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崩壊

 レオはマリカを抱きかかえて屋敷に戻った。母はすぐに濡れている服を着替えさせ、ベットに寝かせた。

 マリカが無事に帰ってきたことを知ったカイは涙を流して喜び、レオに何度も感謝の言葉を述べた。

 この日を境に、屋敷でのレオの扱いわ変わった。カイはレオを娘の恩人として、一定の礼節を持ってに接するようになった。子供相手に露骨な敵意を向けることがいまさらながら恥ずかしくなったのかもしれない。

 また、マリカは以前にまして、レオへの好意を表に出すようになった。

 マリカの恋心にはレオもカイも気づいていた。レオとしては、マリカの恋心を受け入れるつもりでいたし、カイもまた、一人娘を嫁に出すよりは、レオを結婚させて家を継がせようという気持ちになっていた。

 父、そして義理の兄の感情にうすうす気づいたことで、マリカは告白する勇気を持つことが出来た。

 ある日、昼食の片付けが終わった直後に、マリカはレオを屋敷の裏の橋に、レオが自分の命を救ってくれたあの橋に、呼び出した。

「あの日……。私が溺れかけた日、なんでここに来たか気づいてる?」

マリカの問いに、レオは答えた。

「惚れ薬の話を信じた?」

マリカは恥ずかしそうに笑った。

「頭っから信じたわけじゃないけど、そういうものに頼りたい気分だったの。でも今は違う」

マリカは自分を勇気づけるように小さく深呼吸をした。

「レオのことが好き。お願い、結婚して!」

レオは笑顔で答えた。

「喜んで」


 マリカの歓喜の声を聞いた人間は二人いた。一人はレオ、もう一人はミーナだった。ミーナは屋敷の中にいたが、その発達した聴覚によって、橋の近くでの会話を聞き取ることができた。

 二人の婚約に、頭は”祝福すべき”という結論を出したが、心は別の方向に動いていった。溶けた鉛のような重しが腹の中に居座り、必死にふんばろうとする理性や常識を、暗い感情の渦へと引きずり込んでいった。

 ミーナは橋から近づいてくる二人の足音を聞き取ると、走って逃げ出した。

 屋敷から飛び出したミーナは、そのまま村の中心部、商店が立ち並ぶあたりに走っていった。村人たちの喧騒を聞き、少し冷静になったミーナは、足を止めた。

 なぜ、突然走りだしてしまったのか、自分でも理解できていなかったミーナは、振り返って屋敷に戻ろうとした。しかし、足を踏み出すことができなかった。道の上で逡巡しているうちに、ミーナに気づいた村人が近づいてきたため、慌てて脇道に逃げ込んだ。

 しばらく、人通りの少ない裏通りを進む内に、ミーナは自分がどこを歩いているのか分からなくなってしまった。目が見えた時にパロカセ村を歩いたことはあるが、ドラキュラになってからは屋敷の外に出たことがない。

 不安になり、目隠しを少しだけずらしてあたりの様子を見ようとする。だが、後ろから近づいてくる足音に気づき慌てて、手を止めた。

 足音から、後ろにいるのが男だと分かった。妙に息が荒いが、足取りはしっかりしている。不審に思いつつもミーナは道の脇にずれて、足音が通りすぎるのを待った。しかし、足音はミーナの脇を通り過ぎることなく、すぐ後ろで止まった。

 驚いて後ろを振り向こうとした瞬間、口を抑えられ、どこかに引きづられていきそうになった。男が体から発散している汗の匂いが鼻にしみる。ミーナは恐怖でパニックになった。わけもわからないまま、とっさに男の腕を掴んで引き剥がした。

 腕を引っ張られたことで男はバランスを崩し、ミーナから体を話した。ミーナはバキッという何かが折れる音と、男の叫び声を聞いた。その後は、無我夢中で走って逃げた。幸いにも、川の近くに出ることができたため、そこから川沿いの道をさかのぼって橋に行き、橋からの道をたどって屋敷に戻ることができた。


 マリカがレオに告白した日の夕食時、ここ最近の習慣通り、家族四人が食卓を囲っていた。普段ならぎこちない会話が何度か交わされる程度だが、この日はある一人が持ってきた話題のお陰で、皆の口数が多くなった。

