第41章 迷い
道灌は扇谷上杉家の家宰なので、定期的に糟屋館を訪れ、当主の上杉定正に財政や軍事に関する報告をする。型通りの報告が済むと、上座の定正が尋ねた。
「江戸城を念入りに改修したそうじゃないか」
道灌は澄まし顔で「はい」と答えた。
「江戸城の次は河越城を改修しているとか」
「はい」
「なにゆえに? もういくさは終わったのであろう?」
「いつまた戦乱が起きても大丈夫なように予め準備しているのです」
「世間では、そなたと忠景がいくさをすると噂しているそうだが、そうなのか?」
「まさか」と、道灌は微笑した。「根も葉もない戯言です、それは」
「忠景とじゃなかったら誰といくさをするつもりだ?」
「わたしは誰ともいくさをするつもりはありません」
「ふーん、それなら良いが・・・」そう言いながらも定正は疑いの眼差しを道灌に向けたままだった。「ところで、そなたは今や関東の顔だな」
「とんでもございません」
「公方も上杉も今や無きが如くだ。あるのは、そなたの声望のみ」
「わたしをからかうのはお止めください、お館さま」
「そなたをからかうと、わしはどうなるのかな?」
「は?」
「殺されるのかな?」
「お館さま」
「あー、怖い、怖い」
そう言いながら定正は部屋を出ていった。残された道灌は悔しそうな表情をしたままじっと佇んでいた。奥の部屋へ入った定正は、すぐさま曽我兵庫を呼んで尋ねた。
「どうだ? さっきのやりとりを見ていただろう? 道灌の表情から謀反の意志が読み取れたか?」
「いいえ」と、兵庫は即答した。「そのような気配はいっさい感じませんでした」
「とりあえずは安心か?」
「はい、そう思います。さいきん耳にした噂では、山内側が、しきりに家宰さまと連絡をとりたがっているとか」
「なに? 山内が?」
「もしかしたら山内が家宰さまを焚きつけて、我ら扇谷に対して謀反を起こさせようと画策しているのかもしれません」
「黒幕は山内か」
定正は関東管領で山内上杉家の当主である上杉顕定の顔を思い浮かべては険しい顔をした。
兵庫の方は、現在は扇谷上杉家に忠節を誓い、扇谷上杉家の繁栄こそをまず第一に考えてはいるものの、太田家への恩義を忘れたわけではないし、ましてや道灌と寝食を共にして新田開発に携わった日々を思うと友情に似た温かい気持ちが湧いてくるので、両者の板挟みになったような気がして何とも心苦しい状態が続いていた。
江戸城へ戻った道灌が自室でぼんやりしていると、明子が茶を持って現れた。
「どうしました、気が抜けたような顔をして?」
明子にそう尋ねられた道灌は「俺は嫌な奴か?」と訊いた。
「なぜそう思われるのですか?」
「方々で嫌われているからさ」
「方々って、たとえばどなたに嫌われているのですか?」
「ウチのお館さまだ」
「ウチの? 山内のお館さまの間違いでは?」
「山内のお館さまに嫌われているのは以前から自覚している。家宰の伯父上にもな。その他にウチのお館さまも俺を嫌っているようだ。俺が何か悪い事をしたかな?」
「悪いかどうかわかりませんけど、旦那さまが彼らを凌ぐ存在になったのは確かでしょうね」
「山内の連中が俺を嫌うのはわかるよ。俺だって連中が嫌いだし、もしあいつらが攻めてきたら迎え討つ気でいたからさ。でも、身内であるウチのお館さままで俺を嫌うことはないじゃないか」
「何を子供みたいに拗ねているんですか」と、明子は笑った。「つまり扇谷のお館さまも、旦那さまを脅威に感じていらっしゃるのではありませんか?」
「俺がなぜ脅威なんだよ?」
「そのうち寝首をかかれるかもしれないからですよ」
「俺はそんな真似をする気はないぞ」
「人間は考えがコロコロ変わりますからあてになりませんものね」
「敵になる可能性があるから嫌われるのなら話は簡単だ。敵にならなければ良いだけのことだから」そう言うと道灌は少しのあいだ考え込んだ。「しかし、俺の嫌われ方は、そんな単純なものではないようだ。もっと根深いものがある」
