第80話 Moon lullaby 5
その日の夜、ハロドックは1人ルブラーンに入り、シュベレットは山の頂上から状況確認のために待機している。
夜とはいえ大都市であるルブラーンは活気があり、特に夜が本番であるルブラーンに2つある歓楽街は、人間界中の男達によって毎日溢れかえっている。
ハロドックは呪力を利用し、警備などを難なく抜け堂々と王宮の正面の門から入り、誰にも気付かれる事無くいつの間にかユリの部屋に入っていた。
「……どうやって入ったの……」
「ん?時間止めた」
3日も音沙汰なく、不安を抱いてベッドに寝そべっていたユリと目の前に隣で寝そべり、両手で自分の右手を気持ち悪く擦るハロドックの姿があった。
「……え……」
「細かいことは後で言うから……まあとりあえず、俺と結婚しろ」
ベッドにあぐらをかいて座り、ドヤ顔でプロポーズをするハロドックの左頬に、今生の全てが乗せられた右手の平が一閃する。
「ぐふっ……しろよ……」
「嫌だ」
「してください」
「言い方の問題じゃない」
「月が綺麗ですね」
「届かないけどね」
「おっぱい揉んでいいですか?」
「もう一回顔面ぶん殴っていいですか?」
「俺の〝ピー〟なら握ってもいいけど」
「首根っこなら握らせていただきます」
「ダメか~」
「何を期待したの?」
素振りは冗談めいているが、ハロドックは至って真剣だ。
真面目に流れるように口からセクハラ発言が次々と出てくる男に、生まれてこの方感じたことの無い嫌悪感が湧いてきてどう反応すればいいのかユリは何故だか分かっている。
ユリはいつまでこのやり取りが続くのかとゴミを見る目で即座に言葉を連ねる、後ずさりして距離を取りながら。
しかしハロドックは何一つ悪びれる事無く、せっかくユリが開いた距離をあっという間に詰めレンガの石壁で壁ドンをし、左手で顎クイまでして顔も近付ける。
「まあいい、俺無しじゃ生きていけない体にしてやるから」
もちろん下心全開の言葉である。
それを熟れた男のセクシーボイスで言われたもので、ユリは一瞬言葉が出なかった。
そしてユリが言葉を並べるよりも先に一瞬で抱きかかえる。
「えっ……え!!!?」
ハロドックはユリを抱きかかえたまま小さな窓のある壁を一蹴りでぶっ壊し、躊躇なく飛び降りた。
「きゃああああああああああああ!!!!」
「うるせぇな皆おねむの時間なんだよ、俺はおむねの時間だ」
「ちょっとどさくさに紛れて胸揉むなあああ!!!!」
ハロドックの右手はユリの胸をバッチリ掴んでいた。
「71か、悪くねぇ」
「気持ち悪い……助けて……」
空中で下手に抵抗出来ない中で、ハロドックは無駄の無い豊富な経験により培われたただ相手を快楽へと誘うためだけに研ぎ澄まされた究極の右手のテクニックで胸を撫で回す。
落下するたった数秒の間にも、ハロドックの右手は確かにユリの平らな形を覚えた。
訳の分からないハロドックの執念に、ユリはそのうち考える事を放棄した。
「っと、何ちゃんと仕事してんだよ税金泥棒共」
王宮周辺に兵士がいない訳が無い……ハロドックは格好つけたいがためにド派手に飛び降りたため、降り立った王宮庭園には警備のために歩いていた2人の兵士と出くわした。
「なっ、何だお前は!?」
兵士にとって、初対面の男が初対面の女を抱きかかえて降ってきたのだから驚くのも無理も無い。
1人は咄嗟に剣の柄を握り鉄の刃をハロドックに向け、もう1人はホイッスルのような笛を強く吹き、大きな音を立てて増援を呼んだ。
「あーあ騒ぎになっちまったー」
「いやお前の落ち度だからな」
「どする?戦う?戦う?抱かれる?」
「逃げろよ!!どうしても騒ぎ起こさなきゃ死ぬのかお前は!!」
「っははは……悪ぃが、俺は死なねぇよ!」
ハロドックならばこの状況ならば容易に兵士を振り切り、ユリと共にルブラーンを脱出する事はお茶の子さいさいだ。
だがその行為をハロドックはあえて否定する、ただユリが気付いた頃にはハロドックは向けられた剣を右脚で蹴り、真っ二つに折っていた。
「……ぁ……はぁ……はぁ……」
呼吸をしていなかったのにも気付かず、我に返るとすぐに肺に酸素を取り込み赤血球を働かせる。
見えなかった……抱きかかえられ最も近い場所にいながら、同じ目線にいながら、まばたきしたほんの僅かな時間でハロドックはその行為に及んでいた。
「……な……え……」
どうやら兵士にもハロドックの動きが見えなかったらしい……というより、動いたそのフリが全くなかったのに突然目の前に現れたという感覚だったために驚嘆も少し遅れる。
「脆いな~、ちゃんと手入れしてんのか?」
