20 使命
20
その日の夜、シオンは宿屋のベッドの上で目を覚ました。体中の傷には回復魔法が施されていて、痛みは和らいでいた。毒も中和されたようで、息苦しさはなくなっていた。
「シオン! よ、よかった……!」
ベッドの横には涙目になっているキャロルがいて、シオンは体を起こし辺りを見回した。
「あー……おれ、気ぃ失ったのか」
「シオン……ご、ごめんなさい……あ、あたし……あなたに酷いことを……」
キャロルの瞳からポロポロと涙が零れ、座っていた彼女の膝を濡らした。
「……キャロルは悪くないよ。だから泣かないで」
「で、でも、こんなに傷だらけで……あたし、あたし……」
シオンは自身の服の袖をぐいっと手の方へ伸ばし、泣き止まないキャロルの前に出した。
「おれ、拭くものとか持ってないから……これで」
「……」
キャロルは目の前に出されたシオンの手を見つめ、フッと吹き出した。
「大丈夫、自分の袖で拭くよ」
キャロルはそう言って自身の袖で目を擦った。
「キャロル、洞窟でのこと覚えてるの?」
シオンの問いかけに、キャロルはフルフルと首を振った。
「実は、頭に霞がかかったみたいで、あんまりよく覚えてないの……。シオンとそっくりの、シキって人に聞いて……」
「そうなんだ。キャロルは操られてただけだから、本当に気にしないで。おれは大丈夫だから」
自分を気遣うような優しい声色に、キャロルはまた涙が出そうになった。一度目を伏せ、そして顔を上げるとシオンと目を合わせた。
「シオンは、あたしたちのパーティを抜けたら……リーンと一緒に……行くの?」
「……うん」
「あたしたちと一緒じゃ……ダメなの? リーンもパーティに加えて……」
「諸々の理由があって、それは難しい。キャロルを操ったジークってヤツも関わってくるし、正直、ジークをキャロルやカイルに近付けたくない」
「……」
キャロルは胸の前で拳を握り締めると、意を決したように真剣な表情をした。
「あっ、あたし……。あたしは、シオンが、好き。だから……本当は、離れて欲しくない」
キャロルの告白に、シオンは目を合わせたまま静かに口を開いた。
「……おれは……その気持ちに、答えられない」
シオンの返答に、キャロルは下を向いて唇を引き結んだ。
「……そっ……か」
「ごめん、キャロル」
キャロルはグッと息をのむと、顔を上げ笑顔を作った。
「うん、シオンの答えは最初からわかってた。でも、なんていうか、けじめをつける為にちゃんと伝えたかっただけだから、だから……」
キャロルは頑張って口の端を上げようとしていたが、目の前にあるシオンの顔が次第にぼやけ、唇が震え始めた。
「今まで、ありがとね、シオン」
キャロルは早口でそれだけ言うと、慌ただしく部屋を出て行った。廊下の角を曲がると、壁に寄りかかっていたカイルにぶつかりそうになった。
「……っ」
カイルはキャロルの泣き顔を見て全てを察したのか、彼女の頭に優しく手を置くと、穏やかに言った。
「頑張ったな、お前」
「……うん」
キャロルはカイルの胸に額を預け、静かに泣いた。カイルはふわりとキャロルの背中に手を回し、彼女が泣き止むまで、ポンポンと優しく撫で続けた。
一方その頃、宿屋の別の部屋では、ルベルとソール、そしてシキが今後について話し合っていた。
「それで、どうするルベル? 予定通りラピタの町に行くのか?」
人型になっていたソールは、部屋のテーブルに腰を預け問いかけた。
「……」
同じく人型になっていたルベルは、腕を組み部屋の壁に寄りかかったまま、何かを考えていた。そこへ、部屋の中央付近に立っていたシキが声を上げた。
「ぼくは、王都に行くべきだと思います」
「王都だって?」
シキの提案を、ソールが復唱した。
「王都に行き、アーウェルサ家に協力を仰ぐべきだと思います。今回のジークの行いは、明らかに非人道的で常識を逸脱しています。許される行為ではありません。すぐに領主会議を開いてその真意を明らかにするべきです。アーウェルサ家に事情を話せば、きっと我々に賛同してくれるはずです」
ルベルはシキの話を聞き、フッと息をついた。
「俺もそれを考えていた。アーウェルサ家がマグナマーテル家と繋がっていないという確証もないが、探りを入れる為にも、王都に行くのは悪くないとは思うが……」
「何か懸念があるんですか?」
「俺は……それと同時に冒険者ランクも上げておきたい」
「どういうことです?」
ルベルは疑問を持ったシキに、自分は魔力を失っているということ、体内に魔石を持っているリーンに、魔力を貰って生きながらえているということ、そしてリーンは、元マグナマーテル家の守り神、ウィーペラによって呪われているということ、それによりリーンの体をウィーペラが乗っ取り、古の魔法を発動したリーンを目撃したジョニーという冒険者が、恐らくジークによって殺されたことなど……昨晩シオンとルーナに話したことを説明した。
