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五線譜と密造酒 ――1920年のアメリカ世界で、百年先の音楽を弾く  作者: 生サーモン


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1/7

【第1話】目覚め——ティン・パン・アレーの底辺で

最後に覚えているのは、コンビニ弁当の匂いだった。


 のり弁と唐揚げ弁当のどっちにするか30秒悩んで、結局のり弁を選んだ。レンジで温めた白い容器から立ちのぼる湯気を眺めながら、スマホでサブスクの再生数を確認した。先週、半年ぶりに上げた曲は114再生。DTM(パソコンでの音楽制作)を始めて5年、通算32曲。多くはないが、たまに数千再生が出る曲もある。ただ、それだけだ。数千再生では何も変わらない。


(やっぱり、片手間じゃダメだな)


 右手に割り箸、左手にスマホ。画面にはのっぺりとした折れ線グラフが映っていた。時々小さな山ができては、すぐに元の水平線に戻る。バズるわけでもなく、消えるわけでもない。中途半端な線。


 音大を中退して3年。

 高い学費を払えなくなったわけでも、才能がないと気づいたわけでもない。ただ、「音楽で成功するには、まず社会の仕組みや確実に稼げるビジネスを知るべきだ」と自分に言い訳をしてIT企業に就職した。だが、日々の業務に忙殺され、確実に金になるビジネスを優先するうちに、本当にやりたかったことを見失っていった。


 26歳。

 平日は営業としてノルマをこなし、週末も接待や資料作成に追われる生活。1Kのアパート、壁際に埃を被ったまま置かれた安いMIDIキーボード(作曲用の電子鍵盤)、モニターヘッドフォン、ノートPC。作曲に使えるのは、月に数回、気まぐれのように鍵盤に向かうわずかな時間だけになっていた。


 のり弁を半分食べたところで、画面がブラックアウトした。

 バッテリー切れか、と思った。


 次に意識が浮上した時、鼻腔を突いたのはのり弁ではなく、煤と馬糞と、何か甘ったるい腐敗臭の混合物だった。





 1920年1月14日。

 ニューヨーク、マンハッタン。


 西二十八番街の安アパートの三階。窓の外では馬車と自動車が共存する通りを、厚いコートに身を包んだ人々が足早に歩いていた。蒸気暖房のラジエーターが断続的にカンカンと音を立て、壁の向こうからは隣人のイタリア語の怒鳴り声が聞こえる。


 レオナルド・モレッティは、自分の手を見つめていた。


 白い、だが労働者の手だ。指先にインクの染みがあり、右手中指にはペンだこがある。ピアノを弾く手であり、楽譜を書く手だ。

 この手に見覚えがある。いや——見覚えがないのに、見覚えがある。

 22年間この手で生きてきた記憶と、26年間べつの手で生きてきた記憶が、脳の中で重なっている。


(……転生、だ)


 その言葉が浮かんだ瞬間、全てが一気に整合した。

 なろう小説で何百回と読んだ設定が、まさか自分の身に起きている。


 レオナルド・モレッティ。1898年生まれ、22歳。父はリトル・イタリーの仕立て屋だったが3年前に肺炎で死んだ。母も後を追うように翌年亡くなった。イタリア系移民の二世。教育は公立学校を出た程度。ピアノは父が近所の教会から譲り受けた中古のアップライトで独学した。


 そして今、ティン・パン・アレーと呼ばれるこの界隈で、無名のソングライターとして糊口を凌いでいる。


 部屋の中を見回した。

 壁にひびの入った六メートル四方ほどの部屋。窓は一つ。ベッドは鉄パイプの簡素なもので、毛布は薄い。小さなテーブルに椅子が一脚。壁際に、中古のアップライトピアノ。


(1Kの部屋にMIDIキーボード、から、こっちに来たのか)


 グレードアップなのかダウンなのか判断がつかない。少なくともWi-Fiはない。電気はある——天井から裸電球がぶら下がっている。水道も一応ある。トイレは共同。


 机の引き出しを開けた。

 紙幣と硬貨が無造作に入っている。数えた。


 47ドルと23セント。


(これが全財産か)