「……今……何したの……」
「言ったろ、時間止めれるってよ」
説明不十分すぎて何となくの理解にも及べない……多分ちゃんと説明するつもりは無さそうだ。
ハロドックが自ら仕掛けたこのイザコザで呪力を駆使したのは、このたった1回……それ以降は己の純粋な膂力だけで、ユリを抱えながら剣を折られた兵士の顔面を蹴り飛ばす。
「うがっ……」
「ははっ、どうだ?楽しいだろ?」
「お前は死ななくても私が死ぬわ!!」
ごもっともな見解だ、しかしハロドックはその言葉を聞いても声を出すことなく笑って誤魔化す。
「何とか言えよ!!」
蹴り飛ばされた兵士が伸びる頃には、10数人の兵士がハロドックとユリの元に駆けつけ、敵意を持って逃げ場を無くすように2人を囲む。
「足りねぇだろ」
「え……ちょ、うわあああああああああ!!!!」
ハロドックはユリを飛び降りた階程の高さまで高い高いの要領で投げ上げる。
身軽になったハロドックは、目の前の兵士の懐深くに間合いを詰めみぞおちに重い一撃を加える。
兵士達が向かってくるモーションに入る頃には、ハロドックは舞うように兵士達の急所に四肢のいずれかを使い強い打撃を与えた。
ものの見事に集まった兵士達が全員声も上げる事無く気絶し、落ちてくるユリを優しく受け止める。
「どうだ?」
「殺す気か!!」
「よしよし元気が良いな、尻もいい形だし、安産は確定だろ」
心臓に悪い体験をさせられた後に、心臓に悪いセクハラ発言で速い鼓動が落ち着く気配を感じない。
しかし辺りを見回し兵士達がいつの間にか全員倒れ込んでいる状況を見て助かったと思い、安堵のため息を漏らす。
※ ※ ※ ※ ※
「……何をやってるんだ貴様は……」
「ん?お姫様抱っこ」
その後ハロドックはさらにやって来た兵士達は相手にせず、時間を止めて屋根を走り、呆気なくルブラーンを脱出しシュベレットと合流した。
「いやそうじゃなくて、何のためにあんな騒ぎをだな……」
「ん~……お姫様抱っこ」
答えるつもりは無さそうだと諦めのため息をこぼすシュベレット。
ハロドックは無理矢理にでもピンチだと思わせる状況を作り、それを圧倒的に打破する事で自らの力を知らしめ、信用出来る事を見せつけたのだ。
力を知らしめる事に関しては思惑通りだろうが、信用はむしろ失ったモノの方が多いと捉えて間違いない。
「もういい?」
時間を止めている間、息を止めて目は閉じてろとハロドックは忠告していたためその通りにしているユリ。
ハロドックが時間を止めると、ハロドックとハロドックが触れているモノ以外の全ての時間が止まるため、空気も動かず呼吸が出来なくなる。
また光の反射もしないため、ハロドック以外には全てが暗黒に包まれた感覚を覚えることとなる……これは非常に危険な事だ。
ハロドックは呪力の発動者であるために完全な暗闇により気が狂う事は無い、さらに暗闇の中でもズバ抜けた空間認識能力と記憶力で中距離の移動も可能だが、ユリはそうではない。
ハロドックに触れている以上、時間の止まった世界での条件はハロドックと同じだが、五感と生命維持活動が奪われた世界では数秒間でも体感すればすぐに気が狂いだす。
ハロドックはそれを他人で実証済みで自分も最初はそうだったが、少しずつ恐怖を押し退け慣れていく事によってその呪力を駆使する事が出来る。
時間は無限に止めていられるが、呼吸が出来なくなりハロドックが意識を失うまでがタイムリミットと言ってもいい……発動者の意識が無ければ呪力も解かれる、呪力は意識の中で使用出来る力なのだから。
「……ユリ様」
「シュベレット!!」
話し声が聞こえた辺りで呼吸は再開していたが、目を開けるか否かはハロドックの言葉を待っていた。
理由は単純に、呼吸と違いほぼずっと出来る事なのでまぶたを開けることが不安だったからだ。
目を開けると、安心しきり笑みをこぼすシュベレットがおり、ユリはハロドックを突き飛ばしシュベレットの元に駆け寄りおもむろに抱きしめた。
「……ホントに来てくれたんだ……」
「……私は何もしていないです……」
「……でも……収監されちゃったのかと思ってた……」
「……逃げられない状況下におかれ、理不尽な要求に仕方なく応じていたため、情状酌量の余地ありという判決でして……」
「……そっか……」
「お~いユリちゃ~ん、イチャイチャなら俺としろよ~」
蚊帳の外にされたハロドックは誰得のぶーたれた顔でシュベレットに中指を立てる。
「……何なのあいつ……」
明らかに声のトーンが落ち、向ける目線も希望の光からゴミを見る目に即座にシフトチェンジしてユリはあぐらをかくハロドックを見る