 話題を提供したのはマリカではなく、彼女の母親だった。

「今日、うわさ話で聞いたんだけど、診療所におかしなけが人が運び込まれたらしいの」

カイが首をかしげた。

「おかしなけが人?」

母は待ってましたとばかりに、話を続けた。

「そう、その男は右手首を折られていたらしいの、お医者さんは最初、どこかにぶつけたのかと思ったらしいけど、よく見てみると、人の手の形のアザがあることに気づいたらしいわ。ちょうど骨折した箇所に重なるように」

カイは驚いた

「まさか、人の手首を握りつぶしたやつがいるとでも言うのかい?」

母はうなずいた。

「そう。しかもそれだけじゃないのよ。その手形っていうのが、大人のものにしてはずいぶん小さかったらしいの、まるで子供のものみたいだったらしいわ」

ミーナはスプーンを床に落とした。彼女は「あ!」と小さな声を上げると、慌てて椅子を降りてスプーンを拾った。

その様子を見て、カイは少しばかり驚いた。

「ほう、珍しいな。ミーナがスプーンを落とすなんて。それによく拾えたな」

カイの言葉にミーナはパニックになった。カイに自分の正体を悟られてしまったという考えで頭がいっぱいになり、何も喋れなくなった。

 事情を察したレオは助け舟を出した。

「音だけでも落とした位置はわかりますよ。それよりさっきの話の続きを聞かせてください。そのけが人は、どういう事情でそのケガをしたと言っているんですか?」

 そのケガの原因がミーナであることにレオは薄々感づいていたが、今は母がどの程度情報を持っているのか確認することにした。それまでの会話から、ミーナが直接関わっているという点にまでには気づいていないようだったので、そのケガ人はミーナの顔を見ていないだろうとふんでいた。

 母は答えた。

「それが分からないの、その人はどういう状況で怪我をしたのか言いたがらないらしくって。何か人に知られたくない事情でも有るのかしら。村では子供のドラキュラがいるんじゃないかって噂までたってるわ」

「ドラキュラ!」

 マリカが怯えた声を上げた。

 レオはマリカをなだめた。

「大丈夫だよ。本当にドラキュラに襲われたなら、そのことを隠すわけがないから」

マリカは頷いて、少し安心した表情を見せた。

 その後、家族で手のアザについて話し合ったが、最終的に偶然できた痣の形が手に見えただけだろうという結論になった。

 食事の後、ミーナは兄の部屋を尋ねた。レオはひとまずミーナをベットに座らせた。彼は尋ねた。

「今日の夕食での話、お前がやったのか」

ミーナは小さく頷いた。

「あの人が突然抱きついてきたんです。それで慌ててしまって……」

レオはミーナの言葉を遮った。

「ちょっと待て、順番に話してくれ。まず、お前はどこでその男とあったんだ」

「村の中心近くです。細かい場所はわかりません」

レオは首をかしげた

「なぜ、村に行ったんだ?」

ミーナは言葉に詰まり、何度も扉の方を見るなど不信な行動をとった。

 レオはミーナを落ち着かせようと、血の瓶を取り出した。

「大丈夫だ、何があっても、私は見方だ。ひとまず、血を飲んで落ち着け」

ミーナは一瞬慌てたが、すぐに覚悟を決めて瓶を受け取った。

「いつもありがとう御座います」

ミーナは瓶の蓋を開け、血を一口飲み込んだ。アルコールを飛ばしていないが、二三口飲むだけなら問題ないだろう。

 落ち着きを取り戻したミーナは言葉を続けた。

「昼間、橋のところでマリカさんとお会いしましたよね。その時の会話を聞いてしまいました」

レオは驚いた。

「あの場にいたのか?!」

ミーナは慌てて訂正した。

「いえ、屋敷の中から聞こえてしまいました。それで、不安になって」

「不安?」

「はい、マリカさんに兄様をとられるのではないかと、見捨てられるのではという不安で胸がいっぱいになってしまいました」

レオは小さくため息をついた。

「馬鹿なことを……。そんなことあるはずないだろ」

 その時、ドアの外で木の軋む音がした。室内の二人に緊張が走った。数秒の静寂のあと、最初に動いたのはミーナだった。まるで予め頭のなかで予行演習していたかのような、自然な動きで、扉に向かうとそれをゆっくりと開けた。

