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感染

 居間に戻ったレオが見たのは、二階の廊下で、泣きながら肩の傷口を掻きむしるミーナの姿だった。

「何をしている!」

 二階に駆け上がったレオはミーナの手を掴み、それ以上自分を傷つけないようにする。

「血が! アレの血が私の中に! 掻き出さないと! 助けて、助けて兄様!」

 ミーナの言葉を聞き、レオは数秒前に見た光景を思い出した。自分の放った矢が、ミーナの肩を傷つけるのを、そしてドラキュラの血がミーナにかかったことを。

 昨日までのレオなら、ドラキュラなど幻想と言えたかもしれない。しかし、本物のドラキュラを見た後では、あの男の人間とは思えない力を見た後では、そんな希望にすがることはできない。

 レオはミーナを抱き寄せると、その肩に口付けをし、血を吸い出した。口が血でいっぱいになると、口に溜まった血をじゅうたんの上に吐き捨てる。何度か血を吸い出した後、レオはミーナから体を離し、その顔を正面から見つめた。

 レオは呼吸を止めて血を吸い出していたせいで、ミーナは泣きじゃくっていたせいで、呼吸が荒い。しばし、互いに見つめ合ったままの静かな時間が流れた。

「血は吸いだした……。後は待つしかない」

最初にレオが口を開いた。

「待つって? 何を?」

ミーナがしゃくり上げながら尋ねる。

「血を浴びたからといって必ずドラキュラに成ると決まったわけじゃない。しばらく様子を見よう」

「もし、ドラキュラになったら!? 嫌です! 私はドラキュラに成りたくない!」

パニックに陥るミーナに、レオは出来る限り優しく声をかける。だが、抑えきれない不安がその声を震えさせていた。

「もし、ミーナがドラキュラになったら……、僕の血をやる。誰かを襲わなくていいようにしてやる」

「兄様にそんなことさせられない。それに……、私が私ではなくなってしまうかも。血を求めて、兄様のことも忘れて、誰かを傷つけてしまうかも。それくらいならいっそ……」

「その時は!」ミーナの言葉を遮るようにレオは言った。「その時は……、僕がミーナを殺してやる、だから自分で死のうなんてことは考えるな!」

 レオの言葉を聞き、ミーナの呼吸は少しずつ落ち着きを取り戻していった。

「本当ですか?」落ち着いた声でミーナが言う。「本当に私を殺してくれますか」

「ああ、約束する」

「ドラキュラになったら、きっと力が強くなります。それでも殺せますか?」

「ドラキュラならたった今殺した。方法は教えてやらない。もしお前がドラキュラになったら、あの男を殺したのと同じ方法で殺してやる」

「私の姿をしていても?」

 その質問は、レオを一瞬躊躇させた。だが覚悟を決めて答える。

「殺してやる。ミーナの体をドラキュラの心に渡してやりはしない」

その言葉を聞くと、ミーナは安堵の表情を浮かべた。

「約束ですよ。もし私が誰かを傷つけるようなことがあったら……、必ず、必ず私を殺してください」

「ああ、約束する」

 不安と恐怖から開放されたミーナは、体の力を抜き、レオにもたれかかった。そして、自分を殺すと約束してくれた者の腕の中で、安心しきった表情を浮かべて、眠りにつく。

 レオはミーナを抱きしめたまま、屋敷の中で夜明けを待った。両親の死体と、自らが殺した男の死体が転がる屋敷の中で。


 夜明けごろ、レオは誰かが屋敷の扉を叩く音で目をさました。ドンドンという激しい音だった。

「おい! アイロス! 無事か、アイロス!?」

 レオの家庭教師であるヴェリの声だった。玄関には、まだドラキュラの死体が転がっている。ヴェリの声が乱れているのはそのせいだろう。

 レオはミーナをそっと壁に持たれかけさせると、階段を降り玄関に向かった。

 玄関の扉を開くと、予想通りヴェリがいた。

「レオ! 無事だったか。良かった、ご両親はどこだ?」

レオは黙って居間の方を見た。

「まさか! すまない、入らせてもらうよ」

ヴェリはレオを押しのけて、居間に向かった。レオもゆっくりと後を追う。

