港町とジュース
「おおう…」
戦闘が繰り広げられている少し離れた場所で眺めていた。
相手はスノーラビットと言って、名前の通り白い兎の魔物だ。
可愛い兎のイメージとは違い、小さいものでも一メートルはある。
紅い目玉は飛び出しそうな程大きく、尖った牙は岩をも噛み砕く威力を持っている。
スノーラビットの大振りな攻撃を交わしながらカイルが前衛で剣を振るい、アルミンが後衛から魔法で攻撃する。
そして地響きのような遠吠えに呼応して現れる他の魔物を、セルビスの剣とマリさんの補助魔法が処理する。
その様子を私は背を大木に張り付けて見守っている状況だ。
久しぶりの戦闘に心が踊ってしまうのは、やっぱり不謹慎だろうか。
連携のとれた流れるような動きは、つい魅入ってしまうようなものがある。
少しだけと思いながら魔力を探ってみるけれど、諦めて断念する。
自分の今の役目は『深い森』に入ってお師匠様を探すことだ。
自分の生き方はそれから考えよう。
「海だ!」
気のせいかと思っていた潮の香りが強くなってきたかと思えば、真っ青な海がみえた。
太陽の光を反射させてきらきらと輝く景色は、今まで見てきた中で一番綺麗だと思った。
「港町?もしかして船に乗るの?」
「知らなかったのか?」
「だっていつもお師匠様の空間移動だったから…」
呆れたようなセルビスの口調につい反論してしまう。
「地理の勉強も必要みたい」
「そうだな」
まさか大陸が違うとは思っていなかった。
それにしても。
「美味しそうな匂いが…」
「この港周辺は魔物が少ないんだ。だから海産物も豊富に取れて、こんなにも賑わってるんだよ」
「大陸を渡れば暫くは辛抱しなくちゃいけないわ!しっかり栄養をとっておきましょうね!」
アルミンがにっこりと説明してくれている隣で、マリさんの目をきらきらと輝かせている。
「私甘いものも好きだけど魚介類も大好きです!」
「私もよ!アオイ!」
「とりあえず宿を探す。食べるのはそれからだ」
セルビスの号令に従って馬車を降りる。
船には乗れないのでここまでお世話になった馬とは暫くお別れらしい。
馬車の引き渡しはカイルにお願いして、私達は今日の宿を探すことにした。
その日の夜、新鮮な海鮮料理を頂いた後は明日からの航海に向けて早々と休むことになった。
「ちょっと買い出しに行ってくるからね。一人で部屋の外を出歩かないようにね」
「はーい」
「あと部屋に誰か訪ねてきてもセルビス達以外は絶対にでないように!」
「はーい。それよりマリさんこそ一人で大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ。変な男が寄ってきても一撃で殺せるから」
「殺しちゃ駄目だよ、マリさん」
笑顔で物騒なことを言うマリさんを送り出すと、部屋の中が静かになり窓の外から賑やかな声が聞こえてきた。
気になってベッドから立ち上がって窓へと近付く。
錆び付いている窓を強めに押すと、思ったより音が響いてしまった。
下にいる何人かの人達と目があってしまったので、愛想笑いをして一歩下がった。
もう暗くなっているというのにランタンのような魔法具が町を照らし、歩いている人達も楽しそうにしている。
昼間港を走り回る子供達もとても楽しそうにしていた。
その子供達の笑顔を見て施設の兄妹やシスター思い出してしまった。
元気にしているだろうか。
私が居なくなったことを心配しているはずだ。
帰ることが出来ないとしても、せめて自分が無事なことを伝えられたらいいのに。
今度は極力音をたてないように窓を閉める。
最近は毎日魔力の循環をしているけど、今日は少し疲れてしまった。
少し早いけど寝てしまおうかとベッドで横になろうとしていると、廊下が騒がしいのに気がつく。
酔っぱらいでもいるのかと思っていると、暫くして部屋の扉が叩く音がした。
「…どちら様ですか?」
「俺だ」
オレオレ詐欺?