「な……! まさか姫がそんな……。ジークは、姫の中の神獣を取り戻そうとしているのですか!?」
「真意はわからない。とにかく俺は、一刻も早くリーンの呪いを解きたい」
ルベルの話にシキはごくりと喉を鳴らした。
「ウィーペラは、姫の中から常にこちらの行動を見ている訳でしょう? いくら姫自身が呪われていることを知らないとはいえ、ウィーペラには、こちらが呪いを解く為に行動しているとバレてしまうんじゃないでしょうか?」
「……ウィーペラは既にわかっているだろう。だが、傍観している所を見ると、恐らく呪いを解くことは出来ないと高を括っている。それ程、この呪いは強力だ。彼女の執着……怨念や憎悪、俺やリーンに対する恨みつらみが、この呪いをより強固にしている。そしてヤツの目的は、俺やリーンを苦しめることだ。だから、最後の最後までリーンに危険が及ぶような行動は起こさない。むしろ、リーンのことを守ろうとするだろう」
「苦しめる? どういう意味です? それに最後……とは? 何をもって“最後”と言えるのですか?」
シキの問いかけに、ルベルは目を伏せ黙り込んだ。
「何故黙っているんです? ぼくは姫を守る為に、最善を尽くしたいんです! 貴方の知っていることを、全て教えてください!」
ルベルに詰め寄るシキの腕を、ソールが掴んだ。
「シキ、そのくらいにしておけ。俺様も説明を求めたが、ルベルにはルベルの考え方がある」
「しかし……!」
「シキ、貴様にだって、隠しておきたいことがあるだろう」
「……っ」
ソールの言葉にシキは目を逸らすと、掴まれていた腕を乱暴に振りほどいた。
「……とにかく、明日王都に向け出発しましょう。王都のギルドでクエストを受けながら、アーウェルサ家とも接触する。こっちには人手があります。手分けをすればできるはずです」
シキはそう言うと、黙ったままのルベルを見据えた。ルベルは小さく息をつき、顔を上げた。
「……そうだな、明日は王都に向かおう」
「よし、じゃあ俺様は、今話したことをシオンと共有しておく」
「ぼくはルーナに話しておきます。ルーナは今、姫の護衛をしていますので、ルベル、部屋までご一緒しても?」
ソールはシオンが休んでいる部屋に、ルベルとシキはリーンとルーナがいる部屋へ共に向かった。
「……ルベル」
部屋へと歩いている途中、シキがおもむろに口を開いた。
「洞窟で……生意気な口をきいてすみませんでした」
ルベルは、シキに先程の話の続きを問い詰められると思っていたので、突然の謝罪に拍子抜けした。
「何だ、急に」
「いえ……。貴方が200年前にヴァーミリオン家の守り神になったことを、ヴィーグリーズ家に保管されている書物で読んだことがあります。ぼくは幼少の頃から、各領地の守り神について勉強してきました。神獣の“龍”は、賢者としての役割を担っていて、とても魔力が高く聡明だと記されていました。そんな貴方が魔力を失うなど、きっとよっぽどのことがあったのでしょう」
「……」
シキは目を伏せたルベルを見据え、話を続けた。
「それなのに姫を守れていないなどと言ったのは、明らかに失言でした。何百年の歴史の中で、龍姫が引き継がれていることこそが、貴方が使命を全うしている証なのに」
ルベルは、真摯な態度を見せたシキに対し、自嘲気味に笑った。
「……買いかぶり過ぎだ。俺は、“使命”なんていう大層なものを全うしようなどと思っていない。それにあの洞窟で、俺は確かにリーンを危険に晒してしまった。リーンの中にウィーペラがいることで、何かあっても彼女が守るだろうと、逆に油断していたのかもしれない。……さっき訊き忘れたが、マグナマーテルを前にして、ウィーペラはリーンの中から出てこなかったのか?」
「姫は、ずっと泣いてシオンを心配していました。別の人格が出ているようには見えませんでした」
「そうか……」
シキの返答に、ルベルは少し何かを考えるような仕草をしたが、ウィーペラの真意は考えてもわからなかった。ルベルは小さく首を振ると、目元を和らげシキの方へ視線を向けた。
「とにかく、お前の言うことは最もだったし、リーンを守ってくれて感謝している。ありがとう」
ルベルにそう言われ、シキは一瞬恥ずかしそうな顔をしたが、ウウンと咳払いをして凛とした声を出した。
「ぼくは“狼騎士”ですからね。“龍姫”を守るのは、ぼくの“使命”です」
「ああ、そうだな。正直、シオンよりもお前の方がよっぽど当主としての資質があると思うのだが……なぜシオンが選ばれたんだ? シオンが長男なのか?」
ルベルの問いかけに、シキは小さく息をのんだ。
「……そうですね……ヴィーグリーズ家では、後継ぎは“狼騎士”として最初に生まれた男と決まっています。けれどぼくは、実力で父さんを納得させようと思っています」
シキは力強くそう言うと、腰に下げていた剣の柄をギュッと握りしめた。
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