第30話 うたかたの日常
フレディは右膝をつき、殴られた箇所を左手でかばい、口と目を開いたまま声にならないうめき声をあげていた。
「おお……お……お……」
「……な……何が起きたのでしょうか……情けの一発を受けたフレディ選手が……膝を……」
「おい……どういうことだよ……」
「……何なんだ……あいつは……」
実況の声も迫力は無く、歓声も上がらず、会場には大きなどよめきが走った。
※ ※ ※ ※ ※
「……どうした」
控え室にいるドグラは右耳に差し込んでいる〝小型言伝貝〟から部下からの連絡を聞いた。
「今会場で闘っている者なのですが」
「あの色黒オヤジか?」
「いえ、挑戦者の方です」
「あっそう……どったの?」
「フレディ選手の腹部を殴った途端、フレディ選手が膝を崩しました」
「……ダメなの?」
「ダメも何も、フレディ選手は今大会優勝筆頭候補、素人はおろか今回招待された3選手ですらダウンを取れないとも予想されているんです……にもかかわらず、ジェノサイドでもコーゴーでも無さそうです」
「何でそういえんの?」
「コーゴーで素手で戦う戦士は特等の、ロギウス・ジャグネット、アイン・ボルセンの他にはいませんし、そもそもこの大会には出ません……ジェノサイドなら、あれほどの強さがあれば手配書に記されているはずです……少なくともSランクはあります」
「……強ぇな、闘値は?」
「……30万程です」
「おい、30万でSはねぇだろ……Cか、良くてBだろ……そんぐらい分かるよな?」
「……そうなんですが……あれは……」
クラジューから繰り出されるオーラは、ベイルと出会い闘った時とは明らかに違い、大きく、観客席という遠くからでもひしひしと伝わるほど、鬼気迫るオーラに視えていた。
それはクラジューの実力には似つかわしくない、闘値が数千万、億に達していても不思議ではない程だった。
しかし視える者にしか分からない迫力のため、フレディを初めとするオーラが視えない者達には伝わってこないため、所詮は見かけ倒しのオーラだ。
たとえ相手がフレディほどであっても、戦闘態勢に入ると等しい大きさの惜しみなくオーラを放つ辺り、クラジューの未熟さが伺える。
(その闘値なら問題ないな……だが、人間界からすりゃ大したことだ……騒ぎとか面倒だから関わりたくないんだけどな~……)
「ドグラ様、いかがしますか?」
「王女の協力者かもしれないな」
「……何故そんな……」
「可能性だよ、てか、知らねぇ気配でその辺りの闘値がちらほらいやがる……会場は俺に任せろ、島は兵団の連中が勝手にやる、お前は不審な船とかを探せ」
「はっ」
ドグラの部下は〝携帯型言伝貝〟での通話を切り、会場の外に飛び出していった。
「……ふぅ、真面目にしねぇとルナに殺されるからな~」
※ ※ ※ ※ ※
「はぁ……はぁ……くっ……てめぇ……何しやがった……」
「ただのパンチだよ、奇跡的なタイミングの食中毒とでも思ってんのか?」
「ふ……ざけんな!!!」
フレディは怒り狂い巨人化し、13メートルの巨躯になりクラジューに向かって右拳を叩き落とした。
「決まったああ!!!フレディ選手の一撃必殺パンチ!!!公式ではそのあまりの危険度に超一流プロ以外には使えないが!!!今大会にそのルールは適用されない!!!挑戦者は死んだかああ!!!?」
「ふっ……なっ!?……」
「……いやぁ、やっぱ雑魚だな」
クラジューは立ったまま右手の平でフレディの一撃を受け止め、無傷でいた。
クラジューの足元の地面にはヒビが入っていた。
(重……まあさすがに人ボコって飯食ってるだけあるな)
「く……くっっそおおおあああ!!!!」
フレディは右拳をそのまま左拳を右拳を支えるクラジューの右横腹に振り抜いた。
「こんなもんか……」
クラジューは消えるようにかわし、フレディの右拳は地面にめり込み、左拳は右手首の左側に激突した。
「うっ!……どこだ……」
「ちゃんと力込めろよ」
クラジューはフレディの顔面前で浮遊し、フレディの鼻の中央に右拳を打ち込んだ。
殴られる直前、フレディの目に映ったクラジューが自分よりも大きく、どれだけ腕を伸ばしても手の届かないモノのように、そう直感が働いた。
クラジューの初撃からこの一瞬に至るまで、フレディの頭の中で蠢いていた、漠然たる焦りや困惑は、ようやく1つのはっきりした感情に行き着いた。
───恐怖。
「があっ……」
デビューから超新星として注目を集め、無敗、最強を誇り、破竹の勢いでスターダムへと駆け上がり、富も名声も全てを得たフレディが感じた……初めての、足掻きようの無い、どん底の恐怖だった。
フレディの鼻からは鈍く骨が砕ける音がし、鼻からは血が噴き出し、フレディは白目をむき仰向けに倒れ気絶した。
「うし、ギリ死ななかったな」
クラジューは浮遊ではなく、跳躍に見せかけるために素早く地面に降り立った。
