表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

吸血

 真夜中、レオはベッドの上で何度も寝返りを打っていた。雷鳴で目を覚まし、そのまま寝付けずにいたからだ。

 雷が徐々に収まり、うつらうつらし始めた頃、レオの耳に人のうめき声のようなものが聞こえた。ちょうど自分が寝ている部屋の真下からだった。

 レオは頭の中に、屋敷の見取り図を思い浮かべる。玄関から入って右手には食堂や浴室などの水回りと客室が、そして左手には、吹き抜けの居間と家族の個室がある。二階にはレオの部屋とミーナの部屋が、一階には夫妻の寝室と、アイロスの書斎がある。方向から推測すると、声はアイロスの書斎から聞こえてくるようだ。

 音の正体を探ろうとベッドから立ち上がったレオだが、ドアの前で足を止めた。もしかして、夫婦の営みの最中か? という考えが頭をよぎったからだ。

 レオが躊躇していると、再び先ほどの声が聞こえた。

 その声が止まっていた体を動かすきっかけになった。レオはゆっくりドアを押し開けると、吹き抜けに面した渡り廊下に出た。そのまま、下から見つからないよう、姿勢を低くして前に進む。

 廊下と吹き抜けを隔てる手すりに近づくにつれ、薄暗い居間の様子が目に入ってくる、壁に埋め込まれた煙突、暖炉、机、椅子、血に染まった絨毯、人の腕、潰された頭、寝間着につつまれた女性の体。

 それが、母の死体だと気づくまで数分かかった。

母さんが殺された!? 誰に? 父さんは!? パニックにより、レオは数十秒その場で硬直していた。やがて少し冷静さを取り戻すと、呼吸を整えゆっくりと後ろに下がった。

 死体が見えなくなることでようやく、まともな思考が戻ってきた。

犯人はどこにいるんだ? もし、すでに屋敷を出ているなら、すぐに父さんとミーナを探して、助けられるなら助けないと。もしまだ屋敷の中にいるなら……。

 突然、扉の開く音が聞こえた。アイロスの書斎の位置からだ。そして、足音が吹き抜けの空間に響く。歩幅が広く、体重を感じさせる足音。おそらく男性のものだ。

 父さん?

 レオが顔を前に出し、居間を覗き込もうとした瞬間、足先で、重く湿ったものを蹴る音が聞こえた。死体を蹴り飛ばした音だ。

 父さんじゃない!

 足音は階段に向かって移動していった。階段を登ってくればレオの存在にすぐ気づくだろう。

 隠れなければ、という思いがレオの頭の中を満たす。しかし、体は動かなかった。もし動けば、その音で見つかる、という恐怖がレオの体を縛り付けていた。

 足音が階段にかかる。レオはゆっくりと振り返る。半開きになった自分の部屋のドアが見えた。もう一度正面を向く。手すりの向こう側に、階段を登ってくる人物の頭が見えた。

 見つかる! だが部屋に入って鍵をかければ。

 レオが一か八かの賭けに出ようとした瞬間、一階から何かが壊れる音が聞こえた。母の死体を蹴り飛ばした男は、階段から吹き抜けの空間に飛び降りると、数歩で居間を駆け抜け、アイロスの書斎に入っていった。

 レオは自分の部屋に駆け込み、内から鍵を閉めた。

 閉ざされた頑丈なドアを見つめながら耳を澄ます。断末魔のようなうめきが聞こえ。その後、布のこすれるような音がかすかに聞こえてきた。そして、再び扉の開く音、男性の足音。ただし、今度はジャラジャラという金属のぶつかる音も足音に混じっていた。レオはその音に聞き覚えがあった。父の持っている屋敷の鍵束の音だ。

 足音はゆっくりとレオの部屋に近づいてきて、そして止まった。レオの部屋の前にではない。階段とレオの部屋の間にあるミーナの部屋の扉の前でだ。

 ミーナ! レオは恐怖に震えていていい状況ではないことを思い出した。そして、ベットの端を掴むと、音が扉の外に漏れることも気にせず、全力で扉に向けて押した。

 だが、ベットは絨毯との摩擦で思うように動かない。扉の外ではミーナの部屋の前から移動してくる足音、そして鍵を探す金属音が聞こえる。

 もう一度ベットを押す。ベットの側面が扉の密着した。一瞬遅れた鍵の開く音。そして……、扉がゆっくりと廊下に向かって開いた。



「逃げられたか」男は子供部屋の中を見渡しながらつぶやいた。扉の前には侵入者を阻むように置かれたベット、そして部屋の奥には開け放された窓。窓から吹き込んできた雨で窓枠が濡れ始めていた。

 男は靴を履いたままベットの上に登った。ベットを渡り終え、再び絨毯に足をつけたとき、稲光が室内を照らした。数秒、間を開けて、大きな雷鳴が届いく。



雷鳴が鳴ると同時に、レオはベットの下から廊下に飛び出した。そのまま、ゴロゴロと鳴り響く雷鳴の余韻に足音を隠し、廊下と階段を駆け抜ける。

 居間には、血だまりと肉の塊があった。つい先程、二階から見たときはまだ、人の形を保っていた。しかし、今は、一度蹴られただけにもかかわらず、崖の上から落とされたかのように損傷していた。

