第22章 上洛
寛正六(1465)年、資長は三十四歳になった。古河公方・足利成氏と上杉のいくさは続いていたが、小競り合いばかりで大きな戦闘は無かった。
江戸城は全体が完成し、広大な敷地内には行政を司る役所、家臣たちの宿舎や武器庫、診療所など様々な建物が並び、また城の外には城下町が形成され、大いに賑わっていた。そんな中、資長は沙羅の菩提を弔いながら、領地内の農民に軍事訓練を施したり、歌人を招いて歌会を催したりして、わりと穏やかな日々を過ごしていた。佳子が道真のいる糟屋の屋敷へ移ったので、十二歳になった紫音が、しっかり者の女房気取りで資長の身の周りの世話を焼いていた。
「父上、今日のお召し物はこれにしてください」
「父上、いけませんよ、食べ物の好き嫌いは」
「父上、今宵はもうそれくらいでお酒はおよしください」
資長は紫音の好きにさせていたし、紫音の言う事には何でもハイハイと素直に従っていたし、紫音の尻に敷かれている日々に幸せを感じていた。
普段、資長や幼い頃から身近にいる侍女の前では明るく快活に振る舞っている紫音だが、それ以外の人の前には決して姿を現そうとしなかった。紫音は何も言わないが、年頃になって顔のあばたを気にしていることが察せられた。それゆえ、閉ざされた空間に限定された話ではあるが、共に過ごす日常生活の中において、紫音が外見を気に病んで消極的にならず、伸び伸びと思いっきり自分を開放できていることが、資長は何よりも嬉しかった。
京の将軍・足利義政は、成氏討伐が遅々として進まず、堀越公方・足利政知と両上杉家、特に扇谷上杉家との関係がうまくいっていないことに前々から心を痛めていたが、これらの事情についてじっくり話を聞きたいという理由で、扇谷上杉家の家宰である資長に上洛を命じた。
「いちど都を見ておくのも悪くないぞ。良い機会だから現在の苦境をじっくり説明した上で、うまく将軍をおだてて都から援軍を引き出してこい」
道真にそう煽られた資長は、あまり気乗りしなかったが上洛することにした。出発する朝、資長が紫音に「俺の留守中、城のことは頼んだぞ」と言うと、女房気取りの紫音は笑顔で答えた。
「すべてわたしにお任せあれ。それよりも父上、わたしがそばにいなくて寂しいからといって、都でメソメソ泣いちゃダメよ。父上ったらすぐ泣くんだから」
大人ぶって生意気な口をきく紫音が資長は可愛くて仕方なかった。
三月、資長は家来十数名と共に都へ向かった。道中で資長が詠んだ和歌がこれである。
「草枕 結ぶ仮寝の 宵々に 宿こそ変われ 月は変わらず」
富士山を眺めて詠んだ和歌。
「見るたびに おもしろければ 富士の嶺の 雪は浮世の 姿なりけり」
無事、京の都に到着した資長は、その賑わいぶりに目を見張った。
「やっぱり都は違うなぁ」
地震と戦禍で荒れ果てる前の鎌倉も人々で賑わっていたが、京の都とは華やかさの質が異なるように思えた。かっての鎌倉は武士の都だったが、この京は雅な公家の都だ・・・資長はそう感じた。
資長一行は幕府が用意した宿舎に入り、将軍からの呼び出しを待った。お呼びが掛かるまでの時間を使って、資長には京でぜひやりたい事があった。沙羅の親戚探しである。自分の妻にしておきながら、資長は関東へ来る前の沙羅の半生をまったく知らなかった。父親である紅衣長頼が朝廷でどのような役職に就き、どのような仕事をしていたのかも謎のままだった。関東へ移る前、二人が京に住んでいたのは確かなのだから、都のあちこちで聞いて回れば少しは二人の足跡が辿れ、親戚の一人くらいは見つかるだろう。そして、その者から京で沙羅がどういう生活をしていたか話を聞けるのではないか、資長はそう考えたのである。
都に着いた翌日からさっそく探索を始めたが、朝廷に問い合わせてみても、公家の屋敷が建ち並ぶ地区で聞き込みをしてみても、さっぱり情報は得られなかった。数日探し回った挙句、何ひとつ手がかりが掴めず、途方に暮れて路上に佇んでいた資長に、道端に敷いた筵の上にうずくまっていた、埃だらけで薄汚い、やせ細った年寄りの乞食坊主が声を掛けてきた。
「何かお困りかな?」
表向きは華やかな京の都だが、その裏側には犯罪者や浮浪者が蠢いていた。ボロボロの袈裟を纏った僧侶なのか乞食なのか判別できない怪しげな人物も何人か見たので、そういう輩が喜捨欲しさに声を掛けてきたのだろうと思った資長は「ああ、人が見つからなくてね」とぞんざいに答えた。
「おぬし、都の侍ではないな?」
「俺は関東の人間だ」
「ほお、関東の・・・関東からわざわざ人を探しに都まで旅をしてきたのか?」
「違うよ。本来の目的は別にあるけど、せっかく来たんだから、ついでに人探しをしようと思ったんだ」
