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人造のアーダム  作者: 猫一世
スケープゴート
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スケープゴート 第二節

 電車が揺れる。その度に車体は唸りをあげる。

 ひたすらにその音だけが、きまずい空気の中を木霊し続ける。

 僕と愛美は電車の座席に、人一人分が座れるほどの空間を空けて腰かける。お互い何も話さず、ひたすらに沈黙を貫き通していた。

 しかし、まあ、ずっと黙っているわけにもいかない。僕があの駅周辺で何をしていたかを正直に説明するべきか、それとも言い訳を一つ考えるべきか。逡巡を続ける最中、僕はあることに気付いた。

 そもそも愛美があの駅周辺にいたわけではないのではないか?

 偶然僕が電車に乗り来んだ時に鉢合わせたとはいえ、僕は彼女があの駅から電車に乗り込んだところを見たわけではない。無理に言い訳をせず、用事があったと言えばそれで済むのではないか、と。彼女もそれ以上追及はしてこないはずだ。

 しかし、どうにもその考えは甘かった。

「ね、ちーちゃん。あの駅から乗ってきたけど、あの辺りに何か用事でもあったの?」

 最初に口を開いたのは愛美、そしてどうにもその質問は僕の考えていた真意を測るような意図があったように思えた。ここで僕が「用事があった」などと言うのは不自然だし、なんなら「いやー、ちょっとね」なんて誤魔化せばますます僕に不信感を抱かせるだけになる。

 今までの短い人生でこれほど悪知恵を働かせたことはおそらくないだろう。必死に愛美に嫌われない選択肢を見つけ出そうと試みる。まるで恋愛ゲームのようだが、残念ながら現実には攻略本もセーブポイントもない。やり直しは効かない。

 恐らく現実の時間では一分も経たないであろうが、僕の脳内では既に那由他の時が過ぎたかのような、そんな感覚に陥っていた。人間は人生の危機に瀕した時、時間が止まったような感覚を得るというが、今まさに僕は時間の虜囚となっていた。しかし永劫の心算の結果、僕は一筋の光明を見出すことに成功した。

「あ、いや!ほら乗り換えだよ!今日両親が家にいなくて、ご飯買いなさいってお金貰ってたんだけど、どうにも食べたいものが思いつかなくてさ。それで柏駅の近くに、大きなショッピングモールあるだろ?あそこのフードコートで食べたラーメンが美味しかったの思い出してさ!で今帰りってわけ!」

 口調はかなり怪しかったが、発言内容にはそこまで怪しい点はなかったように思う。我ながら会心の出来だ。

「あ、そっか。そういえば小学校の頃二人で行ったよね。また今度行きたいなー」

 うむ、信用してくれたみたいだ。

 しかし、ほっとして少し冷静になったせいか、自身の思考がクリアになり、先ほどまで見落としていた点に気付いてしまう。

 愛美はそもそも、なぜこんな時間まで出かけているのか。

 いや、これを突っ込めば僕も墓穴を掘りかねないわけだが。しかし人間は面倒なもので、一度胸につかえたことは中々忘れることができない。幾度もこの溜飲を下げたい欲望に駆られるが、その度に必死に口から出かかったモノを飲み込む。

 これ以上考えるとどうにかなってしまいそうなので、一旦別の話題に切り替えよう。

「逆に黒木はあの後何の用だったの?もしかして塾とか?」

「えっとね、うん。そうなんだ、最近塾に行ってて」

「へ、へー。知らなかった、いつから通ってるの?」

 お互いしどろもどろな会話を繰り広げる。このやり取りで初めて愛美が僕に何かを隠していることに気付いた。正確なことまではわからないし、何が嘘かを突き止めることもできていない。しかしその猜疑心は、結果的に僕の意識を彼女に集中させた。

 たとえば彼女の表情や仕草を観察したりとか。

 たとえば彼女の言葉をよく静聴したりとか。

 あらゆる点で愛美の纏う雰囲気が、微々たる差ではあるが、いつもの彼女のそれとは異なることに気付く。

 そしてそんな差異の中で、最も際立っていた点は、匂いだ。

 や、どこか変態的なように聞こえるが、事実として彼女から漂う香りは、どこか大人っぽいというか、言い換えるならとても煽情的だった。

 そこからの会話はあまり覚えていない。僕の心はその匂いに中てられたのか、すっかり心が蕩けてしまっていた。思えば適当に相槌ばかりうっていたような気がする。

 お互い家に到着し、別れをすませる。

 脳みそは惚けきって熱に浮かされ、その面持は奇妙な笑顔を浮かべていた。

 しかしそんな熱を一瞬にして冷ましたのは、扉の先にいた鬼ババアの鉄拳制裁、もとい、我が愛しの母上からの愛の鞭であった。


 


