第3回 第3回 余白はその人の自由
高い吹き抜けの天井の、広いリビングのある家に引っ越した、と話すと、決まって現れる人がいる。
こちらの事情も、価値観も、生活の優先順位も知らないのに、なぜか“上から目線のアドバイス”をくれる人。
天井高5メートル近く。音響も良くて、カルテットや声楽のコンサートも、小さな子たちの「四羽の白鳥」くらいなら踊れそうな広さ。
そんな空間を手に入れたと話したとき、50代くらいの女性が言った。
「あら〜、それなら暖炉を作って薪も自分で割ってくべたらいいのに。もったいないわね〜」
……暖炉を作る予定は、一ミリもない。
薪を割る生活に憧れたこともない。
そもそも私は、コンサートが開ける空間と採光窓から入る静かな朝の光のほうが好きだ。
けれど世の中には、“あなたにはこれが足りない”と指摘することで、自分のほうが高いところにいるんだと示したい人がいる。
まるで、こちらの人生の余白に、自分の理想のインテリアを勝手に描き込むみたいに。
でも、その余白は私のものだ。
私が何を置くか、置かないかを決める自由は、私だけが持っている。
広いリビングに暖炉がなくてもいい。
薪を割らなくても、人生は十分にあたたかい。
“もったいない”と言われても、私は私の優先順位で生きていく。
こういう人はいつもいた。
「あら〜女の子なんだから女子大にすればよかったのに」
「カーディガン、黒じゃなくピンクにすればよかったのに」などなど。
私の人生の余白に、何を置くかは私が決める。
そこに他人が書き込もうとするのは暴力だと思う。