「……ユリ様は彼に助けられたのです、ユリ様の望みを叶えてくれました、感謝はするべきかと」
「……けど……」
「ん?」
さっさと離れて俺とイチャついてくれねぇかな~なんて思いながらハロドックは、鼻をほじり鼻くそを指で弾き飛ばした。
「…感謝しても…ん~…」
一応ユリの喉から手が出るほどに欲した悲願は達成されたのだが、ハロドックの行動がその喜びを半減させてしまう。
「……先祖代々〝ホシノキズナ〟を保持する方々はハロドック・グラエルと生涯を共に過ごしたそうです、そしてそれはユリ様も同じです」
これはシュベレットも望んだ脱出方法でもあり、必然たる運命であることも、少ない言葉の中で説明する。
「……絶対に?」
「この話をするとき彼は真面目な目をしていました、絶対であるかと」
シュベレットの言葉を聞き再びハロドックの方を見るが、股間を掻きあくびをする、人くさい行動にやはり感動がイマイチ湧かない。
「……思ってた王子様とは違うなー……」
「教育の一環です、人生は思い通りにはいかないという」
※ ※ ※ ※ ※
「はあ……あ……もしかして……これって……」
3人はルブラーンの正門の裏側の方へと日が暮れるまでにシュベレットはユリを抱きかかえて進み、ルブラーン南部の崖へと向かう。
山を降りた頃にはすっかり夜になっており、目的地が近付くとユリもその裸足で歩き始める。
初めて踏みしめる土の感触、石の硬さ、草のくすぐったさ、夢にまで見た外という場所の空気を頭のてっぺんから足裏まで全身で感じる。
そして目的地にたどり着くとユリは駆け出し、2人の男を置き去りにして、子供のように目を輝かせて焼き付ける。
ユリは満月が浮かぶ星空に照る海を眺めた。
「はい、ユリ様が王宮から出たらまず見たいとおっしゃっていた───海です」
「……きれい……」
ユリは子供のような無邪気できらきらとした笑顔をしばらく絶やす事無く、快晴の夜空を映しそこに波という味を引き出す海を眺めていた。
「これも毎回恒例だよ、今までの奴らも海見たら大体あんな感じだ」
つまりほとんどの〝ホシノキズナ〟継承者は、ハロドックによって初めて外を知っていくと言って間違いはない。
「……しばらく経った後に、私はユリ様と距離を取ろうと思う」
「何でだよ」
「……私は……邪魔になる」
「確かに、お前いたら最終手段の吊り橋効果すら皆無になっちまう」
とある事情によりハロドックはどうしてもユリと両想いとなる必要がある……その1番の障害がシュベレットであることも、ハロドックは既にシュベレットに話した。
「……ああ……一月後には去ろう」
「……初めてだよ」
「何がだ?」
「〝ホシノキズナ〟継承者に情のあるバカ見たの……俺以外の」
※ ※ ※ ※ ※
「……幸せにしろだぁ?当たり前だろ、俺は恋愛の天才だ、今までの〝ホシノキズナ〟を所持してたクルエルは女を全員落としたんだよ」
場面は変わって、ハロドックとシュベレットが合流した直後。
シュベレットの唯一の願い、生涯幸せにしてくれという願いをハロドックは胸を張って約束した。
「……〝ホシノキズナ〟と、他の〝王証〟の違いって何なんだ?」
「んなことも知らねぇのかよ元特等がよぉ」
「情報が入ってこないんだ、人間界は」
そもそも〝王証〟の性質そのものが、謎に包まれている。
いくらコーゴーの相当量の情報が入る場所に立っていたとて、そんな情報が流れることは無い。
この質問は単なるシュベレットの興味によるものだが、ハロドックはしっかり答える……共犯者なのだから、開示してもデメリットの無い情報は共有した方が信頼関係は築けると見たからだ。
「……〝ホシノキズナ〟は、〝王証〟の中で唯一、継承者が自らの手で他者へ受け継ぐという行為が出来ねぇんだ……他の6つはそういう器の奴がいれば、どんなに離れてても受け継げるが……
……〝ホシノキズナ〟はそれが出来ねぇ……保持者は持ったまま死に〝ホシノキズナ〟は次の器の奴に宿るまで現れない……しかも〝ホシノキズナ〟は、クルエルの女にしか宿らねぇ……数百、数千年に1人しか現れねぇんだ……」
衝撃の真実に、思わず息を飲む。
数百、数千年に1人現れる者のために生きているのだとしたら、この男が背負っているモノがどれほど大きく、どれほど果てしないのか……理解出来ない、計り知れない……。
この答えによりシュベレットは改めて、ハロドック・グラエルという男を認め敬意を払い、そして魅せられた。
「……どういういきさつで、お前がクルエル達を……支える立場になったんだ?」
「……悪い女に騙されたんだよ」