「で、誰を探しているのじゃ?」
「紅衣長頼という公家の親戚。爺さんは知らねえか、そういう名前の貴族を?」
「紅衣? そんな名前の公家はおらん。それはたぶん偽名じゃろう」
「偽名?・・・うーん、たぶんそうなんだろうな・・・俺も以前からそうだと思っていた・・・」
資長は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。
「偽名を使うとなると、わしが思うに、その者は南朝系の公家じゃろうな」
「南朝の公家? そんな連中がまだ実在するのか?」
「実在するさ。そこかしこに南朝系の連中がわんさか隠れていて、いつか世の中をひっくり返してやろうと企んでおる」
「そうか、沙羅は南朝に繋がる人だったのかもしれないな・・・」
「その沙羅というのが、おぬしの探している相手なのか?」
「違う。沙羅は紅衣長頼の娘で俺の妻だ。だが、もう死んでしまった。俺は沙羅の親戚か知り合いを探して、俺と出会う前の沙羅が都でどういう生活をしていたか聞いてみたいし、一緒に酒でも飲みながら沙羅の思い出話をしたいと思ったんだ」
「そういうことなら」と、乞食坊主は杖を支えに細い両足を踏ん張り、どっこいしょと立ちあがった。「わしが代わりに酒の相手をして進ぜよう」
「はぁ? あんたは関係ないだろうが」
「そう固いことを申すな。これも何かの縁じゃ。わしがじっくり奥さんの話を聞いてやるから、さ、行こう。行きまひょ」
「行くって、どこへ?」
「決まっておるがな。わしの馴染みの店じゃよ」
「馴染みの店って、あんた、まがりなりにも出家だろ? それなのに酒を飲む気なの? とんでもない生臭坊主だな」
「ま、そこらへんの事は臨機応変に考えてさ。銭は持ってるよね? そんなら行きまひょ、行きまひょ」
そう言うと乞食坊主は、戸惑う資長の腕を掴み、夕暮れの道をグイグイ引っ張って行った。着いた先は、そういう関係にはまったく疎い資長が見てもすぐわかるほど、あからさまに遊郭だった。道の両側に妓楼が建ち並び、それらの中からおしろいを塗りたくった女たちが、鈍い赤色の光に照らされながら代わるがわる顔を出して、行き交う人々に向かってさかんに誘いの声を掛けていた。
「坊さん、こ、ここは・・・」
「あ、ここはね、九条の里という幕府公認の色街だから、安心して遊べるんじゃよ」
「いや、安心とかそういう前に・・・こんな場所に来ちゃって・・・もういちど言うけど、あんたはとんでもない生臭坊主だな」
「はいはい、その話はもう伺いましたから」
乞食坊主が慣れた様子でずんずん進んで行くと、両側から女たちが「あら、宗さま、寄ってってよ」とか「せんせ、今夜はあたしと遊んで」と気安く声を掛けてくる。乞食坊主の方も満面の笑みを浮かべながら親し気に応えている。両者は旧知の間柄らしい。
(何だ、こいつ。坊主のくせしやがって、この辺りの馴染み客みたいじゃねえか。一体どうなってんだ?)
資長が不思議な気持ちでいると、乞食坊主は一軒の妓楼の前で立ち止まり、「よーし、今日はこの店にしよう」と言った。そして、嫌がる資長を無理やり中に押し込むや、「おかみ、俺だ、また世話になるぞ」と大声を上げ、そのまま二人してトントントンと二階へ上がり、空いている座敷にもぐり込んだ。
「どうだい? なかなか良さげな店だろ?」
乞食坊主は笑顔でそう言うものの、比較対象を知らない資長は、ただただまごつくばかりである。そうこうしていると渋い表情をした中年女が部屋に入ってきた。
「おお、おかみ、酒だ。肴は任せるから適当に見繕って持ってきてくれ」
乞食坊主が威勢よくそう注文すると、おかみと呼ばれたその中年女は一段と渋い顔をした。
「先生、今日はおあしを持っていらっしゃったんでしょうね?」
「何だい、そりゃ? まるで俺がいつもタダ酒、タダ飯、タダマンしてるみたいな言い草じゃねえか」
「そうじゃありませんでしたっけ?」
「いつもちゃんと払ってるだろう?」
「ええ、随分と時間がたってから、ウーさまの方からようやく、ね」
「そんなら文句あるめえが」
「うちは現金商売ですから、今日お遊びくださった分は、その日のうちに払って頂きたいんです。ツケはお断りいたします」
「心配するな」と、乞食坊主は自信たっぷりの表情を見せた。「今日はこの関東の殿さまが払ってくださる。ね、殿さま、そうでしょ?」
乞食坊主がそう言って媚びへつらった笑顔を向けると、資長はムッとした表情のまま懐から財布を取り出し、「好きなだけ持ってゆけ」と言って、おかみの前へ放り投げた。
「よっ、殿さま。天下いち」
乞食坊主は快哉の声を上げた。




