第10章 成氏
鎌倉に平穏な日常が戻ったが、それはいつまた発火するか分からない危うさを孕んだかりそめの平穏だった。しかし、そんな事は若い新婚夫婦には関係が無い。資長と沙羅は、いちゃいちゃしながら楽しく幸せな日々を送っていた。
そんなある日、資長が鎌倉公方・足利成氏に呼び出された。
「なぜ兄キが公方御所へ? これは罠なのでは? 危険なのでは?」
心配した資忠が警戒心まる出しでそう言うと、道真は少し考えてこう答えた。
「しかし、資長の命を狙う理由が無いからなぁ・・・太田家の中で命が狙われるとすれば、この俺だろう」
「でも、用心しなくては。あの公方はどんな策略を仕掛けてくるか分かりゃしないよ」
再び資忠がそう言うと、資長が笑いだした。
「資忠、おまえが俺のことを心配してくれるのは嬉しいけど、父上のおっしゃる通り、俺は公方に命を狙われるような重要人物では、少なくとも今のところないから大丈夫だよ」
「では、なぜ公方が兄キを呼んだんだよ?」
「その理由は会ってみなければ分からないけど、いずれにせよ暗殺の心配は無いよ。だから安心してくれ」
翌日、指定された時間に資長は一人で公方御所へ赴いた。大広間で待っていると成氏が入室し、上座に座った。成氏の指示があったのであろう、他には誰も同席せず、広い室内に二人きりである。
「足利学校以来だね」
いきなり成氏がそう言ったので資長は平伏して答えた。
「はっ。あの節は公方さまとは存じ上げず、たいへん失礼いたしました」
「いいよ。そういう堅苦しい言い方はしなくていいよ。今日は懐かしい学友から忌憚の無い意見を聞きたくて呼んだんだからさ」
成氏はそう言ってニヤリと笑った。それを見て資長も微笑んだ。
「このあいだの江ノ島では君も従軍していたんだろう? どうだった、俺の軍勢は?」
「たいへんお強かったです」
「君の方の軍勢はちょっと情けなかったんじゃないか?」
「はい。おっしゃる通りです」
「次は君の親父さんや爺さんにやらせずに、君自身が指揮をとった方が良いよ。もうあいつらみたいな年寄りの時代じゃないからさ」
「え?」と、資長は驚きの声を上げた。「まだおやりになるおつもりなのですか?」
「そうだよ。足利学校で言ったじゃないか、いずれ俺は君と戦うことになると」
「なぜ戦わなければならないのでしょうか?」
「なぜって・・・」
「だってそうじゃありませんか。誰も公方さまの地位を脅かそうなんて考えておりませんし、いくさをしなければならない理由なんか無いはずです」
「無いか?」と、成氏は訊いた。「俺は父と兄二人を殺されたんだよ」
「畏れながら元々は先の公方さまの方がいくさを仕掛けられたと伺っております。それに殺されたといっても強盗に殺されたというのとはわけが違います。当時の政治状況の下では致し方なかったのではありませんか?」
「死ぬのに致し方ないというのがあるのか?」
「普通の人間にはありません。しかし、公方さまのような高い地位にある方の場合、時としてそのような状況、すなわち騒動の責任をとって命を差し出さなければならなくなる場面があると思います」
「君は俺に父と兄二人を殺された恨みを忘れろというのか?」
「はい、忘れてください。過去の事は水に流し、これから先の事を考えるが人の上に立つ者の責務です。いつまでも過去にこだわっていてどうなるのですか? 何か良い事があるのですか? 良い事なんか何も無いでしょう? 人生の大切な時間を無駄に消費するだけです」
「でも、人間は損得だけで動く生き物じゃないからね」
「公方さまお一人だけの話なら、何をどうなされても、それはご自由です。しかし、公方さまの決断は多くの人を巻き込んでしまいます。どうか大きな心をお持ちになって、まずは民の生活を第一に考えて頂きたい。いくさになったら、最も苦しむのは罪なき民百姓です。弱い立場にいる彼らのことを思いやってください。お願い致します」
そう言って資長が頭を下げると、成氏は苦笑した。
「君は真面目だね。俺だって民の暮らしのことを考えていないわけではないんだよ」
「それは分かっております。もう少し余計にお考えくださいと申しておるのです」
「ただね、たとえ民百姓に犠牲を強いる結果になったとしても、俺は正しい世を作らなければならないのだよ」
資長の顔がイラついた表情に変わった。