 レオが居間に入った時、ヴェリは書斎の中に吊るされているアイロスの死体を呆然と眺めていた。レオに気づいたヴェリは、早足で近づいたあと、問いただした。

「表のドラキュラにやられたのか?」

「はい」

レオは感情の抜け落ちたような声で答えた。

「じゃあ、ドラキュラは誰が殺した?」

「私です」

「お前が? いや、確かにあの弓はお前のものだったな。少し信じがたいが……。毒を使ったのか?」

レオは無言で頷いた。

「なるほど、だったらまあ、納得できる」

ヴェリは居間と書斎の惨状を、横目で確認した後、恐る恐るレオに尋ねた。

「そのー、言いづらいとは思うんだが、聞かせてくれ。ミーナも殺されたのか?」

「いえ、二階で寝ています」

レオは二階を指さした。

「そうか、無事だったか」

 ヴェリは心からの安堵を顔に浮かべた。対照的に、レオの顔には険しい表情が浮かんだ。

「無事といえるかどうかは、微妙なところです。実はミーナのことに関して相談したいことがあります」

「どういう事だい? まあとりあえず、ミーナに会わせてくれないか」

 そう言って、ヴェリは階段に向かった。

 二階ではミーナが、床に突っ伏していた。最初はまだ眠っているのかと思ったが、近づくと、呼吸が荒く、ただ眠っているだけでは無いことがわかった。

「ミーナ!」

レオはミーナに駆け寄って抱き起こした。

 ミーナは薄目を開けたが、焦点が定まっておらず、意識も曖昧だった。額に手を当てると高熱を出していることが分かった。

 横で様子を見ていた、ヴェリはレオの肩に手を置いて言った。

「ひとまずベットに運ぼう。肩を怪我しているようだし、包帯も必要だな。私がミーナを運ぶから、お前は包帯を取ってきてくれ」

レオは頷き、ミーナをヴェリに預けると、階段を駆け下りていった。

 その後、二人でミーナの傷口の手当をしてベッドに寝かせた。

 レオとしては、そのままベッドの横で見守りたかったが、ヴェリと話をするため、一旦部屋を出る必要があった。これからする話を直接ミーナに聞かせるわけにはいかない。ヴェリもおおまかな事情は予想がついたらしく、黙ってレオに従った。

 二人はレオの部屋に移動した。最初に口を開いたのはヴェリだ。

「お前も言いたいことは有るだろうが、先に聞かせてくれ。ミーナのあの傷口、あれにドラキュラの血がかかったりしなかったか?」

 レオは動揺しつつ答えた。

「なぜ、分かったんです?」

言葉は疑問形だったが、内心、理由の察しはついていた

「悪いが、もう一つ聞かせてくれ。ミーナのあの症状。あれは今朝になって急に出てきたものだな。お前の様子からすると、俺達が話している間に発症した。そうだろ?」

レオは黙って頷く。

 ヴェリは小さくため息をついた後、絞りだすように言った。

「ドラキュラの血を浴びてから数時間後に急な発熱……。多分……いや間違いなくドラキュラに変化するときの初期症状だ」

レオは険しい表情で尋ねた。

「食い止める方法は無いんですか?」

「無い。少なくとも私は知らない」ヴェリは話しづらそうに答えたあと、こう付け加えた。

「いますぐ、殺してやったほうが……」

「何を言うんです!」レオはヴェリの言葉を遮るように叫んだ。「少なくとも、あのドラキュラは理性を失ってはいませんでした。血さえ確保出来ればきっと……」

「落ち着くんだレオ。仮に血を用意できたとしても、ミーナがドラキュラであることはいつかばれる。この国でドラキュラがどういう目で見られているかは知っているだろう。恐ろしい怪物。見つかれば、殺されるぞ。匿い続けるのは不可能だ、ヘタをすればお前まで巻き添えを食って殺されるぞ」

 レオはヴェリの言葉の中に、引っかかる部分を見つけた。

「この国では? 他の国では違うんですか?」

意外な反応に困惑しつつ、ヴェリは答えた。

「この国の南、ケドメガイアス山脈の向こうにはドラキュラと人が共生している国があると聞いたことがある。昔の仲間から聞いた話だ。そいつは山脈を超えてこの国に、ヤガンにやってきたと言っていた。山脈の向こうにある国の名前はハーソンというらしい」