「どういうことなんですか?」
「つまり俺は格下の人間と思われているという意味さ」
「身分が下という意味ですか?」
「身分も含めて総合的に格下と思われているのだろう。ところが、その格下がいちばん優秀だったら、どうなる?」
「どうなるのですか?」
「頭にくるんだよ」
「怒ってもしょうがないじゃありませんか」
「それでもあいつらは俺を許さず、毛嫌いし、憎むのさ」
「嫉妬からですか?」
「嫉妬? 嫉妬とはちょっと違うな・・・俺を認めると、自分たちの存在意義が失われるというような、そんな二者択一の関係にあるのだろう、たぶん」
「それで、あちらさまは、どうしても旦那さまを否定しなければならないというわけですね?」
「その通り。だけど、これだけの成果を上げた俺を、否定できるはずがないだろう? そうなると、後はもう憎むしかないわな」
「なぜ憎むという方向へ向かうのでしょうね?」
「可愛げが無いと思うからさ。生意気なガキがいっちょまえに偉そうな口をきくと憎たらしいのと同じだよ」
「情けない話ですね」
「そうだよ。情けないんだよ。そんなに自分たちの方が優秀だと言うのなら、俺以上の成果を上げれば良いじゃないか。こちらは別に張り合うつもりも、邪魔するつもりも無いし、どんどんやってもらって構わないんだからさ。ところが、奴らはやらない。いや、正確に言うと、奴らにはやれない。その能力が無い。でも、それを認めようとしない。心の中ではわかっていても決して認めようとしない」
「自尊心がそれを許さないのでしょうね」
「ウチのお館さまだってそうだ。黙って俺に任せておけば良いんだよ。そうすれば領地は増えるし、収入も増えるのだから。お館さまにいくさができるか? 城を造れるか? 何もできないだろう? でも、それで良いんだよ、殿さまは。何もできなくて良いんだよ。能無しで構わないんだよ。俺たち家臣がちゃんとやるんだから。下手に口出しされると却って邪魔で仕方ない。邪魔どころか迷惑だ」
「お館さまは旦那さまのような忠臣を持って幸せですね」
「ところが、それがわかってないんだよな、あの人は。わかってないだけならまだしも、俺の忠誠心を疑ってやがる」
「どうしようもありませんね」
「まったくどうしようもない・・・明子、俺はすっかり自分に自信が無くなったよ」
そう言って道灌が悲しげな顔を向けると、明子は「何ですか、その表情は?」と苦笑した。
「俺はさぁ、明子、これまで扇谷上杉家に忠節を尽くしてきたんだよ、それが俺の生きる道だと信じてさ」
「存じております」
「それなのに俺の誠意は通じず、忠誠心は疑われ、あたかも君側の奸であるかの如く憎まれている」
「酔っぱらってるんですか?」
「これまで何度か、景春や伊勢新九郎ら若い連中から、もう新しい時代が来てるんだ、それに乗り遅れるな、いつまでも古い体制にしがみついているな、と言われた」
「はい、はい」
「でも俺は、たとえ古いと揶揄されようと、臆病と嘲られようと、これまでの伝統ある社会を、秩序を、体制を、そして何よりも扇谷上杉家を守りたかった。俺には謀反みたいな事は考えられなかった」
「そうでしょうね」
「俺は本心から扇谷上杉家を愛しているんだ」
「わかってますよ」
「だけど、死んだ資忠も俺が間違っていると仄めかしていたし、最近は父上まで同じ論調に変わってきたし・・・」
「そんなら間違っていたのではありませんか?」
「俺は間違っていたのか?」
「わたしにはわかりませんけど」
「俺は間違っていたのか?」
「だから、わかりませんって」
「俺は間違っていたのか?」
「わたしにしつこく絡むのはよしてください」
そう言って明子は道灌を突き離した。
「俺がこれまでやってきた事は何だったんだ?」
「知らんがな」
「俺はどうすれば良いんだよ?」
「自分で考えてください」
「俺はどうすれば良いんだよ?」
「だから自分で考えろっつーの」
「俺は裏切られたんだ」
「何に?」
「時代に」




