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乞う路傍の雪以下なら夢と仰せ  作者: 杜若表六


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Y.MとS.B

ユキオ・ミシマとサミュエル・ベケットを並べて言葉をつなぐのは愉しい。本来は、考えてだけいればいいことを、むりに定着させることもない。

ここでは両者に共通するモチーフをとり出して矯めつ眇めつ分析したり、スタイルの差異を分析して批評するといった煩雑な方法は避ける。ただ浮かんでくる言葉を拾って、組み立て、塑造し、少々削っていくだけだ。

二人とも廃墟から出発していることは同じだ。実体として、虚像として……そして古典時代の遺産を余すところなく蕩尽して瓦礫を舞台に、けして書かれることのなかった、何か遠く、深いものを見た。また未来……「現在」も含む……に読まれる戯曲と、まずなによりも、読まれ続けるだろう散文を遺した。だが散文を遺すこと以上に罪深いことがあろうか。それは不遜にも霊魂の不滅を意味する……だが彼らは了解していた、廃墟にはもう不滅に値する何物すらも存在しないと。生み出す土壌が失われたのだ……永遠に地上から。

荒廃がない文学は虚無よりも酷い何かだ。と彼らは定義する。いまや、むしろ虚無に豊饒があり、名づけえぬものがある。喜ぶべきは小説家なのだ。無駄な一切の虚飾は灰となり、世界を構成する骨組が露わになった。そして崩れ去ろうとしている。歴史という小さな円環が終わろうとしているということは、ある大きな円環が顕現することを意味する。いまこそ創造するべき時だというのに、廃墟から、虚無から創り出すことのできた芸術家は少ない。

文学が「ポリフォニー」だったことは、「歴史上」一度もない。文学は全て例外なく「モノローグ」だ。いわば、千々に分裂したモノローグとしてのポリフォニーが認識される時、幻滅が完了する。それを知っていたので、ひとつの強迫観念が彼らを襲う……まずそこから始められるべきである、だからそうしなければいけない。

文学を、小説を、物語を終わらせたのではなくて……そんなことではなくて……終わっている、終わっていたということを伝える。そこから始めなくてはならなかった。諦観や、悲観ではなくて……厭世ではさらになくて……参加しないのではなくて……できないのではなくて……きわめて真っ当な、やさしいくりかえしの注意勧告のようなことが生涯(彼らの生涯、あなたの生涯)、行われていた……とみるべきであろう。彼らの散文が言葉だけが言葉として存在する位置にあるのは、常にその位置に立つのは、言葉がわりあいに永く減衰を免れる……少なくとも肉よりは……からだ。

おそらく彼らは何かそれぞれのものとして読まれ続けるだろう……表面上は全く異質のものとして、暗渠に同じ濁流が貫いて。

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