「……あ……えええっと……そ、その……フフフフレディせ選手……ダウン……勝者……挑戦者、チワワ選手……」
一瞬の静寂が会場全体を覆い、テンパる実況が入るとさらにどよめきが大きくなった。
当然ながらクラジューに対する歓声などありはしない。
余興、見せ物のおもちゃであるクラジューには、たとえフレディより強くても負けなくてはいけないという、暗黙の了解などは通用しない。
あまりに一方的なその様に、人々は、ジャイアントキリングの驚きというより、クラジューに対する恐怖感をもたらした。
「フレディが……負けた?」
「何者だあいつ!?」
「たった2発で……てか浮いた、よな?……」
「フレディ様!!!」
ラルフェウは会場でどよめく人々を見ていた。
(あまり騒ぎにしてほしくは無いんですが……既に強い気配が2つ島に入ったみたいですし……)
フレディの巨人化が解かれ、通常のサイズに戻ってから、救護班により担架で医務室に運ばれた。
トレーナー達もフレディに声をかけているが、それはフレディのためよりは、クラジューに対する恐怖感から逃れるためという感じだった。
トレーナー達の冷や汗や鳥肌が、如何にクラジューの存在が恐ろしいのかを物語っている。
コーゴーやジェノサイドなどの界隈では大したこと無い存在でも、表舞台では異常な存在なのだ。
クラジューはフレディが運ばれた後、静かすぎて不自然に思った観客席を見渡した。
人々がクラジューに向ける視線は、冷たく、拒絶的で、自分たちには無い、異物を見る目だった。
「……ま、こんなもんか」
特に表情に表す訳ではなかったし、割り切ってはいたが、何万人という人々から向けられるその視線に、何も思わない訳ではなかった。
「ふざけんな!!」
「つまんねぇことしてんじゃねぇよ!!」
「何とか言えクソ野郎!!」
「お前なんか死んじまえ!!」
戦意を解いた途端、クラジューに向けて観客達は、異物同様に思えるクラジューを自分たちの前から追い出さんとするために、ブーイングや、心無い誹謗中傷を浴びせた。
クラジューはそれらの言葉や、投げつけられ時折ぶつかるゴミなどに反応をすることはなく、淡々と歩いて控え室に戻っていった。
淡々としてはいたが、何故勝った自分が責められるのかが分からず、心に変なつっかえを覚えた。
※ ※ ※ ※ ※
「クラジューくーん!!!」
「……おう」
ゾーネはクラジューの勝利を喜び、跳んで胸に飛び付いた。
ゾーネの笑顔を見てクラジューはひとまず安心し、もう一度ゾーネの顔を見て微笑んだ。
「おめでと~!!」
「いやいや楽勝だって……それより……そろそろ離れてくんねぇかな……恥ずかしい……」
「だって~うれし~んだも~ん♪」
「そ、そうか……」
クラジューはゾーネの頭を撫で、ゾーネはクラジューの胸に顔を左右に振って埋めた。
(何こいつら人の面前でイチャついてんだよ……)
2人が自分の目の前でイチャつく様子を、ドグラは爆ぜてほしい気持ちを込めて睨んでいた。
「そういえばチビは?」
「さっきでてったよ~♪」
「全然見えなかったんだが……ああチビだからか」
「そ~いえばね~♪さっきあのひとひとりでしゃべってたよ~♪へんなの~♪」
「そうか……」
クラジューはベンチに座るドグラを見た。ドグラは天井を見ていた。
(耳のあれ……連絡する貝か……兵士、まあいるわな)
(あの姉ちゃんかわい~な~、ダイナマイトボディの割には言動はガキっぽいな~、いいな~……見てたら変態に思われるから逸らさねぇとな~)
※ ※ ※ ※ ※
同じ頃、アンビティオ号から少し離れた位置に、ドグラの部下がいた。
(あの船、何故こんな場所に……)
部屋で眠れず、甲板で空を見上げながら日なたぼっこをするように寝転がっていたビオラが、その気配に気付いて目を覚まし上体を起こした。
「……ビオラちゃん?」
ビオラのそばで同じく仰向けに眠っていたアリシアは、ビオラが起きると目を覚まし、目を擦りながら上体を起こした。
「見られてるわね」
「だ……誰に?……」
「さあ、大して強くはないけど……追い払う?」
「う~ん……追い払っても、どうせ兵士達が来るかもしれないかな…」
「……じゃあ拷問する?」
「何で!?」
「言ってみただけ、ワタシしたくないし」
「冗談に聞こえないよ……」
「もう追い払うね」
そう言うとビオラは立ち上がり、船の中に入っていった。
(っ!!!?……何だこの殺気……気付かれた……けど、単独で乗り込んでも勝ち目は無い……)
兵士はその場から街の方へと走り去っていった。
「……ビオラちゃん……何したんだろ……」
アリシアも船内に入っていった。
ビオラはキッチンの冷蔵庫を開け、中をつま先立ちしてうかがうっていた。
「今までしたこと無かったけど、海の上で日なたぼっこって気持ちいいね」
「そうね……ねぇ、お腹すいた」
「空っぽだね……」
「死にそう」
「死なないで!?」
「……何人死ぬんだろう」