 前世で言えば——いや、換算しても仕方がない。1920年のドルは2020年代の14倍くらいの購買力があるはずだ。大学の教養課程で習った。つまり今の47ドルは、現代の650ドル程度。家賃と食費で2ヶ月持つかどうか——心もとない。


 ピアノの蓋を開けた。鍵盤に触れる。中音域のいくつかの鍵が微妙に狂っている。だが、弾ける。指が覚えている——レオナルド・モレッティの指が、そして、あの安いMIDIキーボードを叩いていた指が。


 Cメジャーのスケール(音階)を弾いた。次にマイナー、ドリアン、ミクソリディアンと、少しずつ響きの違う音階を確かめる。

 指は動く。前世の音楽知識は完全に残っている。


(テンションコードで響きを複雑にし、セカンダリードミナントで一瞬だけ別の調に寄り道し、モーダルインターチェンジで空気を変える——全部使える。この時代の音楽はまだ構造が単純だ。1920年のポピュラー音楽に、2020年代のコード進行を持ち込んだら——いや、そのまま持ち込んだら不自然すぎる。十年先を、少しだけ先取りする。それが正解だ)


 鍵盤から手を離した。


 まず、状況を整理しなければならない。





 テーブルの上に紙を広げた。

 レオナルド・モレッティの記憶を丁寧に掘り起こしながら、知っていることを書き出していく。


 ——今は1920年1月。場所はニューヨーク、マンハッタン。

 ——合衆国憲法修正第十八条が発効する。つまり、禁酒法がもうすぐ施行される。


(禁酒法。1920年から1933年まで。アメリカ全土でアルコールの製造・販売・輸送が違法になる。だがもちろん、酒は消えない。地下に潜るだけだ。スピークイージー——モグリの酒場が爆発的に増え、組織犯罪が肥大化する。アル・カポネの時代が始まる)


 次に、自分の「武器」を書き出した。


 一、音楽知識。

 2020年代のポピュラー音楽の理論と技法を知っている。コード進行、編曲、録音技術。この時代の作曲家が知らないことを、百年分知っている。


 二、録音技術。

 今のレコード録音は「アコースティック録音」だ。巨大なラッパ型のホーンに向かって演奏し、その振動で直接ワックス盤に溝を刻む。周波数帯域は狭く、ダイナミクスも限られる。だが——1925年にウエスタン・エレクトリックが電気録音を実用化する。マイクロフォンを使った録音が全てを変える。


(あと五年。五年後に録音革命が来ることを、俺だけが知っている)


 三、金融。

 1929年10月に株式市場が崩壊する。ブラック・サーズデー、ブラック・マンデー、ブラック・チューズデー。ダウ平均はピークの381ポイントから、1932年には41ポイントまで落ちる。89パーセントの下落。


(9年後。9年間で資産を築き、暴落の直前に全て売り抜け、暴落後に底値で買い集める。それが最適解だ。だが——9年は長い。そして今の俺の全財産は47ドルだ)


 四、文化の未来。

 ラジオが爆発的に普及する。1922年には商業放送が始まり、1920年代末にはアメリカの家庭の半数以上がラジオを持つようになる。レコードは一時的に打撃を受けるが、電気録音で盛り返す。そして1927年、トーキー映画が登場する。『ジャズ・シンガー』。音楽が映画に乗る時代が来る。


 書き出した紙を見つめた。


(知識はある。だが金がない。金がなければ何も始まらない。まず——曲を書いて売る。それしかない)


 ペンを置き、ピアノに向かった。





 ティン・パン・アレー。


 この名前の由来は諸説あるが、西二十八番街に集まった無数の音楽出版社から漏れ出すピアノの音が、安物の錫鍋ティン・パンを叩くように聞こえたから——というのが最も広まっている説だ。


