1-記憶障害
自分は誰よりも特別な存在なんだ。
今となってみれば笑ってしまうけど、幼い頃は本気でそう思っていた。
つまり、そんなどこにでもいる馬鹿なガキだった。
誰かと遊んだような記憶なんてなかった。
街明かりなんてものは、遠くから見ることしか出来なかった。
狭いとはいえ世界を、母と二人で放浪する日々。
それが普通な人生のわけがない。
だから……僕は特別で、何か使命を持っているのだろうと『グリムヴァルド・リヴァイス』は子供ながらに思っていた。
ある日、母に尋ねた。
どうして、僕たちは旅をしないといけないの?
母親は答えた。
『あんたが疫病神だからよ』
吐き捨てるような言い方なのに、握った手はとても暖かかった。
だから……それが嘘だとわかった。
ある日、母に尋ねた。
どうして、僕はいつも訓練をしないといけないの?
『ただ、あんたをいたぶって楽しんでるだけよ』
蹴飛ばし、見下しながらの母の言葉。
剣を振り、矢を放ち、身体にしみ込ませる日々だった。
嬲られ続け、毎日生傷は絶えなかった。
けれど、母はずっと真剣だった。
訓練をする僕よりも、ずっとずっと。
だから、いたぶって遊んでいるという言葉は嘘だと思った。
また、ある日母に尋ねた。
なんで、僕の背中に毎晩模様を描いて変な薬を飲ませるの?
『人体実験よ』
嘲笑いながらの言葉だけど、やっぱり嘘だった。
自分が高熱を出そうとも、寝不足でフラフラしていようとも、一日たりとも休んだことはない。
その形相も鬼気迫るものだった。
他にも、毎日のように色々尋ねた。
僕のお父さんはどこにいるの?
お母さんが好きなことはなに?
僕たちはどこまで行くの?
全部、母は答えた。
お前の父は屑で、あんたが出来た瞬間捨てたよ。
お前が苦しむ姿が一番に決まっている。
私が飽きたら終わりさ。
母は、意地悪なことばかり言う。
けど、何故か嘘ばかりだった。
言っていることとやっていることが違う。
それは全部僕のためにやっていた。
僕が、特別だから。
いつしか馬鹿なガキは、そう誇りを持つようになった。
そんな日々を続けていたからだろう。
心労がたたり、母の体調は日に日に悪くなっていった。
仮宿として勝手に借りた山奥の廃家が、最後の場所となるほどに。
ベッドから起き上がれなくなった母は、俺にこう言った。
『うぬぼれた勘違いをするんじゃない。あんたは何も特別じゃない。学もなければ魔法も使えない、能無しのロクデナシよ』
それから続けて、笑いながら、言った。
『あんたは間抜けで、馬鹿で、単純なだけの、ただのガキ。どうしようもないくらい出来の悪い、私の息子。――これからは自由に生きな。単なる、人間として』
そう言い残し、母は逝った。
これまでずっと、母は嘘つきだった。
だから、わかる。
最後の言葉だけは、嘘じゃなかった。
俺は、特別なんかじゃない。
ただ、母にとって特別だったというだけ。
ただ、愛された子供なだけだった。
母を弔った後、大きな街に向かった。
遺言通り自由に生きて、幸せになるために。
随分と懐かしい夢だった。
楽しい夢だった。
そのはずなのに、それを見ている彼――"グリム"は苦痛の中にいた。
焦燥感が、身体中に燻り続けている。
『早く……早くなんとかしなければ』
そう思うものの、結局何も出来やしない。
それどころか――自分が何を焦っているのかさえ、グリムは理解出来ていなかった。
だから、ただ胸に疼く焦りに苦しみ、藻掻くだけ。
そんな形なき悪夢は、静かに終わりを迎える。
ゆっくりと、心地よい温かさが全身に広がる。
心と共に硬直していた身体が緩やかに解きほぐされて、焦燥感が薄れていく。
瞼の裏に穏やかな陽光を感じ、眩しさに耐え切れなくなって、グリムはそっと目を開いた。
焼き付いた光景は、白い天井。
その天井に、グリムはまるで覚えがなかった。
その所為だろうか。
妙に、人恋しい。
鉛のように重たい上半身を踏ん張るように起こし、ベッドの上から状況を確認する。
そこで、花瓶の水を変える女性と目があった。
お互い、ぱちくりとしたままきょとんとした顔で見つめ合う。
まるで、時間が止まったかのように。
高い背丈とすらりと伸びた手足、そして当たり前のように整った顔立ち。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳がくりっとしており、お淑やかながらもどこかおっとりとした柔らかい印象を受ける。
木漏れ日を受け、柔らかく煌めく金色の髪は、左右で結われたツインテール。
服装は、白を基調とした上品なドレス。
胸元や肩を覆い露出は少ないものの、社交界に出るようなものとは異なりとても庶民的で、かなり動きやすい印象が見て取れた。
そんな彼女を見た瞬間、グリムから静かに安堵の吐息が零れた。
この部屋に見覚えはない。
だけど、彼女にはあった。
