第2回 努力だけでは開かない扉の前で
学生の頃は、成績がすべてだった。
テストで点を取れば褒められ、レポートを出せば評価される。
努力と結果がほぼ一直線につながっていた、あのわかりやすい世界。
けれど、社会に出ると、その直線はあっけなく途切れる。
“頑張った人が報われる”という単純な構図は、現実ではほとんど機能しない。
なりたい人が多い仕事ほど、採用は大量ではなく、
縁故、宗教団体の集まり、断れない頼まれごと──
そんな“表に出ないつながり”が静かに影響する。
そして、そうして得たポジションでさえ、本人の努力とは別のところで、
上司の嫉妬や同僚の思惑によって、扉を塞がれてしまうことがある。
かわいい女性は得をする場面もある。
でも同時に、同性や“勝ちたい男性”から、無いこと無いことを中傷されることだってある。
幼稚園から名門、東大卒──そんなサラブレッドでさえ、歓迎される環境ばかりではない。
指一本でレールから引きずり下ろしてやりたいと願う上司や同僚、そして女性たちも、確かに存在する。
努力は尊い。
でも、努力だけではどうにもならない場所が、社会には確かにある。
Aの話を思い出す。
優秀で、前の指導教官に目をかけられていた彼女は、
指導教官が変わった瞬間、風向きが変わった。
新しい教官は、前任者を密かに憎んでいた。
その感情の矛先は、Aの学位論文に向けられた。
審査は落とされた。
理由の説明も拒否。
書き直しの機会すら与えられなかった。
その瞬間、Aの教授への道は閉ざされた。
彼女の能力とは、まったく関係のないところで。
こういうことは、特別な悲劇ではない。
むしろ、世の中には静かに、数えきれないほど存在している。
だからといって、絶望する必要はない。
むしろ、知っておくことが大切なのだと思う。
“努力すれば報われる”という幻想を手放すことは、
自分を責めないための第一歩になる。
そして、社会の理不尽さを知ったうえで、
それでも自分の道を選び直す強さを持つこと。
努力は裏切ることがある。
でも、自分の人生を引き受ける力は、誰にも奪えない。
社会の扉が理不尽に閉ざされることがあるなら、
私たちは、自分の手で別の扉を探しに行けばいい。
静かに、しなやかに、そして確かに。