 居間を通り抜けたレオは父の書斎に駆け込んだ。弓と毒薬を手に入れるためだ。ミーナを連れて、あれから逃げることは難しい。だとすればここで殺すしかない。そう考えてのことだった。

 書斎に入ったレオは父を見つけた。紐で天井から吊るされ、猿轡で口を塞がれ、両足を足首で切断された父の死体を。

 つい昨日、同じ姿の死体を見たことがある。しかし、あちらは他人、こちらは数時間前まで会話していた自分の父だ。心の準備ができていなかったレオは、部屋の入口で、思考と行動をしばし停止させた。

 幸か不幸か、硬直すぐに溶かれることになる。妹の悲鳴によって。

 悲鳴を聞いたレオは、棚に駆け寄ると、毒薬と弓矢を手にとり、部屋を飛び出した。よく考えての行動ではなかった。体の硬直が溶けた瞬間、直前までやろうとしていた行動が半ば自動的に実行されていた。

 居間に飛び出したレオは、ミーナの髪をつかむ男の姿を見た。人形遣いの男だった。屋敷を訪ねてきた時と同じ服装をしている。違うのは目隠しをつけていないことだ。暗闇の中で表情はよく見えない。ミーナは恐怖からか体を硬直させている。

「離せ!」

レオは人形遣いのアッランに矢を向ける。アッランはミーナの髪を引っ張ると、自分の前に立たせて盾にした。彼は昼間のように優しい声でレオに語りかけた。

「起こしてしまってすまないね、子どもたち。怖い思いをさせたくは無かった。出来れば朝まで眠っていて欲しかったんだ。それがこんな結果になってしまって本当にすまない」

「どうして、こんな事を!」

レオが叫んだ直後、雷が家のすぐ近くに落ちた。閃光が窓から差し込み。アッランの顔を照らした。穏やかな笑みを浮かべた口元、日焼けした鼻、そして真っ赤な瞳が見えた。体に窓をつけて、体内の血を直接覗き込めばあんな色に見えるかもしれない。そう感じさせる赤だった。

「ドラキュラ!?」

困惑しつつ、レオはつぶやいた。

「その問への答えは、ドラキュラをどのように定義するかによるね」アッランは芝居がかった口調で話し始める。

「もし、一定期間ごとに人の血を飲まなければ死んでしまう存在をドラキュラというなら、たしかに私はドラキュラだ。

 だがもし、日にあたっただけで灰になってしまうような脆弱な存在をドラキュラというなら、私はドラキュラではない。

 もし、暗闇を見通し、人の限界を超えた力を発揮できる存在をドラキュラと言うなら、私はドラキュラだ、

 だが、人間ごときに殺されてしまうような存在をドラキュラというなら、私はドラキュラではない」

 最後にアッランは、慈悲のこもった目をレオに向けて、こう付け加えた。

「人間がドラキュラに勝てるのは、物語の中だけなんだよ。さあ、弓を捨てなさい。おとなしくしていれば危害は加えない。部屋に閉じ込めさせてもらうけど、明日の朝には助けが来るようにする」

 レオは数秒間弓矢を構えたまま考えをまとめ、そして矢を放った。

 矢は、ミーナの肩をかすめ、男の胸に当たった。傷口から漏れ出した血が矢を伝わり、ミーナの肩にしたたり落ちる。命中はしたものの、上に向かって放ったため、威力が不十分だった。矢は胸の筋肉で止まり致命傷にはならなかった。

 レオは弓を手に持ったまま駈け出した。居間のドアを開け玄関ホールに出る。後ろで何か重たいものが落ちる音が聞こえた。おそらく、アッランが二階から飛び降りてきた音だろう。レオが外に飛び出すのとほぼ同時に、玄関と居間の間のドアが勢い良く開け放たれる音がホールに響いた。

 レオは外に出るとすぐ、右にまがった。一瞬遅れてアッランも外に飛び出す。



 右に曲がった所で、アッランはレオを見失ったことに気づいた。どこかに、隠れているのか? とあたりを見渡した瞬間、彼の背中に激痛が走った。

 振り返ると、開け放たれた扉と壁の隙間に、弓を持ったレオがいた。二度も子供から矢を受けたことに苛立ちを感じつつ、アッランはレオを捕まえようとした。だが、数歩踏み出した所で、強烈なめまいを感じて地面に倒れ込んだ。手足が思うように動かない。いや、呼吸することすらできない。

「蛇の神経毒です。母から教わりました」

 レオが冷淡な口調で説明した。アッランは苦しさに耐え切れず、叫ぼうとした。だが、肺も声帯も動いてはくれない。しびれた手足ではもがき苦しむこともできない。

「呼吸できずに死ぬのは、きっとかなり苦しいのでしょうね。表情筋も麻痺してしまうので、外見からはよくわかりませんが」

 レオは矢筒から矢を一本抜き取ると、アッランの手に握らせた。アッランはわずかながら自由に動く右手を使い、その矢を自分の喉に突き立てようとした。窒息の苦しみから少しでも早く開放されたかった。だが、麻痺した腕では矢を動脈まで突き刺すことはできず、むなしく首の周りに傷を作るだけだった。

その姿をみたレオは、

「やはり苦しいようですね」

と一言言い放つと、男を放置し、屋敷の中に戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