 レオは翌朝、コートの襟を立てて通りに出た。一月のニューヨークは骨まで凍える寒さだ。吐く息が白い。通りの角で新聞を買った。二セント。


 一面の見出しが目に飛び込んだ。


 「禁酒法、一月十七日より施行——ヴォルステッド法発効」


(三日後か)


 記事を読み進めた。アルコール度数〇・五パーセント以上の飲料の製造・販売・輸送が全面的に禁止される。違反者には罰金と禁固刑。連邦政府は取り締まりに本腰を入れる、と宣言している。


(本腰を入れるって? 連邦禁酒局の捜査官は1500人だ。アメリカ全土で1500人。数万のスピークイージーを取り締まれるわけがない。汚職が蔓延し、取り締まりは形骸化する——俺はその結末を知っている)


 新聞を折りたたみ、ポケットに突っ込んだ。


 通りを歩くと、この界隈の「音」が聞こえてくる。右からはラグタイムのピアノ、左からはワルツ、正面のビルの二階からはソプラノのヴォカリーズ(歌詞のない発声練習のような歌)。ティン・パン・アレーの出版社は、それぞれが「ソング・プラガー」と呼ばれるデモ演奏者を雇い、新曲を店頭で弾かせていた。通りすがりの客がメロディを気に入れば、楽譜を買う。楽譜が売れれば、出版社が儲かる。


(楽譜出版ビジネス。2020年代の感覚で言えば、これはストリーミング以前のCD販売みたいなものだ。一枚三十セントから六十セントの楽譜を印刷して売る。ヒット曲なら五十万部、百万部売れることもある。出版社は印刷と流通を握る。作曲家は——曲を売る側だ)


 そして作曲家への支払いは、二つのパターンがある。


 一つは「買い切り」。1曲あたり25ドルから100ドル。無名の作曲家は大抵これだ。曲を出版社に売り渡し、以後の権利は全て出版社のものになる。


 もう一つは「印税契約」。楽譜小売価格の5パーセントから10パーセントを、売れた分だけ受け取る。だがこの契約を結べるのは、既にヒット曲を持つ一握りの作曲家だけだ。


(つまり——無名の俺が曲を売ると、買い切りで25ドル。曲の権利は永久に失われる。これが搾取の構造だ。だが今の俺には選択肢がない。まず食わなければ死ぬ)


 ある出版社のショーウィンドウの前で足を止めた。

 「ブレナン・ミュージック・パブリッシング」——中堅どころの出版社だ。ソング・プラガーが窓際のピアノで陽気なフォックストロットを弾いていた。


 レオナルド・モレッティの記憶が教えてくれる。ハーヴェイ・ブレナン、五十歳。老獪な出版社の社長。才能を見抜く目はあるが、作曲家を安く使うことで知られている。モレッティは以前にも何度か曲を持ち込んだが、まだ採用されたことはない。


(まだ、だ。前のモレッティが書いていた曲は——悪くはないが、没個性的だった。この時代の標準的なティン・パン・アレーの曲を、標準的に書いていただけだ。だが今は違う。俺には百年分の知識がある)


 だが今日はブレナンの店には入らなかった。まず、曲を書く。売り込みはその後だ。





 アパートに戻り、ピアノに向かった。


 まず、この時代の音楽の「水準」を確認する必要があった。

 レオナルド・モレッティの記憶にある楽譜を何曲か弾いた。1919年のヒット曲。シンプルなコード進行、AABA形式(32小節の基本構成)、予測可能なメロディライン。


(やっぱりそうだ。この時代のポップスは構造が単純だ。I-V-I の基本進行が支配的で、テンションコード(和音に複雑な響きを加える音)はほとんど使われていない。セカンダリードミナントも稀。ブルーノート(ジャズ特有の哀愁ある音)はブルースやジャズの文脈で出てくるが、ティン・パン・アレーの白人向けポップスにはまだ浸透していない)