「では、その国に行けば!」

急くレオをなだめつつ、ヴェリは言った。

「まあ待て、山脈を越えるなんて実際には不可能だ。あの山は険しすぎる。さっき言った昔の仲間の話だって、どこまで本当か分からん。下手な希望にはすがらないほうがいい」

「しかし、他にすがる希望がありません」レオは苦しげに内心を吐露した。「あの、ご迷惑なのは重々承知ですが。ミーナと私を引き取っていただけないですか? 母ほどではありませんが、私の薬草の知識は役に立つでしょうし、ハーソンに行く手立てが見つかったら別れます。ヴェリさん自体は、あまりドラキュラへの抵抗はないようですし」

「う、うーん」ヴェリは露骨に嫌そうな顔をした。「すまない、確かに私はこの国の人間じゃないし、ドラキュラへの嫌悪感は低いかもしれない。だが、妹さんを引き取るのは無理だよ。バレたときが怖い。そもそも、君の勝手で妹を助けたいと言ってるんだから、そこに私を巻き込むのは虫が良すぎるんじゃないかな?

 なんとかしたいなら自分で何とかすべきだよ。他人を巻き込まなきゃ助けられないって言うなら、最初に言ったように殺してしまうべきだ」

 レオはヴェリの言葉に反論出来なかった。ヴェリが正しいとは思わなかったが、説得し自分に協力させるだけの技術がレオにはなかった。レオは悔しさに奥歯を噛み締めた。

 言い過ぎたと思ったのか、ヴェリは少し穏やかな口調で付け加えた。

「ま、まあ、今すぐに決断する必要はないんだし、一旦妹さんの様子を見てきたらどうだ? 私はアイロスの書斎にいるから、考えがまとまったら来てくれ」

レオは小さく頷くと、部屋の出口に向かった。廊下に出て、扉を閉める直前、レオの頭にある疑問が浮かんだ。

「そういえば、今日はなぜ家を訪ねていらしたんですか?」

「あ、ああ、そのことか」ヴェリは少し動揺しつつ答えた。「アイロスに用事があってきたんだ。なに大した用事じゃないよ。今は気にしなくていい」

「そうですか……。あの、すいませんもう一つ伺いたいことが。朝、扉を叩いて、大声で叫んだのはなぜですか?」

レオの質問にヴェリは不思議そうな顔をした。

「なぜって? 君たちが心配だったからに決まってるじゃないか?」

ヴェリの答えに今度はレオが不思議そうな顔をした。

「危ないとは思わなかったんですか? まだドラキュラが屋敷の中にいるかもしれないのに?」

「ドラキュラなら玄関先に転がっていただろう?」

「ドラキュラが一人だけだとなぜ分かったんですか?」

 レオの質問を聞いた瞬間、ヴェリはしまったという表情を顔に浮かべた。すぐに表情を取り繕うと「たしかに、お前の言うとおりだ。死体を見て動転していたようだ。いかんなー、ちょっと水を飲んでくるよ」

 そう言うと、ヴェリは階段を降り、台所に向かって歩いて行った。

 少し、違和感を感じたものの、レオは黙ってヴェリを見送った。

 ミーナの部屋に入ると、レオはミーナの枕元に椅子を移動させた。その椅子に座ると、ミーナの手を握る。

 熱のせいで、ミーナの息は荒くほうは赤くそまっている。しばらくの間、額の汗をふいいてやったりしていたが、昨晩一睡もしていなかったことがたたり、気づいたら寝ていた。


 レオが次に目を覚ましたのは、太陽が高く昇った後だった。ヴェリを待たせていることを思い出し、すぐに父の書斎に向かう。

 書斎にヴェリの姿はなく、昨晩と変わらず、父の死体が吊り下げられていた。さすがにこの部屋で人を待つのは辛かったのかと思い、台所の方に向かおうとしたその時、レオは異変に気づいた。棚に合った薬草や、ノートがごっそりと無くなっている。

「まさか!」

 レオは部屋を飛び出し、台所や客間でヴェリの姿を探した。しかし、彼の姿は見えない。レオは認めたくは無かったが、認めるしか無かった。ヴェリは逃げ出した、両親の薬草知識を盗んで。


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