「公方さまのおっしゃる正しい世というのは何ですか? 上杉がいない世という意味ですか? 上杉さえ滅びれば公方さまは満足なさるのですか?」
「鎌倉公方と関東管領、君はどちらに正義があると思う?」
「どちらにもありません。両者が仲良くするのが正義です」
「両者が仲良くね・・・俺は本心では上杉なんか問題にしていないんだよ」
「それでは何がお望みなのですか、公方さまは?」
「俺はなぁ、資長」と、成氏は姿勢を崩した。「関東を一つにまとめ、その力で京の幕府を倒したいんだ。そして、この鎌倉に再び幕府を開き、本物の武家政権を打ち立てたいんだよ」
「つまり親の敵討ちなんか本当はどうでも良かったのですね?」
「どうでも良くはない。それも大切な要素だ」
「でも、本音を言えば公方さまの野望なのでしょう? 天下獲りの野望なのでしょう、いくさの理由は?」
「おれ個人の野望ではない。この体を流れる鎌倉公方家の血が、先祖から受け継いできた宿願が、長きにわたる怨念が、俺を動かしているのだ」
「それを断ち切ってください、公方さま」
「出来ない相談だな、それは。俺だってご先祖さまから命令されている身なのでね。邪魔は許さない。邪魔する者は断固として排除する。しかし、俺の考えに賛同し、俺に従って共に京の幕府を倒そうというのなら、喜んで仲間に迎え入れるぞ、上杉でも、長尾でも、太田でもな」
「それは難しいでしょうね」
「関東管領は昔から幕府の手先だからね。でも、なぜそんなに京の幕府を敬う必要があるのだ? あいつらがそんなに立派な奴らか? それこそ民百姓を大切にしている連中か?」
「わたしには何とも申せません・・・」
「別に構わないじゃないか、古い権威をぶっ潰して、新しい世の中を招き入れても。そうは思わないか?」
「わたしは今ある体制を大切に守るべきだと思います」
「何を怖がっているのだ、君は?」
「怖がってはおりません。社会の秩序と安定を守りたいだけです」
「それは違うね」と、成氏は首を横に振った。「君は怖がっているんだよ、変化を。新時代の到来を。今ある社会の終焉を」
「社会は黙っていても変化します、少しずつ、気がつかないうちに。それを無理やり変えようとすると、必ずどこかにひずみが出ます。そして多くの人が不幸になります」
「どんな社会にも不幸な人間はたくさんいる。だから恐れるな、資長。君には聞こえないのか、新しい時代の足音が? 俺には聞こえるぞ。たぶん今は時代の転換期なのだ。これから時代が変わっていく、劇的に。それに乗り遅れるな。俺と一緒に新時代を築こうじゃないか。どうだ、資長?」
「わたしには出来ません」
「そうだと思ったよ」と、成氏は落胆の表情を浮かべた。「君がもう少し若ければ、俺の誘いに乗らないにしても、少なくとも共感はしただろうけどな。君と君の次世代の間には、大きくて深い断層が横たわっているのかもしれないね。この溝は埋められないのだろうな」
「お言葉の通り、わたしは若輩者ですが、中身は古い人間です」
「足利学校にいた頃は、そうじゃなかったはずなんだけどなぁ」
「わたしはおのれの分を弁えたのです」
「ま、それも大切だけどね。だけど憶えておきなよ。今後の人生で君は何度か自分が古い世代の人間だと思い知らされる場面に遭遇する・・・俺にはそれが見える。新しい人間、新しい考え方がどんどん出てくる・・・古い人間の君は、それに付いて行けない。ひとり取り残された気分になる」
「そうなった時は・・・どうにかします」
「やがて時代に裏切られ、信じていたものにも裏切られる」
「そうならないよう努力します」
「できるかな、不器用な君に?」
「できなければ潔く諦めるだけです」
「いかにも君らしいね」と、成氏は笑った。「とりあえず、これで俺の考えは全て君に伝えた。もし、いつの日か気が変わって、俺の味方になりたいと思ったら、遠慮なく申し出てくれ。歓迎するから」
「はぁ」
「俺は君に味方になって欲しいのさ。それでは期待せずに待っているぞ」
「恐れ入ります」
資長は公方御所を出た。帰り道をトボトボ歩きながら成氏に言われた言葉がグルグルと資長の頭の中で回転していた。
(俺は古いのか? 不器用なのか? 新しい時代に付いて行けない人間なのか?)
いくら考えても答えは出なかった。