 問題は、どこまで「先取り」するかだ。


(2020年代の曲をそのまま書いたら、誰にも理解されない。百年先は遠すぎる。だが十年先——1930年代のスウィング・ジャズが持っていた洗練、あるいはガーシュウィンが到達する和声の豊かさを、少しだけ先取りするなら——「新鮮だが、理解できる」範囲に収まる)


 鍵盤に指を置いた。


 Cメジャーのシンプルなメロディから始める。ティン・パン・アレーの定型に沿った、聴き馴染みのあるフレーズ。だがAセクションからBセクションへの転調で、セカンダリードミナントを滑り込ませる。一瞬だけ予想を裏切る和声の色彩が閃き、すぐに解決する。


(これだ。「お?」と思わせて、すぐに安心させる。この緩急が、この時代の耳には新鮮に聞こえるはずだ)


 メロディを何度か修正し、歌詞の骨格を書いた。英語の歌詞を書くのは前世では経験がなかったが、レオナルド・モレッティの語彙がそのまま使える。押韻の感覚も、この身体が覚えている。


 三時間でデモが完成した。

 紙に清書した楽譜を見つめた。


(悪くない。この時代の基準で言えば——たぶん、少し上くらいだ。「天才的」ではなく「ちょっといい曲」。それでいい。最初から天才を装えば、注目と同時に嫉妬を買う。この街で無名のイタリア系がのし上がるには、目立ちすぎないことも戦略だ)


 楽譜をフォルダに挟み、コートを羽織った。





 翌日。

 レオはティン・パン・アレーを歩いた。ブレナンの店ではなく、まず小さな出版社を何軒か回った。反応を確かめるためだ。


 一軒目。「悪くないが、うちの路線じゃない」

 二軒目。「メロディはいいが、歌詞が弱い」

 三軒目。「面白い和声だな。ちょっと変わってるが——留め置かせてくれ」


(三軒目の反応が一番良かった。「ちょっと変わってる」。それが狙い通りだ。だがこの出版社は小さすぎる。流通力がない。楽譜を刷っても、売る場所が限られる)


 結局、ブレナンに持っていくしかない。

 ブレナン・ミュージック・パブリッシングは中堅だが、流通網は広い。ヴォードヴィルの劇場やダンスホールとのコネクションもある。無名の曲を「聞かせる」場所を持っている。


(問題は値段だ。ブレナンは安く叩く。だが今の俺には選択肢がない——売って、種銭を作る。それが第一歩だ)


 だが今日はまだ行かない。もう一曲書いてから持ち込む。手持ちが一曲では足元を見られる。二曲あれば、「こいつは書ける」と思わせられる。





 一月十七日。


 禁酒法が施行された。


 レオは窓の外を見つめていた。通りの角にあったサルーン(酒場)が、朝から板を打ちつけて閉店の準備をしている。店主がぼんやりとした目で通りを眺め、それからゆっくりと店の中に消えた。


 前世の歴史の教科書で読んだ光景が、窓の外で実際に起きている。


(禁酒法。高貴な実験ノーブル・エクスペリメント。だが結果は知っている。酒は消えない。地下に潜り、値段が上がり、品質が下がり、暴力団が流通を支配する。そしてスピークイージーが生まれる。表向きは閉じた酒場の代わりに、裏口から入るモグリの酒場が街中にできる。そこでは——音楽が必要になる)


 これはチャンスだ。

 スピークイージーには娯楽が要る。客を引き留めるために、生演奏のバンドやピアニストが雇われる。演奏の仕事が増える。


 だが同時にリスクもある。スピークイージーは違法だ。そこで働くということは、裏社会の人間と関わるということだ。


(リスクは承知の上だ。だが今の俺には47ドルしかない。リスクを取らなければ、47ドルのまま死ぬ)


 テーブルの上に広げた紙に、もう一つ書き加えた。


 当面の計画:

