第10話 昔話
「飛鳥ちゃん!こっちに猫ちゃんがいるよ!」
「ま、舞衣ちゃん、待ってよぉ」
広いお庭で私の前を駆けていく、唯一のお友達。
「飛鳥ちゃんはやくぅ!猫ちゃん見失っちゃうよ!」
「ち、ちょっと、お待ちになっどひぇあ!!」
べしゃり。
うぅ。
手足から鈍い痛みが流れてくる。
「また転んじゃったのー?」
あれほど追いかけていた猫をすんなりと諦め、前を駆けていた少女が手を差し伸べてくる。
「泣いてるの?そんなに痛い?」
「うぅ」
どんくさく涙目で呻いていると、少女は手を握ってニッコリとこう言った。
「仕方ないなあ。痛いのも苦しいのも、舞衣が半分もらってあげる!お友達なんだから!」
その時、普段大人が言ってくることとはまるで正反対のことを言い放つその少女と、その笑顔越しに見る太陽がやけに眩しくて、私は痛みよりもその眩しさに泣いてしまった。
転んだところの痛みはいつまで経っても半分にはならなかったけど、私の手を握ったその小さな手がとても温かかったのを今でもハッキリ覚えている。
「飛鳥様、ティーカップから手を離さないでください」
突然温かい手に掴まれ、意識が戻る。
「落としたら割れてしまうでしょう」
「あ、そ、そうですわね、すみません」
私の挙動不審な動きに不思議そうな顔をする、あの頃より少しお姉さんになったお友達。
いえ、もうお友達と呼ぶべきではないのでしょうか。
一条財閥の跡取りであるわたくしと、そのグループ会社のご令嬢。
お互いの立場を考えると、もう昔みたいに過ごすのは難しいという事は分かっている。
舞衣ちゃん、と気軽に呼ぶことも。
手を引いて走り回ることも。
きっと、もう。
「飛鳥様、どうされました?体調が優れませんか?」
「いえ、ただ、少し昔のことを思い出していて……」
「昔って、私たちまだ八歳じゃないですか」
彼女は思わず笑ってしまったような、そんな表情を浮かべる。
彼女のこの、少し眉を下げて笑う笑い方は昔から変わらないみたい。
────いえ、変わらないのは笑い方だけじゃありませんわね。
転びそうになったら支えてくれるし、失敗すれば真っ先に駆け寄ってくれる。
丁寧な言葉の中にたまに毒舌が混じるけれども、絶対に見捨てたりしない。
接し方や関係性は変わってしまったけれど、彼女の優しさはずっと変わらないわ。
そんな貴方がたまらなく大好きで、少しだけ……寂しい。
「あら、子猫」
庭の外に子猫が見えて、ついティーカップを傾けてしまった。
「ちょっと、飛鳥様!もう、猫に気を取られて紅茶を零しそうになるなんて。一体何歳のおつもりですか貴方は」
「そうですねえ。あの頃は確か三歳だったので、もう五年も経つんですね」
「三歳を起点に年齢を数えるタイプ、中々珍しいですよ」
「ふふふ」
別にそういう事じゃないんだけど、しっかり者の舞衣ちゃんが珍しく勘違いをしているのが面白くて、訂正しないでおいた。
「舞衣ちゃん、先程の猫を追いかけに行きませんか?」
パチクリ、と驚いた顔を一瞬見せたあと、すぐに眉を下げて彼女は笑った。
「飛鳥様、絶対に転ぶじゃないですか」
昼の日差しが、そう笑う彼女越しに一層眩しく輝いた気がした。