グリムは、きょとんとしたまま固まっている彼女に微笑みかけた。
「おはよう、"アレイン"。ところで、これは一体どういう状況だい?」
彼女――『アレイン・クローバーハート』からの返事はない。
まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔でグリムを見つめ続けている。
それからしばらくして……。
「グリム様……グリム様ぁぁぁぁあああ!」
猛烈な速度だった。
例えるなら、飼い主に飛び掛かる大型犬――いや、そんな可愛い物ではない。
それは、怒りを抱いたイノシシの全力突撃だった。
「ぶへぇ!」
突進をまともに喰らい、グリムの口から間抜けな声が零れた。
そんなこと気にもせず、アレインはグリムを強く抱きしめ続ける。
愛おしそうに、祈るように。
とは言え……それは抱擁と呼ぶようなロマンチックな代物ではない。
締め技である。
「良かった……グリム様が生きて居て、本当に……本当に……」
うるうると感動の抱擁をかますアレイン。
なお、張本人のグリムはサバ折りのダメージで再び死にそうになっていた。
顔を真っ赤にして照れるであろうシチュエーションであろうはずなのに、顔色は赤どころか青。
もともと病み上がりであった身体にアレインの全力など耐えきれるはずもなく、グリムの意識は地の底に落ちかけ――。
「あー……少し良いだろうか? アレイン君。仲睦まじいのは結構だが、ほどほどで頼むよ、ほどほどで。このままだと、我々の尽力が無意味となってしまう」
入口ドア付近から、男性が困惑気味に声をかける。
声そのものは若い様子だが、妙に年寄りくさい話し方だった。
アレインははっとした後、グリムを拘束する手を緩める。
あと数秒遅ければ、再び意識は落ちていたであろう、ギリギリのタイミングだった。
グリムの肺に、一気に空気が放り込まれる。
久しぶりの呼吸だからだろう。
空気が、とても美味しかった。
「これでもノックはしたのだがねぇ……随分と夢中になって」
細身の優男はニコニコとしたまま、ちくりとした皮肉をアレインに投げつけた。
「けほっ。お前も相変わらずだな。"エイメス"」
そうグリムが呼ぶと、らしくもない慈愛に満ちた笑みを『エイメス・アンサラー』はグリムに向けた。
「今ので最初に聞きたかった疑問が解消された。手間が省けたよ、ありがとう」
「疑問?」
「ええ、私のことを覚えているか……と、聞く予定でしたので」
「エイメス・アンサラー。嫌味な内政官で、立場的には俺の直属上司。口と性格が悪い」
「良くご存じのようで」
ニコニコと上っ面の笑みを浮かべながら、エイメスはぱちぱちと拍手をする。
その飄々とした態度さえ、どこか嫌味っぽかった。
「……はっ! 忘れるわけないだろう。俺はそんな友達甲斐のない男だったか?」
「貴方の暑苦しさを否定するつもりはございませんよ? ただ……物理的な問題です」
「物理的だぁ?」
グリムは怪訝な表情を見せた。
「三割から五割。これ、何だと思いますか?」
「知らね。何の話だ?」
「医者が予測した、貴方が失ったとされる記憶の総量です」
グリムの表情から、笑みが消えた。
「……なんて?」
「君の負傷は、君が思うよりずっと重かったということですよ」
責めるような目で、エイメスはグリムを見つめる。
それに耐え切れず、グリムが視線を逸らすと……。
「もう、あんなことは止めて下さいまし……。グリム様が私を庇うなんて、本末転倒です……」
そう、アレインに言われてしまった。
ふと、その時をグリムは思い出す。
アレインが敵に襲われたのを庇ったというのが、最後の記憶だった。
とは言え、記憶に靄がかかったように朧げとなっている。
誰に襲われたのか、どんな状況だったのかは思い出せそうになかった。
「すまんな。心配かけて」
そう言って、グリムはアレインを慰める。
逆に、グリムにはそう言うことしか出来なかった。
例え何を言われようとも、同じ状況となればきっと同じことをするから。
だから、反省すべきは庇ったことではなく、庇い方。
次はもっとうまく庇おう。
そう、グリムは誰にも言わず心に誓う。
そして、グリムの浅はかな目論見など容易く見抜ける程度には、二人はグリムとの交流が長かった。
アレインとエイメスの二人は、同じようなジト目をグリムに注ぐ。
グリムは静かに、ベッドの上で正座をして小さく縮こまり反省を示した。
お手に取って下さりありがとうございます。
良くお越しくださいました。
初めての方は、はじめまして。
どうぞよろしくお願いします。
お久しぶりの方は、お待たせしまい申し訳ありません。
そして再びの出会いを喜ばしく思います。
楽しんでいただけたでしょうか?
もしそうなら感無量にてございます。
では、ここまでありがとうございました。
これより長らくのお付き合いの程、心より願っております。




