八手俣川沿いに北上する。案内は津で雇った猟師である。名は猪狩、三十代半ばの陽気な男だ。
「伊勢から伊賀に掛けての山中は、庭みたいなもんですわ。国境かてお上の都合、猟師には関係ありまへんな。いかん、旦那方はお役人さんでした。聞かなかったことにしてもらえまへんか。へっへっへ」
「口数が多い。道を間違うなよ」
検非違使の佐伯が、煩さそうに制する。
「任せといて下さいって。旦那、賑やかにしてた方が、熊に出くわさずに済むんでさ」
「敵にも筒抜けになる」
「まだまだ先ですって」
「甲賀三郎の手の者はそこいら中におるのではないのか」
「別にあいつら、何の害にもなりませんわ」
「汝にはな。だが、我等には不都合な連中なのだ。分かったら静かに進め」
「へえ。すんまへん」
両側を岩に囲まれた狭い通路を一列、四つん這いになって登っていると、先頭を行く者が
「わっ!」
と声を上げた。
皆が上を見ると登り切った所に誰か立っている。刺し子を着ているが、体が、そして腕も足もやたらと太い。
「人では無く、あれは鬼だ!」
一人が叫んだ。ざわめきと恐怖が伝播して行く。
「戯け! 鬼の筈があるか。人だ、千方の配下に違いない。怯むな」
鏑木が、動揺を鎮めようと必死に叫ぶ。二人一組となって、後ろの者が前の者の腰を支え、前の者が窮屈な体勢で弓を構え、矢を射た。矢は十本ほど放たれ、そのうち七割ほどが当たった。だが残りの殆どが弾かれ、わずか二本が布地に絡んでだらしなくぶら下がった。
「やはり、人ではないのでは」
誰かが叫んだ。
「戯け! 衣の下に何か着けているだけだ。恐れるな」
佐伯も動揺を鎮めようとして叫ぶ。
「ふふふふっ。険阻な道を登って来て、さぞ暑かろう。水など浴びて涼むが良い」
鬼と見られた男は、そう言って右手を振り下ろした。すると、チョロチョロと僅かな量の水が流れ出し、検非違使らの方に流れ下って来る。
「退けーっ! 下りろ、急いで戻るのじゃ。早くせい!」
『下に居る者から整然と』と言う訳には行かなかった。皆、我先にと急ぐので、急な坂道で折り重なって転げ落ちる。岩に囲まれた坂の一番下は曲がって崖にへばり突いた小路となっている。止まれず、二人がそのまま崖下まで転落して行った。その中のひとりは、案内人の猪狩だった。流れ落ちる水は、まるで退避を待つかのように少しずつ流量を増やしていた。殆どの者が岩場から逃れた頃、流れは一気に増し、滝となって落ちた。
その滝も直ぐに消えた。
「鏑木」
佐伯が鏑木を呼んだ。
「ここにおります」
「どうする? 下手をすると全滅させられるぞ」
「道を変えると言っても、案内人がおりません。ここでお待ちを」
鏑木は坂の下まで行き、恐る恐る上を見上げて見た。すると、小石が大きく跳ねながら落ちて来るのが見えた。慌てて首を引っ込めると、小石が崖下に落ちて行く。だが、それだけで終わらなかった。直ぐに少し大きな石が跳んで来て、石は段々大きくなり、仕舞いには人を押し潰すほどのものが転げ落ちて来た。
「これは、無理で御座いますな」
鏑木が言う。
「やむを得ぬ。迂回するか。一旦戻って出直そう」
迂回するつもりで山裾を回ったのだが、迷ったらしい。散々歩き回った挙げ句、気が付くと元の場所に居る。やはり案内人を失ったことが大きい。
「くそっ。また同じ所に出てしまったではないか。こうなったら、もう一度試して見るしか無いか」
佐伯は、放免二人を呼び、先程の岩で囲まれた坂を登って見るよう命じた。放免とは元々犯罪者で、検非違使の手先として働くことを条件に、罪を軽減されたりしている者達である。危険と思っても言うことを聞かざるを得ない。
下から様子を見てみる。上に人の気配は感じられない。二人は恐る恐る登り始めたが、何事も無く上まで辿り着くことが出来た。合図をすると、他の者達が登り始める。上は台地になっており、叢には岩や石がごろごろしていて、その先に池が有る。人影は全く無かった。辺りを警戒しながら進んで行く。深い草ではあるが、人が通った跡のように草が折れた道らしきものが続いている。