 一、曲を書く。ティン・パン・アレーで売る。種銭を作る。

 二、スピークイージーで演奏の仕事を得る。収入の安定化。

 三、版権を握る仕組みを作る。いつまでも買い叩かれるわけにはいかない。

 四、ラジオの時代に備える。1922年に商業放送が始まる。楽曲の需要が爆発する。

 五、1929年までに十分な資産を築く。暴落で全てを刈り取る。


(いや、待て)


 五番目を書いた瞬間、ペンが止まった。


 ラジオの時代が来るのは確実だ。だが、営業マンとして「それ一本」に賭けるのは下策(素人)だ。もしラジオ放送の利権を大資本に独占されたら? 俺の曲が電波に乗らなかったら? 本命(プランA)がコケた時や、ラジオが本格普及するまでの間、確実な日銭を稼ぐプランBが必要だ。ビジネスは常にポートフォリオで考えなければならない。


 紙の隅に、小さく追記した。

 『※無声映画用のBGMカタログ販売、あるいはニッチ市場の開拓でリスクヘッジを検討』


 そして再び、九年という月日に思いを馳せた。


 九年間、この時代で生きなければならない。禁酒法と差別と前近代的な衛生環境の中で。Wi-Fiもコンビニもない世界で。


(……のり弁、食いたいな)


 ペンを置いた。感傷は不要だ。


 二曲目を書く。ピアノの前に座り、鍵盤に指を乗せた。





 一月の終わり。


 二曲目が完成した。一曲目よりも抑えた和声で、この時代の耳に馴染みやすいフォックストロット。踊れる曲だ。ダンスホール向けに書いた。


 レオは新聞を買った。毎日の習慣になりつつある。二セントの投資で、この時代の空気を吸い込む。


 記事の片隅に、ある名前を見つけた。


 「ニコラ・サッコ、バルトロメオ・ヴァンゼッティ——マサチューセッツ州ブレインツリーの靴工場強盗殺人事件の容疑者として指名手配」


 まだ逮捕前の報道だった。前世の知識が告げる——今年五月に逮捕され、翌年有罪判決、そして1927年に処刑される。二人のイタリア系移民。冤罪の可能性が高いとされながら、「イタリア人=アナーキスト=犯罪者」という偏見の中で裁かれる。


(この国は、イタリア人を人間だと思っていない。少なくとも、「まともなアメリカ人」と同じ人間だとは。サッコとヴァンゼッティは——たぶん無実だ。だが彼らがイタリア系であるという事実が、有罪判決と同義になる)


 新聞を折りたたんだ。胸の中に冷たいものが沈む。


 だが感傷に浸っている余裕はない。二曲の楽譜を鞄に入れ、コートの襟を立てた。


 ブレナンの事務所に向かう。


 通りを歩きながら、レオは視線を感じた。この界隈では珍しくない——イタリア系の顔立ちに向けられる、微かな警戒の目。「あいつもアナーキストかもしれない」。そんな目だ。


(慣れるしかない。いや——慣れる必要はない。金を稼げば、視線が変わる。この国は金がものを言う。人種も出自も、金の前では後退する。少なくとも——表面上は)