 後日、夏休みの途中ではあるが、本日は登校日。休みの気分が抜けきらないためか、頭はまだ半分夢の中に浸かっており、朝食を食べながらも思わず睡眠欲に負けそうになる。

 両親の叱咤をうけながら準備を済ませ、未だ寝ぼけたまま家を出る。と、同時に家から出たばかりであろう愛美と目が合う。瞼に圧し掛かっていた重い靄は一瞬にして霧散し、意識は全て愛美に集中する。

「あ、おはよう、ちーちゃん」

「お、おう。おはよう」

 あれから何度か遊んではいるが、改めてこう向かい合うと体が固まる。

 いつものように二人で学校へ向かう。いつものように僕たちを揶揄する、お互いの友人に出会う。

 僕と愛美はクラスが違うので、学校ではあまり話すことはないが、それでも僕たちの仲は同じ学年の友人たちには広く伝わっていた。というか、何人かは僕らが付き合っているものと勘違いしている人もいる。

 すまない、フラれてるんだよ僕。

 退屈な教師の話を聞き、久々の友人たちとの談話に花を咲かせる。

「なあ、知ってるか?つっちーさ、例のテニス部の子と付き合ってんだってさ」

「え、マジで?いつから?」

「こないだの花火大会で告ったんだって。くっそー俺も彼女欲しい」

「そういや、智晶。お前はあの子とどうなんだよ」

「え?」

 この夏で甘い思い出を作ることができた人間たちの話をしていたら、今度は僕に火が飛んできた。

「おいおい、恍けんなって。女バレの部員から聞いたぞ。お前ら結構遊んでんだって?」

 おいおい愛美や。どうして君はそんなことを友人たちに言っているのですか。

「いや、それはだな……幼馴染の誼というか」

「かー!!お前って本当、奥手だよなあ!一回フラれたくらいで自信喪失かよ。いいか?普通女子ってのは、気のない相手と二人で遊んだりしないんだよ!それも何度も繰り返し!くっそ羨ましいな死ねこの野郎」

 説教が始まったと思ったら、最後の方は完全に私怨交じりの罵倒をされる。

「けどさ、一度フラれれば、それは奥手にもなるだろ。それに最近、黒木は塾に通い始めたらしいし?勉強に力入れたいんだろうしさ、今は邪魔しちゃ……」

「おい、ちょっと待った。今なんて言った?」

 きょとんとした表情でこちらを見つめる我が友人。

「え、えっとだから、勉強に力入れてるみたいだから邪魔しちゃ」

「そこじゃない、塾に行ってる?本当に?黒木が?」

「お、おう。本人がそう言ってたよ」

 すると彼は顎に手を当て、うんうん唸りながら思案を始める。

「いや、やっぱおかしいよ。この辺の塾っていったら一つしかないし、そこは俺通ってるけど、一度も黒木に会ったことねえぞ」

「ああ、確か織木駅の近くにある塾らしいけど」

「織木!?馬鹿言え、電車で二十分以上かかるじゃねえか。そんなとこにわざわざなんで通うんだよ!」

 確かに、言われてみればそうだ。この近くの塾に通わず、わざわざ遠方の塾に行く理由はない。よっぽど塾の質に差があるとか、そんな理由でもなければ普通はしないだろう。

「それに黒木、別に塾通いする必要ねえだろ。賢いんだし。中一のテストがいくら簡単だからって、あいつ全教科百点だぞ?他に何詰め込むっていうんだ」

「そ、それは……」

 今まで考えてなかった、いや考えようとしていなかった事実を叩きつけられ狼狽する。その様子を見て、僕の友人は目を細め、こちらを睨む。

「お前さ、なんか嘘つかれてるんじゃね」

「え?」

「や、どう考えてもおかしいだろ。そもそもお前が知らないうちに塾に行ってるなんてことがおかしい」

「それは、そうかもしれないけど。けど、黒木はそんな」

「男」

「はぁ?」

 僕の言葉を遮るように、一言。

「男だな、間違いない」

「それってどういう……」

「お前本当たるいのな。わざわざ遠方の塾通う理由なんて、普通に考えればその塾に20分かけて行く価値があるってことだろ。それならもう塾代が安いとか、あとはそこに好きな男がいるくらいしかねえだろ」

「いやいやいや。普通に色々あるだろ!ほら、その塾の評判が良いとかさ」

「どうだか。ま、俺の勘が言うには、間違いなく男だな」

 それから彼と口論になったが、少しした後に、我がクラスの担任に喧嘩両成敗される。くどくどと説教される中、僕は友人の言葉と、あの時の愛美の芳香を何度も思い出していた。




 次の日、僕は自分の部屋のベッドの上で、寝そべりながら携帯を弄っていた。画面に映し出されているのは、ショートメッセージをやり取りできるアプリケーション。僕はずっと愛美の連絡先を眺めつづけていた。愛美が遠くの塾に通っている、その理由を聞くだけなのに僕はすでに数十分の時を逡巡に費やしていた。