「どこに罠が仕掛けられているかも知れぬ。気を付けて行け」
そう言って、佐伯は放免達を先に立たせる。少し行くと深い叢から抜け出た。岩の間に土、そこに丈の短い草が疎らに生えている地形へと変わる。左は岩肌を晒した断崖であり、右は雑木の生えた急斜面と成っている。尾根状の地形で、進めるのは西方向のみとなる。緩やかな坂を少し下ってまた登りとなり、次の峰へと続く。そんなに高い峰では無いが、その先がどう成っているかは分からない。
「進むしか無いのう」
佐伯が鏑木に語り掛ける。
「犠牲を出して、今更このままでは帰れません」
「うん。今度こそ千方を……」
しかしそんな意気込みも、僅かな後に消えることとなる。
行く手の峰に七、八人の人影が現れた。高い峰では無いので顔ははっきりと見て取れる。
「千方だ!」
鏑木が、千方を指差しながら叫んだ。佐伯は初めて千方の顔を見た。次の瞬間、峰に居る千方以外の者全員が半弓を構えていた。そして、千方が右手を振り下ろすと矢が一斉に放たれた。しかし、それは佐伯達の身体を狙ったものでは無かった。それぞれの爪先ぎりぎりの土に矢がぶすぶすと突き刺さった。皆、思わず一歩跳び退く。二の矢が放たれ、もう一歩跳び退いた後、皆、後ろの叢へ逃げ込もうとした。その時、叢の奥からぱちぱちと弾ける音がし、それと共にキナ臭い匂いがし始めた。
「馬鹿な。こんな青々とした草が燃える筈が無い!」
鏑木が叫んだが、既に叢の奥からは、白い煙が立ち上ぼり始めていた。
「あやかしだ」
佐伯の側に居た放免のひとりがそう呟いた途端、佐伯に殴り倒された。
「戯け。あやかしとは海に現れるものだ。詰まらぬことを申して不安を煽る不届き者は、成敗するぞ」
と脅す。
「駄目だ。奥にチラチラと火の手も見える。戻ることは出来ぬ」
鏑木が佐伯に告げる。
『盾は無いが、こう成ったら、矢を避けるか払うかしながら敵に向かって行くしか無い』
と佐伯は思った。だが、千方一党の弓の狙いが恐ろしく正確であることを知っている鏑木は諦めてしまった。
「行くぞ!」
そう声を上げて、佐伯を先頭に検非違使の一団、続いて健児達が突進して行く。鏑木は恐怖心から躊躇したが、仕方無く郎等達を率いて後ろに従った。
少しの間、千方は様子を見ていたようだ。十間も進んだところで、又矢が降り注いだ。今度は連射で、それぞれの爪先左右の足の外側ぎりぎりに正確に撃ち込まれ、誰も身動きが取れなくなってしまった。
さすがに佐伯も、その正確さに気が付いた。殺そうと思えば殺せるのだ。それを、猫が鼠を甚振るように甚振っているのだ。佐伯は防御の為に太刀を構えてはいるが、もはや、それで防げるなどとは思っていない。立ち尽くすより外どうしようも無いのだ。他の者達も大方同じだ。静止画のように誰も動かない。千方らもそれ以上射ては来ない。だが、ぱちぱちと言う音は次第に大きくなり、風に乗って煙も流れて来る。
動けば即、射殺されそうで動けないのだが、佐伯はゆっくりと目を動かして、周りを見ていた。
一番低い所、千方らが居る峰に向かう手前に低いが山状に少し高くなっている所が有る。その手前まで、草が踏みつけられ道のようになっている筋が続いているのだが、その先は登りになっていない。小山の裏に続いて繋がっているのではないかと佐伯は思った。佐伯は千方らを凝視しながら、右足をゆっくりと一歩踏み出してみた。直ぐに矢が飛んで来るかと思ったが、なぜか千方らは射て来ない。
「皆、走れ!」
そう叫ぶと、小山の陰を目指して全力で走った。他の者達は一瞬迷ったが、佐伯に矢が降り注がれないのを見ると、小山の陰を目指して、同じように全力で走った。