 扉の前にはマリカがいた。

「マリカさん……」

ミーナは躊躇しつつ、手をマリカの方に伸ばした。

「触らないで!」

それがマリカの答だった。

 ミーナは悲しい表情で手を縮めた。

「マリカ!」

レオはマリカとミーナの間に移動した。

 マリカはビクッと体を震わせたあと。レオの腕を引いてその場を離れようとした。だが、レオはその場を動かず、出来る限り穏やかな口調でマリカに話しかけた。

「隠し事をしていてごめん。事情を話すから一旦部屋に入ってくれる?」

マリカを刺激しないように、刺激を与えて叫び声を挙げないように、ゆっくりとした口調で。

 マリカは何も答えなかった。そして、ミーナの赤い目から目をそらさないよう気をつけながら、なおもレオを引っ張ってその場を離れようとした。

 ミーナは後ろからレオを引っ張った。彼女は”兄様をとられるのではないかと、見捨てられるのではという不安で胸がいっぱいになってしまいました”と言った時と同じ表情を浮かべていた。

 レオはミーナを振り払い、マリカを抱きしめた。

 ミーナは意識が怒りで塗りつぶされるのを感じた。気が付くと、ミーナは燭台を逆さに握っていた。どうやって窓から燭台を取ってきたのかは覚えていない。

 幸いにも、燭台が振り下ろされることはなかった。ミーナが燭台持って戻ってきた時、マリカはすでに意識を失っていたからだ。

「麻酔薬を使った」レオが妹が抱いているであろう疑問に答える

「その燭台を置いてこい」

 ミーナは半ば放心状態で、兄の言葉に従った。

 レオはミーナに

「お前、もともと気づいていてわざと……、いやどちらの場合でも、この質問への答えは同じか……」

 レオは覚悟を決めたとも、全てを諦めたとも取れる表情を浮かべた。

「すぐにここから逃げるぞ、着替えを取ってこい」

 真夜中に、屋敷を抜けだした二人は、その脚で洞窟に向かった。硬貨と血のストックを回収し、すぐに洞窟を出た二人は、村の方から大勢の人々が松明を掲げて近づいて来ていることに気づいた。


 兄妹は暗闇の中を走った。松明を持っていなかったが、ミーナは月の木漏れ日だけであたりを見回すことができた。見つかる危険があるため、仮に松明を持っていたとしても使えなかっただろう。

 二人は、川下にある街を目指していた。川沿いに進むのが近道だが、それでは街を突っ切ることになる。多少遠回りでも、森の中の道を選んでいた。

 しばらく進んだところでミーナは足を止めた。

「どうした?」

レオの問に、ミーナは小声で答えた。

「囲われています」

ミーナの言葉と同時に、矢が飛んできた。レオはミーナの頭を抑えながら地面に伏せる。

 そこに、もう一本の矢が飛んできた。弓なりに飛ぶ矢は、レオの肩にささるはずだった。

 しかし、そうはならなかった。矢が放たれた直後、ミーナには世界のすべてがゆっくりに見え始めた。矢が魚のように空中で身をくねらせながら進みむ姿さえ見ることができた。このままでは兄に矢が刺さると気づいたミーナは、手を伸ばし矢を空中でつかみとった。

 矢を掴んだ瞬間、世界は再び元の速さで進み始めた。ミーナは矢を投げ捨てると、近くにあったこぶし大の石を拾った。そして、レオが止める間もなく、それを、射手に向かって投げた。

 二人いた射手のうちの一人が頭の一部を失い、絶命した。もう一人も、二個目の石をくらい死んだ。

 頭蓋骨の潰れる音を聞いたレオは、驚きつうミーナに尋ねた。

「殺したのか?」

ミーナは興奮状態のまま答えた。

「あいつは兄様を殺そうとしました!」

答えになっていなかったが、レオはそれ以上追求しなかった。

 レオとミーナは、二人殺したことによって生まれた穴を通って、包囲網を抜けだした。追手がもう近くにいないことを確認した後、レオはミーナに今後の計画を話した。

「登山具と食料を街で買おう。それから、暖かくなって、村の警戒が収まってから、山を抜けて向こうの国に亡命しよう。ハーソンというドラキュラと人が共存している国があるらしい」

ミーナは不安げに尋ねた。

「あの山脈を超えることなんて、できるんでしょうか?」

レオは少し躊躇したあと、覚悟を決めて自分の本心を吐露することにした。

「正直、無事越えられる自身はない。だが、ここに残っていたら殺される。どうせ死ぬら、殺されるんじゃなく、自分の意志で挑戦して死にたい」

ミーナは頷いた。

「私は兄様と一緒なら、生きていても、死んでしまってもどちらでも構いません」


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