 本当のことを知るのが怖かった。愛美がすでに僕のものでなくなってしまっているのが怖かった。

 だが、このまま彼女が何かを隠したことを知りながら、いつものように平然と振舞うなど到底できそうもない。

 決断は早い方が良い。

 手のひらの汗をぬぐい、携帯を操作した。




 何だこの暑さは。

 額の汗は留まることをしらず、シャツは私の体から出た液体のせいで、皮膚に張り付いていた。すでに黒いジャケットを脱ぎ、白のYシャツ一枚であるというのに、体に籠る熱は強まるばかり。すでにそのシャツも、汗で透け始めていた。

「ああ、くそ。なんでこんなに暑いんだ」

 悪態をぼそりとつきながら、監視対象の住む家を眺める。

 眺めると言っても距離にして三キロ先である。私がいる場所は空調が壊れた、駅前の安宿の一室、対象の住居は住宅街の中心の一軒家である。それほど人口もなく、駅前さえとても閑静ではあるが、双眼鏡を用いて窓際に立っている姿を誰かに見られるのは面倒なので、眼球の望遠機能を起動している。

 わざわざこんな遠くから監視しているのも、対象の住宅の近辺は全て同じような一軒家が連なり、背の高い建物が存在しなかったからだ。

 対象は、アイミ・クロキ、だったか。メレトネテル関係ではない仕事は久しぶりだが、こういう事件も我々の管轄だ。それは重々理解しているが、

「確たる証拠が一向に、ねえ」

 いわゆるデザインド関係の犯罪調査は、メレトネテルが関わる一件と違い、それほど権限を自由に行使することができない。いつもなら強引な捜査もできるが、今回は法に触れない慎重な調査が求められている。アイミ・クロキが巻き込まれている一件は、明確な証拠が中々浮き彫りにならず、時間はただただ過ぎるだけ。

 つまり暇だった。

「うーん、もう家乗り込んで、さっさと父親尋問でもして証言得たいんだけどねえ」

 と、まあ今にもやりかねない計画を呟いたとき、鼓膜の内部から通信の受信音が響く。

 相手はアラドカルガ本部の伝達役、エアラルフ。私の長年の友人でもある。

「やあ、リューベック。任務はどうだい?」

「昨日と同じさ。確たる証拠は無し。未だ動けずだ」

「ふむ、どうしたものかね」

 彼とはこの昼過ぎの時間に定時連絡をしている。しかし報告内容に様変わりは無い。

「うーん、このまま進展が無いのなら、もう他の者に任せてしまおうか。思えば君に頼むような仕事でもなかった」

 エアラルフはアラドカルガの頭脳兼統制役。日夜忙しく、かつ世界中を飛び回ることも珍しくない私たちアラドカルガの仕事の調整などをしている。今回の任務はメレトネテルの関わらない事件。普段であれば私に回ってくることはない。しかし、

「ま、今回の一件は私から引き受けたんだ。最後までやり遂げるよ。もし私のせいで仕事が溜まっているなら、申し訳ないがね。けどそれらも全部、後で必ずやり遂げるよ」

「君がそう言うなら、僕は信じるよ。君の能力の高さは、僕も重々承知しているからね」

「よせよ、照れくさい」

 流石の私でも、こう真正面から賞賛を浴びるのは少しむずがゆい。

「ああ、そうそう。こないだの新人、中々頑張ってるよ。君の紹介なだけはある」

「おー、あいつか。元気でやってるか?」

「うん、それはもう。元気すぎて困るくらいさ。僕たちも人手不足だからね、ああいう即戦力になれる器量よしは、いつでも大歓迎さ。また人材発掘、よろしく頼むよ」

 彼は融通も効き、仕事も丁寧で好感が持てるが、こういう必ず人の足元を見る功利的な性格だけは、どうにも好きになれない。それが彼のアイデンティティでもあるんだろうけど。

「わかったよ。あ、そうそう。証拠ってほどではないけど事件に動きがあったよ」

「ほう、それはどういう」

「や、そんな大したことではないんだけどね。昨日、クロキが例の場所に赴いたとき、彼女の後を追う子供がいてね」

「子供?」

 おそらく今日は動きが無いとみて、望遠機能を停止。先日録画した画像をエアラルフに送信する。

「今送った画像の男の子だよ。どうやらクロキの友人らしい」

「ちょっと待った。この子、あの場所まで行ったの?」

「いや、途中で引き返したよ。ま、引き返さなかったら私が止めていたけど」

 ほっと、一息ついた声が聞こえる。やはり彼も性根は善人なのか、無辜の子どもが大人の悪意に晒されかねない事態を辛うじて避けられたことに、安堵したみたいだ。

「ま、どうやらその男の子はクロキとは昔からの付き合いみたいだから、少し彼にも注意を向けておくよ」

「すまない、そちらも頼むよ。っと、悪い、通信が入った。じゃあ後のことはよろしくね」

「おう」

 通信終了。彼はアラドカルガ一の多忙の身。こうした通信ですら長く彼と接することは不可能に近い。

「さて、じゃあこのリューベック、今日も元気に事件解決のため邁進しましょうか」

 彼にはもう心配をかけまいと、自分に喝を入れ直した。


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