そんな冗談を心の中だけで口にしながらそっと扉を開けると、そこに立っていたのはやはり不機嫌そうなセルビスだった。
「どうしたの?」
「何をしてるんだ」
「何って別に」
「入るぞ」
一体どうしたのかと首を傾げていると、眉間の皺が標準装備になっているセルビスに大きな溜め息をつかれた。
「何かあったの?騒がしいけど」
「お前のせいだ」
「私?」
全く見に覚えがない。
「見に覚えがないようだな」
「全く。マリさんが出掛けてから一歩も部屋を出てないよ?」
「酔っぱらいがお前に声を掛けようと部屋の前を彷徨いてたんだ。大方、外でも眺めていたんだろ」
「あ…」
窓を開けたときのあの音で、無駄に目立ってしまったのか。
「ごめんね、もう寝るから大丈夫だよ」
「疲れたのか」
「いや、あまりにも暇すぎて」
「なら少し付き合え」
そう言って手に持っていた瓶を空け始めたセルビスに戸惑いながら、恐る恐る声を掛ける。
「あの、私まだ未成年だからお酒は飲めないんだけど。私の国の成人って二十歳なの」
この国の成人は十六歳だけど、国民でない今飲んでしまうのはあまり良くない気がする。
「安心しろ、中身はジュースだ。お前に酒なんて飲ませられない」
「え、ジュース?」
「ああ。覚えていないか?初めて酒を飲んだ日のことを」
「えっと…」
セルビスが言っているのはセレスティアの時の話だろう。
「初めてお酒を飲んだ後の記憶は曖昧で…。でも次の日にはシュベルト達からお前は絶対に酒は飲むなって言われてからは飲んでないよ」
「正解だ」
セルビス部屋に置いてあったグラスを取りだし注いでいく。
「私何したんだろ?みんな教えてくれなかったし」
「聞かない方が良いこともある」
これ以上は聞くなとグラスを押し付けられ、渋々と口をつけると甘く懐かしい味がした。
「美味しい!」
「この港町名産の果実を使ったジュースらしい」
「私このジュース飲んだことがあるわ」
思い出してみればお師匠様と一緒に暮らしていた時、棚には必ずこのジュース瓶が置かれていた。
お師匠様にバレないように毎日少しずつ飲むのが、一日の楽しみだった。
「魔力のほうはどうだ?」
「うん、毎日無理しない程度には試してみてる。少しずつだけど上手くいきそうな感じはあるの」
「アルミンも言っていたが魔力の循環をすることで、少しずつ封印された魔力が漏れだしてるんだろう。ただ無理やり封印を解こうとすると、最初の時のようになる。最悪命を落としかねない」
「…セルビスってさ、昔からお説教が好きだよね」
「は?」
二人きりだからかつい口に出してしまった本音に慌てて顔をあげると、そこには想像していた表情ではなく単純に驚いたといった様子のセルビスがいた。
「ねえ、セルビスはどうしてセレスティアを嫌ってたの?」
「…別に嫌っていた訳じゃ」
「お邪魔しまーす」
「カイル!」
ノックもなしに入ってきたと思えば、勝手にベッドへと腰かけるカイルにセルビスが批判の目を向けた。
カイルはそんな視線を気にした様子もなくへらへらと笑っている。
「鍵は閉めていたはずだが」
「そんなこと気にしないの!あ、セルビスがいるって分かってたからこその行動だよ。外でむさ苦しい野郎達が文句を言ってたからね。セルビスだって夜間に部屋で女性と二人きりなんて良くないよ」
「別に疚しいことはない」
あきらかに酔っている様子はカイルは、テーブルの上にあったセルビスのグラスに口をつける。
「あまっ。何これ」
「お子様用だ」
カイルの口に合わなかったらしく、飲みかけのグラスをテーブルへと戻した。
こんなに美味しいのにと思いながらも、お子様用なんて言われたら口には出せない。
「二人で何を話してたの?」
「別に。他愛のない話しだ」
私がセレスティアであることを知らないカイルに、先程までの会話を話すことはできない。
私は聞かれなかった振りをしながら、残っているジュースをちびちびと飲む。
「…やっぱり似てるよね。セレスティアに」
「ぐっ」
秘密にしようとしていたところに確信をつかれてむせ混んだ私に、誰かが慌てた様子で背中を擦ってくれる。
てっにりカイルだと思っていた私は、俯く視線の先に青い髪が見えて驚きで顔をあげられなくなった。
「大丈夫か?」
「う、うん」
小さく息をついて離れていくセルビスに何故かほっとしてしまう。
恐る恐る顔をあげると、そこには眉間に皺を寄せた普段通りのセルビスがいた。
「なんかごめんね、大丈夫?」
「いや、私が変な飲み方してたから!美味しいから勿体なくて!」
「美味しい?そっか、女の子には好評なのかも」
ジュース瓶を手に取り何かを考え始めたカイルにほっとしながら、再び飲もうとを取ろうとすると横からグラスを取られてしまった。
反射的に睨んでしまった私とセルビスの目が合ってしまった。
睨んでしまったことに、慌てて弁明の言葉を言おうとするとセルビスの肩が震えだした。
「セ、セルビス?」
「…別に誰も盗らないから。そんな形相で睨まなくても」
「どんな顔してたの!?」
堪えきれないといった風に笑うセルビスに、恥ずかしくて顔が熱くなる。
空きビンを片手に座るカイルは珍しいと言いながら、にこにことセルビスを見ている。
「ね、ねぇ。そんなに変な顔してた?私?」
「もう良いから。ほら」
新しい瓶を空けてくれていたらしく、並々とジュースが注がれたグラスを渡された。
何が可笑しいのか渡してくれたその手が、ふるふると震えている。
文句が口から出そうになるけど、セルビスの楽しそうな様子にこの雰囲気を壊したくない思いがつのる。
不満を押し込むようにしてジュースを一気飲みすると、再びセルビスの笑い声が聞こえた。
「ただいま!あれ、みんなどうしたの?」
買い物から帰ってきたマリさんが部屋の様子を見て不思議そうに首を傾げている。
マリさんの後ろには荷物持ちをさせられたのか、紙袋を沢山かかえぐったりしているアルミンもいた。
その紙袋には今飲んでいるものと同じジュースの瓶が沢山入っていた。