 ブレナン・ミュージック・パブリッシングの扉を押した。





 ブレナンの事務所は、ティン・パン・アレーの中でも比較的広いビルの二階にあった。

 階段を上ると、ソング・プラガーのピアノの音が壁越しに聞こえてくる。廊下には楽譜の束が積まれ、タバコの煙が薄く漂っていた。


 受付の若い女性に名前を告げると、五分ほど待たされた後、奥の部屋に通された。


 ハーヴェイ・ブレナンは机の向こうに座っていた。

 50歳。丸い顔に小さな目。禿げ上がった頭の両脇に白髪が残っている。葉巻をくわえ、楽譜の束を前に渋い顔をしていた。


「モレッティか。久しぶりだな。何か持ってきたのか」


「二曲あります」


 ブレナンの前にあるアップライトピアノの前に座り、一曲目を弾いた。

 セカンダリードミナントを使った転調のある曲。メロディは覚えやすく、だが和声に小さな意外性がある。


 弾き終わると、ブレナンは葉巻を灰皿に置いた。


「もう一曲」


 二曲目。フォックストロット。こちらは保守的な和声だが、リズムのアクセントに工夫がある。ダンスホールで踊りやすいように設計した。


 沈黙が三秒ほど続いた。


「一曲目の方がいい」


 ブレナンが立ち上がり、窓際に歩いた。外を見ながら言った。


「和声が面白い。どこで覚えた、あの転調は」


「独学です」


「ふん。独学にしちゃ上出来だ」


 ブレナンが振り返った。


「いいだろう、買おう。一曲目を25ドルだ」


 知っていた。この答えが来ることを。無名の作曲家の買い切り価格。底値だ。


「二曲目は?」


「二曲目は要らん。フォックストロットは在庫が余ってる」


(一曲だけ買い切りで25ドル。工場労働者の週給と同じ額だ。一見すると悪くないように思えるが、俺が前世で音楽に費やした途方もない時間と情熱、そして百年先の未来で培われた現代の音楽理論。それらが注ぎ込まれた一曲の対価としては、あまりにも安い)


 だが顔には出さなかった。


「分かりました」


 契約書にサインした。買い切り。曲の全ての権利がブレナン・ミュージック・パブリッシングに移転する。永久に。


 25ドルの紙幣を受け取った。


「また書けたら持ってこい」ブレナンは葉巻を咥え直した。「お前の曲は——悪くない。だがまだ25ドルだ。50ドルの曲を書けるようになったらまた来い」


「ありがとうございます」


 レオは微笑んで頭を下げた。礼儀正しいイタリア系の青年として。


(25ドル。俺の曲がこの先ヒットしても、1セントも入らない。全てブレナンの懐だ。——覚えておけ。いつか、お前の方が俺の条件を飲む側になる。いや——そこまでは行かないか。だが少なくとも、お前に曲を売る必要がなくなる日は、必ず来る)


 事務所を出た。

 冷たい風が顔を打つ。ポケットの中の25ドルを握りしめた。


 47ドル23セントに、25ドルが加わった。72ドル23セント。


(まだ足りない。圧倒的に足りない。だが——始まった)





 アパートに戻ると、机の上に資産の一覧を書き出した。

 現状を数字で把握する。前世の営業職で叩き込まれた癖だ——曖昧な感覚ではなく、数字で現実を見ろ。


 ――――――――――――――――――――――

 レオナルド・モレッティ 資産台帳

 1920年1月末


 【資産】

  現金       $72.23

  アップライトピアノ $50(推定)

  楽譜原稿     $0(在庫1曲。売れるかは未定)


 【負債】

  家賃滞納     $15(1ヶ月分)


 【月間支出(見込み)】

  家賃   $15

  食費   $12(1日40セント)

  雑費   $3

  合計   $30/月


 【純資産】$107.23(ピアノ含む)/ $57.23(現金+債権のみ)

 ――――――――――――――――――――――


(2ヶ月で現金が尽きる。曲を書くペースを上げるか、演奏の仕事を見つけるか、あるいはその両方だ)


 窓の外では日が暮れようとしていた。禁酒法施行から二週間。通りからサルーンの灯りが消え、代わりに——何の看板もない建物の裏口に、ちらほらと人影が出入りしているのが見える。


 スピークイージー。もう始まっている。


 レオは窓を閉め、ピアノに向かった。三曲目を書く。今度は——スピークイージーで映える曲を。暗い照明と密造酒の匂いの中で、客の足を止めるような曲を。


 鍵盤に指を置いた。


 冷たい部屋に、ピアノの音が響き始めた。


 窓の脇のテーブルには、今朝の新聞が折り畳まれたまま置いてある。一面の見出しが見えた。


 「禁酒法施行二週間——連邦政府、取り締まり強化を宣言」


(始まった)


 レオは鍵盤を叩きながら、微かに目を細めた。


(十年後のカウントダウンが)


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